新装版 世に棲む日日 (2) (文春文庫) (文春文庫 し 1-106)
- 文藝春秋 (2003年3月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (311ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167663070
作品紹介・あらすじ
海外渡航を試みるという、大禁を犯した吉田松陰は郷里の萩郊外、松本村に蟄居させられる。そして安政ノ大獄で、死罪に処せられるまでの、わずか三年たらずの間、粗末な小屋の塾で、高杉晋作らを相手に、松陰が細々とまき続けた小さな種は、やがて狂気じみた、すさまじいまでの勤王攘夷運動に成長し、時勢を沸騰させてゆく。
感想・レビュー・書評
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【感想】
幕末の錯乱した時代の流れを「長州視点」で見つめた物語。
吉田松蔭が死刑にあい、高杉晋作にバトンタッチ。
高杉晋作の幼少期から紡がれて行く本編は、この男がどういう人間なのかを非常に面白おかしく描かれている。
彼の天真爛漫っぷりは家系によるものなのだと納得。
そのくせ、藩主に対する忠誠心のみはしっかりと刻み込まれていたのだなぁ。
また、上海留学のエピソードも初めて読んだが、彼の攘夷運動の礎はこうしたところでも培われていたのかと納得。
高杉晋作の小説ではやはりこの本が1番面白い!!
【あらすじ】
狂気じみた、凄まじいまでの尊王攘夷運動。
幕末、長州藩は突如、倒幕へと暴走した。
その原点に立つ吉田松陰と弟子高杉晋作を中心に、変革期の人物群を鮮やかに描き出す長篇。
海外渡航を試みるという、大禁を犯した吉田松陰は郷里の萩郊外、松本村に蟄居させられる。
そして安政ノ大獄で、死罪に処せられるまでの、わずか三年たらずの間、粗末な小屋の塾で、高杉晋作らを相手に、松陰が細々とまき続けた小さな種は、やがて狂気じみた、すさまじいまでの勤王攘夷運動に成長し、時勢を沸騰させてゆく。
【内容まとめ】
1.吉田松蔭は安政の大獄によって死罪に処せられた。
2.2巻から主に高杉晋作が主人公。やや天狗で、誇り高く、ただ柔軟な考え方やものの見方ができる人間。
3.上海留学は国事として行なった。そこで初めて外国を見て、日本の現状や将来のあり方について道が拓けて来た。
4.坂本竜馬の「船中八策」は長井雅楽の「航海遠略策」ととても似ている。正論だが、話を展開する時勢を見誤ったかどうかの問題。
【引用】
p64~
高杉晋作
長州藩中堅クラスの上士の家庭に一人っ子で育つ。
甘やかされる事が多く、大人の威厳や恐ろしさを知らずに育つ。
たこを踏み潰された同格の武士に土下座をさせたエピソードは、彼の中で「大人はこの程度か」と意気地の無さを肚の中で嘲笑う事につながった。
(後に父がこの武士に謝りに駆けつけたが、戻っても当の晋作自身をさほど叱らなかった)
p71~
久坂玄瑞
高杉晋作は、久坂玄瑞に対して競争心を持っていた。
幼少の頃から一つ下の久坂玄瑞には敵わないものを感じてきていた。
兄の急死などにより、元服後すぐに家業である藩医を受け継いだが、医者というものが面白くないと思っていた。
「兄が医者であったのは、それは仮の姿だ。志は天下を救うにあった。」
p78
晋作は、何事かを求めている。
その何事かというのがどういう内容のものかは自分でも分からなかったが、わずかに分かったことは、学問や学校というものが、自分の精神を戦慄高揚せしるものではないということであった。
p85
松蔭は、どうも快活すぎる。
これは天性のもので、彼の思想でも主義でもなく生まれつき。
どういう環境に落ち込んでしまっても、早速そこを自分の最も棲みやすい環境にしてしまう。
p107
高杉晋作は18歳で松下村塾に入門し、その後10年の動きが彼の存在を歴史に刻みつけた。
この若者は、若者のまま、28歳で死ぬ。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
上の句ができたが、下の句は息が切れて続かない。
しかし下の句など、晋作の生涯にとって不要に違いない。
歌人が「すみなすものは 心なりけり」と下の句をつけた。
p223
晋作の生い立ちには苦労というものがまったくなく、逆に甘やかされて育ち、その甘やかされたままの環境と資質を藩が大きく受け入れ、しかもゆくゆくは藩の職制のなかに彼を組み入れようとしている。
p258
・長州藩 長井雅楽(うた)「航海遠略策」
日本はこの機会に開国し、積極的勇気を持って攻勢に出、艦船を増やし、五大州に航海し、貿易し、それによって五大州をして日本の威に服さしめ、カツイをして貢ぎ物を日本に持って来ねば相赦さぬというところまでの大方針を日本としては只今決めるべきである。
幕府も大いにこれを喜び、朝廷も感じ入り、孝明天皇も「はじめて迷雲が晴れた思いがする」とまで言った。
しかし、長井雅楽は打ち出す時期を誤った。
坂本龍馬もこの長井雅楽が打ち出した「航海遠略策」とほぼ変わらない意見の持ち主であったが、坂本は時勢の魔術師というものをどうやら天性知っていたらしく、ぎりぎりの袋小路に入り込むまでこの意見を露わにしなかった。
西郷ですら、「航海遠略策」に密かに賛同しつつも、気分としては単純攘夷家をこよなく愛して、彼らの狂気とエネルギーをもって時勢回転の原動力にしようと思っていた。
「正論では革命を起こせない。革命を起こすものは僻論(へきろん)である」
・航海遠略策とは?(WEB引用)
条約に調印して開国したのに、今さら条約破棄をするというのは道理に反する。
航海術に長けている外国と争っても利益がない。
それならば、一度開国をして海外と交易をして国力を高めることが先決ではないか?
朝廷は攘夷の考えを改めて、海外との交易で国力を高めるように幕府に命じるべき。
p283
長井雅楽暗殺を企む高杉晋作を制止するため、上海に行かせる作戦を周布が提案。
一瞬で乗った。
「左様、夢には夢の話がいいでしょう。」
「長井ごときを殺すよりも、上海を見て日本百年の計を立てるほうが遥かに大事でしょう。」
p285~
・上海にて
上海の使節派遣に、長州藩代表として高杉晋作も同乗。
西洋との文明・富力の質量の違いに肝を潰した。
「清はもはや死んでいる」
彼の想像力を遥かに超えていた。
そのくせ晋作にとって西洋文明は決して不愉快なものではなく、「威容」「厳烈にして広大」であると感じた。
諸般からは中牟田倉之助(佐賀藩)や五代才助]薩摩藩)など後年を代表する才覚者が集ったが、肝心の幕府は無能ばかりであった。
(幕府などは、屁のようなものかもしれん)という実感が、この留学で強くなった。
国内にいる頃は徳川幕府に対して天地そのもの、倒すことなど以ての外だと思っていたが、2つ3つの大名が集まれば朽木のように倒せるという事を、みずみずしい実感で思った。
このことが、晋作の上海ゆきの最大の収穫であった。
「攘夷。あくまでも攘夷だ。」
攘夷という狂気をもって国民的元気を盛り上げ、沸騰させ、それを持って諸藩大名たちを連合させ、その勢いで倒幕する。
常識からは革命の異常エネルギーは生まれないということを上海留学で確信した。
p301
高杉晋作が常人と大違いに違っているところは、上海で西洋文明の壮観を見て型通りに開国主義者にならなかったところであった。
彼は上海留学によって「西洋」に圧倒され、内心それを激しく好んだ。
が、彼はそういう自分はわざと偽装し、上海ゆき以前よりも激しい攘夷論を説いた。
「戦争だ。」
「負けやせん」
民族そのものを賭けものにするという、きわめて危険な賭博だった。
だが、侍階級だけでなく農工商も入れれば、遠海から渡来する外国人の数を大いに上回れる!
p308
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」
p309
俺は生涯、「困った」という言葉を吐いた事がない。
というのが晋作の晩年の自慢だったが、この戦略家は常に壁にぶつかった。
が、ぶつかる前にすでに活路を見出し、ときに桂馬が跳ねるように意外なところへ飛んで行く。 -
再読中。ペリーが去ったため、長崎でロシア艦に密航計画をたてるも失敗、翌年再びやってきたペリーの船に、今度こそと松陰先生と弟子の金子重之助は密航を実行に移す。しかし幕府と余計な揉め事を起こしたくないアメリカ側は当然乗船拒否(でも意外とペリーは親切)陸へ送り返されるが、正直者の松陰先生はそのままバックれたりせず、自ら奉行所に自首して出る。逮捕され獄に入れられ、のち長州藩に身柄を渡されて、野山獄に収監される。
この野山獄でも、天真爛漫な松陰先生は、他の房の囚人たちの心を開き、獄中をめちゃ前向きな教育現場にしてしまう。司馬さんは繰り返しこの、松陰先生の明るさ、快活さ、人を信じやすく、それゆえに人からも信じられる松陰先生の無邪気さについて言及している。陽明学を信奉し、机上の空論より行動を良しとする激烈な行動的思想家であると同時に、おめでたいまでに前向きで楽天的。
やがて自宅謹慎となり、ついに松陰先生の松下村塾が開かれる。このあと、松陰先生については駆け足だ。2巻半ばにして、主人公は高杉晋作へとバトンタッチ。安政の大獄で再び江戸に呼び出され裁きを受けることになった松陰先生は、当初の楽観とは裏腹にあっけなく処刑されてしまう。司馬さんは松陰先生の死についてはくどくど書かず、有名な辞世の句も「親思う~」の句も紹介しない。ただ彼が相変わらずの正直さと信じやすさでもって、自ら聞かれもしない間部詮勝暗殺計画についてべらべらしゃべってしまった経緯にだけ詳しい。
例えば「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」には、史実だけでなくフィクションの司馬さんオリジナルの創作エピソードが沢山盛り込まれていて、もともとモテた竜馬さんにも土方さんにもさらに架空のオリキャラ女性との恋愛話も付け加えられているけれど、松陰先生については、司馬さんはその手の創作エピソードを極度に省いているように思う。松陰先生は基本的に童貞認定なので(野山獄の女囚・高須久子とのほのかなプラトニックラブが匂わされるだけ)その手の女性関係のエピソードを足せないというのもあるだろうけど、司馬さんはひたすら彼の純粋さのみ強調している。
さて、高杉晋作。天保10年(1839年)生まれの晋作は松陰先生より9才年下。松下村塾に入門したのは18才のときで、松陰先生が29才で亡くなったときに二十歳。松陰先生のもとで学んだ期間は実質3年ほど。松陰先生が伝馬町の獄に入れられていた頃にちょうど江戸留学していたため、松陰先生のために奔走、しかし処刑直前に国元に呼び戻されていて、亡くなったときには江戸にいなかった。
ところで晋作は、お坊ちゃまである。幕末の志士の中では断トツの家柄の良さで、これは特筆すべきことだと思う。以前、木戸孝允の生涯を描いた村松剛の『醒めた炎』の感想でも似たことを書いたことがあるけれど、革命というのはやはり現状に不満のある者が起こすもので、つまり身分の低いもの、貧しい者がその原動力となることが大半だと思う。長州藩の奇異なところは、高杉、桂といったリーダー格の面々が、藩内でも高い身分で、そのまま十分立身出世が可能な立場だったにも関わらず、藩ぐるみで革命に乗り出してしまったところ。司馬さんも「こういう家の出身者が、革命家になるというのは長州だけでなく薩摩や土佐でもきわめてまれで、ましてその指導者になったという例は他藩でも絶無に近く、こういう点、高杉晋作の存在は、じつに珍奇というほかない。」と書いている。
そして、俗に言う「賢侯」に数えられない藩主、「そうせい候」と呼ばれた毛利敬親が、けして暗愚な殿さまではなかったことは司馬さんも認めているようだ。そしてやはり個人的には『醒めた炎』で桂小五郎があまりにもお殿様を好きなこと、これもまた長州藩独特の奇異なところだと思ったけれど、高杉晋作も同様。彼もまた、これはむしろ身分が高いからこそ、お殿様への忠誠心が強い。これについても司馬さんは「他の多くの志士たちが、藩主と藩をすてることによってはじめて革命家でありえたのとは、ひどくちがっている。」と書いている。
さてそんな高杉晋作、21才で防長一の美人と言われた嫁・雅も貰い、長州藩の軍艦「丙辰丸」で江戸に渡って剣術修行に励んだりするが、久坂玄瑞を中心にどんどん過激化する村塾系の書生たちと一緒になり、藩の幹部・長井雅楽の暗殺を画策、桂さんにバレて、上海渡航を餌に釣られてあっさり暗殺は諦める。この上海行は、幕府の派遣する船に、各藩の秀才が便乗する形で同行しており、薩摩からは五代才助(友厚)が潜りこんでいる。本来新し物好きの晋作は、上海ですっかり西洋文明にかぶれているのだけれど、だからこそ帰国後、攘夷をテコにして倒幕すべきと考えるようになる。藩命で上海に行ったのに、帰国後早速脱藩し・・・。 -
マイバイブル。松陰先生から高杉晋作への継承の物語。
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僕が1年に1回ぐらいのペースで愛読している『世に棲む日日』
二巻では、革命の申し子高杉晋作が登場する。
伊藤博文により『動ケバ風雨ノゴ如シ 発ッスレバ雷電の如シ』と評された
風雲児・高杉
彼は藩の上士の一人っ子として
甘やかされて育ち
自分の才能を発揮できる舞台を探していた
やがて松陰に出逢い
久坂というライバルを得
師・松陰の死、西洋列強の脅威、幕府の衰え
初めての海外渡航(上海へ)
天才児は
歴史を変える革命へと身を乗り出してゆく
松陰の、死を間際にした美しい姿や
志の高さなど
この巻もまたかつて日本にいた偉大な人物に触れられる
素晴らしい作品です-
何度も手にとって読みたくなる本があるっていいね。私も拠り所になるような(自己啓発系を除く)良い本と巡り会いたいな~。何度も手にとって読みたくなる本があるっていいね。私も拠り所になるような(自己啓発系を除く)良い本と巡り会いたいな~。2011/08/02
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吉田松陰についての小説かと思っていたら案外あっさりと亡くなったのでビックリしたが、本作はむしろ高杉晋作を中心とした幕末志士たちの物語である。これらの人物に対しては心酔しているファンも多いが、しかし本当に有能であったかどうかは本作を読んでも評価がわかれるところだろう。もちろん将来的に明治維新が実現したことを考えると、彼ら幕末志士たちもまた「正しかった」。とはいえ、個人的に吉田松陰や高杉晋作は思想家としては正しくとも、政治家としては間違っている部分も多々あったのではないかと感じる。第2次長州征伐における戦術などは無鉄砲の極みで、たまたま成功したからよかったものの、失敗していたらいったいどうなっていたかわからない。2人が亡くなったことでむしろ明治維新が成功裡に終わったという見方すらできるかもしれない。しかし、このような不器用な存在だったからこそ、後世までその人物像に惹かれる人が続出するのだろう。
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松陰の最期のあたり。震える。
そして高杉晋作も相当な人だったのかと、それに触れられてとても面白い。
幕末の攘夷と開国と、それをめぐる攻防が本当に面白い。日本を守るために国を奮い立たせて国民を巻き込むには狂った過激な思想、攘夷論が必要。だけど本当は開国するのが正しいのは明白。その上で攘夷という論理を展開した高杉を初めて知った。
なぜ攘夷なんて無謀なことを信じたのか不思議だったが解決した。
一に狂気をもって思想を生む思想家、二にその思想で行動する革命家、三にその革命を調整して上手く適応する政治家的な人
吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文
一、二の人は早死にする。 -
吉田松陰が死に狂気の後継者として高杉晋作が動き出す。革命とは、第一に理想を掲げる者がいて、第二に驚異的な行動力でその理想を実行するものが出てきて、第三に現実的にそれをならす者が出てくる。そして往々にして第一、第二の人物は非業の死を遂げるという話しになるほどなと思う。吉田松陰の狂気の思想を狂気の行動で動かしていこうとする高杉晋作。第3巻でどこまでイカれてくるのか、すごく楽しみである。
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松陰と晋作の生き様があまりにも対称的。俗を超越し禅的境地を貫く松陰に対し、精豪絶倫で大胆行動派の晋作。しかし一見対称的に見えてその根底には「狂」という共通キーワードが存在する。松陰がその思想を唱え、晋作は体質的に受け継いだ。そしてその力は「攘夷」という日本の舵取り論にまで発展。いまにして思えば、長州とは、なんともぶっとんだ藩であったこと。
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松陰の純度の高い思想は、革命という目標・大義を与えるには十分な働きをしたが、現実には即していなかった。どんな偉大な人物でも自分だけでは、大業を為すことは難しいのだと感じた。著者はその点を浮き彫りに記述しており、それによって高杉晋作という人物を華やかたらしめようとしていると考える。