これからはあるくのだ (文春文庫 か 32-1)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (158ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167672010

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  • 角田光代のエッセイ集。短編は全体にめちゃくちゃ短く2~5ページ程度というもの。

    自転車で出かけたら、後ろで老人が倒れた。自転車は走っていたわけでもないし、老人に接触したわけでもない。しかし横にいた女性は「自転車が高速でぶつかった」と証言する。それ以来自転車に乗りたくなくなった。(表題につながるエッセイ)

    短いし、読みやすかろうと疲れた年末に開いてみたものの、あら不思議、全く頭に入ってこない。いや、入るんだけど、入った端から抜けていくという、全くもって印象に残らないエッセイ集である。

    全体に、昭和初期の文豪の日記を模したような、ふわっとした思わせぶりな文章であり、かと言って暗喩があるわけでもないので、本当に思わせぶりなだけな文章である。救いはそれぞれ短いことのみ。

    半分以上読み進めてから、あまりの印象のなさにどういうことかと分析しながら読んでいたが、どうやら主語がない、もしくは、主語が曖昧(世の女性、など)なのである。通常エッセイというもの、どうしても自分を主にするか、敵を増やしても親や友達をネタに仕上げるかというものであるが、そういうのがほとんどない。まれに、自分を使ってる程度。

    また、とある出来事から、ある物や人物に焦点を絞っていって、視点を引き寄せてから拡げるというのがエッセイの王道展開なわけだが、焦点を絞ろうというところで「世の女性は」などとぼやかしてしまうのである。そりゃさ、印象に残る文にならないって。坂口安吾とか、太宰治なんかがやってるのを真似したのかもしれないが、いくら何でもテーマ的に無理じゃないのか。

    この人、エッセイはだめかも。

  • 角田光代さんのエッセイ。
    まあ、とりとめもないことをそこはかとなく書き綴ったというかんじで、たいしてつまらなくも面白くもなく・・というかんじ・・・

  • 感動したことがないのについつい読んでしまう角田光代。今回気づいたけど小学校や高校の友人と似ている。何を考えているのかよくわからない感じ、と言いましょうか。タイトルは好き。

著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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