史実を歩く (文春文庫 よ 1-46)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167169466

感想・レビュー・書評

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  • 歴史小説を描くのに、これだけの調査が必要かと衝撃を受けた。

    吉村氏の小説は読んだことはない。

    しかし、これだけの調査をやっている人間の小説がつまらない筈はない。

    俄然、読みたい気持ちが出てきた。

    少し、積読しているものが片付いたら、チャレンジしてみようか。

  • 作家・吉村昭が小説を執筆するにあたってどのように調査をしていったのかが綴られた本。

    『戦艦武蔵』や『破獄』、『生麦事件』などの記録文学・歴史文学を次々に発表してきた作家・吉村昭。彼が小説の素材に出会う過程や作品作りのための調査過程などが、実際の作品を事例に具体的に書かれています。

    本書は吉村昭作品の舞台裏を知ることができます。また、小説を作り上げることの困難さと面白さも本書から感じ取れます。

    吉村昭作品をより深く理解したい人や、小説家になりたいと思う人にオススメの本です。

  •  表紙の一枚の写真。
     そのためだけに買った。533円だった。
     新書版を貪るように読んだのは十四年まえ。文春新書における通し番号は「003」、『史実を歩く』は、文藝春秋が創始した新書の最初の3冊の一角だった。以来、吉村作品は30タイトル前後は読んだであろう、新書版『史実を歩くは』何度も読んで擦り切れている。だがまた、書店の棚で立てて飾られた文庫版の表紙写真に今日、まず目が留り、足が止まった。いつの間に文庫になってたんだろう。
     それにしても感心させられるのは、この一枚を選んだ編集者の見識である。
     三年前、「史実を」ではなくて「吉村昭の足跡を」歩いてみたくて訪ねた長崎は坂道の街であった。そして、芥川賞を何度も獲りそこね、妻である津村節子に先を越され、純文学作家として崖っぷちに立たされた一人の男として、吉村昭が歩いた坂道を私も歩いた。
     深夜、出島近くのホテルを抜け出した私は「浪の平」という海岸を訪ね夜明けを待った。そこは、吉村があるインタビューに答えて、自身が『戦艦武蔵』の執筆を決意したのはそこでだった、と告白した場所である。
     「吉村なら書くだろう」といった編集長の発言を伝える編集者の言葉を吉村は頭の中で反芻していた。とうとう芥川賞を獲ることができなかった。あろうことか妻に先を越されてしまった。純文学作家として食い詰め状態の吉村なら、絶対引き受けるハズだという意味に思えた。吉村が一人やけ酒に酔いながら下った暗い坂道を、同じように下る私にも悔しい思いが込みあげる。だが、すり鉢型の長崎の街は、どの坂をくだってもお約束の通り港に出る。そして、やはり対岸には長崎造船所の威容が目に入る。
     昼間取材に訪れた造船所を対岸に眺めながら、吉村は一人座って夜を明かす。小雨が降り始めた明け方、天主堂の鐘の音が湾内にこだまする。インタビューで語られたのはそこまでだ。
     小雨は降ってはいなかったものの、同じく夜通し暗い造船所を見つめたあげくに、同じ鐘を耳にし、あああれは大浦天主堂の方角じゃないかと悟った私は、あの鐘が鳴った瞬間こそが、記録文学の金字塔『戦艦武蔵』誕生のときであったのだ、と確信した。
     
     作家を奮起させるためには、時には追いつめ、時には叱咤することもある編集者という役回りは、裏方ではありながら文学には欠くことができぬ存在であろう。
     吉村昭のほかにも長崎に親しみ長崎を描いた作家は多い。遠藤周作もその一人。先日遠藤周作展で見た編集者の手帳は鳥肌ものだった。
     「『日向の匂い』では売れそうにないので、タイトルを『沈黙』にかえるように先生に進言」と記されていた。
     その編集者の提案を入れ『沈黙』と題された長編は思惑どおり大ヒットし遠藤の代表作となる。だが、陽の光のように、惨めな転向者(転びばてれん)の背中をも温かく慈愛でつつむ神のイメージを込めた「日向のにおい」が、厳しく転向者を拒絶する冷たい神として全く正反対のイメ-ジに誤解されることとなってしまう。遠藤は生涯その誤解に苦しむ。

     今は亡き須賀敦子は珠玉のエッセイを数編だけ残した。たった八年の作家生活だった。その須賀敦子が最後に書きたかったが未完成に終わったのは『アルザスの曲がりくねった道』と仮題される小説であったといわれる。「といわれる」と伝聞調で書くしかないし、親交のあった作家たちも、たとえば堀江敏幸でさえ、「それは小説であっただろう」とか推測調でしか語ることができない。なにしろ作品は未完で、当人は亡くなられている。
     季刊『考える人』の2009年冬号が須賀敦子特集号であったのでアマゾンで手に入れた。新潮社の鈴木という編集者に宛てた須賀敦子の自筆の手紙が見開きで載っているのを見て目を瞠った。
     初めての小説作品を書く不安を鈴木が気遣ったことへのお礼であろうか、「まだまぼろしの『アルザスのまがりくねった道』の出発点が深まったような、それに有力な理解者が出現したことのよろこびがふつふつと湧くきもちでした」と須賀は書いている。「私にとってのはじめての虚構」とも書かれている。
     仮題は仮ではなく「小説だろう」も「だろう」ではない。その編集者あての手紙には「明快な動かぬ証拠」が示されている。
     編集者恐るべしである。

     『史実を歩く』文庫版の表紙をもういちど見る。
     頭も眉も黒々と明らかにまだ若い吉村昭が坂を上っている。説明はないが長崎の坂道なのは明らかだ。吉村の後ろ、坂を下ったさきには港と対岸の造船所が見える。
     吉村昭が史実を歩きはじめた原点が、この一枚の中にある。
     この一枚を選んだ、名も知らぬ編集者に感謝する。
     あなたは全てをわかっている。
     ありがとう。

  • 吉村昭作品がどのようにして誕生したのかを興味深く知ることができる。その神髄は徹底した調査、取材にあったことが改めて認識される。例えば生麦事件。記録によると薩摩藩士の奈良原喜左衛門は馬上のリチャードソンの左脇腹を斬り上げ、返す刀で斬り下げているという。しかし、氏は、ある日の明け方にふとリチャードソンの馬は上海から持ってきたアラブ系の馬であることに気付き、日本の馬に乗っていた奈良原が返す方で斬り下げられるのだろうかと疑問に思ったそうである。そこで氏は鹿児島に飛び、奈良原の剣である野太刀示現流の実演を披露してもらう周到ぶりである。氏の飽くなき探究心に改めて敬服する。氏の調査に協力を惜しまぬ人々が沢山いたことも、氏の人柄を表すものだろう。氏のいろいろな作品を味読したくなる。

  • 調査の様子がよく分かる

  • 苦労話

  •  氏については最近まで知らなかったが、ち密な取材に基づく歴史書(小説の体をとる)作家という認識を新たにした。とにかく発想と行動力に敬服することしきり。研究者的発想のような気もするし、純歴史学者のような気もする、不思議な感覚にとらわれた。
     本書で紹介された各種作品を、今後順に読んでいきたい。

  • 今まで読んでいるのとちょっと被った。

    とはいえ、やはりすごい、の一言。とても丁寧に人と、社会と向き合っているので、居心地がいい。けれど怖い。
    人々の息遣いが聞こえてくる。だから死も恐怖も間近に迫ってくるようだった。

  • 筆者が小説を書く際に史料の裏付けを二重三重に取るという姿勢を書き記した舞台裏の話。

    歴史小説家のノンフィクション作品でしょうか。

  • ここで取り上げられている全ての作品を読みたくなる。それぞれの作品を未読であっても既読であっても、作品の深みが増す「調味料」のような存在。

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著者プロフィール

一九二七(昭和二)年、東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。五八年、短篇集『青い骨』を自費出版。六六年、『星への旅』で太宰治賞を受賞、本格的な作家活動に入る。七三年『戦艦武蔵』『関東大震災』で菊池寛賞、七九年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、八四年『破獄』で読売文学賞を受賞。二〇〇六(平成一八)年没。そのほかの作品に『高熱隧道』『桜田門外ノ変』『黒船』『私の文学漂流』などがある。

「2021年 『花火 吉村昭後期短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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