- Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166602216
作品紹介・あらすじ
薩長二大雄藩が土佐の坂本龍馬の仲介で同盟を結び武力倒幕に邁進した結果、維新回天の偉業はなし遂げられた。これが明治以来、日本人の大多数が信じてきた「史実」である。しかし、これは「薩長史観」「勝てば官軍史観」がでっち上げたフィクションにすぎない。幕末・維新の過程で大きな役割を果たしながら、公定の歴史叙述のなかで何故か無視されてきた孝明天皇や、政治勢力としての一橋慶喜、会津、桑名両藩に光を当て、歴史の真実とは何かを問う。
感想・レビュー・書評
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著者、家近良樹氏は、薩長中心に語られてきた勝者の歴史のこれまでの幕末維新研究に、光明天皇、一橋慶喜、会津藩、桑名藩、の視点を加えた。幕末維新期はややこしくてよく理解できない面があるのだが、攘夷を主張しつづけた光明天皇の頑迷さと、意識の上で一番上にある「天皇」という存在が、歴史の流れの核だったのかな、という気がした。元治元年(1864.2.20-)、一会桑と称する三者は、将軍後見職(慶喜)、京都守護職(会津藩・松平容保)、京都所司代(桑名藩・松平定敬・容保の実弟)として京都で揃う。これが悲劇?の始まり? 攘夷にからめとられた一会桑。
展開は攘夷を主張していた光明天皇の死、なのかなと感じた。開国という時代の流れとは逆行していた大岩が亡くなったことで、大きく時代が進んだ気がした。
また歴史の転換点は内からの変化もあるが、外からの違った価値観の襲撃、というのが大きいのかなという気がした。
家近氏は、明治維新は薩長や幕末の志士たちの力のみでなされたのではなく、江戸期の日本社会が営々として培ってきた合議や衆議を重んじる声におされて旧体制が打倒された、と説く。
メモ
幕末維新の歴史認識については、薩長を中心とする西南雄藩が武力でもって旧弊な徳川幕府を倒し新しい仕組みを作り近代天皇制の確立に大きな貢献をしたという、明治維新で権力を握った薩長からみた勝者の歴史観が広まったとする。それは官製の歴史書や、歴史学者、教科書にはじまりさらに映画、小説などにより一般認識となった。
明治になるとすぐ政府は(薩長は)幕末維新期の歴史的評価を確定しようと1889年(明治12)「復古記」全15冊を完成された。また官製維新史の集大成として維新史料編纂事務局をつくり「維新史」を刊行した(1939~1941、昭和14~16)
第二次世界大戦後の歴史研究においてもマルクス主義史観が主流になり、分析の対象が反権力(反幕府)におかれた点では変わりなく、依然として西南雄藩(なかでも長州藩)中心に幕末維新期が分析された。ただ、戦前の王政復古史観とは近代天皇制を拒否する点が大きく違っていた。
2002.1.20第1刷 図書館詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
新しい視点も興味深く読んだが、それにしても「一会桑」という名付け方は秀逸である。
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幕末史はともすれば、幕府VS薩長という単純化された図式で描かれることも多い。この著作はそうではなく、「一会桑政権」という、当該時期に京都に存在した、一橋慶喜・会津藩主松平容保・桑名藩主松平定敬と孝明天皇による意思決定+軍事力を、一つの「政権」として考え、薩長は当初から江戸の「幕府」と対立していたわけではなく、この3者の「政権」と京都で対立・政争を繰り広げていたという視点で解くものである。そもそも「政権」という完成された権力体であったかという前提部分に関してはまだ検討の余地はあるが、「『薩長対幕府』という単純な図式で幕末政治は語れないぞ」、という問題提起を行ったことは大変評価できる。たしかに一橋慶喜や松平容保は必ずしも江戸の「幕府」の意思決定に従って動いていたとは考えにくい傍証も多く、譜代大名が任命されるのが常であった京都所司代に親藩大名出身の定敬(そして定敬は容保の弟)が任命されるのも、なんだかの関係はあると考えられる。
当該時期の朝幕関係に興味を持ってきた私にとっては大変興味深い作品だった。 -
幕末アンチヒーローの側から描かれた歴史がよく整理されて複雑な流れが掴みやすく面白かったが、しかし、孝明天皇暗殺説に一切触れないのは???
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[ 内容 ]
薩長二大雄藩が土佐の坂本龍馬の仲介で同盟を結び武力倒幕に邁進した結果、維新回天の偉業はなし遂げられた。
これが明治以来、日本人の大多数が信じてきた「史実」である。
しかし、これは「薩長史観」「勝てば官軍史観」がでっち上げたフィクションにすぎない。
幕末・維新の過程で大きな役割を果たしながら、公定の歴史叙述のなかで何故か無視されてきた孝明天皇や、政治勢力としての一橋慶喜、会津、桑名両藩に光を当て、歴史の真実とは何かを問う。
[ 目次 ]
幕末政治史の常識について
幕末維新史研究の過去と現在
孝明天皇の登場
朝幕関係の悪化と孝明天皇の朝廷掌握
徳川幕府と孝明天皇の対立
井伊直弼暗殺後の孝明天皇
一会桑の登場と孝明天皇
一会桑の朝廷掌握と孝明天皇
第二次長州戦争の強行と反発
一会桑朝廷支配の崩壊
十五代将軍の誕生と大政奉還
王政復古クーデタ
鳥羽伏見戦争と倒幕の達成
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
新しい先生に出会いました。
幕末維新の一般の考えられ方を丁寧に覆してくれます。
すごく納得できることが多くて、ためになることも多かったです。
とどのつまり「明治以後の日本人のおそらく誰もが想像してきたほど、薩長両藩の「倒幕芝居」における役割は、圧倒的なものではなかったということ(p.216引用)」だそうです。
ちなみに、孝明天皇は3分の2あたりで崩御されます。笑
後半はちょっともう少し時間のあるときに落ち着いて、しっかり理解しながら読みたいです。 -
西郷や大久保に代表されるいわゆる倒幕派が、実は対会桑であり、倒幕にまで至ったのは鳥羽伏見の10日程度前とする説。
自説の邪魔になる倒幕的な史料をあまりにも無視しすぎなんじゃないかと思うのだけれど。 -
倒幕を目的とする薩長軍だと思っていましたが、
当初から倒幕を目的としたわけではないという考え
それに基づく証拠的資料
かなり目から鱗
ただ、若干難しい言い回しが多かったかー??? -
薩摩と長州史観についても取り上げられてました。
確かに明治維新から第二次世界大戦に至るまで、「勝てば官軍」というように、薩長を美化したような歴史教育が成されてたかのように思います。
しかし、この作者さんのように幕府視点でいろいろ調べていったら、また勝者である薩長と違った視点が見えて来るのですよね。
薩摩の場合、地元の教育では「薩摩の討幕エネルギーは、宝暦年間の治水工事、調所広郷による藩政改革、島津斉彬の集成館事業」と教えられてきましたが、またこれを敗者の側から捉えてみると、違った考えがうかんできます。
それを語るのに欠かせないのが「一会桑」。
一橋慶喜・松平容保(会津)・松平定敬(桑名)の三人が基本なのですが、幕末期には京都で朝廷と幕府のパイプとして働き、一時期禁門の変などで最盛期を迎えますが、慶喜の将軍就任、そして戊辰戦争では彼らの動向は全く違ったものとなります。
このように彼らの動向もまた興味深いものがあります。
のっけに
“「薩長が坂本龍馬の仲介で武力倒幕を目指す同盟を結んだ」あなたはこれが「史実」だと信じていませんか?”
とありますが、私も同じ事を思ったことがあります。(笑)
…何かこれ以上言うと完全にネタバレになってしまうので止めときますが、歴史は掘れば掘るほど違った説が浮上します。
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分類=幕末維新期・一会桑政権・家近良樹。02年1月。