- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163900537
作品紹介・あらすじ
サンフランシスコにある医院のオフィスで、老精神科医は、壁に掛けられた穏やかな海の絵を見ながら、光と情熱にあふれた彼らとの美しき日々を懐かしく思い出していた……。
結婚を直前に控え、太平洋戦争終結直後の沖縄へ軍医として派遣された若き医師エド・ウィルソン。
幼いころから美術を愛し、自らも絵筆をとる心優しき男の赴任地での唯一の楽しみは、父にねだって赴任地に送ってもらった真っ赤なポンティアックを操り、同僚の友人たちと荒廃の地をドライブすること。
だが、ある日、エドは「美術の楽園」とでも言うべき、不思議な場所へと辿り着く。
そこで出会ったのは、セザンヌや、ゴーギャンのごとく、誇り高い沖縄の若き画家たちであった。
「互いに、巡り合うとは夢にも思っていなかった」その出会いは、彼らの運命を大きく変えていく。
感想・レビュー・書評
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『降伏よりも死を選べと、日本軍に洗脳されていたらしい』。爆撃、飢え、特攻、そして集団自決。主に沖縄本島で繰り広げられた沖縄戦。一九四五年三月から3ヶ月にわたった、本土決戦に向けた時間稼ぎの『捨石作戦』ともされたこの戦いでは、20万人もの人々が戦死したとも言われています。あの時代、この国で、そして沖縄で何があったのか、何が行われたのか。戦後70余年が過ぎ、遠い過去になったあの時代。あの戦争が終わったからこそ、今の我々があります。そうであればこそ、あの時、何があって、何が行われたのかということはとても大切なことです。でもそのことをあまりに知らない自分自身に最近気づきました。多くの人命が犠牲になった沖縄戦について、私自身ほとんど何も知らないという事実には、ただただ恥じ入るばかりです。原田さんの書かれたこの作品。表紙、そして裏表紙の二人の男性の何かを伝えようとするかのようにこちらを見つめる穏やかでもあり、それでいて強いまなざしが見つめる先。そこには、私の知らないあの時代を必死で生きた人々の物語が確かに存在していました。
『私がいま眺めているのは、一枚の海の絵だ。デスクの真向かい、暖炉の上の壁に掛かっている』という絵を見つめるのはサンフランシスコに暮らすエド・ウィルソン医師。『緑と青の二色に、おおまかに分けられた絵。緑は豊かな島の大地を示し、青は無限の広がりを秘めて静かに広がる海を表している』というその絵、『この海は、はるかな沖縄の海。この大地は、島を染め上げる緑の大地だ』と絵の中に六十年前の記憶を辿ります。『ここにある絵は、幾人かの異なった画家たちが描いたもの』、そしてそれは『生粋の沖縄生まれの画家たちから、私が譲り受けた作品』と語るエド。そんなエドの記憶にあの日々が鮮やかに蘇ってきました。『スタンフォード大学医科大学院を修了する直前』、一九四六年五月、エドは『在沖縄アメリカ陸軍の従軍医任命の通達を受け』、沖縄に駐留する米軍の精神科の軍医として『沖縄戦を闘い抜いた兵士たち。…彼らの疲弊は、想像を絶するものだった』という兵士に向き合うことになりました。『できる限りひとりひとりの患者に真摯に向き合って、それぞれのケースにていねいにあたり、患者の心に寄り添っていこう』と考えるエド。しかし、実際の現場は想像を絶するものでした。『この人たちの言っていることは、どれもこれも、まっとうじゃないか。それなのに、私は、事務的な問診、処方、忠告。ただ、その繰り返し』と自責の念に駆られるエド。そんなある日、友人の軍医と出かけた村で『ニシムイ・アート・ヴィレッジ』と書かれた看板を見つけます。『はじめまして。私は、タイラです。セイキチ・タイラと言います。私は画家です』というタイラとの出会い。『ニシムイと呼ばれるその場所は、芸術家たちの聖域』であり、『何もかも奪い去られ、破壊された沖縄に、忽然と現れた美のオアシス』でした。そして、エドと彼らの間に『絵画』をきっかけにした交流が始まります。
壮絶な沖縄戦で犠牲になった沖縄の人々。この作品では、そんな沖縄戦直後の沖縄を描いているにもかかわらず、視点はあくまで駐留米軍に向いています。沖縄戦の詳細に知識を持たない私自身の自戒は前記の通りですが、思えば駐留米軍に属する軍人の生活などさらに思いも至らない世界です。戦争に勝ったのは国であって個々の兵士はそれぞれひとりの人間です。戦場という日常から隔離された世界で生死の境を戦ってきた生身の人間です。『寝ても覚めても、顔が出てくるんです。顔が…ああ、沖縄人の、おれが殺した人たちの顔。血だらけで、脳みそが半分、こう、頭からぐしゃっとこぼれ出て』という兵士は『何度も自殺未遂』を繰り返します。一方で、『日本人を殺すのは、厭なんだ。僕は、沖縄が好きだ。戦争は厭だ。僕は、断固戦争反対』と思うものの『上官にも仲間にも、「戦争反対」と言えず、心を病んでしまったやさしき若者』がいる駐留米軍という生身の人間の集団。決して心のない兵器などではなく、心を持った人間だからこその人としての苦しみが、精神科の診療という最前線の現場を通してだからこそリアルに伝わってくる、その生々しい描写に胸を痛めました。
『「戦争は終わってなどいない、お前たちは戦争のさなかにいる」って、彼らは洗脳されている。だから、僕は、彼らを診察するたびに、ああ、戦争はやっぱりまだ終わってないんだな』と感じるエド。生きることが困難な時代。『沖縄という地の複雑な立ち位置に思いを馳せずにはいられなかった』というその沖縄の地で『おれたちが信じているもの』を描き続けたニシムイの人々。今、八十四歳になったエドが『あの出会いが私の人生を後々まで照らす光になろうとは』というその若き日々に出会った人々が残してくれたもの。『解説』の佐藤優さんが『どんな善意の人間であっても、理解できない事柄があることを明らかにした』と書かれるこの原田さんの作品を通して、知っているべきこと、知っていなければならないこと、これが遠い昔の出来事などではなく、ほんの少し遡った歴史の中に、確かに存在しているんだ、刻まれているんだということを教えていただきました。
『ここの空の、張り裂けそうな青さ。じくじくと湿った空気、熱波とともに舞い上がる土埃。日の出とともに始まる、壊れた楽器のような、幾千万のセミの声。こんな赤があるのか、というほど赤い花』という今の沖縄にも通じるリアリティ溢れる自然の描写の数々と、『青い海へと続く、白い一本の道。湧き上がる雲をたたえた陽光が満ち溢れる空。うっそうと木々の繁る森。乾いた砂浜に、打ち捨てられた一艘の舟』といったニシムイの人々が描いた絵画への原田さんならではの的確な文字による表現の数々。全てがとても色濃く、色深く、そして色鮮やかに描かれ、その中に人間の生命力の確かな力強さを感じるとても印象深い作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
以前他の作品のレビューでも触れましたが、図書館で借りた本に前の人の貸出票が残っていることがあり今回もそれが挟まれていたのですが
その名も知らぬ読書人は本作と一緒にアートの専門書やガイドを何冊も一緒に借りてはりました
そうか正しい原田マハさんファンはやはりちゃんとアートのお勉強もするのか(あるいはアートの方が主なのかも)
しかしながらアートの知識なんて一番楽そうだと選んだ高校の選択科目の美術で止まっている正しくない原田マハさんファンの自分でもとっても面白く読了しました
なんか勝った気分(なんそれ!)
ノンフィクションを元にしたお話しですが原田マハさんといえばアート!原田マハさんといえば沖縄!がダブルで詰め込まれた傑作でした
丁寧な心理描写でどっぷりと作品に浸かり最後はホロリとさせられました
うん、勝ったな(だからなんそれ!) -
原田マハと行く秋の芸術読書ツアー
ひまわりメロリン隊長の激推しの「太陽の棘」
最高だった!
ゴッホ、ゴーギャン、ルソー…色々とツアーしてきたけどコレ一番好きかも\(//∇//)\
戦後の沖縄も実は詳しくなかったし
ましてや「ニシムイの画家」ははじめてで
多分今までの読書で最高ググりまくりでした。
スタインバーグ最高!
タイラ…玉那覇正吉最高だ‼︎
ヒガの絵が見たかったです(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
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うーん、やっぱりマチネは全く読む気が起きん
みんみんが★1付けたやつを面白いと思う自分が想像できんよ
他にいっぱい読みたいのあるし
そのくら...うーん、やっぱりマチネは全く読む気が起きん
みんみんが★1付けたやつを面白いと思う自分が想像できんよ
他にいっぱい読みたいのあるし
そのくらいみんみんの評価を信用してるってことでw2022/09/12 -
うん…読んで☆5の感度レビューのメロリンは
気持ち悪いからやめて(-_-;)
あ!茨城の男メロリンにしたらある意味ファンタジー小説か?笑笑うん…読んで☆5の感度レビューのメロリンは
気持ち悪いからやめて(-_-;)
あ!茨城の男メロリンにしたらある意味ファンタジー小説か?笑笑2022/09/12 -
2022/09/12
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終戦直後の沖縄、若いアメリカ軍医と沖縄ゲージツ家達の交流のお話。
いーお話でした。
ニシムイ・コレクション観てみたいですね
( ´∀`) -
音楽は国境を越える、とはよく聞くが、確かに芸術は国境や時代を越える。
魂のこもった力のある表現物や表現者は、見る者の心に直接働きかけるからだろう。
理屈も理由も考える暇なく、感動を呼び胸を震えさせる。
戦後すぐの沖縄の米軍基地に軍医として派遣された新米精神科医エド。
ニシムイに美術村を作り、画家として生きるために描くタイラ。
自らも画家志望だったエドは、ニシムイの画家たちの描く絵と、純粋に創作に向き合うきらきらした瞳に惹きつけられる。
巡り合うとは夢にも思っていなかった彼らが、巡り合い、国も立場も越えた友情を育む。
しかし、戦後間もない時代の沖縄という特殊な場所にあって直面する現実は、タイラたちニシムイの画家に厳しく、エドたち米軍の軍医に苦いものも多かった。
物語終盤の別れの気配と、ニシムイの画家の一人である描くために生きるヒガに降りかかる不条理な悲劇の辺りから、鼻の奥がツンとなる。
エドの怒り、画家たちの誇り、お互いに対する信頼と友情。
胸が熱くなり、沁みたものは堪えきれず目から零れ落ちた。
沖縄を去るエドが大事に抱えた二枚の肖像画。
チカッ、チカッ……。七つの光の棘。
眩い太陽を集めた光の棘は、小さいけれど強く、胸にほんのり温かい痛みを残す。-
vilureefさん、こんにちは♪
ナマの作家さん、私もお会いしたのは2度目くらいです(^^;)
田舎住みなので、講演会とかサイン会...vilureefさん、こんにちは♪
ナマの作家さん、私もお会いしたのは2度目くらいです(^^;)
田舎住みなので、講演会とかサイン会なんてほぼ皆無ですもの~(T_T)
マハさん、人気あるしムリかもな~とダメモトで応募したら、
なんと、定員割れしていたみたいです・・・。
(なんだかマハさんに申し訳ないっ(T_T))
講演はすっごくすっっごく楽しかったですよー♪
とてもお話上手なかたで、あっという間に終了でした。
いつか東山魁夷さんの物語を書くために、長野に住んだりなさってるんですって。
東山魁夷画伯は、私の最も愛する画家なので、今から「いつか」が楽しみでなりません。
ときめかない本、ってつらいですよねー。
見切りをつけて新しい本に!って切り替えできればいいのですけれど、
手に取ったのも縁だし・・・面白くなるかもだし・・・とぐずぐずしてしまったりね(^^;)
vilureefさんのプロフの「残りの人生あと何冊本を読めるのだろう」を
しみじみ噛みしめる今日この頃です・・・。
vilureefさんの心をときめかせる素敵な本との出会いがすぐにありますように☆
2014/05/27 -
またまたお邪魔します。
東山魁夷と言えば、マハさんの「生きるぼくら」の中でも印象的に使われておりましたね。
お読みになりましたか?
...またまたお邪魔します。
東山魁夷と言えば、マハさんの「生きるぼくら」の中でも印象的に使われておりましたね。
お読みになりましたか?
私ったら長野市に数年住んでいたのに、信濃美術館に足を踏み入れた事がありません。
マハさんの本を読んで、興味を持った位で・・・。
「楽園のカンヴァス」を読んだ時もルソーの絵に興味を持ったのですが、私MOMAに行った事があるのに全く見た記憶がない・・・。
ダメですね、これじゃ(^_^;)
でもマハさんの本を読むとにわか美術熱が沸き起こります♪
そうだった!!人生短いんだった。
ぼーっと過ごしている場合じゃありませんね。
さっそく今日から本読もうっと。
2014/05/28 -
vilureefさん、こんばんは~♪
「生きるぼくら」!読んでないです!!
東山魁夷さんの絵(かな?)出てくるんですか?
美術系の...vilureefさん、こんばんは~♪
「生きるぼくら」!読んでないです!!
東山魁夷さんの絵(かな?)出てくるんですか?
美術系の作品だけチェックするつもりだったので、ノーマークでした。
うわー、いいこと教えていただいちゃった☆
ありがとうございます(*´ω`*)
さっそく読みたい本に追加します。
「櫛挽道守」のレビューにも書いてらっしゃいましたけど、長野に住んでらしたのですね。
いいところですよね。
数年前に御柱祭を見に行ったときに、妻籠・馬篭を回ったくらい・・・なのですが、
よい季節で、どこも桜が満開でした。
今でも長野で見た桜が、人生で一番印象的で、一番美しい桜です。
2014/05/28
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期待していただけに残念というかもったいないというか・・・。
実話を基にしていることが逆に足枷になっている感が否めない。
完全なフィクションだったらもっとのびのびと描かれていたのかなと。
しかし「ジヴェルニーの食卓」も事実と虚構が入り混じっているはずなのにずいぶんと楽しめた。
と言う事は受け取る側の問題と言うことかもしれない。
異国の地が舞台だったらすんなりと小説として受け入れられる。
しかし舞台が沖縄となると身近な場所だけその戦後たどってきた道をどうしても思い浮かべてしまう。肩入れしてしまうというか。
米軍医師と日本人画家の友情。
彼らの間柄は特別なものであったのは間違いない。
だからこそ表紙の二枚の絵がこうして時を経て表舞台に出てきた。
でもそこに物語で描かれるような友情があったのかと言われるとどうなんだろう。
物語が一貫して米国人医師の立場から書かれているせいだろう。
画家のタイラの目線がここに入ってくればもっと深みが出てよかったんじゃないかな。
占領下にある沖縄の人々の悔しさを掘り下げてほしかった。
ちょっときれいごとで終わっているところが残念。
ひねくれ者なのでこんな感想になってしまった。
いや、十分楽しめたんですけどね。
マハさんだったらもっと書けたんじゃないかなと。
辛口になってしまいました。 -
マハさん得意の、実話を元にしたフィクション。そんなに長くはないので、惹き込まれてそのままイッキ読み。
終戦直後の沖縄。そんな貧しい時代に、命懸けでアートに取り組むタイラ達ニシムイ美術村の人達と、軍の精神科医の交流のお話。登場人物の力強い一途さに心を持って行かれます。
とにかく、戦争は良くない。絶対良くない。
こうして好きな本がたくさん読めるのも、平和だから。 -
また、絵の具の匂いを感じた。
『楽園のカンヴァス』の時のような、
むせかえるほど強力な絵の具のみの匂いではない。
太陽や吹き抜ける風、
ほんの少しの潮の香りと生活などの匂いに混じり
画家たちの描きたいエネルギーに圧倒され
少々薄まったような、でも存在感のある匂い。
戦後まもなくのアメリカ統治下にある沖縄での
アメリカの軍医と沖縄ニシムイの画家たちのお話。
読んでからこの表紙と裏表紙の自画像を見返しました。
目が、いいですね。何かを訴えてくるようなまなざしが。
この絵を大切に保管されていた博士と
この絵たちに注目して私たちに物語と一緒に
届けてくれたマハさんに感謝の気持ちでいっぱいです。
『太陽の棘』の表現、素敵でした。
また泣かされてしまいました。
まだ一度も行っていない沖縄。
逞しく何度も何度も立ち上がり、
生き抜いて今につないでくれた人々。
そして今を生き抜いている人々に
いつか会いに行きたいと思わせる一冊です。 -
終戦から数年、アメリカ占領下の沖縄に赴任した若い米国精神科医と、当地にあった芸術家集団"ニシムイ"の画家たちの交流を描いた物語。
事実に基づくお話とのこと。
いかにも原田マハさんらしい爽やかな書きぶりのお話の中に、第二次世界大戦前後に沖縄が直面した問題が織り交ぜられています。
ただ、この方のどの作品にも共通して言えることですが、そういった歴史的な事実も、この方の書き方だと、文の運び方のせいか、スピード感ある展開のためか、あくまでもお話のための付属品というか材料という感じです。
結果的に人々の生の一部を扱う迫力や深みというか、胸に迫る感じが出ないのはちょっと残念なところですが…。
でも、美術への愛は伝わります。
とはいえ、60年も前の記憶のよすがとして、当時沖縄で買い求めた絵を手元に大切に残しているサンフランシスコ在の80歳をとうに超えるご老人が実際にいらしたことに思いをはせると、人生って不思議なものだなあ、と思わされます。 -
終戦直後の沖縄。そこに派遣されたアメリカ人の精神科医と沖縄の芸術家たちの友情を描く。
少し前まで敵国として戦っていた相手だが、芸術を通して深い絆で結ばれていく姿がとても印象に残った。芸術や文化に国境はないんだよね。何に対しても、お互いをよく知る事は本当に大事だ。
最後のシーンは涙なくしては読めなかった。何年後かに再会できていると信じたい。
芸術家たちにはモデルがいて、今まで知らなかったニシムイ美術村の事も色々知りたくなった。表紙と裏表紙の絵、すごく熱いものが伝わってくるいい絵ですよね。