NOISE 上: 組織はなぜ判断を誤るのか?

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152100672

感想・レビュー・書評

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  • とても面白いです。
    人間の判断の雑さについて気にしていた時期なので、人間の弱さがよくよく理解できました。
    自分もシステム2や外部の視点をしっかり意識して使っていきたい。
    下巻も読みます。

  • 冒頭で、2つのエラーである"ノイズ"と"バイアス" の違いを説明しているのだが、熟練の奇術師のように劇的だ。
    ABCD、4チームの射撃結果の結果から両者のエラーの違いを図で鮮明に示した上で、「じゃあこれを裏から見たらどうでしょう?」と、軽やかに反転させて標的を消し去る。
    すると、"標的について何もわからなくてもノイズが認識できるようになることがこれでわかりますよね"と説明し、さらに後では、結果を待たなくても計測可能であるのだと畳み掛ける。
    「ノイズの計測に必要なのは、標的の裏側から見ることだけ」なんですと。
    憎たらしいほどうまい。

    射撃結果の着弾のバラツキを見るまでもなく、我々はすべからく射撃下手で、身の回りもそこら中でノイズが溢れている。
    そもそも脳の機能からしてバラツキがあるし、ニューロンも2度と同じようには働かない。
    それなのになんでノイズを目の敵にするのか、望ましいバラツキだってあるじゃないのかという声もあるが、同じ重罪犯の量刑が、裁判官によって、一方で3年、もう一方が7年だったりしたら、公平な正義が下されたと言えるのか。
    あるいは、ある保険会社で同じ案件なのに、担当者によって、一方では保険料率が高すぎ、もう一方では安すぎても、均したら結果オーライと言えるのか。

    平均すれば正しいなんてことには決してならない。
    ノイズが生じさせるエラーに関しては、足し合わされるものであって、決してお互いに打ち消し合うものではない。
    ノイズの多いシステムとは、結果、高くつくものなのだ。

    個々人がどうせノイズまみれなんだったら、"文殊の知恵"じゃないけど、集団なら少しはまともになるのではないかと思うかもしれないが、一握りの発言者の意向や、最初の意見の影響が後々まで集団の判断に影響を与えたり、個々人の当初の考えよりも集団の意思が極端な方向に振れやすい「集団極性化」の特性もあったりして、なかなか厄介だ。

    最終的には、人間の判断なんて当てにならないんだから、ノイズフリーのAIや機械学習アルゴリズムをもっと積極的に使いましょうよっていう結論なんだけど、どうかね。
    機械的予測の精度は人間の判断を一貫して上回っているし、大量のデータを食わせた分析は「折れた足」のように、いままで発見が困難だった極めて稀な要素も見つけることができるし、と。
    なぜもっとアルゴリズムを使わないのか不思議だ、きっとそこには専門家と抄する人たちの直感への偏愛と、人間性の喪失に対する恐れがあるんだろうと分析しているが、どうなんだろな。

    大リーグでも、各チームがデータ分析に力を入れて、極端なシフトを敷いた守備が取られているが、ときおり普通に守っていればアウトにできたんじゃないかっていうゴロが、がら空きのフィールドを転がっていく様を見ると、投げている投手だけでなく、見ている観客も白けさせる。

    「アルゴリズムはパーフェクトであってもらいたい」し、「一度でも判断ミスをしようものなら、すぐさま信頼を失って」、退場を命じられるものなのだと著者は指摘しているが、それは人間の過剰な期待によるせいなのか、はたまた人間の感情を無視しているからなのかよくわからない。

    本書で最も面白いの「理解と予測」のところ。
    調査対象を長年にわたって深く分析し、よく理解したと思っている専門家が、どうして精度の高い予測を行なうことができないのか?
    もっと踏み込んで言えば、なんで人口や家族問題に精通し世間から引っ張りだこの社会学者が、勇んで政府の少子化対策の審議会に入っても、一向に問題は改善しないのか、といったことがよくわかる。
    どうして社会科学者は、社会問題の因果連鎖を突き止めたことで、現実を理解したと錯覚し、予測も可能だと自信を深めてしまうのか?
    後知恵解釈と予測可能性の錯覚の関係は、必読だろう。

  • 人の判断には様々なノイズが入り込んでいる。経験や直感から下した判断より、機械的に平均を求めた判断の方が正しい。自分の勘を頼りにすることもあるが、冷静に数字や事実を分析する必要があると感じる。

  • 第1章 犯罪と刑罰
    量刑のノイズについて話そう
    「調査によると、同じ犯罪に対して刑の厳しさに大幅なちがいがあるらしい。これは不公平だ。どの判事が担当するかで量刑がちがうのはどう考えてもおかしい」
    「重さが裁判官の機嫌だとか、その日が暑いとか寒いといったことに左右されるべきではない」
    「量刑ガイドラインはこの問題に対処する方法の一つだ。だがガイドラインを嫌う人も多い。適切な判断を下すにはある程度の量の余地が必要なのに、それを狭めてしまうからだという。たしかに、どのケースもそれぞれにちがうとは言えるかもしれない」

    第2章 システムノイズ
    保険会社のノイズについて話そう
    「保険会社では、プロフェッショナルが下す判断の質が非常に重要だ。私たちは、誰が担当しても判断はほぼ同じだと考えていたが、この前提はまちがっていたようだ」
    「システムノイズは予想より五倍も多かった。つまり、容認できる水準の五倍もあった。ノイズ検査を行わなかったら気づかないままだっただろう。ノイズ検査のおかげで、一致の錯覚は打ち砕かれた」
    「システムノイズは由々しき問題だ。損失は数億ドルに上るだろう」
    「判断のあるところノイズあり。それも、思った以上に多く」

    第3章 一回限りの判断
    一回限りの判断について話そう
    「これはたしかにめったにない出来事ではあるが、いまのアプローチだとノイズが多くなりそうだ」
    「一回限りの判断も、繰り返し行う判断がたまたま一回だけだったケースにすぎない。このことを忘れないように」
    「あなたが判断のよりどころにしている過去の経験は、今回の判断と関係があるのだろうか」


    第4章 判断を要する問題
    プロフェッショナルの判断について話そう
    「これは判断を要する問題だ。となれば、みんなが完全に一致することは期待できない」
    「たしかにそうだ。それにしてもいくつかの判断はあまりにかけ離れているから、まちがっているにちがいない」
    「あなたの候補者選びのやり方は単に好みを表しているだけで、まじめに判断したとは思えない」
    「決断を下すには、予測的判断と評価的判断の両方が必要だ」

    第5章 誤差方程式について話そう
    誤差方程式について話そう
    「バイアスを減らしても、それと同じだけノイズを減らしても、正確性におよぼす効果は同じらしい」
    「予測的判断のノイズを減らすのはとても効果的だ。このとき、バイアスが多いか少ないかは関係ない」
    「真の値を上回る予測と下回る予測の比は八四一六だったから、バイアスはかなり多い。それでも正規分布であれば、バイアスと同じだけノイズが存在することになる」
    「どんな意思決定にも予測的判断が関わってくる。予測的判断においては、正確性が唯一の目標であるべきだ。だからあなた個人の価値観は、事実から切り離しておくように」

    第6章 ノイズの分析
    ・レベルノイズは、判断者ごとの判断の平均的なレベルのばらつきである(たとえば厳しめの裁判官と甘めの裁判官)。
    ・パターンノイズは、特定のケースにおける判断者の反応のばらつきである(再犯者に厳しい、共犯者に甘い、など)。
     量刑調査では、レベルノイズとパターンノイズはおおむね等しいことがわかった。だがバターシノイズには一過性の原因による機会ノイズが含まれている可能性が高く、機会ノイズは偶発的ランダムエラーとして扱う必要がある。
    ノイズ分析について話そう
    「裁判官によって厳しさのレベルにちがいがあるときは、レベルノイズが存在する。ある特定の 被告を厳罰に処すか寛大な措置にするかで裁判官の意見が一致しないときには、パターンノイズ が存在する。パターンノイズの一部は機会ノイズだ。つまり、同じ裁判官が別の機会には別の判断を下す。」
    「完璧な世界では、被告は正義の裁きを受けられる。だが、現実には、ノイズの多いシステムに翻弄されるのだ」

    第7章 機会ノイズ
     ヘルツォークとヘルトヴィヒによる意思決定者へのアドバイスをかんたんにまとめると、次のようになる。独立した第三者に意見を求められるなら、そうするほうがよい。これはまさに「群衆の知恵」であり、判断精度を向上できる可能性が高い。だがそれができない場合には、自分の中に群衆を作って、同じ質問をもう一度自分にしてみることだ。

    機会ノイズについて話そう
    「判断はフリースローのようなものだ。どんなにがんばっても、同じ動作を正確に二回繰り返すことはできない」
    「あなたの判断は気分に左右されている。気分だけでなく、直前にどんな話をしたかとか、今日 の天気とか、そういうことにも。人間はいつも同じ人間ではないと考えなければならない」
    「君は先週の君と同じではないかもしれないが、ありがたいことに、今日の他人よりは先週の君 に近い。つまり機会ノイズは、システムノイズの最大の要因ではないということだ」

    第8章 集団によるノイズの増幅
     個人の判断に入り込むノイズだけでも由々しき問題だが、これが集団になると一段と問題は大きくなる。とかく集団というものは、本来は無関係のさまざまな要素に左右され、とんでもない方向に迷走しがちだ。 誰が最初に発言したか、誰が最後か、誰が自信たっぷりに話したか、誰が黒を着ていたか、誰が誰の隣に座ったか、絶妙な瞬間に笑ったのは、眉をひそめたのは、頷いたのは、首を振ったのは誰か、といったことが結果を大きく左右する。組織では、さまざまな決定が集団で下されているはずだ。採用、昇進、支店の閉鎖、広報戦略、大学入試、 新製品の発売時 環境規制への対応、さらには国家安全保障にいたるまで、一人で決断するということはまずあるまい。

     …メイシーらが指摘するように、「最初に動いたごく少数の人がたまたまどちらに転ぶか」が、その後の形勢を決してしまうほどの影響力を持つ。

     …集団極性化とは、集団で話し合うと、個々人の当初の考えよりも集団の意思が極端な方向に振れやすいことだった。

    集団での意思決定について話そう
    「どうやら、最初に人気が出るかどうかですべてが決してしまうらしい。新製品が発売第一週で話題になるよう、戦略を練るべきだ」
    「いつも思うのだが、政治家の発言も経済学者の提案も映画スターとたいして変わらないのでは ないだろうか。誰かが好きだとわかると、みんなが好きになるという点で」
    「チームが集まるといつも意見が一致して自信満々になり、ものすごい勢いで突き進む。これが どうも不安で仕方がない。意思決定プロセスのどこかにまちがいがあると思えてならない」

    第9章 人間の判断とモデル
    「人間は判断を下すときに、複雑で微妙なルールを見つけたと考えがちだが、複雑で微妙な斟酌はだいたいにおいて単に時間の無駄だ。そのようなものが単純なモデルの精度を上回ることはまずない」
    「ポール・ミールの著書が発表されてから六〇年以上が経つが、機械的な予測のほうが人間より上だと聞くといまだにショックを受ける」
    「要するに、人間の判断にはノイズが多すぎる。だから、ある人の判断から生成した近似的なモデルのほうが本人に勝つことになる」

    第10章 ルールとノイズ
    ルールとアルゴリズムについて話そう
    「大量のデータが存在する場合には、機械学習アルゴリズムのほうが人間や単純なモデルより精 度の高い予測ができる。ごく単純なルールや式ですら、人間の判断を上回るという。これは、ノ イズがないことに加え、複雑で微妙な匙加減などしないからだ。そういうものはだいたいにおいて予測の役に立たない」
    「結果についてのデータが何もない状況では、均等に重み付けしたモデルを使うのがよい。最適の重み付けをしたモデルとほとんど同等の予測精度が期待できる。それにとにかく、人間の場当たり的な判断よりはるかにましだ」
    「君はモデルの予測を信用していないようだ。何か折れた足のような決定的な情報を持っているのか、それとも単に機械的な予測が嫌いなのか?」
    「もちろんアルゴリズムも誤りは犯す。だが人間のほうがずっと誤りは多い。それでも人間を信用するのはなぜか?」

    第11章 客観的無知
     答えは、こうだ。人材の採用といった重要な事柄では、信頼性がすこし上がるだけでも大きな価値がある。そもそもエグゼクティブたちは、わずかばかり利益率を上げるために日々改善や改革の努力をしているではないか。もちろん、成功が保証されてはいないことを彼らはよく知っているはずだ。それでも成功の確率を高めると考えられる決定を下す。エグゼクティブたちは、確のこともよく承知している。当たる確率が五九%のくじと六五%のくじが同じ値段で売っていたら、前者を買う人はいないだろう。
     問題は、エグゼクティブたちにとって値段が同じではないことだ。五九%のくじ、つまり直感に頼る場合には、ご褒美がある。「これでよし」と言ってくれる内なるシグナルだ。だから内なるシグナルに匹敵するか、さらに上回るような確実性の感覚が得られるなら、彼らは直感を断念して予測精度の高いアルゴリズムを採用する気になるだろう。だが、内なるシグナルのご褒美を諦めてまでアルゴリズムを採用しても、予測精度が人間よりたいして高くないのであれば、払う代償が大きすぎると感じられてしまう。

    客観的無知について話そう
    「予測のあるところ無知あり。それも、思った以上に多く。われわれが頼っている専門家たちがダーツ投げをするチンパンジーよりましなのかどうか、チェックしたほうがいい」
    「何か決定的な情報を知っているわけでもないのに、自分の勘に頼って満足している。そういう姿勢を、客観的無知の否定と言う」
    「モデルの予測精度はつねに人間より上だが、大幅に上回るわけではない。人間の判断の精度がひどく低い場合、モデルはだいたいにおいてそれよりいくらかましという程度だ。だとしても、精度がいいに越したことはない」
    「この種の決定を下すときにモデルを使うのを渋るのは、自分で判断して”内なるシグナル”を感じたいからだ。だったら、モデルを使わずに済むよう、われわれの意思決定プロセスを改善しなければならない」

    第12章 正常の谷
    統計的思考と因果論的思考
     本章では、統計的思考と因果論的思考を対比させた。後者は遭遇した出来事を即座に正常か異常分類してのけ、思考の労力を大幅に省いてくれる。異常だとなって初めて、状況と記憶の両方から必要情報を探すという労力が動員される。静観して続報を待つにしても、忍耐という努力が必要だ。対照的に正常の谷に収まる出来事には、ほとんど頭を使う必要がない。道ですれ違ったお隣さんが愛想よくにっこりしても、上の空で会釈しただけでも、どちらもよくあることなのであなたはたいして注意を払わない。お隣さんが満面の笑顔で何か言いたそうだったり、むっつ不機嫌にあなたを無視したりしたとき、あなたは検索モードに入り、記憶の中から原因を探す。因果論的思考は、異常な出来事を察知する警戒は怠らないものの、無用の努力は避けるのである。
     対照的に、統計的思考は相当な努力を必要とする。まず、注意力という貴重なリソースを動員しなければならない。これは、システム2にしかできないことである。「ファスト&スロー」で述べたように、システム2は熟考、意思的な努力、秩序を要する遅い思考を司る。統計的思考をするには、ごく初歩的なものを除けば専門的な訓練が必要だ。まず集合を見て、個々のケースは大きなカテゴリーに属す例だと考える。たとえばジョーンズ一家の立ち退きを一連の出来事の結果とはみなさない。ジョーンズ家と同じ予測的特徴を備えた大量のケースをあらかじめ分析したうえで、統計的に起こりうる(または起こりそうもない)結果だとみなす。

    理解の限界について話そう
    「相関係数が0.20(PC=五六%)は、人間に関する事柄ではごく標準的な数字だ」
    「相関関係は因果関係を意味しないが、因果関係は相関関係を意味する」
    「大方の出来事は、予想してはいないが、起きても驚きはしない。こうした出来事には説明は不要だ」
    「正常の谷に収まる出来事は、とりたてて予想はしていないにもかかわらず実際に起きても驚き はしない。なぜ起きたのか、すぐに説明がつく」
    「どうしてこういうことになったのかわかったつもりでいるが、だからといって、こうなると予想できただろうか」

    第13章 ヒューリスティクス、バイアス、ノイズ
     判断にかかっているバイアスは、多くの場合、真の値を参照することによって突き止められる。エラーがおおむね一方向に偏っている場合には、バイアスが存在する。たとえばプロジェクトチームが完了までの日数を見積もるケースでは、見積もりの平均が実際に要する日数を大幅に下回ることが多い。このおなじみの心理的バイアスを「計画の錯誤(planning fallacy)」と言う。

    ヒューリスティクス、バイアス、ノイズについて話そう
    「心理的バイアスはたしかにどこにでもある。だからといって、何でもかんでも漠然とバイアスのせいにすることは厳に慎まねばならない」
    「熟考を要する質問をかんたんな質問で置き換えれば、エラーが起きるに決まっている。たとえば確率を判断すべきときに類似性で置き換えたら、基準率を無視することになる」
    「結論バイアスがかかっていると、自分が最初に抱いた印象とつじつまが合うように証拠の解釈を歪めることになりやすい」
    「第一印象というものはすぐに形成されてしまう。そうなるとそれにこだわり、対立する情報をあとから入手しても軽視しがちだ。こうした傾向を過剰な一貫性と言うらしい」
    「心理的バイアスは、多くの人に同じバイアスがかかっている場合には統計的バイアスを生む。ウス、バイアス、ノイズだがそれぞれにちがう方向にバイアスがかかっていれば、システムノイズを生むことになる」

    第14章 レベル合わせ
     統計学的に言えばまったくばかげた予測に行き着くという事実にもかかわらず、与えられた情報をレベル合わせに使う誘惑に抵抗するのはむずかしい。セールスマネジャーは往々にして、営業成績が去年抜群によかった部下は今年もそうなると予想する。人事担当役員が輝かしいキャリアを積んできた採用候補者に出会うと、ゆくゆくは社長になるだろうと期待する。映画プロデューサーは、前作が大ヒットした監督は次もヒットを飛ばすだろうとそろばんを弾く。
     こうしたレベル合わせ予測の例は、だいたいにおいて失望に終わる。一方、与えられた情報があまりにネガティブな場合には、レベル合わせで予測すると実際以上に悲観的になりやすい。与えられた情報に基づいてレベルを合わせる直感的予測は、情報がポジティブであれば過度に楽観的に、ネガティブであれば過度に悲観的になりがちだ(この種の予測エラーを専門的には「非回「帰的」と表現する。なぜなら、「平均への回帰」という統計的現象を無視しているからだ)。

    レベル合わせについて話そう
    「二人ともこの映画がすごくよかったという点ではたしかに一致した。だがあなたは私ほど感動していないように見える。使った形容詞は同じでも、使っている尺度がちがうのだろう」
    「このテレビドラマシリーズはシーズン1がすばらしかったので、シーズン2もヒットすると思った。つまりレベル合わせ予測をして、みごとに外したわけだ」
    「論文を採点するときに一貫性を保つのはむずかしい。順位をつけるほうがいいと思う」

    第15章 尺度
    尺度について話そう
    「われわれの判断には大量のノイズがある。これは、各自の尺度の理解がちがうせいだろう」 「最初のケースがアンカーになって、ちょうど尺度上の基準点のように作用することを忘れないように」
    「ノイズを減らしたければ、順位の判断に切り替えるほうがいい」

  • とても興味深い。

  • 低調だな ダイジェストでいいかも

  • 行動経済学という学問をまさしく一般に普及させた立役者の一人といえば、『ファスト&スロー』等の著作で知られるダニエル・カーネマンであろう。彼が、ナッジ理論の理論的中枢もであるキャス・R・サンスティーンらと記した新作にあたり、行動経済学の新たな世界が開けた、といっても過言ではない面白さに満ち溢れている(私はこの本をコロナワクチン3回目接種の副反応で寝込んだベッドの中で読み通してしまった。そのくらい面白い)。

    行動経済学の定義は幾つかあると思うが、オーソドックスな定義の一つは”人間の不合理な行動やエラーというのはなぜ起きるのかを解き明かす学問”であるというものではないか。その際によく言及されるのが”バイアス”と呼ばれる人間のものの見方の偏りである。

    しかし、不合理な行動やエラーを起こす要因としてもう一つ大きなものがある。それが本書のテーマ、”ノイズ”である。本書は行動経済学の中で”バイアス”ばかりが語られている点を是正すべく、いかに”ノイズ”が我々のエラーを巻き起こしているのか、そしてその対処法までを明らかにする。

    ここでいう”ノイズ”とはいわゆる分散の概念である。
    例えばダーツに的を投げたときに、
    ・投げたダーツが一定のエリアに集中している⇒”バイアス”
    ・投げたダーツがバラバラに散っている⇒”ノイズ”
    ということになる。

    合理的な意思決定をしているようで実は”ノイズ”によって人間の意思決定がてんでばらばらであるということを明らかにする事例として、同一人物による病気の診断や保険金の支払査定などのバラつきのデータを見ると、これが恐ろしいほどの分散を見せる。その分散はあまりにもひどいため、過去に自身が判断したデータを用いて簡単な機械学習モデルを作ると、遥かに機械学習モデルの方が高い精度を出せるという。

    ”ノイズ”の要因は色々あるが、大きいのはそのときの人間のストレス、気分などである。疲れを知らず感情に惑わされることがない機械学習モデルが高い精度を出すのも、むべなるかな、というところであろう。

    さて、そうした”ノイズ”の実態、それがどれだけのエラーを巻き起こし、結果として社会にどれだけの余剰コストを生み出しているかを考えると、この対処策が重要になってくる。本書では簡単なテスト形式で、具体的に組織の”ノイズ”を減らすための処方箋も示されている。

    ”バイアス”が行動経済学のキーワードとなったように、ワーディング自体は全く珍しくもなんともないものの正しくその弊害が認識されていない”ノイズ”をいかに扱うか、これは行動経済学の実践としてより良い社会・組織を作っていく上で、必須のものになっていくのではないか、という強い期待すら感じた。

  • 専門家のカンほどあてにならないモノはない。
    経験値を積みつつ常に謙虚でいる、なかなか難しそうだ。

  • 東2法経図・6F開架:141.5A/Ka19n/1/K

  • アイザック・アシモフさんが書いた銀河帝国興亡史ハリ・セルダンの説く心理歴史学は、この本を読む限り、究極の行動経済学なんだなあとつくづく思います。

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著者プロフィール

心理学者。プリンストン大学名誉教授。2002年ノーベル経済学賞受賞(心理学的研究から得られた洞察を経済学に統合した功績による)。
1934年、テル・アビブ(現イスラエル)に生まれへ移住。ヘブライ大学で学ぶ。専攻は心理学、副専攻は数学。イスラエルでの兵役を務めたのち、米国へ留学。カリフォルニア大学バークレー校で博士号(心理学)取得。その後、人間が不確実な状況下で下す判断・意思決定に関する研究を行い、その研究が行動経済学の誕生とノーベル賞受賞につながる。近年は、人間の満足度(幸福度)を測定しその向上をはかるための研究を行なっている。著作多数。より詳しくは本文第2章「自伝」および年譜を参照。

「2011年 『ダニエル・カーネマン 心理と経済を語る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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