- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163917535
作品紹介・あらすじ
ロシア文学者・奈倉有里と、小説家・逢坂冬馬。文学界の今をときめく二人は、じつはきょうだいだった! 姉が10代で単身ロシア留学に向かった時、弟は何を思ったか。その後交差することのなかった二人の人生が、2021年に不思議な邂逅を果たしたのはなぜか。予期せぬ戦争、厳しい社会の中で、我々はどう生きるか? 縦横無尽に広がる、知性と理性、やさしさに満ちた対話が一冊の本になりました。◇目次◇はじめに――逢坂冬馬PART1 「出世しなさい」がない家 FamilyPART2 作家という仕事 LiteraturePART3 私と誰かが生きている、この世界について Worldおわりに――奈倉有里
感想・レビュー・書評
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ロシア文学者である姉・奈倉有里氏と小説家の弟・逢坂冬馬氏による、「小説」、「ロシア」、「戦争」についての対談を書籍化。
と、簡単に言ってしまっては勿体ないほど、とても良い本。「本を読むのは何のため?」という問いの答えを教えてくれたり、「戦争って止められないの?」という疑問に答えてくれている。今現在の(自分たちの)状況を打開する方法が分かりやすく書かれていて、単なる『対談集』ではなく『実用書』のようだと思った。様々な人にオススメの本です!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この姉弟は普段はあまり交流せず、それぞれの道を探求して過ごしてきて、2021年に偶然にもそれぞれが著書を出版し、その後姉弟だということが世間に知られるようになったのこと。
本書では対談形式で育った家のことから作家という職業、国際情勢のことまで話が広がっていくわけですが、両人とも「書くことが楽しい」「文学のありかた」という点で揺るがない信念を持っていて、それがしっかりしていて、しかも清々しくて。
とくに奈倉有里さんの言葉のなかに含まれる奥深いところに共感する箇所が数多くありました。これから著作を読んでみたいと思います♪ -
読み終わるのが惜しいくらい久々の大ヒット。
「夕暮れに夜明けの歌を」のな奈倉有里と「同志少女よ、敵を撃て」の逢坂冬馬の姉弟が、忌憚のない意見をバンバン吐露してる貴重な対談本。互いに敬語を使うのに、(笑)、内容は忖度なしの言いたい放題で溜飲が下がること下がること!楽しい読書だった。
どうやったらこんな姉弟が育つのか、「夕暮れ〜」でも登場した両親がやはりキーパーソンのようだ。丁寧に愛情込めて育てられたのですね。理3の4人の子供を育てた佐藤亮子さんもかなり子どもの教育に関わってたけれど、彼女と違って、子どもに学歴よりも教養を身につけさせることにシフトしている姿勢が潔くて清々しい!価値観が真っ当で柔軟性もある本当に強いご両親だ。
逢坂さん曰く
「高等教育のありかたって、言ってみれば国家から独立した人間を育てる過程でもあるわけですよね。一元的な教育から離れて、知的に独立した人間を作るという。でも、知的に独立した人間を作るという発想そのものを憎悪している節が、現在の日本には見られるように思います。単なる利潤の追求や実学志向とも違う、知性の自立を恐れるという。もっと社会に従順で、経済を発展させる方向にだけ行きなさいと。」
まさしく!肘を打つ言葉。
逢坂さんは、「現代日本についてガンガン言っていく」行動する作家でいたいと宣言する。
プーチンをキャラクタナイズして茶化す風潮についての考えも慧眼だった。日本のオートバイ同好会がハーレーダビットソンに乗ったプーチンをもてはやしていたことに対して、安っぽいマッチョイズムの提示をしてプロパガンダをしているのに、それをまんま無邪気に受け取ってしまう現象に警鐘を鳴らしている。
こういう風潮は確かにあると思う。上から目線にもなれるし、すぐに冗談だと逃げることもできるし、どちら方向からの非難も交わすことができるずるいやり方だ。(私もよくやる)
つい最近、モディリアニ風に描かれたプーチンの絵画を見たので、あれはどうなんだろうと考えてしまった。風刺とキャラクタナイズとの線引きが難しとは思うが、「俺たちは本当はプーチンを崇拝しているわけではない」と言いつつ、プーチンの実際的な統治の方法には全く異論を唱えない、それを「冗談めかした迎合」として極めて危険な兆候だと逢坂さんは分析する。
パンとサーカスの例も出してくれていたが、政治的関心を失った民衆には食糧と娯楽さえ与えておけば支配はたやすい。抗う作家たちの登場に拍手です。
同じ土壌で育った二人だからこそ、何の遠慮もなく思ったままを開陳することができ、それを私たちは知ることができてラッキー。
ああ、こういう人たちが存在するのだ、と心を強くできる一冊でした。 -
『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』の奈倉有里さんと、『同志少女よ、敵を撃て』の逢坂冬馬さんの姉弟対談。
PART1 「出世しなさい」がない家 Family
PART2 作家という仕事 Literature
PART3 私と誰かが生きている、この世界について World
おふたりの本はそれぞれ読んでいて、実は姉弟だったって知った時は、おどろいた!そういう方が多いようですね。
どんな環境で育ってきたか、ご両親やおじいちゃんのこと、読んでいた本の話なども興味深く読んだ。尊重しあう関係性がすてきだ。
作者の性別、「冗談めかした迎合」、デモ(集会の権利)、無力感、誤読、作家の政治的な発言について、、自分自身にも思い当たる節があり、考えさせられることが多かった。
奈倉有里さんの言葉は寄り添ってくれるように感じられたし、逢坂冬馬さんの真摯な姿勢が熱量をもって伝わってきた。
奈倉有里さんが翻訳したエカテリーナ・シュリマンの「戦禍に社会科学はなにができるか」は、岩波書店編集部noteにて無料公開中
“ここ十数年のロシアを見ていても、国家権力が膨れ上がっていくプロセスには共通点が多いのがよくわかります。それを阻止しようと命をかけてきた人たちの言葉に学ばなきゃいけない。”
“たとえ短い言葉でも、言葉を発するというのは本来、人間の精神にとって本質的な仕事なんだよね。本意ではない言葉を発し続けていると、結局は自分自身の心を傷つけてしまう。必ずしも内容が悪いとか攻撃的だとかそういうことじゃなくても、そのプロセス自体が自己を形成していってしまう。” -
凄いキョーダイだな。色々と考えさせられた。ただ流れてくる情報に流される事なく広い視野を持つ努力は忘れないでいたい。
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『ことばの白地図を歩く』。若者向けにゲーム仕立てでおもしろく読みやすいけれど、内容は驚くほど専門的。書いたのはどんな人なんだろう?と気になって経歴をみると紫式部文学賞を受賞した『夕暮れに夜明けの歌を』の著者であり、あの『同志少女』『歌われなかった海賊へ』の逢坂冬馬さんと姉弟だと知り驚いたり納得したり。
「有里先生」と「逢坂さん」。3歳ちがいのおふたりは対談の中でお互いをこのように呼び合い、「文学」「作家という職業」、「戦争や武器」について、専門家同士としてリスペクトしつつ、存分に語り合う。ご両親のエピソードも紹介されるがこれがまた
言葉かけと言い距離感といい、「親の背を見て子は育つ」の諺どおり。さて、私達も感心してばかりではなく同じ時代に生きているものとして、こんな社会だからこそきちんと次世代に伝えていく努力をしていかなければ。 -
逢坂冬馬さん『歌われなかった海賊へ』を読んだら
この本に機械的に誘導されました。
「あら、お姉さんも作家なんだ」
他の本を読み始めていたので、
その後に読む予定でした。
ところが一昨日深夜、
3年前書いた佐藤優さんの本レビューに「いいね!」
そのかたのプロフィールを覗いたら
お気に入り第一位が奈倉有里さんの小説だったのです。
それがまた大絶賛!!
うーむ、まず『文学キョーダイ!!』読むしかないな。
part1とpart2で家族と作家という仕事のこと。
非常に楽しく読みました。
part3では戦争のことが中心です。
たしかに『同志少女』も『歌われなかった海賊へ』も
戦争の話でした。
〈はっきり言えば、『同志少女』は戦争に反対するための小説なんです。ただ、エンターテインメント作品なので、まずは読者に楽しんでもらわないといけないという前提があるんですよね。これが戦争小説を書く最大のジレンマなんです〉
逢坂冬馬さんはこうも言います
〈近代以降、ファシズムが完成する時って、歴史上、圧倒的な独裁者が突如として君臨することはまずないんです。独裁者に対する異論を許さない体制ができあがるまでの過程で、やはりファシズムに迎合する市民層が確実に存在するんです〉
そのことを考えると
無力感にさいなまれます…。 -
家族からのおすすめ。
実はどちらの作家も未読なのですが、とても面白かったです。
作家と私の世代がほぼ同じで、家族のタイプも似てるところがあるので、共感がありました。
政治に無関心な社会への警鐘…、能登の地震を経てさらに強く響きました…。 -
それぞれロシアに関連する示唆に富んだ本を出されているキョーダイの対談本だが、下手な新書や社会思想本よりも洞察の深さを感じた。両者の膨大な読書量、知識を貪欲に追求する胆力、知的な自問葛藤、根底に流れる思想に裏打ちされた会話…いいとこどりのつまみ食い的な意見とは一線を画すキョーダイ同士の発言に何度も唸らされた。
『同志少女よ敵を撃て』を読んだ感想として、ゴリゴリのフェミニズム!と思ったが、著者の育ったジェンダーギャップがあってはならないという価値観の家庭環境や、戦って勝って解決する少年漫画への違和感、男性社会に適合することの葛藤を知り至極納得。だから『同士少女〜』はフェミニズムというより、今までホモソーシャルすぎた戦争小説に対するカウンターであり、他国の過去の歴史を通して、自国の現在の有り様を反映させたものだと理解した。
〈なんでなにかのためじゃなきゃいけないの?〉の何にも還元されない読書時間の楽しさや、〈独裁者をキャラクターとして消費する〉の茶化して満足するだけの軽率さに対する考察等、読み応えある文章が多く、その知性の豊かさに圧倒される…。
しかし知識階層とは無縁の、日々の生活を刹那に生きる人々への眼差しも忘れてないから、このキョーダイの作品は、本屋大賞や話題作として一般の人々にも届くのだと思うと、尊い。