風の良寛 (文春文庫 な 21-12)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167523121

感想・レビュー・書評

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  • 文庫版が出版されたのが2004年のことで、当時と今とでは状況は少し違うかもしれないが、名利を求めて却って不幸になるのは変わらないのかもしれない。
    冬には寒さに徹しきることで春の喜びが大きくなる。便利さはありふれた幸福に対する感度を鈍らせてしまうと思われるが、出家もできないので、感謝の念を忘れないこと、執着をなるべく減らすことが自分にできるせいぜいかなと思った。

  • 秋はぎの花のさかりすぎにけりちぎりしこともまだとげなくに  良寛 八月十八日

    良寛はこの年の七月時分から体調を崩し、下痢に苦しみ、次の年の天保二年(1831)正月六日に亡くなる。
    「蓮の露」はそのへんをこう記している。

    其後はとかく御心地さわやぎ玉はず、冬になりてはただ御庵にのみこもらせ給ひて、人にたいめ(対面)もむつかしとて、うちより戸さしかためてものし給へる由、人の語りければ、せうそこ(消息)奉るとて

    見舞いの手紙と歌を送ったところ、良寛から来た歌はこういうものであった。

    あづさゆみ春になりなば草の庵をとく出て来ませあひたきものを

    今は病で臥せっていてお会いできませぬが、もし春までいのちがあったら、その春にはできるだけ早くあなたの福島の草庵を出て、会いにきてください。会いたくてなりませぬ、という。良寛の歌はどれも真情の吐露でないものはないが、この歌の下、の句「とく出て来ませあひたきものを」の痛切さは、わけても人の心を打たずにおかない。斎藤茂吉もこの結句を絶讃したが、吉野秀雄は「結句に千鈞の重みがあり、直接で強烈で、人間的な紅血の激ちが感じられる」とまで評している。
    死を前にした最晩年の良寛が貞心尼に与えた歌には、思いがそのまま言葉になったような透明無垢がある。

    かくて囲むの末つ方、俄かに重らせ給ふよし、人の許より知らせたりければ、うちおどろきていそぎまうでて見奉るに、さのみなやましき御けしきにもあらず、床の上に坐したまへるが、おのが参りしをうれしやとおもわしむ

    いついつと待ちにし人は来りけりいまは相見て何かおもはむ227

  • (2016.01.18読了)(2014.08.30購入)
    Eテレの「100分de名著」で良寛さんが取り上げられたので、良寛さんについての本を何か読もうと思っていたところ積読の山からこの本を見つけたので読んでみました。
    (この本を購入していたことは、すっかり忘れていました。積読の本が3千5百冊ほどあります。)
    良寛さんについて書かれた本の中では、読みやすくてわかりやす本だと思います。
    中野さんは、他にもいくつか良寛さんについての本を書いているようなので、読み比べたわけではないのですが。
    良寛さんのもっとも尊敬した人物が、道元ということなので、前から気になっている道元についていずれ読もうと思います。
    良寛さんの少ない持ち物の中に『荘子』があったということですが、『荘子』については、昨年から今年にかけて、いくつか読んだので、とりあえず、よしとしましょう。

    【目次】
    1 なぜ今良寛か
    2 良寛に惹かれて
    3 無為
    4 修行(一)
    5 棄てるということ
    6 愚の如くして道転寛し
    7 生涯、何の似る所ぞ
    8 情の深さ
    9 修行(二)
    10 生を楽しむ
    11 弱い身にもかかわらず
    12 天真に任す
    13 晩年の花やぎ
    14 現代と良寛
    あとがき

    ●自己弁明(34頁)
    郷本の海浜で塩焚き小屋を借りて住んでいたとき、小屋が火事になったのを良寛の仕業と疑われ、村民に生き埋めにされかかっても、何一つ弁解しないで、ただ黙って暴行に堪えていたくらいである。人に何を言われても、いや生命の危険にさらされても、良寛は自己弁明は一切しないのだ。
    ●良寛の生き方(62頁)
    自己の外にある物のために生きることを完全に放棄して、己が心の平安、真実の自己の充実のためにだけ生きる生を選んだ
    ●仏道(66頁)
    仏道(真実の道)を学ぶというのは、自己を習い知ることである。自己を習い知るとは、自己を完全に忘れ去ることである。自己を忘れ去るとは、自己が空になって、空になった自己が万法によって保証されることだ。万法に証せられるというのは、自己の身心も、他己の身心も脱落せしめ、空になって、それが法によって保持されることである。
    ●始終(103頁)
    自分のいのちはどこから来て、去ってどこへ行こうとしているのか。
    いくら考えてもそもそもその始めもわからないのだから、終わりがわかるはずもない。始めと終わりばかりか、現在のこの自分さえわからない。
    ●腹下し(180頁)
    言にいでていへばやすけしくだり腹まことその身はいや堪へがたし
    口で腹下しだよというのは簡単だが、当人の身になってみれば下り腹というのは始末わるく、どうにも堪えがたいものだよ
    ●無限の繰り返し(215頁)
    一からはじめて十に至り、十からまた一に戻る、これこそが生きるということにほかならぬ。
    ●貞心尼へ(219頁)
    天が下にみつる玉より黄金より春のはじめの君がおとづれ

    ☆関連図書(既読)
    「良寛 旅と人生」良寛著・松本市壽編、角川ソフィア文庫、2009.04.25
    「良寛『詩歌集』」中野東禅著、NHK出版、2015.12.01
    「ブリューゲルへの旅」中野孝次著、河出書房新社、1976.02.20
    「ハラスのいた日々」中野孝次著、文春文庫、1990.04.10
    「五十年目の日章旗」中野孝次著、文春文庫、1999.08.10
    (2016年2月27日・記)
    (「MARC」データベースより)amazon
    人は良寛に触れることによって、知らず知らずのうちに自分の生き方を顧みさせられる。そのような良寛の生き方や思想などについて語る。良寛の「人生が楽になる」生き方を提案。

  • 「良寛に出会わなくて、どうして無事に晩年を過ごせる日本の知識人がいるか」(五木寛之氏)

  • king of 自由人、無為の人「良寛」から学ぶ生き方

    有の時代でしか生きてない戦後生まれの全ての人が読む対象?
    著者の主張が小うるさい所が少しあって☆マイナス1


    以下個人メモ

    □ただ南無阿弥陀仏と唱えれば救われる。学問では救われない
    □春が来ただけの山小屋暮らし、鳥が鳴き友が来て共に酒を飲む=極楽
    □無だからそこに神が入ってきて宿ることができる
    □貧しい自分からさえ奪わねばならぬ盗賊に寛大で、それなら座禅して夜を過ごすのみとする。
    □どんな事でも詩や歌にすることで客観視し、病のさまを堪えようとした
    □みずから弱い人間と認め徹底した末にゆきつく→水(無抵抗主義)以上のものはない=老荘の道
    □老いても乞食してのみ生きる形式を変えなかった良寛
    □あづさゆみ春になりなば草の庵をとく出て来ませあひたきものを(貞心尼への手紙)
    □良寛という無があるから、我々の有がある→良寛という人の役割
    □あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみにわたるかも→世間を離れて澄んでくらしているイメージ
    □人の心が欲望やわずらいで一杯になっていたら、そこに自然の入る余地はない。無為の時間を持つことによってはじめて無限なるものとの交流が可能になる。

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著者プロフィール

1925-2004。千葉県生まれ。東京大学文学部卒、國學院大學教授。作家、評論家。『実朝考』『ブリューゲルへの旅』『麦塾るる日に』『ハラスのいた日々』『清貧の思想』『暗殺者』『いまを生きる知恵』など著作多数。


「2020年 『ローマの哲人 セネカの言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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