石原莞爾と昭和の夢 地ひらく 下 (文春文庫 ふ 12-3)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (487ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167593032

作品紹介・あらすじ

関東軍参謀の職を解かれた石原莞爾は、満州を離れ4年ぶりの内地勤務に就く。2・26事件勃発後、陸軍の主流に押し上げられるも、彼は独裁者への道を択ばなかった。南京事件、ノモンハン、敗戦…日本が直面する事態に、石原はどのようにコミットしたのか。昭和が生んだカリスマの生涯と激動の時代を描き切った超大作・完結篇。

感想・レビュー・書評

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  • 満州事変首謀者にして、大東亜戦争開戦前に予備役編入となり、陸軍の表舞台から消え、東亜連盟運動に投じた石原莞爾の後半生。

    1937年の盧溝橋前に四年に及ぶ停戦期間がある以上、1931年の満州事変以降を、一続きの15年戦争と呼ぶのは、史実に反し、満州事変はベルサイユ体制の終局と捉えるべき、という指摘は斬新だった。(筆者の独自理論ではなく、歴史学者のクリストファー・ソーンの主張だそう。)

    戦争裁判における石原莞爾の胸のすくような受け答えは、感動を覚える。

    構想力と未来を見通す力にあやかりたいものだ。
    ファンも多いが敵も多い、こういう傑物がトップに立つことは多くはないのだろうが、そのもしもが大日本帝国陸軍で起きていたならば、その後の世界史の展開は大きく違っていただろう、と思えるようなスケールのひとでした。

  • 下巻では、石原が関東軍参謀の座を離れて内地に帰還して以降の歴史があつかわれています。

    満州事変という石原の生涯で最大の事件が終わり、石原の足跡を追いかけることよりも、二・二六事件から太平洋戦争へと突き進んでいく日本のすがたをえがくことに、著者の主要な関心が向けられているように感じます。

    著者は、石原をたんなる軍事の天才としてではなく、人類の最終的な平和へ向けた壮大なヴィジョンをもつ思想家とみなそうとしているようなのですが、たとえば北一輝などの思想家たちとの対比を通してその思想の内実を明らかにするのではなく、世界史的秩序の崩壊という現実について透徹した見通しをもっており、そのなかで日本という国家の進むべき道を切り開こうとしていたことに、その理由を求めているようです。その意味で、本書は石原の評伝ではありますが、昭和という時代についての著者の解釈と一体のものとして、その石原の位置づけを理解する必要があるように思います。

  • 国際連盟脱退から終戦、石原莞爾が西山農場で静かに他界するまで。
    東条英樹と対立し陸軍主流から外れつつも自らの信念を貫き「予言者」として世界の進むべき道を唱える。
    膨大な知識と創造性で世界観を築く石原の姿は東条に代わり国家を導くだけの器があったし、もしそうであったならば、日本はどのような道を進んでいたのか?と深く考えざるを得ない。

    満州国における国家構築を支えた国家経営・計画の考え方、またはそれを支えた官僚、企業経営者が戦後日本の高度経済成長に大きく関係している事実を知り、満州国の国家経営について知る必要があると感じた。

    以下引用~
    ・石原が主導した「五か年計画」は、きわめて先進的であり、戦後日本の繁栄を準備したという点で意義深いものであったが、同時にその包括的な性格ゆえに、単に産業の育成と、発展のみではなく、国家の性格全体を規定し、変革しようという意志抜きには、立案も実行もできない、革命的な意味をもっていた。

    ・広田内閣末期の時点で、もしも石原が、日本の独裁者たることを決断していたら、彼がそうなり得た可能性は、決してゼロではなかったはずだ。

    ・なぜ、中国での戦闘が、満州事変と同様にはならないかといえば、それは中国と満州の、社会的、経済的な違い、なかんずく社会基盤、いわゆるインフラストラクチャーの整備の度合いがまったく違っているためだった。

    ・後年東条が、ことあるごとに長州出身者に厳しく接し、軍内の長州閥の一掃に精力を傾けたのは、父の恨みゆえであるとされる。

    ・石原によれば、戦後の世界でまず確立されるべきなのは、徳義であり、そのためには日本は進んで謝するとともに、アメリカの非もまた批判しなければならない。アジア諸国の独立は尊重されなければならない。

    ・西山を拓くにあたって、石原は建設三原則なるものを提示した。「都市解体、農工一体、簡素生活」である。

    ・国家から与えられた、参謀という任務に、誠心誠意精励した石原にとって、科学、合理は、一点もおろそかにできないものであった。だが、同時にまた、合理に徹底すればするほど、つまりは合理的認識を全面的に稼働させるような人間こそが、合理性の限界につきあたらざるをえない。
    合理的な思考の極限の先にあるのが、信仰の世界なのである。石原にとって科学が宗教に優先するとは、そういう事であった。

    ・石原にとって予言とは、科学と宗教が一致する領域なのである。すなわち、宗教的直観で獲られたビジョンが、現実に、つまりは科学的に認識される領域において実現するのが、予言なのである。

  • 満州は中国の一部だと思ってたけど違ったのね。じゃあなんで中国はわがもののように?なんていっても仕方ないか。チベットをわがもののように扱ってる中国だもんな。

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著者プロフィール

1960年、東京都生まれ。批評家。慶應義塾大学名誉教授。『日本の家郷』で三島賞、『甘美な人生』で平林たい子賞、『地ひらく――石原莞爾と昭和の夢』で山本七平賞、『悪女の美食術』で講談社エッセイ賞を受賞。

「2023年 『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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