遠きにありて

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163909486

感想・レビュー・書評

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  • 映画監督 西川美和の、スポーツ愛、というかカープ愛のあふれた1冊。
    昨今のスポーツ観戦ブームに乗っかりつつも、きちんとスポーツに敬意をもっているのが伝わりました。ちょっと内容が薄くて読み足りないかな、という感じですが、雑誌の連載なので、このくらいがいいのかも。

  • 今年のカープは……⚾
    .
    ってな事で、西川美和の『遠きにありて』

    西川美和さんのSports Graphic Number の連載作品。

    カープ愛とオリンピック、パラリンピックとスポーツ観戦愛が満ち溢れているw
    スポーツはやる事もええが、観る事、応援する事も大切なんじゃなぁ♪

    時折出てくる広島弁が堪らないw

    2019年14冊目

  • 西川さんは選手たちを応援する。
    広島カープの選手たち、オリンピックやパラリンパックの代表選手たち、薬物依存に陥った元プロ野球選手。

    ”ほとんどの人間は日々の暮らしの中で、「敗北」と呼ぶほど立派ではない敗北感、「勝利」と胸を張れるほどでもない充足感との狭間をうやむやに行き来している。揺るがぬシビアな結果に直面した時、人は果たしてどのように存在して居られるのかをこの目で確かめたいのである。”(P21より引用)

    ”ほとんどの人生はスポーツほど明快な勝敗がつかない。何に負けたのか、誰に勝つべきなのかもよくはわからない。だからこそ目標を立て辛く、時にはお門違いに敵意を燻らせたりもする。もう負けたのかも知れない。この先も負けたままかもしれない。その生暖かいぬかるみから脚を引き抜くことにもまた、勇気が必要だ。”(P96より引用)

    普通に暮らしていてもハッキリと勝敗がつくことなんてないし、日常には大きな興奮も激しい落胆もほとんどない。
    だからスポーツ観戦は面白いんだろうな。頑張っている選手に、自分を重ねて共感したりして。

    ---------------------------------------

    今年(これを書いてるのは2022年)はさいたまスーパーアリーナでNBAのプレシーズンゲームが開催されるらしい。前回のロケッツとラプターズも面白かったし、今年も観戦したいと思っている。
    スポーツ観戦には非日常的な興奮がある。チケットは高額になるんだろうけど、払う価値はもちろんある。

  • めちゃくちゃ面白いです。西川美和、やはり凄すぎる。超一流の映画監督であり、超一流の小説家であり、まさか。エッセイストとしても超一流だったのか。驚愕である。この人、ホンマにとんでもねえなあ。

    スポーツ雑誌「Nunber」での連載エッセイをまとめたものでして、2015年6月25日号~2018年9月21日号までの記事が載っています。

    ちなみにこの連載は、2020年の8月で、終了している模様でして。ネット情報ですが。ホンマか?そうなのか?それは誠に残念である、、、勿体ない。是非とも、この本に収録されたまでの後に発表され続けていたエッセイも、一冊の本に纏めてほしいなあ~。文藝春秋さん、マジでお願いします。絶対買いますんで。

    タイトルの「遠きにありて」という言葉に込められた意味は、なんだろう?ちなみに本の表紙の写真は、広島市民球場の写真。

    「遠きにありて」の言葉から連想されるのは、個人的には、室生犀星の詩の「小景異情(その二)」ですね。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」のあの出だし。あの詩、やっぱ超好きなんですよねえ、、、普段は東京で暮らす西川さんが、故郷の広島と広島カープの事を、「遠くにありて」想っている、って気持ちを込めたんだろうなあ。

    あとは、普段は映画監督という「スポーツからは遠く離れた場所」にいる立場の西川さんが、その遠く離れた場所からスポーツに関してエッセイを書く。という自分の立場を、このタイトルに込めたんかしらん?とも思いました。

    色んな解釈ができる、良いタイトルだと思います。

    ちなみに西川さんは、現在、ガンガンの熱狂的な広島カープのファンらしく。どのエッセイも秀逸すぎますが、やっぱ広島カープに関してのエッセイには、グッと心つかまされる。その熱量に。その愛情に。その敬愛っぷりに。

    そんなこれほどまでの熱狂的なカープファンの西川さんが、故郷広島に住んできた若かりし自分は、アンチカープの立場だった、というのは、なんとも興味深い。地元では暑苦しすぎて嫌だったカープという存在が、西川さんが上京して暮らすうちに、その身近過ぎる存在から遠く離れた後に、逆に好きになってしまうという気持ちがね、なんだかね、うーむ、、、いいなあ、、、とかね、勝手に思っちゃったんですよねえ。

    ま、なにしろ、見事な言葉選びが、見事な文章が、綺羅星のごとくに並んでいます。西川さんの、スポーツに対する眼差し。世の中に対する眼差し。つまるところ、それが何しろ素晴らしい、という感じなんですよね。「こういう風に物事を眺める」という姿が、本当になあ、、、見事なんだよなあ、、、

    「あなたの考え方に私はとても納得できます」という、共感なんだよなあ、、、結局は。「パクっただろ」というエッセイの中に「人間は創造性や独自性以前に共感性の生き物であるからだ。」という一文がありますが、もう誠に至言。人間の数多あるであろう真理の一面を、これ以上なく的確に喝破した名言だと思います。

    あと、西川さんの文章って、なんというか、、、気っ風が良い。体育会系。スコーン!としている。そして「敢えてこういう言いかたしますよ」みたいなヤンチャさもある気がする。敢えて波風立てる言い方するよ、みたいな。偽悪的、とも言いえてしまうような。そんな感じの文章、文体が、またこう、エラく気持ちがいいんだよなあ。

    やっぱ、西川美和、という存在そのものが抜群に魅力的なんだよな。というね。自分にとっては、それはもう、間違いのない事実です。超おおげさに言いますと、西川美和と一緒にこの時代をリアルタイムで生きられることは、ちょっと抜群に僥倖ですね。

  • 【いちぶん】
    どうして広島東洋カープは、こんなにも人生そっくりなんだろう。ミスを繰り返す。チャンスは生かせない。不甲斐なくくすぶり続けても泣きつく場所もない。そんな自分を重ね合わせて、泣いてしまいそう。けれど全国で赤いユニフォームを着る人々もまた、がんばれがんばれカープ!と叫びつつ自分自身を奮い立たせているのではないか。
    (p.84)

  • 映画監督の西川美和が、スポーツ雑誌『Number』に連載していたエッセイ集をまとめた一冊だ。
    この人がこんなにスポーツ好きだったとは、しかもガチガチの広島カープファンだったとは、と驚いた。

    私自身はあまりスポーツ観戦に関心がなく、世間がオリンピックやワールドカップに湧いていてもニュースのダイジェスト映像で結果を知る程度の極めて浅い好奇心しかないのだけれど、著者の、読者感情をぐっとあおるような語りに引き込まれるようにして楽しく読んだ。

    スポーツ、アスリート、といったそのもの、ではなく、その先にあるもの、あるいはその奥に秘められたものを見よう、見たい、と希うような文章が並んでいたからだろうか。
    スポーツ音痴の自分にも、夢中になる気持ちがわかる気がした。

  • 阪神ファンをやめたのはもう3年ぐらい前だろうか。というか、一つの球団やチームにしぼって、そこを応援するというのが性に合わなくなった。

    俺みたいな鈍足ランナー、ヘタレボルダー、ビビリハイカーであっても、自分で体を動かせば分かる。いわゆるアスリートと呼ばれている人たちが、いかに凄いか。どれだけの天分を持って生まれ、その天分を存分に発揮するために、どれだけのトレーニングをこなし、その孤高ともいえる位置を保つためにどれだけのエネルギーを使っているか。ストイックであるのは日常で、結果を出すのが当然。

    そんな過酷な日々を生き抜いていくために、彼らにしか見えないものを掴むために、想像を絶する日々を積み重ねてきているのに、観客の俺は球場で、競技場で、あるいはテレビの前で、ビールなんぞを片手に「そんな球も打てないのか、もっと気迫を込めてプレイしろ、勝て勝て打て打て」…。何様なのか。

    天才たちの心身を削るようなプレーを観る態度として、俺の今までは不敬の極みだった。そしてそれは、特定の球団やチームの勝敗にこだわる以上、俺の性格では改善されない。ならば、球団のファンという立場はやめよう。どの球団であれ、どの選手であれ、素晴らしいプレイには感動。素晴らしいゲームには拍手。それで十分じゃないか。

    そう考え方を変えると、スポーツ観戦が非常に面白くなってきた。勝敗のストレスもない。他人に機嫌を依存することもない。メンタルのありようとして健全で非常に居心地がいい。

    この本は、映画監督で、広島出身のサガとしてカープが気になって仕方ない、映画監督「西川美和」さんが、ナンバーに連載してきたスポーツエッセイをまとめた本である。彼女のスポーツに対する間合いの取りかたが、上記のような俺にはとても魅力的に思えて仕方なかった。

    イチローの白髪、三浦知良のシワ、伊達公子の復活後の形相…彼女のエッセイには、アスリートをリスペクトする眼差しがあふれている。俺も、そういう目でスポーツを観戦したい。もう、下品で競技を見世物としか観てないだけのファンには絶対戻らない。

  • number連載エッセイのまとめのため、スポーツに関する事が多い。という事すら知らず、西川監督が好きで手に取った。
    でも、失礼かもしれないのですが、アスリートへの敬意や愛は感じながらも知識に偏らない同じ素人の目線で書かれていて、スポーツに詳しくない自分でも楽しめた。
    西川監督の作品に関する事も時折垣間見れてそれも嬉しい。現実で充分しんどい事はあるから、フィクションでは基本ハッピーなものが見たい自分なのに、リアルのしんどさを感じさせる西川さんの作品は見てしまう。なぜなのでしょう。
    今回のエッセイでも、やはり現実をシビアに客観的にご覧になる視点を感じた。そして、時折はいるどこか男前な滾りとのギャップで和らいだ(特にカープについて)。
    スポーツへの熱狂が形を変えると危うい、という意味の鋭い発言が印象に残っている。

  •  これも新聞書評欄で見かけたものか?(忘れた)
     映画『永い言い訳』の監督としての認識はあるが、スポーツ雑誌「Number」で連載を持っていたのは意外。
     地元ということでプロ野球の広島カープにまつわる回がことのほか熱い。ちょうどカープも四半世紀ぶりの中興の時期でもあり、ファントークとして熱が籠るのも止む無しか。

     総じて、ミーハーっぽくなく、俯瞰した目線が、さすが監督業をこなすだけのことはあるという印象だ。後半、隔月連載となり間に宮藤官九郎が入るようになってからは(それが遠因がどうかは分からないが)、すこし文章が砕けてくる。元の男っぽい筆致のほうが「らしい」気がする(本当のところはどうだか知らんけど)。

     不惑を越えてアスリートとして活躍する選手を同世代目線で語る回も印象的(イチロー、伊達公子に近い年代)。

    「イチローも白髪が増えたな。カズも伊達もしわが深くなった。しかし彼らが老ければ老けるほど、なぜか世界が明るくなるように見える。」(とればとるほど 2017)

     そう記したのも、今や昔。とうとうカズしか残っていない時代が訪れてしまった。 世界は暗くなってしまうのかな?
     「令和」の世に、また新たな鉄人の登場を楽しみにしたい。

  • numberの連載エッセイらしい。
    ピンとくるものと、そうでないものと。
    締め切りが周期的にくる連載って大変だろうな、と思う。
    中には、締め切りと、大イベントに引きずられたようなものもあったりするが、それでもやはり心の中を覗き込むようにして丁寧に書かれたものがあって、流石と思う。

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著者プロフィール

1974年広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。在学中から映画製作の現場に入り、是枝裕和監督などの作品にスタッフとして参加。2002年脚本・監督デビュー作『蛇イチゴ』で数々の賞を受賞し、2006年『ゆれる』で毎日映画コンクール日本映画大賞など様々の国内映画賞を受賞。2009年公開の長編第三作『ディア・ドクター』が日本アカデミー賞最優秀脚本賞、芸術選奨新人賞に選ばれ、国内外で絶賛される。2015年には小説『永い言い訳』で第28回山本周五郎賞候補、第153回直木賞候補。2016年に自身により映画化。

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