- Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167910631
作品紹介・あらすじ
あの子は、どこから戻れなくなったんだろう──東京で働きながら小説家を目指していた今日子は、震災が起こった翌年に夢を諦め、母のすすめで実家に戻る。妹とその夫、娘との二世帯住宅の生活に倦み疲れながらも、小説を諦めきれない。そんな中、過去に凶悪犯罪を起こした少年Aが地元にいるという噂を耳にする。そしてパソコンなどを検索して知った少年Aの姿に急速に惹かれていく。一方、神戸生まれで、東京に住む十七歳の莢(さや)も、少年Aを崇拝し、「聖地巡礼」と称して事件現場などを訪れていた。また少年Aに当時七歳の娘を殺された母親は、息子、夫とともに同じ場所にとどまり、一見平穏そうに見える暮らしを送っていたが、教会の人間から、Aのファンの話を聞かされる。少年犯罪の加害者、被害者遺族、加害者を崇拝した少女、その運命の環の外にたつ女性作家……それぞれの人生が交錯したとき、彼らは何を思い、何を見つけるのか。著者渾身の長編小説!作家が書くことに固執するのは、「人間の中身を見たい」からなのだ。これは、小説ノンフィクションのジャンルにかかわらず、作家が持つ病理なのだ。その意味で、私もAの同志なのである──佐藤優氏・解説より
感想・レビュー・書評
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自分は作家でこそないのですが仕事柄文章を書くことが多く、この作品に出てくる「作家」の心境とリンクするところがすごく多く、共感できて安心する半面、「ああやっぱりそうなんか、そうするしかないんか」と、絶望というか心が抉られるような気持ちにもなりました。題材や話の展開も相まって余計に。でも現実でも、救われるかわからずとももがきながら生きていくしかないんだろうな、と思います。生きる勇気とも希望とも違いますが、とにかく何か、生きてく上で必要な何かをもらえたような気がします。
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忘れることも出来る。
忘れずにいることも出来る。
けれど忘れられないことがある。
本当にあった凶悪事件を忘れかけていたけど
こうしてノンフィクション×フィクションにして、色んな立場の色んな感情達が絡み合って想像してしまう。それが楽しかった。
著者らしい描写もありながら著者らしくないなと思う部分もあり複雑な気持ちになったので星3。 -
『さよなら、ニルヴァーナ』読了。
中盤までは実に気持ちの悪い内容だった。
妬み、憎しみ、恨み、辛み、どれを取っても全部悪い方へしかいかない。
けれども最後の100ページは束の間に訪れる奇妙な形の幸せが彼らの心に張り詰めた糸を緩くしてくれるような展開があって。
その度に涙がぼたぼたと溢れた。
何をどう言えばいいのだろう、複雑に絡み合う4人の交わりが地獄へ誘うようだった。
幸せな気持ちに浸っても現実に引き戻され、さらに険しい道へ道連れに曝されるような。
最終章に入る前ビール飲まないとやってらんねぇよってくらい酷く、悲しみで、いっぱいになった。
作品名は願望で結局はさよならができていないような気がする。各々が抱える漣の振れ幅が大きく揺れただけであって。
死にたくても死ねない、死を許してくれない、そんな現実で生きている4人は地獄を受け入れざるを得なかった。
極僅かな残酷な世相を反映している様で無関心だったことが恥ずかしい。
一般的には事件に対しては軽々しく物を言ってはいけないと思う。
無関心というよりそっとしておこうの方が強いかもしれない。
けれども、その人の死がどんな意味合いを持つのかを関心を向けるべきなのではないかと思った。
2019.5.13(1回目) -
実際の事件がモチーフになっていて、少年Aと同世代の私は当時の報道で衝撃的だったことと、犯人の彼の思考が全くの理解不能で同世代にこんな人間もいるのかと、それもまた衝撃だったのを思い出しました。
読んでいくに連れてフィクションなのにフィクションじゃない気がしてなんだか恐ろしくなり息を飲みつつ読了しました。
子を持つ母になった今読んで良かったのかも。子どもとの向き合い方を考えさせられました。 -
さよなら・ニルヴァーナ 窪美澄
息が、出来ないほど何度もページを閉じ深呼吸をして、箸休めのために別の本を読み、また再開する。
途中まではB級小説に転落したか窪美澄?と苛立ちを覚えた。
やっていい題材かどうか、私が批評するものではないけど、二児の母親として、読む度に胸が締め付ける。
私が被害者の母親だったら?きっと死にたくなるんだろう。
私が加害者の母親だったら?死んでも死にきれないおわびになれないと思う。
大変な人生を歩んだ人に読んでほしい。希望を捨てないでほしいと思ったけど、結末はあまりにも残酷だったので、どう話せばいいか。
結局最後までちゃんと読まずにページを閉じました。
もっと大人になれたら、もし少年Aに出会ったら、私はどんな言葉をかけるんだろう。 -
14歳の少年がおこした幼女殺害事件を題材にした群像劇。加害者の少年A、被害少女の母、少年Aを崇拝する少女、少年Aを題材に小説を書こうとする女性、4人の視点で物語が進行していく。
3人の女性は様々な形で少年Aであった青年に魅せられていくのだが、誰にも感情移入できなかった。でも、読むことを止められない。なぜなら、小説にしようと考えた女性と同じように、彼がなぜそんなことをしたのか?を知りたくなってしまうからだ。
その恐怖心をベースにした好奇心は、少年が「人間の中身が知りたい」と少女を殺す気持ちと変わらないのではないか?と作者に疑問を投げつけられたかのようだ。
そう、私たちはこれからも、悩み、苦しみ、涙し、喜びながら読んで読んで死んでいくのだ。