新装版 覇者の条件 (文春文庫) (文春文庫 か 2-58)

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167135584
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  • 海音寺潮五郎 2作品目

    歴代の覇者の特長を紹介するエッセイ。

    印象的なのは、”運”というもの。「古代には、呪術者はたくさんいた。中臣氏、忌部氏、卜部氏など。しかし、その呪術が最もよく当たったのは、天皇家だった。」そして「当たるということは、つまり幸運だった」思わず納得してしまった。
    ちょうど、いくつもの「人類種」の中から、ホモサピエンスだけが生き残ったように。生き残ったものを、人類と呼ぶように、信頼された呪術者が”天皇”家となっただけのこと。

    すべてを「運」頼みにしているわけではないが、”尽くして天命を待つ”といった心境でしょうか?

    うまくいかなければ、天命がなかったと割り切ればいいのだが、そのために命を懸けるとなると、歴史は残酷だ。
    そして、歴史をみると、ふさわしい時代にふさわしい人物がいる(覇者となる)ような気にさせられる。それ以外の選択肢がなかったように。
    奥の深さを感じた。

  • 治政に秀でた歴史上のリーダーを採り上げている。
    各々の時代背景も簡潔にポイントされており、頭の整理にもなる。
    時代を変えた、逆らったという意味(それだけの強さがある)で特筆できることは「織田信長」で、その合理主義的発想だと思う。

    「平清盛」、「源頼朝」、「北条泰時」、「足利尊氏」、「北条早雲」、「武田信玄」、「毛利元就」、「織田信長」、「徳川家康」、「野中兼山」、「細川重賢」、「上杉鷹山」。

    以下引用~
    (平清盛)
    ・白河天皇は、摂関の権力をけずり、天皇権の回復につとめられました。
    源氏はあまりにも摂関家に密着していましたので、好ましくありません。
    とすれば、源氏についで勢力のある武門は、平氏以外にはない。
    ・摂関家をおさえようという謀略と、好きになればとことんまで好きになる後白河のご性質とが、清盛をあんなに栄達させたのだと思うのです。
    (北条泰時)
    ・泰時が執権としてまずしたことは、京の六波羅に南北両探題をおいたことです。この時代はよく領地の境界争いや相続権の争いなどがおこったのですが、武士にとって領地はいわゆる懸命の地で、いのち綱なのですから、これをよく裁くことは、幕府の最も重要な政務でした。一々、鎌倉まで来て裁判をしてもらうのは大変だから、京都で済むようにしてやろうというのでした。
    (織田信長)
    ・日本の近世は織田信長にはじまると、歴史家は皆言っています。
    それは、彼が徹底した合理主義者であったところに、根本があります。
    彼が合理主義者であったことを最も端的に証明するのは、宗教にたいする彼の態度です。
    (藤原純友)
    純友も伊予においては大英雄でした。たとえば、住友家という大財閥がありますよね。その住友家は純友の子孫と名乗っています。住友家は元来伊予人で、伊予の別子銅山を開発して大富豪になったのですが、あの家のほかにも伊予には純友の子孫と名乗る家がだいぶあるそうです。

  • 歴史小説家がエッセイ風に武将達の人となりや振る舞いを綴る。タイトルからは豪快な生きざまの紹介を想像してしまうが、武将達がその時々の社会の中でしたたかに、どう生き残るために振る舞ってきたかが描かれている。

    織田信長の章が印象深い。狂気に満ちたリーダーであり、それまでの社会の矛盾(権力者や宗教人の傲慢)を打ち破るために必要な人物として現れ、その急進的なやり方故に滅ぼされたとしている。他にも細川重賢(初めて聞いた名前かも)が、家を統率するために敢えて厳しく振る舞って家臣たちの気を引き締めたなど、筆者には「社会や組織を変えるためには時に独裁的なリーダーの存在が必要」という考えがあるようだ。

    最後は平将門についてページを割いている。この本が書かれた頃に、筆者の原作から大河ドラマ「風と雲と虹と」が制作された頃だった。筆者は将門はこの頃には珍しい誠実な人柄だったのでは、と想定し、ドラマでは加藤剛がその将門を熱演していた。

  • 海音寺さんの武将評価と、風雲虹公開時の諸々。あくまで小説家としての評価なのだが、本当にそういう人であったかのように思わせる書きぶりはさすが。頼朝評などは、幕府の評価が大きく変わっている今読んでも説得的に読めてしまうから凄い。
    たまたま石下まわりをうろついてるときに読めたのもよかった。

  • 有名な歴史上の人物に関する随筆。
    後半は平将門についての話。

  • ・友情の中で戦友愛がもっとも強い。生死を共にするほど人をかたく結びつける。
    ・平清盛は恐ろしい人物のイメージがあるが、実際は最も紳士的でやさしい性質の人であったようだ。
    ・源頼朝は、病的といわれるほど用心深く、人間不信の塊であった。そのわけは、騙し討ちにあった父義朝の死に方が大きく影響したと思われる。
    ・頼朝が挙兵に踏み切ったのは、追い詰められてやむなくと考えられる。
    ・鎌倉政権は坂東武士の利益擁護確保するのが目的としたものであり、たまたま頼朝が担がれたに過ぎないと言える。
    ・かの有名な「承久の乱」の直接の原因は、御鳥羽上皇が寵愛した女のヒステリーな要求を取り上げて、その求めに幕府が拒否したことから始まった。
    ・明恵上人曰く「政治家が最もつつましなければならないのは欲です。政治家に欲があれば、禍がなんぼでも起こる」。
    ・司馬光曰く「天下本無事、庸人乱之(天下もと無事、庸人これを乱す)」天下は本来太平無事であるのに、凡庸な政治家がいらんことをするために、かえって乱れるのだ。
    ・執権北条氏の政治は鎌倉時代を通じて追慕され続けていた。北条泰時に始まる、無欲、倹素、清潔な政治ぶりであったためである。
    最後の執権高時が死んだとき、追腹と切るもの八百七十余人と言われている。
    ・古聖賢の教え「民政と経済が根本で、この二つを巧みにやれば、軍備は自然にととのってくる」。
    ・北条早雲・毛利元就の運営方法は、誠実とマキャベリズムとを調和よく合わせたもの。古来の成功者は大なり小なり皆これではないか。
    ・早雲曰く「武士らに扶持をあたえるには特別な心得がいる。二十前の若者や七十以上の老人には、功があっても知行地を与えず、金銀を与えるがよい。老人は命が短いので、すぐその子の代になる。その子が器量拙ければ、その知行地を取り上げねばならぬ。そうすると必ず恨みをふくむ。また、二十以前の若者は成人してどんな者になるか見当がつかない。若い時は優れていても、成人すればうつけになること多々あるからだ。そうすると、こちらもまた知行地をとりあげなければならない。同様に恨みを含むようになる。よって、あとくされのないように金銀を与えておくべきものである」。
    ・武田信玄は、本性に親譲りの享楽的な怠け根性があったのではないか。
    ・日本の近世は織田信長にはじまると言われています。それは、彼が徹底した合理主義者であったところに根本があります。宗教上の因習など、そういったものに大きく影響された時代のなか、それは際立っていたからだ。
    ・比叡山では今日でも、「信長の横死は比叡山の僧らの呪詛の修法が功を奏したのだ」と言っているらしい。
    ・大衆運動とは、一度目は強力な力を発揮するが、一旦結束を解くと、もう再び結束はしない、仮にしたとしても前の力には遠く及ばないものだ。
    ・大体において、江戸時代の名君と言われた人々の行き方は、独裁権の確立とスパイ政策を加味して、儒教の精神をおこなうというものであった。
    ・それの唯一の例外となった名君上杉鷹山は、それら寄手を用いず純粋に儒学の方法で財政を立て直した。五十五年かかったが。しかし、影響は最も強かったのではないだろうか。
    ・古代天皇はよく当たる呪術者であった。
    ・日本の革命は、武家政治の確立と明治政府の確立の2つのみである。しかも、それらは武士によってなされたという事実。
    ・平将門は、明治以前は神であったが、明治以降、水戸学の皇国史観の解釈から藤原純友と一緒に逆臣とされた。
    ・およそ英雄と言われる人は皆運がよい。不運な英雄というのは、最後に運が悪かったのだが、それまでは運がよい。
    ・歴史は進行の上に、古いものを大掃除しなければ新しい時代が作れない時期があり、この時には狂的なくらい暴力的な権力者が必要となる。それが信長であったりした。結局は時代が要請したものなのだ。
    ・新しい形を始めると、その道のプロは褒めない。しかし、民衆は面白ければ喝采するもので、そうなると、プロたちも雪崩をうって誉めるものだ。凡百のプロらの毀誉にかまうことはない。
    ・人々は自分で考え、自分でまとめ、自分で判断する作業ができなくなっている。自ら苦しんで工夫してはじめて身になるものだ。

  • 平清盛や源頼朝から上杉鷹山まで、各時代の歴史人物の
    略歴から海音寺氏の注釈がオムニバス形式で書かれた作品。
    源頼朝や武田信玄について悪く書かれた作品って、
    歴史観として少ないから面白い。

    後半は平将門について熱く語られていて、
    今まで視点がいかなかった人物だったので、興味深く読めた。

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著者プロフィール

(かいおんじ・ちょうごろう)1901~1977。鹿児島県生まれ。國學院大學卒業後に中学校教諭となるが、1929年に「サンデー毎日」の懸賞小説に応募した「うたかた草紙」が入選、1932年にも「風雲」が入選したことで専業作家となる。1936年「天正女合戦」と「武道伝来記」で直木賞を受賞。戦後は『海と風と虹と』、『天と地と』といった歴史小説と並行して、丹念な史料調査で歴史の真実に迫る史伝の復権にも力を入れ、連作集『武将列伝』、『列藩騒動録』などを発表している。晩年は郷土の英雄の生涯をまとめる大長編史伝『西郷隆盛』に取り組むが、その死で未完となった。

「2021年 『小説集 北条義時』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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