太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 上

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (394ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163904238

作品紹介・あらすじ

実は米軍内も割れていた!陸海軍と海兵隊の縄張り争い。ニミッツとマッカーサーの足の引っ張りあい。米国側から初めて描かれるミッドウェイ以降の日米戦。(上巻の粗筋)いがみ合う海軍と海兵隊、キングとマッカーサーの主導権争いミッドウェイ海戦からわずか二カ月で、本格的な反転攻勢に出る。その第一歩はガダルカナル。そう主張するキング提督に、マッカーサーは反対する。太平洋における艦隊勢力はまだ日本優勢。早すぎる攻勢は味方を危険にさらす……。が、1942年8月7日、日本がまったく予想のしていなかった海軍と海兵隊による上陸作戦が始まる。それは、戦争史上初めての、陸海空が連携して死力を尽くす戦いだった。(下巻の粗筋)日本艦隊が挑む最後の総力戦艦隊決戦はできるのか? 時間は自分には味方していない。米国は時間がたてばたつほどに巨大な工業製品を次々と太平洋の前線遅滞に送りこんでいる━━。山本五十六のなきあとの連合艦隊の寡黙な司令長官、古賀峯一は、自分が遅かれ早かれ、連合艦隊を投入し、マハンの教えのとおり、戦艦による決戦をいどまなければならないと考えていた。巨艦大和と武蔵を擁した大艦隊で、自分の日本海会戦を戦うのだ。しかし、いつ、どこで?(本書に寄せられた推薦のひとこと)いがみ合う海軍と海兵隊、キングとマッカーサーの主導権争い。米軍のガ島反攻にはこんなドラマがあったのか! 半藤一利(作家)最前線の兵士の目から見た日米両軍の激闘は、国家の運命を賭けた壮大な交響曲だ。 戸髙一成(大和ミュージアム館長)

感想・レビュー・書評

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  • ミッドウェイ海戦からガダルカナルへとつながる道は、必ずしも最初から「東京までの長い流血の道」と決まっていたわけではなかった。まだアメリカにも懸念すべき点や日本に有利な点がいくつもあった。ミッドウェイ海戦の勝利は、日本軍の破竹の勢いを止めたという意味で、太平洋戦争のバランスを変えこそすれ、形勢を変えてはいなかった。確かに日本は空母4隻や優秀なパイロットを失ったが、展開する海軍力と航空戦力の大半の分野で数的な優位をたもっていたし、日本海軍の水上部隊や戦艦、潜水艦、駆逐艦、兵員輸送船、飛行艇などは無傷だった。

    事実、南太平洋における日本軍の攻勢は依然として激しく、一時アメリカは、太平洋戦域に残った空母がエンタープライズだけになったりと追い詰められている。

    1)零戦の卓越した速力と機動性は依然として重大な懸念だった。見慣れない曲芸飛行機のような零戦との空中戦は、連合軍の飛行士にとって”情け容赦のない学校"となった。

    2)南太平洋における連合軍兵力と燃料の欠乏は深刻で、特にじゅうぶんな水陸両用部隊、船舶、陸上爆撃機あるいは戦闘機戦力が不足していた。

    3)米海軍と米陸軍の対立は開戦当初から深刻で、とりわけ陸海軍と海兵隊の間の確執は、勝利によってさえ癒せない傷を残していた。また、部下の進言を無視して無謀な作戦を立案し遂行させたり、温情人事で解任のタイミングが遅れたりしていたなど、指揮命令系統にも問題があった。

    4)連合軍の戦争計画は、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦後も依然として、総力の最大の部分をドイツに振り向ける<ヨーロッパ優先>だったため、太平洋に割ける戦力は限定されるはずだった。

    5)夜戦における米側のすさまじい損害は問題で、とりわけ夜間の水雷戦における日本軍の飛び抜けた技量には敵将も舌を巻くほどだった。「夜間の魚雷戦でいつもの優越をたもっていて、彼らの九三式酸素魚雷は依然としてこの種の兵器としては戦域で最優秀だった」。日本の急降下爆撃は見たことないほどの統制の取れた艦隊攻撃で、敵艦長も「みごとに遂行され、完全に徹底していた」と舌を巻くほどだったが、アメリカの戦闘機の航空管制はすぐに無駄な私語でいっぱいになり、必要な情報が届かない事態がよく起こった。

    6)連合軍の間には、開戦当初、手の出せないジャングルの戦士としての日本兵の神話が行き渡っており、神秘的な雰囲気をまとっていた。

    7)仮に建前であったとしても、日本人はアジアから西洋の侵入者を追い払うと誓っていて、多くのアジアの人々はその主張に心惹かれていたのは間違いなく、連合軍にとって、日本軍の侵略を単に押し戻すだけでは不十分だった。

    形勢を変えた要因は以下のとおり。
    1)零戦のパイロットたちは、確かに高い技量を持っているのだが、変化する戦術に適応できず、予測がつくようになった。「彼らはずっと同じことをやろうとした」と証言にあるように、米側は少しずつ、速くて運動性にすぐれた零戦との「バックの取り合い」を避けることを学び、敵が優位に立ったら躊躇することなく急降下で空中戦から離脱した。やがて、アメリカ軍の戦闘機パイロットは、運動性と上昇性能における零戦の優位を無効にする方法を見いだした。
    米機の頑丈な構造を空中戦の勝利の要因とあげるパイロットもいる。「防弾鋼板がパイロットを負傷から守り、グラマンはぜったいに吹き飛ばなかった」。対照的に零戦は心地よいほど簡単に撃破できた。「主翼の付け根に直撃弾を浴びせるといつでも、機体はおもちゃの風船のように爆発した」。しかも、撃墜された飛行士を収容するのにずっとすぐれた仕事をしたのはアメリカで、日本軍は捜索救難活動にあまり力を入れていなかった。

    2)米提督は早くから、ガダルカナルを「日本の海軍力の破壊につながる」城壁ととらえ、充分に補強すれば、「敵の航空兵力を呑みこむ穴」になる可能性があると考えた。事実、日本に残っていたかけがえのない熟練搭乗員たちは、度重なる長距離飛行によって、徐々にその数を減らしていった。ガダルカナルの戦いは、数少ない輸送船をあまりにも多く消耗させることで、日本の戦時経済全体を麻痺させた。原材料は本土に輸入されなくなり、経済は機能しなくなった。

    3)日本の陸軍と海軍間の不和は共同作戦の決定の遅れをもたらした。陸軍は、アメリカ軍などいつでも追いはらえると舐めきり、戦力の逐次投入を繰り返した。海軍の中では司令部内のライバル意識により、相反する命令が下されたりしていた。「日本軍の作戦につきものの硬直性は、くりかえしのパターンを生じさせ、連合軍はこれを分析して、予測することができた。通信情報分析が日本側の意図をつきとめられない場合でも、アメリカ軍の指揮官たちは多くの場合、敵がつぎの攻撃をいつ、どこで、どのように仕掛けるかを予言できた」。
    ついには山本五十六を殺すのは賢明だろうかという検討さえ行なわれた。ミッドウェイにおける破滅的な攻撃計画やガダルカナルでの逐次の戦力投入という戦いぶりから、「彼はあきらかに戦争に負ける仕事をりっぱにこなしている」とさえ思われた。

    4)ローズヴェルトに敵対する勢力や年来の孤立主義者たちは、戦い方がなっていないと攻め立て、ドイツではなく日本に資源を集中すべきだと扇動していた。真珠湾への攻撃は、ガダルカナルで仇を討たれるべきだという世論の後押しもあった。たとえイギリスへの兵力投入を遅らせることになっても、現にアメリカ軍が激しく交戦している南太平洋に充分な支援が与えられなければならないと大統領も考えた。結果、イギリスへの兵力投入を減らしてまで太平洋に増援され、ついには南太平洋では航空戦力が供給過剰であると確認しあうほどだった。

    5)たしかに日本海軍は、水上夜戦における優越性を証明していたが、その利点はアメリカ側の測距用と射撃指揮用のレーダーの巧みな利用により、しだいに座を譲り渡していった。アメリカは、日本よりも1年進んだレーダー射撃指揮装置を投入してきた。

    6)日本兵の狂信性は恐怖を起こさせたが、しかしこの狂信性のおかげで、日本兵は何度も何度も戦術的に馬鹿げた戦い方をすることになった。ガダルカナル戦での将兵の損失の不釣合いを見れば、日本軍の狂信的で無敵の「闘志」の神話が偽りであることが証明されていた。神秘的な雰囲気は急速に失われ、連合軍兵士もやがて「リビングルームから家鴨を撃つようなもの」と嘯くようになる。

    7)日本の大義は南太平洋の原住民には届かず、以前、英国の植民統治の有効性が証明された。ガダルカナル上空の航空戦の勝利は、島や沿岸に残った現地監視員による事前警報で、来襲する航空攻撃を回避できたことによるところが大きかった。しかも彼らを捕まえようと思っても、英国伝統の植民地政策によって、原住民が積極的に彼らを庇い、決して日本軍に売らなかった。
    尊大で手柄を横取りするなど毀誉褒貶もあるが、マッカーサーの偉大なところは、日本軍の征服を単に押し戻すだけではじゅうぶんでなく、日本の帝国的汎アジア・イデオロギーを打ち砕き、もっと良い何かに置き換える必要があることを認識していたことだ。

    第二次ソロモン海戦が良い例だが、日本軍は、無視できないほどの犠牲を払いながらも、一定の戦果をあげたらそれを戦術的勝利として、満足し引き下がるのだが、その実、沈没させたと報告していた敵空母はすぐに修理され戦線復帰してきたりする。アメリカにとっては、当初の目的である、敵輸送船の上陸を阻止するなど、戦略的勝利は常に自分たちの手にあり、これがアメリカに戦力の増強や補給の改善などの時間を稼がせる結果になった。

    「敵の工業力の大いなる優勢に鑑みれば、あらゆる戦いに圧勝せねばならない」という自覚は日本海軍のトップの間で共有されていたが、勝っても戦術的なものにとどまり、戦略的な勝利につながらなかった。ニミッツや海外の海軍史家から絶賛される戦いぶりを示した田中の不屈の増援も、戦術的にはガダルカナルに2万もの将兵の陸揚げに成功するのだが、かえって空と海からの攻撃を受けやすくなり、補給もより切迫したものとなり、戦略的には無意味な企てに終わった。

  • 近代戦では物量と兵站輸送能力がすべてなんだと分かる。
    誰もが分かっていた結末を認めようとしなかった日本の指導者達が寂しい。
    サイパンを絶対国防ラインと設定していたのに、そこを破られてから1年以上も戦いを強いたのはなぜなのか? やっぱり国民よりも天皇が大切な国だったんだねぇ。ま、帝国憲法はそう規定しているんだから仕方ないけど。

  • 感想は下巻に。

  • ミッドウェイで負けたとは言え太平洋の戦力はまだ日本が優勢だった。アメリカ艦隊司令長官と海軍作戦部長を兼務するキング提督はヨーロッパ戦線を優先する方針を疑ってはいなかったが、ドイツに対する軍事作戦を遅らせたとしても、南太平洋戦域の安定を優先した。しかもただ専守防衛にとどまらず、ソロモン諸島への反攻をわずか5週間で計画した。最初の目的地はガダルカナル。そのためには800km圏内に滑走路が必要でニューヘブリデス諸島最大の島エスピリサントの何もないジャングルが選ばれた。

    この水陸両用作戦に投入されるのは訓練を受けていない海兵隊員で兵站にも問題がある。待ち受けるのは日本の古参兵だ。ウォッチタワー作戦を任されたゴームリー、空母機動部隊指揮官のフレッチャーも作戦が成功するとは考えていなかった。水陸両用部隊を率いるターナーが揚陸作戦に4〜5日かかると見積もったのに対しフレッチャーは空母を長期間配置することに反対し最終的には3日と譲歩した。4日目以降は上空からの援護はなくなる。

    1942年8月7日、東京へと続く長い流血の道のりが始まった。奇襲は完璧に成功し部隊は抵抗を受けることなく上陸した。日本軍は1200km離れたラバウルから一式陸功と零戦45機を飛ばせた。保有する航空機の半数だが作戦時間は短い。米軍の艦載機も30分離れた二つの機動部隊を守るという兵站上の弱点を抱えていた。西澤広義と坂井三郎と言う二人のエースを抱える日本海軍は米軍の戦闘機20機に損傷を与えた一方、艦隊にはほとんど損害を与えなかった。米軍はほぼ無傷でガダルカナルに上陸し日本軍の残した物資を鹵獲した。

    ラバウルからは三川艦隊が夜の闇に紛れてソロモン諸島を目指したが、米軍に発見されていた。しかしこの情報はターナーには伝わらず、今度は三川艦隊の奇襲がはまる。三川が怖れたのは空母だったがフレッチャーは既に引き上げを決めており第一次ソロモン海戦は日本軍の完勝だった。それでも再突入の進言を三川が受け入れなかったため米軍の輸送船団は生き延びウォッチタワー作戦の基礎は残った。フレッチャーの撤退は戦後、作戦市の中で様々な批判を受けたがこの後9月には太平洋にはアメリカの空母はエンタープライズ1隻だけになる。空母を失う危険をおかしてどれくらい同じ海域に留まらせるのか。急ごしらえのウォッチタワー作戦は想定していなかった。

    失敗の本質にも取り上げられた一木支隊の悲惨な突撃を経て第二次ソロモン海戦が始まった。山本五十六の狙いは米空母であり、序盤は戦略面では日本軍が優位に立つ。囮とも言える軽空母と引き換えにエンタープライズに九九式艦爆が襲いかかった。しかしエンタープライズは痛手を負ったが沈むことなく、撤退した日本軍は制空権を失った。米軍にも多くのミスがあったがガダルカナルは米軍が支配した。三川が輸送隊を叩いていれば展開は変わっていたのだが。

    ガダルカナルは消耗戦となっていく。両軍とも充分な兵站はなく、米軍は対ドイツ戦、ポートモレスビーとガダルカナルの何処に兵力を割り振るか綱引きがあった。ミッドウェイ以来の大海戦となったサンタ・クルーズ諸島海戦は空母ホーネットを沈めた日本軍が戦術的にはポイントを取った。しかし熟練飛行士を含め148人を失った日本に対し米軍パイロットの損傷は26人にとどまった。そして続くガダルカナル海戦では日本軍は完敗、米軍のレーダー射撃が猛威を振るった。

    田中の輸送隊は1個師団の上陸に成功し兵力は3万人に達した。一方食料や医薬品、弾薬を届ける手段は持たず、餓島に残された日本軍は戦わずして消耗していった。日本軍は1万6千人を救出する見事な撤退作戦を成功させたが熟練した飛行士の損失は米軍の3倍以上、将兵の死者数は米軍の1592人に対し、2万人以上。米軍も一枚岩だったとは言い難いが日本軍は陸海軍間だけでなく、海軍内でも二つの司令部が別々に命令を出し連携はなかった。日本にも酸素魚雷という新兵器が生まれたが米軍はレーダーを開発し、零戦対策にも手を打った。形勢は傾き始めた。

  • 太平洋戦争をアメリカ側の視点から詳細に描いた前著「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェーまで」の続編です。続編の上巻で主に描かれるのは日本軍が消耗戦によって貴重な兵力、資源を浪費し、その後の戦況の方向性を決定づけられたガダルカナル島をめぐるいきさつです。
    日本からの視点で太平洋戦争を見つめると、アメリカ軍は科学的、合理的に戦略を進めてきた印象があります。ところがその裏側では、戦力を日本と対峙する太平洋側とドイツと対峙する大西洋側にいかに配分するのかという問題や、陸軍と海軍との確執など、日本軍でみられた人間的な対立があったことが語られています。そして戦場においても索敵情報が誤って伝達されて戦力の運用を誤ったり、結構ミスもしています。いかに装備が近代化されて行っても、実際に運用するのが人である以上、机上の理論通りには事態が展開しないということを改めて教えられる好例という気がします。
    非常に緻密に記述されているのですが、できればそれに相応しい地図を掲載していただければ、より理解が深まったのにという点が唯一残念な点ではあります。

  • 【実は米軍内も割れていた!】陸海軍と海兵隊の縄張り争い。ニミッツとマッカーサーの足の引っ張りあい。米国側から初めて描かれるミッドウェイ以降の日米戦。

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