新聞記者 司馬遼太郎 (文春文庫 し 1-251)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167838652

作品紹介・あらすじ

新聞記者だった司馬さんは、どんな記事を書いたのか?記者時代はどんな取材をし、どんな記事を書いたのか。当時を知る人々の証言で描き出す国民作家の青春時代。当時のコラム15本収録。

感想・レビュー・書評

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  • 司馬遼太郎が亡くなったのが、1996年2月。
    「一度も会わず、一度も喋った事のない人が亡くなって、こんなショックを受けた事は無かった」と知人が洩らしていたが、私も同じようなショックを受けた記憶がある。

    その司馬遼太郎が作家になる以前の、福田定一としての終戦直後から、作家司馬遼太郎になるまでの、主に記者時代のメモリー。
    司馬文学にのめり込んでいた時を思い出し、福田定一の記者時代の様子に思いを馳せながら、楽しく読んだ。

    余談ではあるが、この1996年には私が愛読していた「司馬遼太郎」「遠藤周作」「高坂正尭」「星野道夫」が相次いで亡くなっている。さらに「丸山眞男」そして俳優の「渥美清」までも亡くなっていました。
    改めてご冥福をお祈りいたします。

  • 司馬遼太郎出身の新聞社編ということである程度予想はしていたけど、「新聞記者はいい仕事だ」というのがベースに流れてて、マイナスなことはひとつもなく、インタビュー記事に、勝手に加筆してインタビュー対象を怒らせたことすら、おちゃめでいきすぎた、みたいなとりあげられかたしていた(新聞小説で一回分落ちそうになったときに、だいたいこうだろう、と勝手に代筆してそのままのせちゃった、なんてのも)。時代が時代だったのか。新聞記者時代の司馬遼太郎の実像を、という点では興味深く。宗教・大学担当から文化部記者へ。宗教・大学担当時代は、京都で寺などまわり、本願寺の書庫で史料をよみふけったりしたことが、のちの小説に生きたのだろう、と。記事は自らの目と足でかせげといわんばかりに、宗教・大学担当の時の京都大学の引き継ぎが、正門前に案内して、「これが京都大学だ」のひとことだったというのもご愛嬌か。晩年、台湾問題では、李登輝と対談して、台湾も、内蒙古も、チベットも、俺のものだなんて考え方は通用しない、とぶちあげて、当時の中国の「偉い人」を怒らせたなんてエピソードは知らなかった。みどり夫人への市電を待っている時へのプロポーズのシーンは、その反応もふくめて、初々しく。「新聞記者は行儀よくあるべきだ」というのも前後を切り取られると賛否両論よびそう。

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  • 司馬文学がどのようにして生まれたのかを語る一冊だった。彼の人物像が見えて非常に面白かった。

  • 重厚な小説を書く、司馬遼太郎のイメージとは違う、ありのままの人物像が新鮮でした。

  • 司馬遼好きは必読。

  • 【新聞記者だった司馬さんは、どんな記事を書いたのか?】記者時代はどんな取材をし、どんな記事を書いたのか。当時を知る人々の証言で描き出す国民作家の青春時代。当時のコラム15本収録。

  • 司馬遼太郎、本名福田定一、元産経新聞記者。新聞記者であったことは有名な話だが、掘り下げると彼の為人を知らない。あの壮大な歴史青春小説は、夢中に読んだのだが。

    敗戦から、記者業への就職。大学、仏教担当から文化担当へ。福井地震、金閣寺焼け落ち。そして、小説家へ。時代は、目まぐるしく、昭和をノスタルジーの彼方に置き去りにし、司馬遼太郎はその時代に刻まれた。しかし、彼の残した作品は、今だ新たな感慨を伴い読者を魅了してやまない。第二の司馬は、未だ遼ならぬ近き存在として生きているのである。

  • 司馬遼太郎の魅力が、作品を読んだことのない人間にも伝わる一冊。
    死して後も人たらしたるところは変わりないらしい。

  • 新聞記者時代の、司馬遼の評伝。なにか、氏のバックボーンが分かる本。
    小説家になる前に、その土壌はあった。やはり(人が好き)なのだ。

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