未来のだるまちゃんへ

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 39
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163900544

感想・レビュー・書評

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  • 絵本作家と一口にいえどいろんな方がいるだろうけど、かこさんの、絵本を書くにいたった背景とか、子どもを尊重かつ包容するようなまなざしなど、その深みや真剣さにならぶ人はなかなかいないだろうと思った。

    もともと多才にはちがいないが、行動力がすごい。いろんなことを形にしている。それでいてここまで謙虚。学ぶことの多い本でした。

  • 絵本作家かこさとし氏の自伝です。氏の作品の様にユーモラスでとても馴染みやすく、でもはっとさせられる本でした。

  • 単行本はめったに買わないのだが、図書館に入るのはまだしばらく先だろうし、いまは図書カードが潤沢にあるし、何度か本屋でチラ見したあげく、やはり買って読む。年明けに読んだか『絵本への道―遊びの世界から科学の絵本へ』がよかったので、かこさんが「未来のだるまちゃんへ」何を伝えようとしているのかが読みたかった。

    敗戦のときに19歳だったかこさんは、こう書く。
    ▼19歳というのは、当時の数え年で言ったら20歳ですから、もう大人です。
     子どもではありません。当時の大人は、私を含め、開戦にも敗戦にも責任があります。
     軍人を志した同級生たちは、みんな、死んでしまった、自分はその生き残り…というより「死に残り」でした。死に残りの自分は、これから何の償いもせず、出来ずに、おめおめと生きていくのか。そう思うと、自分が本当にだらしなく、はずかしい大人であり、必要のない人間に思えました。
     それでも生きるなら、その先の人生をどうして過ごすのか。だから必死で考えました。(pp.11-12)

    何をすれば少しでも償いができるのか、せめて人間らしい意義あることがしたい、「大人ではなく、せめて子どもたちのためにお役に立てないだろうか。せめて自分のような後悔をしない人生を送るよう、伝えておきたい」(p.12)というのが、この本。

    「いかにして絵本作家となり、現在まで生きてきたのか、どんなふうにして迷い道を何度も行き来して脱したのか」、かこさんが話したものを構成したのは瀧晴巳さん(*)、鳥島七実さんだとあとがきにある(そうして整理された「本文」と、かこさん自身が書いたのであろう「あとがき」の文体の違いがよくわかる)。

    『だるまちゃんとてんぐちゃん』にも出てくる、だるまちゃんの父「だるまどん」。このだるまどんのモデルは、かこさん自身の父上なのだそうだ。非常に子煩悩で、だけど早合点ばかりする父上のことを、かこさんは「不肖の父」と思い出を語っている。

    お祭りに出かけて、屋台でじっとおもちゃを見ていると、「これ欲しいのか?」と父上がすぐに聞く。かこさんは(このくらいなら自分でもつくれそうだ)と思ってよく見ていただけなのに、「いいからいいから、遠慮するな」と子どもの返事を聞きもせずに買ってくれたりする。

    ▼自分のせいでこんなチャチなものを買わせたかと思うと、今さら「要らない」とも言えません。
     「どうだ、嬉しいか」 ニコニコと満足げな父をよそに、買うつもりもなかった玩具を握りしめた僕は、泣きたいような、起こりたいような、言うに言われぬ気持ちでした。
     幼い子どもでも、父にいらざる出費をさせてしまった後悔とふがいなさはあるのです。父にすれば、わが子かわいさでやったことが、その子を悲しい気持ちにさせているなんて思いもよらなかったはずです。(pp.27-28)

    そんな父上だったから、かこさんはその後「欲しいとねだることはもちろん、欲しいと思っていることさえ父に気取られないようにと、心を砕くようになった」(p.31)。遠目に見ておいて、自分でつくれるかどうかをあとから考える。

    子どもの気持ちをまるでわかってない父には、「買ってもらうより、自分で工夫してつくる方がずっと楽しい」(p.34)ことが伝わらず、ありがた迷惑を黙っていただくしかなかった。そんな親とのすれ違いが、だるまちゃんとだるまどんとのやりとりにも描かれている。

    そんなかこさんは、自身が父親になってどうだったかというと、家庭人としては落第というほかないような気がすると語っている。「お叱りを覚悟で告白するのなら、僕は、絵本作家という子ども相手の仕事をしていながら、自分の娘とはただの一度も遊んでやったことがないのです」(p.210)と。

    ▼子どもの遊び相手は子どもが一番いいんで、いない時はバッタでも追いかけていればいい。三歳くらいまでは面倒みるけど、それ以降は、自分で遊ぶものだと放っておきました。
     もっと言うなら、自分にはやらねばならぬことがあるのだから、たとえ暇があっても、遊ばない…という主義でした、(p.210)

    自分の娘は放ったらかしでも、セツルメントの子ども会には足繁く通っていたかこさん。ある日、妻が用事で出かけるというので、幼い長女を子ども会に一緒に連れていったときのエピソードが、娘のほうの気持ちを思うとせつない。

    ▼日曜日になると、いつもいなくなると思ったら、父はこんなところでよその子どもたちと遊んでいたのかと思っていたのでしょう。
     何も言わなかったけれど、娘のうかぬ顔には、本来、自分が受け取るべき愛情を受け取ることができていない不遇にたいするせつなさ、やりきれなさが浮かんでいました。(p.211)

    結婚するときにもセツルメントの活動を最優先すると伝えていたというかこさんは、「娘をまじえてセツルの子どもたちとみんなで遊ぶことはあっても、娘だけと遊ぶことはするまい、それが昭和20年以来、僕自身をひたすらに支えてきた覚悟でした」(p.212)という。かこさんは、そういうことを娘さんと、あとからでも話したことがあるんかなーと考えてしまった。

    唯一の例外が紙芝居で、紙芝居だけは家庭でも時折やったそうだ。「娘が一番リクエストしたのは、やっぱり『どろぼうがっこう』でした。これだけは「もう一回」「もう一回」とせがまれて、我が家のリビングで繰り返し読んだ記憶があるのです」(pp.212-213)と。

    その紙芝居が絵本になった『どろぼうがっこう』は、うちにはなかったし、保育園にもなくて、私は子どもの頃に見た記憶がないのが、今となってはひどく残念(タイトルから、親もセンセイたちも買うのを敬遠したのだろうか…と邪推)。

    「生きるということは、本当は、喜びです。生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです」(p.251)から始まる、本のむすびの部分で、かこさんは、子どもたちに「自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけて、それをまた次の世代の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい」(pp.251-252)とメッセージを送っている。

    その言葉は、かこさんの絵本を読んで育った、かつての子どもだった私にも向けられているんやなあと思えた。

    (7/17了)

    *瀧晴巳さんといえば、上橋菜穂子さんの『物語ること、生きること』とか、サイバラの『この世でいちばん大事な「カネ」の話』をまとめた人である。ほかの仕事も読んでみたい。

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著者プロフィール

かこさとし:1926年福井県武生市(現越前市)生まれ。大学卒業後、民間企業の研究所に勤務しながらセツルメント運動、児童会活動に従事。1973年退社後、作家活動、児童文化の研究、大学講師などに従事。作品は500点以上。代表作として「からすのパンやさん」「どろぼうがっこう」(偕成社)「だるまちゃん」のシリーズ(福音館書店)、「こどもの行事しぜんと生活」シリーズ(小峰書店)などがある。

「2021年 『かこさとしと紙芝居』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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