謎の渡来人 秦氏 (文春新書 734)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166607341

作品紹介・あらすじ

古代最大の人口を誇る氏族は、最高の技術者集団!政治や軍事には関わらず、織物、土木、酒造、流通など殖産興業に力を発揮。先端テクノロジーで古代国家の基盤をつくった民の素顔とは。

感想・レビュー・書評

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  • 本書のレビューではない。先日歩いた小さな旅の感想を側面から説明する「資料」として、本書を利用する。

    10月17日、総社市が主催する「秦の郷スタンプラリー」に参加した。小雨模様(歩いている時だけラッキーにも止んだ)なので「今日の参加は未だ3人目ですよ」と受付の人は言っていた。始まりの昨日は200人の参加だったらしい。約800個の参加賞(来年干支ウサギの置物)は、1か月の期間を待たずに無くなりそうだ。早く来てよかった。

    城山コースを登る。5.6キロ約2時間で回るコースなのだけど、実際は3時間半かかった。私の目当ては、当然(?!)古代遺跡。特に3世紀後半の茶臼岳古墳、4世紀前半の一丁ぐろ1号墳である。

    一丁ぐろ古墳群は秦地域を囲むような低山の尾根沿いに約34基並んでいる。スタンプ対象ではない小さな古墳は全て方墳である。大きいのでも18m×18mの微かな高まり。私なら円墳と見紛うかもしれない。発掘していないのに、どうして方墳と解るのか。

    ところが突然、ひときわ大きな古墳が登場する。全長76m、周りは円筒埴輪がびっしり巡っていたという。驚くべきは、前方後方墳だったということである。「後方墳」は「後円墳」とは意味合いが大きく違う。大和基準に入らない古墳だ。4世紀前半当時、吉備地方で出てきた古墳としては最大級。1世紀後には造山古墳という日本第4位の前方後円墳が築造される。大和政権に大きく関与したと思われる吉備地方で、前方後円墳体制に入らない意思を示す古墳が、秦地域(吉備北側)という渡来系住民が予想されるところで、当時としては、もしかしたら最大の力を持っていたことは、とてつもなく重要なことだと思える。

    秦の郷は、高梁川が大きく蛇行する過程でできた広い堆積地をその中心地とする。つまり川の氾濫さえ防げば、砂地で水捌けが良く、水利は抜群の天然の田んぼ良好地である。一丁ぐろ古墳群は、その平地を囲む半月のような山の尾根にある。当然毎日眺める神奈備山だったのだろう。

    おそらく古墳時代最初期に、湿地だったここを開発して毎年多量の米を作り、力を蓄えた一族だったのに違いない。

    2015年、一丁ぐろ古墳と同じ時期と思われた前方後方墳の茶臼岳古墳が3世紀後半の造営とわかった。この時から前方後方墳勢力がその存在感を示しつつあった。しかし、4世紀前半から後半の間に彼らは大和政権に吸収される。それが、サンピア総社南にある秦大ぐろ古墳(前方後円墳)の存在だろう。

    秦氏は大和政権に滅ぼされたのではない。おそらく積極的に大和政権と妥協したのだ。それは、秦氏がその後もこの地で栄えていたことで証明できる。スタンプ対象のひとつ、秦原寺廃寺は、飛鳥時代の寺であり、当時中四国で最古の寺だった。伽藍配置は南門、五重塔、講堂が一直線に並ぶ四天王寺と同様の凄いものだった。その場所に立つと、300年前の一丁ぐろ古墳群を仰ぎ見るように建っているのである。

    「謎の渡来人秦氏」の主張は簡単に言って2点。
    (1)秦氏の渡来技術の特徴は、機織りのハタだけではない。むしろ、土木技術、治水、蚕などの殖産興業、そして農業部門にあった。
    (2)秦氏は欽明天皇時代に17万人、全人口の5%を数える渡来人最大の勢力だったのに関わらず、政権の中枢には決して入らなかった。

    この飛鳥から平安時代を通して得られる特徴は、実は3世紀の吉備秦氏にそのまま通用する特徴だったのである。

    実は水谷氏の著書に、吉備の秦氏のことは一行も出てこない。それは、水谷氏の関心が5ー8世紀にあることだけが理由ではないだろう。一丁ぐろ古墳の発掘は2011年、茶臼岳古墳は2015年なので、2009年発行の本書では注目することも出来なかったのだろう。水谷氏によれば、秦氏が渡来してきたのは5世紀ということになっている。少なくともそれはウソだ。少なくとも3世紀には既に吉備地方まではきていた。茶臼岳古墳がそれを証明している。残った課題は、何故「後方墳」だったのか?後方墳盛行地の山陰とどういう繋がりがあったのか?ということだろう。


    歴史家はキチンとした根拠がないと年表にしないから、今回のハイキングで思いついた、私の「想像上の年表」を以下に記す。つまり私の妄想です。

    ・250年ごろ 吉備国で渡来系知識人だった秦一族の1人が、既に出来上がったムラではなく、川の氾濫を繰り返して湿地だった蛇行川の内側堆積地の居住を王から許可をもらう。
    この頃、吉備国と友好関係を持っていた大和政権に箸墓古墳が造営される。
    これ以降、地域の王は前方後円墳の墓を作ることで、意思統一がなされた。
    ・260年ごろ 吉備秦氏は優れた土木技術を使い、氾濫の危険を回避して、水路を縦横に張り巡らせた広い田んぼを確保する。
    ・270年 秦一族は吉備国の経営から離れる
    ・280年 秦地域第一世代のリーダーが死去。茶臼岳古墳造営。あえて、前方後方墳をつくり、大和政権下に入らないことを宣言する。
    ・300年ごろ 秦地域の田んぼは数倍化し、なおかつ瀬戸の水運を活かし、渡来系繋がりを活かして、吉備国の最大豪族に成長していた。
    ・310年 茶臼岳古墳の息子であり、当時の頂点を極めた王が死去。あえて前方後方墳である一丁ぐろ1号墳が造られる。
    ・320年 大和政権が介入。水運の締め出し、武力を盾にした脅しなどが入り、秦一族は闘うことを望まず、前方後円墳体制に入ることを決意。
    ・360年 秦大ぐろ古墳造営。やがて、秦一族の土木技術は大和政権に重用される。

    ・7世紀中ごろ、秦氏の氏寺である秦原寺を建立。中四国最古の寺(CF法隆寺建立603年)。
    ・7世紀末、秦原寺を見守るように、1号墳のすぐそばに、一丁ぐろ22号墳を造営。秦原寺に縁ある人物の墓と見られている。

  • すごい謎を期待して読んだ人にとっては低い評価になるみたいだが、史料からわかる古代史の実像ってこんなもんだろう。自分は楽しめた。
    秦氏は高級貴族ではないので政治の表舞台にはほとんど出てこないが、中下級の支配層として日本全土に拡散、土着化した。地方公務員みたいな感じで各地方の実質的な行政では大きな力を持っていたのかも。そのうちに秦氏としての帰属意識が薄れて消えていった?

    高田崇史の本では、秦氏は京を開発したのに天皇と貴族に奪われてしまって怨んでるんだ、みたいな歴史ミステリーになる。

  • ☆彡秦氏の研究に関する横断的まとめ
     
    〈概要〉
    ・古代最大の氏族
    ・秦大津父の伝承
    ・狼との決闘
    ・始皇帝の子孫説
    ・ルーツは慶尚北道か
    ・『隋書』倭国伝の「秦王国」
    ・秦氏の成立
    ・最初の定住地
    ・弓月君の謎
    ・機織り・養蚕の民
    ・稲荷は稲成り
    ・餅を射る話
    ・開明的な気風
    ・伊豆の国棄妾郷
    ・水上交通と妙見信仰
    ・融和を重視
    ・渡来の神・三つの類型
    ・葛野坐月読神社
    ・在来の神と共存
    ・大陸から持ち帰った神
    ・おわりに

  • 陰謀説的な本じゃないから結論ないし
    考察というか学説的な本なので期待しても
    無駄なのはわかるけどちょっと方向性が
    なかったなー。

    新羅の中国系渡来人→豊後当たりの秦王国→山背に土着した産業系
    渡来人


    的な流れなんだろうけどね。

  • [ 内容 ]
    古代最大の人口を誇る氏族は、最高の技術者集団!
    政治や軍事には関わらず、織物、土木、酒造、流通など殖産興業に力を発揮。
    先端テクノロジーで古代国家の基盤をつくった民の素顔とは。

    [ 目次 ]
    第1章 弓月君の渡来伝承
    第2章 秦酒公と秦大津父
    第3章 秦河勝と聖徳太子
    第4章 大化改新後の秦氏
    第5章 増殖する秦氏―摂津・藩磨・豊前・若狭
    第6章 長岡京・平安京建都の功労者
    第7章 大陸の神・列島の神
    第8章 秦氏とは何か

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    [ 参考となる書評 ]

  • 著者:水谷千秋(1962-、滋賀県、日本史)

  • 自分の常識、歴史の知識の無さゆえに「謎」は「謎」のまま。とはいえ、かなり刺激されるものがありました。本書を手がかりにまたいろいろと本を読みたくなります。

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著者プロフィール

水谷 千秋(みずたに ちあき)
1962年生まれ。龍谷大学大学院博士後期課程単位取得。文学博士。現在、堺女子短期大学副学長。専門は、日本古代史。主な著書に、『継体天皇と古代の王権』(和泉書院)、『謎の大王継体天皇』『謎の豪族蘇我氏』『謎の渡来人秦氏』(いずれも文春新書)、『古代豪族と大王の謎』(宝島社新書)がある。

「2022年 『日本の古代豪族 100』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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