WANTED!! かい人21面相

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163807409

作品紹介・あらすじ

昭和最大のミステリー、グリコ・森永事件。その指名手配の絵、キツネ目の男が、事件から数年たった今も、わたし達をおびやかす。じゅうたん工場で働く女工たちの文字に託した思いを描く「恋もみじ」。家を出た奥さんになりかわった偽物の綾小路夫人の純情を描く「少女煙草」。破天荒な世界観とユーモアで紡ぐ、表題作ほか二篇。

感想・レビュー・書評

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  •  1984年に起きた『グリコ・森永事件』は、翌年、「かいじん21面相」を名乗る犯人グループからの終結宣言を受け沈静化し、事件は未解決のままで、動機は不明。警察発表によれば、かいじん21面相はひとりの殺人も犯しておらず、一円の現金奪取にも成功していない、奇妙な事件だったが、終結宣言の同日に、日航機のあの事故があったりと、何か神懸かり的な余韻を植え付けられたのが、印象的であった。まあ、それはともかく。

     本書は、芥川賞受賞作『乙女の密告』後に発表されたものの(2011年)、実際のところ、それは表題作だけで、他の二編、「恋もみじ」と「少女煙草」は、それ以前に書かれたものとなっている。

     「赤染晶子」さんの作品は、「うつつ・うつら」もそうだったが、所謂、純文学だと思い、ストーリーを感じるままに楽しむというよりは、その裏に潜む、作家のメッセージを感じ取ることで、世界の違った一面が見えてくるといった、絵画を観ているような印象があり、一見、風変わりでユーモラスな世界観ながらも、それとは真逆な、人間のシリアスな心情を織り交ぜているのが、なんとも滑稽でありながら哀愁的である。
     
     ということで、本書に収録されている三編は、物語のタイプこそ異なるものの、根本的な部分は一緒で、それは、他人に自らのアイデンティティを見出したい気持ちなのではないかと、私は思った。

     思ったって、簡単に書いてしまったが、これ結構、切ないものがありますよね。

     例えば表題作の場合、バトン部の高二「わたし」と「楓」は、当時の事件の目撃者になれるかどうかということに人生を懸けている節があり、特に楓は、弟が行方不明になったり、努力しても憧れのセンターになれない苦しみもあり、その孤独さを埋め合わせるかのように、かいじん21面相という、防犯ビデオや似顔絵でしか存在が分からないものを求め続けているものの、それ自体の現実性の薄さと、若い少女の持つ楽観的な発想との対照性に切ないものを感じさせられながら、若者の特権である、思いっきり泣き笑いしながらも進もうとする、その前向きな姿勢も印象的であった。

     次の「恋もみじ」は、常に15人で存在しなければならない女工のあり方に於いて、かつて、『あの人 わるい人』という置き手紙だけを残して、そこから失踪した「白ゆり女工」の存在を、本人の真相は全く分からないのに、それを完全に無視して神々しく偶像化する、「もみじ女工」や「うぐいす女工」の様子に泣けるものがあり、やがては、白ゆり女工自身の存在ではなく、彼女の置き手紙の文字だけを心の拠り所にするようになっていき、そこに散りばめられた言葉への思い、『文字は時を超える』、『文字は誰にも独占されない』に、現状の自分では無い状況を抜け出し、自らのアイデンティティを手探りしていく姿を重ね合わせているように、私には感じられた。

     最後の「少女煙草」は、表題作とは対照的に、いい年をした女の物語で、妻の「綾小路夫人」が夫の浮気を理由に実家へ帰ったのをきっかけに、家政婦として働きながらも、偽の「綾小路夫人」を名乗って、彼女のアイデンティティを借りて生き続ける「いも子」の人生は、どれだけ時が経とうと、17歳の満たされぬ初恋の頃に拘る姿が、絶えず付き纏い、それは、いつまでも過去に縛り付けられているようでありながら、自己を確立出来ない辛さが垣間見えるのが、なんともやるせなく、それはタイトルにも込められた、恒久的とも思われる不安感、

    『十七歳なら、たった一本の煙草で救われる。たった一本の煙草で強くなれる。大人っていうのはどうやって生きたらいいんだろう』

    という、いも子の率直な心境からも感じらさせられたが、それでも、

    『あたし、夢があるねん。一番好きな人と恋愛結婚するねん』

    『目を開けても夢を見てるの。一睡もしないで夢を見てるの。ああ、これがいい年をした女の言うことだろうか』

    と人生を諦めない姿に、いい年もなにも関係ない、時に言っていることが矛盾していようと、これが、女であり続ける為の女の生き方なんだと感じ入り、それは、アイデンティティを他人に求めていても、実はその求め方に於いて、既に自己のそれが確立されているのと同様に、たとえ、それが分からなくても思うままに生きていれば、自然とそこに辿り着くようなものかもしれないし、他の二編も含めて、常に渇きが癒えず飢えている表現や(しかし、それが満たされることはない)、決して怖くないと言いながらも泣いてしまう、そんな愚直さや無邪気さだって、あっても良いではないか。時に、ありのままの姿を曝け出しても求め続けるのは、それだけ、自己の大切さを本能的に感じているということなのだから。きっとね・・・。

  • (色々と問題のある表現かも知れないが)「ブサカワ」という言葉がある。
    この作者のあまりに独特な文体に接して、思いついたのはその言葉だ。
    名文・美文ではないけど、いや、読みづらさから言えばむしろ悪文なのかも知れないが、なにか魅力が秘められていそうで癖になる。
    この作家のファンはたぶん癖になっているのだろう。たまに強烈に読みたくなる、その感じはなんとなくわかる。
    でも、私には向いてない。何を言いたいのかわからない。
    私が読みたいのは「ブサカワ」じゃない。可愛いコか、さもなければ思いっきりの不細工を読んでみたい。
    もうこの作家を読むことはないかな。

  • 赤染さんの小説は相当、変わっています。
    まず登場人物が変わっています。
    フツウの人は、まず出てきません。
    普通なら笑うところで怒ったり、悲しむところで笑ったりしています。
    お話も変わっています。
    変わっているというか、あまり進みません。
    進まないなと思っていたら、急にギアがトップに入ったりするから油断ならない。
    文章も変わっています。
    ぶつぶつ切ります。
    主語と述語だけの文章がしばしば連続します。
    でも、それが独特のリズムを生み、読み手を幻惑します。
    はっきり云いましょう。
    赤染さんの小説は、ついていけません。
    ついていけないのは分かっているのに、必死に食らいつきます。
    何故なら、すっかり中毒しているから。
    ところが、スルリと身をかわされます。
    赤染さんの著作を読んでいると、そんな感覚に陥ります。
    本書の表題作「WANTED!!かい人21面相」だって相当、変わっています。
    まず、タイトルからして変わっています。
    最近の純文学作品のタイトルは変わったものが多いですが、その中でも筆頭格ではないでしょうか。
    主人公の「わたし」は高校2年生。
    親友の楓といつも一緒です。
    2人がまだ小学生だったころ、グリコ・森永事件が起きます。
    犯人グループ「かい人21面相」のキツネ目の男を探すのに夢中になったりします。
    高校2年生になっても、キツネ目の男は2人の心を捉えます。
    2人はバトン部でした。
    負けん気の滅法強い楓は、闘争心剥き出しで「センター」を取りに行きます。
    センターを努める響子先輩にも強気で接します。
    たとえばこんな感じ。
    □□□
    「あほの楓、おはよう」
    響子先輩は根性が悪い。
    「あほの響子先輩、おはよう」
    楓も負けてはいない。二人とも同じレベルだ。
    □□□
    もう、この4行を読むだけでも笑える、おかしい。
    そこへバトン部の顧問、鬼頭先生(キツネ目の男に似ている)がやって来ます。
    「あほの諸君、おはよう」
    鬼頭先生は横暴で、常に竹刀を持って部員を怒鳴り散らします。
    ところが、楓は鬼頭先生にまで食ってかかります。
    □□□
    「くそじじぃ!!」
    突然、楓は鬼頭に暴言を吐く。
    「だ、誰がじゃ!」
    鬼頭も一瞬たじろぐ。楓が鬼頭に「くそじじぃ」と言うのは入部以来これで十一回目だ。わたしはずっと数えている。
    □□□
    楓に限らず、赤染さんの小説に出て来る人物たちは、まず空気を読まない。
    空気を読むことを頑なに拒否する気配があります。
    現代社会にあって、大変に新鮮なことです。
    物語は、バトン部での出来事がコミカルに描かれ、進行していきます。
    特に、練習でミスをした「わたし」が罰としてグラウンドでマズルカステップを繰り返す様は滑稽で、笑えます、笑います。
    終盤には、「かい人21面相」から終結宣言が出されたことに触れ、楓が部活を辞めて、物語は割と唐突に終わります。
    かい人21面相にとらわれた彼女たちの青春が終わったのです。
    じゅうたん工場で働く女工たちを描いた「恋もみじ」、家を出た綾小路夫人に成り代わった家政婦の純愛を描いた「少女煙草」も収録。
    今回も「赤染ワールド」に真っ赤に染められました。

  • この人の本は、まえに『うつつ・うつら』を読んだ。なんだかおかしな話だったなあという印象が残っている。去年は「乙女の密告」という作で、芥川賞をとりはった(受賞作は、『文藝春秋』に載ったのを図書館で読んだ)。

    久しぶりに図書館の「新着一覧」をぱらぱらとみていたら、この人の新しい本があったので借りてみた。タイトルは、児童読みもの系か?と思えるが、いちおう大人用のラベルで913(小説)がついている。

    表題作は、もちろんグリコ・森永事件の「かい人21面相」あるいは「キツネ目の男」を下敷きにしている。といっても、高村薫の『レディ・ジョーカー』みたいな小説ではない。赤染晶子の書く話は、事件から数年たって高校2年生になっている「わたし」と同級生の「楓」を中心にすすむ。

    キャラメルのことをいまだに「森永」と言う楓、ちょっと変わった子だった楓。その楓に「わたし」はいつも金魚の糞のようについてまわっていたのだが、いつのころからか、ついていけなくなってきた。

    高校で2人はバトン部にいる。楓は、1年からレギュラーで、センターのポジション争いをするくらいだった。そして楓は、バトン部の顧問である鬼頭に向かって「ふん! かい人21面相のくせに!」と言い放つ。なぜか楓は鬼頭が「かい人21面相」であると信じていて、警察に通報までするのだ。

    「わたし」は万年補欠で、補欠はグラウンドで「マズルカステップ」の練習しなければならない。20人以上の補欠部員が、ずらりと並んで延々とマズルカステップをする。その光景は「春になると、全ての部活の新入部員がお腹を抱えてげらげら笑う」ようなものだった。たぶん表紙のイラストにあるセーラー服のふたりはマズルカステップを踏んでいるのだろう。赤染の筆によれば、それは「土俵入りの力士のような動作」だという。

    何が何だかわからないが、おかしな勢いがある。読んでいて笑ってしまったりする。

    他の2篇、絨毯工場で働くもみじ女工やうぐいす女工の話を書いた「恋もみじ」と、ニセ綾小路夫人となって暮らしてきたいも子を書いた「少女煙草」は、ますますわけのわからなさが募る。短く、たたみかけるような地の文の勢いのせいか、カッコで括られた会話文が関西弁で書かれているせいか、いったい何の話なのか、それもよくわからないのに、おかしい。

    (9/14了)

  • ちぐはぐ。書いているうちに書きたいことが変わってきて、登場人物の性格までねじ曲げた感じ。都合が悪くなるとうやむや。

  • 赤染晶子、追悼で読む。
    この人が描く少女(女の子と女の間にある時期)は、本当にすごい。自己顕示欲と、それを見つめる冷静さと、大人にならなければならないという世界からの圧力と、そんな力なんていてこましたる!という反骨心と。それらが入り混じる乙女の青春、といってしまえばそれまでだけど、そう簡単には言わせないよ、という。

    WANTED!怪人二十面相
    この中身に、このタイトル。バランスが良すぎる。
    怪人二十面相にはいくつかの姿がある。2人だけが共有している秘密の二十面相。知らない人々と大勢で見た二十面相。過去に二十面相だと思っていたものと、今、二十面相だと思うもの。私が二十面相だと信じるもの、人々が忘れてゆく二十面相。
    流れていく時間と、それとともに変化していく自分の記憶と信念と周囲の意識。そういうものが未解決事件・怪人二十面相に重ねて描かれるけど、あくまで怪人二十面相は関西弁の謎のおっちゃんなわけで。

  • 全く意味が分からない。面白くない。

  • 「WANTED!!かい人21面相」
    あの憎ったらしいバトン部顧問のおっさんこそ
    グリコ・森永事件の「きつね目の男」に違いない
    そんな親友の決めつけに、主人公は決定的な否をつきつける
    熱心な阪神ファンの顧問が、巨人のキャップをかぶり
    甲子園球場近くのスーパーに毒入り菓子を仕掛けるなんて
    考えられない話だと…
    などといったことから友情は歪んでいき
    幼い頃喪失した記憶の真実がよみがえってくる
    ロマンに満ちた時代をどうしても忘れられない思春期の少女たち
    そんなわかりやすい話ではなかった
    大人か子供かなんて関係ない、わたしはわたしになるのだという
    作者から提示されたテーマは
    珍妙なタイトルで台無しになった感も否めないけれど

    「恋もみじ」
    「この人 悪い人」というメッセージを書き残して失踪した女工
    いったい彼女に何があったのか
    残された女工たちは謎に怯えつつも憧れ
    いつしかそのメッセージを我が物にしたいと願うようになる
    長岡京の未解決事件は無関係です、たぶん…

    「少女煙草」
    実家に帰ってしまった綾小路夫人の代理で
    綾小路夫人のふりをずっと続けてきた家政婦の女
    彼女は、三人称のような一人称という奇妙な文体を語りながら
    寝たきりの旦那をいいかげんに世話したり
    本物の夫人が残していった家財道具を質屋に運んだり
    そうやって日々を繰り返しつつ
    綾小路家から連れ出してくれる男の登場を待っているのだ
    それが現れたときこそ「わたし」は綾小路夫人の呪縛から逃れ
    まともな一人称の世界に解放されるのだろう
    しかしもう若くはない

  • なんつーかミステリーでもなく、青春でもなく形容に困る、寺山修司から思想抜いたみたい

  • 昭和最大のミステリー、グリコ・森永事件。
    その指名手配の絵、キツネ目の男が、事件から数年たった今も、わたし達をおびやかす。
    じゅうたん工場で働く女工たちの文字に託した思いを描く「恋もみじ」。
    家を出た奥さんになりかわった偽物の綾小路夫人の純情を描く「少女煙草」。
    破天荒な世界観とユーモアで紡ぐ、表題作ほか二篇。
    (アマゾンより引用)

    すっごい期待外れ(;・д・)
    表紙とタイトル見て面白そうと思ったのに、全然意味が分からんやった(`ε´)

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著者プロフィール

1974年京都府生まれ。京都外国語大学卒業後、北海道大学大学院博士課程中退。2004年「初子さん」で第99回文學界新人賞を受賞。2010年、外国語大学を舞台に「アンネの日記」を題材にしたスピーチコンテストをめぐる「乙女の密告」で第143回芥川賞を受賞。著書に『うつつ うつら』『乙女の密告』『WANTED!! かい人 21 面相』がある。2017 年急性肺炎により永眠。エッセイの名手としても知られ、本書が初のエッセイ集となる。

「2022年 『じゃむパンの日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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