特に説明もナビもないので、流しながらだと今何をしているのかすら分からなくなる。ただ、文字数がそれほど無いこともあるが上下巻とも意外に短期間で読めたのでやっぱり読みやすかったのか。
やはりぞれぞれのアイデアは素晴らしいが、本質的な面白さと結びついていないように感じた。アイデア自体は物凄いエネルギーを貯蔵しているのだが、そのアストロファージは待機状態のまま終わった印象をうける。
これはもはや神話の詳細なので、そして伝説へ・・・みたいな後日談があれば良かったのにそれは読者に委ねられる・・・非常に惜しい。
本編内容はもはや異星種族の有能の頂点がタッグを組んだ様相を呈している。特にロッキーの理解力とDIY力は異常であり、一部を覗きほぼ全てのパラメータがカンストしている感じだ。
主人公も分析/解析が速く、難航しそうなEVAを短時間でこなすなど超人ぶりを発揮している。とにかく思い立ったら即提案し実行する部分は両者共通で、その様相は難攻不落の障害物レースを次々突破していく走者を思わせる。
更に万能材料キセノナイトが組み合わさることで、もう何が起きてもどうにかなりそうに見える。そのため実際どうにもならなくなっても、なにか作為的に感じてしまった。専門の研究者が一番最初の手順にしそうな隔離をしかも漏洩した場合の危険性が明確な環境下で忘れたとかありそうもないがどうなのか?メンタルが切迫してたとはいえ、たとえば溶接作業者がアースを取らず作業するようなものではないのか。やはりそのへんの描写がやや弱い。
結局、過去は強制出発のあと中途半端に途切れてしまい、散々前人未到の快挙を達成したあとぼくは臆病者だとか言われても説得力は薄味で、もう少し補完エピソードが欲しかった。
最後は一応ハッピーエンドっぽいものの、大団円とはいかず、不穏さを残しているのは何か引っ掛かる。「家に帰る」の意味は何なのか…考えるほどラストの展開は重く靄がかかっている。
結論としてはこれこそ真の正義ということなのだろう。正義と大義は相反していて両方貫く人はそれほど報われない。昨今、権謀術数や奸計の巧妙さを賛美し、成り上がるような話が逆張り的な真実であると量産されているふしがあるが、一方でこのような普遍的な道徳観を直球で打ち出す作品も浮上しているのは興味深い。
それにしても、なぜ存在価値をゆるがし、特異性を強調するようなラストにしたのだろう。最後もその後の凶兆を匂わしているようにみえなくもない。
ふたりの対面は囚人との面会のようだ。口調も賢くなって(理由は分かるけど)なにかドライで、もしかしてロッキーは相当な無理をしていたのでは?と思わせる。
金のためだけに執筆したのではないと作者が最後に意地をみせたと取るのはひねくれ過ぎだろうか。
厳しい環境に1人耐える描写は、売らなければならないプレッシャーと孤独に戦う著者の姿にも見える。
考えてみればSF作家というのは他と違って過酷なジャンルだ。どんなに爆発力を秘めたアイデアも一回使ったら終わりで、研究や意匠などと違って成果を盗まれても通常は何もできない。
完全に人類と決別しているこのラストにこそ大化けする作家のポテンシャルを感じるし、重要なのは、この作品がジャンルの歴史に配置されるのかということだが、それは疑わしい。余計なお世話だが最初から売れてしまったことが駄目なのか。
この時代に絶対的な英雄や勇者はいるのか。思考実験として興味深い。主人公は確実に英雄だろう。
しかしそれがどうした?と、考えさせられる。老齢となった主人公が地球へ帰還して本当になんになるのだろうか。あまりに度を越した偉業の前では豪華なモニュメントも栄誉ある賞も髪の毛一本ほどの価値もないだろう。
はたしてこれはかの美味たる自己犠牲の話なのか?
人類側は主人公の苦闘を伝聞程度でしか知り得ないので事後に語られる伝説は全て勝手な妄想だろう。
主人公も十数光年も離れた星系にコールドスリープからの復帰で突然出現したことで、地球に対する危機感は弱まっていて、しょうがないからついでに知恵を授けて人類を助けてやったという感じだ。
双方に意志の疎通はない。
未来の子供たちのためという理由は一応言っている。が、少なくとも内部的な前向きな動機を持ち自ら積極的に行動してはいないようにみえる。
主人公の自由意志は介在せず、実は一つしかない選択肢へと追い込まれているのは決定論的である。
しかし最後の正義をとる選択は決定論を否定しているとも言える。
さりとてできるかぎり最善の選択した形にもなっているが、それすらもストレステストのような苦行というのは辛い。
今できる限り最善のことをする、その場所があるべき居場所なのであり、その足元はどこだって地球なのだとポジティブに解釈することもできる。
動機はなんであるだろう?もはや主人公が動機そのものとなり存在と一体化しているのではないか。
明確に作中で描いてるわけではないし勝手な考察になるが、はっきりしているのは主人公にはこれといった理由は特にないということだけだ。だからこそロッキーを救うという正義を優先する。
これは道徳的な行為に理由はいらないという真実を示しているように思う。
能力、場所、機会が揃うと勝手に英雄は誕生する。それ以前のことに道徳的な理屈は無関係なのである。必然的にそうなるのだ。
主人公は神にも悪魔にもなれる瞬間を持っていたのに何もしない。それらは無関係だからだ。
道徳に理由は必要なく、条件が揃えば唯一絶対の正義の存在となる。だから自己の活動について、方針についてあれこれ理由を付けたがるというのは偽善の可能性が高いと予想できる。
例えば慈善活動を金のためにやっているとういうのは結構真摯な方なんじゃないかと思えてくる(しかしだからこそ必然性のない――あるいはあると主張する――その他の理由があるという点で確実に否定でき排除可能である)。
これらの点を考慮してこの小説をひとことで表すなら究極のエッセンシャルワーカーを描いた話だと言えるだろう。
エッセンシャルワーカーとは神になれる条件なのである。神が遍在しているとはこういうことではないのか。
自己犠牲ではあるが、特攻隊などとは全く別の観点の話なのであった。
しかし、やはりこういったことは外部からの無理矢理な邪推でしかなく、描かれている構図以外ははっきりわからず、冷静に考えると理不尽に押し付けられた責任から発生した責任感のみで成立している(だからこそ最高のパフォーマンスを発揮したのかもしれない)かなり荒唐無稽な内容で求心力を欠き、実際は過大評価気味の作品だったなというのが正直な感想だ。