- Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163905044
作品紹介・あらすじ
阿久悠さんといえば作詞家として、「また逢う日まで」「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFO」など5度の日本レコード大賞に輝き、生涯で売り上げたシングル盤の枚数は約7000万枚という歌謡界のモンスターです。その阿久さんが生前、26年7カ月間にわたり毎日つけた日記が存在することは、ほとんど知られていません。イタリアのナヴァデザインによる革装27冊の日記は、明治大学駿河台キャンパスにある阿久悠記念館にひっそりと収められています。 2014年秋、阿久さんの身近で長年にわたり仕事をした三田完さん、阿久さんのひとり息子の深田太郎さん、明治大学の吉田悦志(国際日本学部)、富澤成實(政治経済学部)両教授、岩波書店OBの井上一夫さんの5人が、この膨大な日記の解読を始めました。その研究の成果をもとにした書き下ろしが、本作品です。 1日も休むことのなかった日記には、身辺雑記から仕事のメモ、その日のニュース、本や新聞の情報、ひらめいたアイデアなどが、愛用のペンテルのサインペンでぎっしり書きつらねてあります。 戦前、淡路島でうまれた少年はいかにして「阿久悠」になったか。時代をリードし続けた創作の秘密はどこにあったのか。作詩から小説へと軸足を移した『瀬戸内少年野球団』の映画の成功、しかし直木賞をとれない苦悩、晩年に苦しんだがんとの闘病など、これまではうかがいしれなかった、芸能界の巨人の苦悩も初めて明らかになります。 NHKディレクターを辞して以降15年、阿久さんとともに過ごした著者だけが知る「歌謡界の巨人」の真実です。
感想・レビュー・書評
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阿久悠の全盛期って、1973-78年の6年間だったことを知り、そんなに短かったの⁈とただただ驚く。『スター誕生!』で毎週不機嫌そうな顔を見てた影響かな…。
その6年間に手がけた曲たるや、えげつなくすさまじいヒット曲群。〈ジョニィへの伝言・学園天国・北の宿から・ペッパー警部・渚のシンドバッド・UFO・サウスポー・宇宙戦艦ヤマト・ブーメランストリート・津軽海峡冬景色・能登半島・勝手にしやがれ・林檎殺人事件…〉
ジュリーが帽子を飛ばし、山本リンダが、ピンクレディーが乱舞した時代を創り出し、シングルレコードの総売上枚数は何と7千万枚。
怒濤の6年間を経て、超売れっ子作詞家は創作活動を小休止し、元々作家志望であったこともあり、小説に軸足を置き始める。
1980年の大晦日、八代亜紀の『雨の慕情』で5度目の日本レコード大賞を受賞。明けて81年の元日TBSの演出家 鴨下信一からプレゼントされた日記帳を開く。以後、亡くなる半月前の2007年7月15日まで27年間日記を更新し続ける。
日記にはいくつものルールが設定されている。
①日記を開くのは深夜。1日1ページとする。
②家の数カ所にハガキ大のメモ用紙を配置。そこに思いついたことを書き、夜にそのメモを回収し、日記帳へ転記。
③行動録・備忘録・本や新聞から得たネタ・世間を騒がせているニュース・株価・天気・琴線に触れた出来事・創作のアイデア等を横書きで整然とレイアウトし、書き留める。
そこには『山口百恵は原節子の隠し子であるという仮説で何が書けるだろうか…』なんていう意味深な一行もあったりする。阿久悠がなぜ山口百恵の歌を書かなかったのか?いまだによく語られる話もたまたま書く好機に恵まれなかっただけとのこと。
心象を綴る日記とは一線を画し、その日を阿久悠目線で編集し記録。43〜70歳まで『阿久悠版その日の出来事』を克明にした記録は、私家版昭和・平成史と言える。
本書は元NHKのプロデューサーであり、阿久悠のブレーンでもあった著者が、阿久悠の母校 明治大学〈阿久悠記念館〉に保管されている日記27冊・延べ1万ページを1年半を費やし、読み解く。著者は一節一節を道標とし、阿久悠の半生の旅路へ歩みを進める。
◉作詞をする上でのモットー…
・怨念と自虐に頼らず書く。
・どうせ、しょせんという言葉は使わない。
◉人生の支えになった言葉…
・小学校の恩師がらは…
阿久悠少年の作文を読み、『きみの文章は横光利一を思わせる』。〈文章の神様〉と称せられた作家の文章のようだと激賞。
・妻からは…
〈無名時代に〉『あなたは大丈夫よ』
・父親から『お前の歌は品がいいね』
阿久悠はこの3つの言葉について、
『愛の鞭より悪意の飴のほうがありがたい』と口にしていた。阿久悠ならではの表現をもって、褒め言葉こそが人生のバネになると…。
大作詞家の矜持とどんな褒章より励みとなった言葉を胸に疾走した70歳の生涯を活写した労作。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日記とは誰かに見られると意識して書いているわけではないから実直で読んでいて面白かった。父への思い、上村一夫とのつながり等々興味深く読めた。山口百恵に曲を提供していたらどんな作品に仕上がったのか、そんなタラレバも気になってしまう。平成に入って流行歌に力がなくなりテレビ番組がつまらなくなったことを嘆いている、阿久さんが活躍していた昭和40年代の歌は命が吹き込まれたようなものだなと感じる。
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阿久悠さんは、日記が誰かに読まれることを意識して書いていた、と言われております。多分、そうなんですね。読者を想定した日記、というのも、なかなか味のある展開。いきものがかりの水野さんも、NHK教育テレビの番組で、阿久悠さんの日記を読んでましたね。番組の中での、糸井重里さんのコメントが、秀逸だったです。(失われた父性への憧れ、を軸にすると、阿久悠さんの世界は、よく分かる?)
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死後見つかった27冊の日記帳というこの上ない素材で綴られる阿久悠の言葉人生。広告→放送台本→歌謡曲→小説と舞台を変えながら寡黙な饒舌とでもいうべきメッセージを送り出し続けた創作活動の裏側を綴っています。ピンクレディの昔から彼の作品にはなにか「商品感」を感じて来たのですが、それがなんとなく日記をつけているのではなく世の中の気になることを選択し編集し構築して書き続けたことを知り、その技術力めいたものに反応していたのかな、と思い至りました。そういう意味では美空ひばりや山口百恵など彼が組み切れなかったアーティストへの想いや彼がコントロールしきれない癌との戦いに本書の本領はあるのかもしれません。ただ著者も言及しているように阿久悠日記の研究をまだまだこれからかも。
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言葉の力を、歌の力を、実感出来た。そういう時代だったな。20世紀は。
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歌謡曲が好きである。ヒットした曲の作詞者を見ると「阿久悠」そんなときが結構ある。テレビの「スター誕生」で応募者の歌唱の後、いつも人生論を語るような辛口のコメントをしているのを聞いてその時からこの人はすごい人だと感じていた。彼の人生をその日記と書き始める前の生い立ちを含めて書かれていて興味深い。後半の癌との壮絶な闘病生活においても生き続ける、書き続けるという意志が凄い。
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ヒット曲と同じ時代を生きてきたので,新聞で知って図書館で借りてみた。
阿久悠って凄い人だったんだ。