- Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163276403
作品紹介・あらすじ
聖者なのか、偽善者か?「悼む人」は誰ですか。七年の歳月を費やした著者の最高到達点!善と悪、生と死が交錯する至高の愛の物語。
感想・レビュー・書評
-
タイトルに惹かれて読んでみた。ちょっと変わった内容で癖になる味わいの作品、七年がかりの作品らしい。名前は知っていたけど私には初めての作家さん。作家の持つ死生観から生まれた作品のようだが共感には至らなかった。それでも一風変わった流れで 悼む人 と母親とのバランスが重苦しくなるのを緩和してくれておりました。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
最初は面白かっのに、奈義倖世の下りがダラダラとしていて、後半辺りからだんだんとダルさを感じてしまいました。
ですので、「死生感」を感じとる事ができなくて、残念でした。 -
ようやく天童荒太『悼む人』読了。ミステリーでもなければ純文学でもないけれど、人の死というものをこういう切り口で語り、そのことで一人一人の命や人生の重要さを改めて見つめさせてくれる。
命や人生の意味づけのようなところを、作家も画家も多くの芸術家もスポーツ選手も職人も親も祖父や祖母も、さまざまな形で表現しようと努力している。ある意味、表現し、誰かに伝えることが人間の本能でもあるからだ。
しかし、事故現場や犯罪現場を訪ねて、知らぬ人の死を悼む青年という、あまりにも特異なキャラクターを造形して差し出してみせた天童荒太の、この唯一無二なる表現方法には、真に意表を突かれる思いである。
無駄なくぎっしり活字が詰まった本である。ある意味重すぎて読みにくいかもしれないが、著者が7年も費やして書き継いで来た、というだけの重さが、摩擦力となって有効に働いていることは確かである。
ぼくはこの作品は、直木賞受賞作に相応しく、いい小説だと思う。いろいろな人の意見を聴いてみたい気がする。この本を題材に酒を呑みながらたっぷりと話をしてみたい気もする。自分の姿勢や表情を少し変えてしまうほど影響力のある本であるかもしれない。
「悼む人」とは、この本においてはまさに「死者を悼む人」の意味である。死者を悼む人が小説のタイトルになっているところ、先日のアカデミー賞で話題になった「おくりびと」ブームに関連した作品なのかと勘違いする人なども、もしかしたら出現するかもしれない。ぼくは映画「おくりびと」は観ていないけれども、少なくないメディアの映像情報からは、葬儀社の専門職を題材にした映画であろうとことがわかる。 (その後映画を観て、大変感動しました。好きな映画の紛れもない一作となって記憶に掘り込まれました2012.6.24記)。
その意味では「悼む人」は職業を扱った小説ではなく、「おくりびと」の世界とは何の関係もない。職業ではなく、純粋に死者を悼む行為を続ける一人の青年の行動を通して、その裏に透けて見えてくるものは、やはり天童荒太ならではの家族というテーマなのである。
事故や事件の被害者を新聞などで調べて、実際に人が亡くなった現場を訪ね、そこで死者の生前の人間像を探ろうと関係者や近所の人を訪ね歩く。もちろんそうした不審な行為に、ごく当たり前に反応する人たちによって、彼は警察に突き出されたり、門前払いを食らわされる。しかし時に、一握りの人々が彼の行為に涙を流し感謝をする。死者を決して忘れない遺族たちの一部が。もちろん決して思い出したくない、他人が興味本位で掘り返すようなものじゃないと、拒絶反応を示す遺族もいる。でも、悼む人の行動は至ってシンプルで、無理強いはしない。
彼が尋ねるのは、どのようにして亡くなったのかではない。誰かが死に方を語ろうとすると、彼は遮る。どのように亡くなったかを、ぼくは知ろうとは思いません。**さんは、どのように生きた人であったのかを、知りたいのです。彼は、親族や関係のある人々への聞き込みを通じて尋ねる。「誰かを愛したり、誰かに愛されたことはありましたか。誰かに感謝されたことはあったでしょうか」その言葉を常に尋ね、そうして命の消えた現場にしゃがみ込んで、死者に話しかけ、悼むのである。
彼の放浪の旅はそうして続くのだけれど、彼のアウトサイド・ストーリーが同時に彼を取り巻く人々の間で進行してゆく。癌が進行中である彼の母と、母を取り巻く親族たち。ふとしたことから「悼む人」に出くわし、人生を変えることになった中年週刊誌記者。かつての夫を殺し、罪を購って出所したばかりの自殺志願の女性。
いや、この物語は、悼む人の物語というより、多くの欠如感を抱えて極北まで追い詰められた人たちの救いの物語であるといってもいい。アウトサイド・ストーリーなどでは決してないのだ。
「悼む」という行為は、見ず知らずの他人の死を、自分の関わりとして捉え、決してアウトサイド・ストーリーとして切り離さず抱え込み、交情しようという途轍もなくアクティブな行為であるように思う。そんな不思議で、心が豊かになる、静謐かつ激震の物語である。
何度も言うように、この小説は、直木賞受賞にとても相応しいとぼくは思う。それとともに、天童荒太という作家こそが、悼む人なのだろうな、とも。 -
悼む人、週刊誌の記者、末期癌の母、夫殺しの女が主な登場人物。悼む人の純朴な動機は分からぬもないが、夫殺しの女と結ばれる下りには違和感を感じた。また、見ず知らずの他人の死をあれだけ悼みながら、自分の母親が末期癌で苦しんでいるのを知らないのはどういうことか。死んだ人を悼むより、生きている間に人生を、家族との関わり、人との関わりをを楽しむべきではないか。。。
-
生と死は相反するものではなく繋がっているものだと。
愛する、愛される、感謝されるという人間の尊厳にあたるもの。
それに相反することが忘れ去られることだと強く感じた。
3人の視点から描かれていて読みやすかった。 -
見ず知らずの故人を悼む旅を続ける青年の話。
言葉に、重みがありすぎて、深くて、普段より丁寧に読んだ。
生死に関して、考えさせられる本。
家族はでも大事にしてほしい。
「誰を愛し、誰に愛され、誰に感謝されたか」
愛が周りにあること、日々を懸命に生きること。
感謝の気持ちを忘れないこと。 -
主人公の静人に、ぴったりとくっついて歩く倖世みたいな心境で、
読了した。
私は、たぶん、静人と同じ部類の人間だろうと思う。
道端に花が置いてあったりすれば、
誰が亡くなったのか胸が痛くなり、
三面記事で誰かが亡くなったと書いてあれば、
知らないその人のことを思って、涙ぐむこともある。
大きな事件じゃなくて、小さな事故ほど・・・。
静人のように、その人全てを悼もうと行動には出れないけれど。
私はどうして、こんなに「死」を意識しているんだろうか?
それは、自分自身の病気に起因すると思う。
私は、5年以上前にとある病気を宣告された。
その病気について無知だった私は、「死」を初めて身近に感じた。
命に期限があるってことを。
そこから私の価値観がかわったのです。
病気について色々調べて、入院・手術・検査して、今はもう元気だけど、
病気になる前と私は全然違う。
実際、病院に行くのが遅ければ、私は今はこの世に居ないかもしれないのだ。
そう思うと余計に、知らない人の「死」を昔より意識してしまう。
『誰を愛し、誰に愛され、誰に感謝されましたか』
亡くなった人を思って胸に刻むには、この言葉が一番すんなりといく気がする。
静人がたどり着いたこの言葉・・・ものすごく胸に響く。
私は、誰を愛し、誰に愛され、誰に感謝されるんだろうか?? -
テーマが重く、起伏がないので読むのに一週間を要した。静人が悼む理由は何度も説明されていたが、私にはあまり理解できなかった。