さよなら、ニルヴァーナ (文春文庫 く 39-1)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167910631

作品紹介・あらすじ

あの子は、どこから戻れなくなったんだろう──東京で働きながら小説家を目指していた今日子は、震災が起こった翌年に夢を諦め、母のすすめで実家に戻る。妹とその夫、娘との二世帯住宅の生活に倦み疲れながらも、小説を諦めきれない。そんな中、過去に凶悪犯罪を起こした少年Aが地元にいるという噂を耳にする。そしてパソコンなどを検索して知った少年Aの姿に急速に惹かれていく。一方、神戸生まれで、東京に住む十七歳の莢(さや)も、少年Aを崇拝し、「聖地巡礼」と称して事件現場などを訪れていた。また少年Aに当時七歳の娘を殺された母親は、息子、夫とともに同じ場所にとどまり、一見平穏そうに見える暮らしを送っていたが、教会の人間から、Aのファンの話を聞かされる。少年犯罪の加害者、被害者遺族、加害者を崇拝した少女、その運命の環の外にたつ女性作家……それぞれの人生が交錯したとき、彼らは何を思い、何を見つけるのか。著者渾身の長編小説!作家が書くことに固執するのは、「人間の中身を見たい」からなのだ。これは、小説ノンフィクションのジャンルにかかわらず、作家が持つ病理なのだ。その意味で、私もAの同志なのである──佐藤優氏・解説より

感想・レビュー・書評

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  • 読者の反応は賛否両論、否の方が多いのでしょうか。
    神戸連続児童殺傷事件、リアルタイムで知っているわたしを含めた読者には、フィクションとはいえ、どうしても重ねてしまうストーリー仕立てになっています。

    まず、私はこの物語の「元少年A」は、実在する「元少年A」とは全く別物。作者の作り出した「誰かが見たい僕」というカタチの「元少年A」だと念頭において読むことにしました。

    14歳で光という名の女児を殺害した元少年Aハルノブ。彼は自分だけの神さまへの供物として、残忍なやり方で幼い命を奪います。何故との問いに、彼は繰り返し答えます。「人間の中身が見たかった。だから僕はあの子を殺した」と。

    時を経て、彼は倫太郎と名を変え、ひっそりと社会復帰しました。その彼をハルノブ様と慕う少女莢は、彼を探し求めた末、寡黙で綺麗な青年へと成長した倫太郎に出会い、恋心を再認識します。
    莢は殺された光の母親である、なっちゃんと出会ったことで悩み苦しみますが、やっぱり倫太郎のことが諦めきれず、なっちゃんとともに彼に会いに行きます。

    何故なっちゃんは、莢を止めることができなかったのか。どうして倫太郎に自分も会いに行ったのか。
    わたしは、それはやっぱりなっちゃんが「母親」だからだと思うしかありませんでした。殺してしまいたいほどのあの子に、会って話してみたいと思うのも、憎しみ、悲しみ、喪失、慈愛、母性……一言では言い表せない感情が、莢と光を重ねてしまった母親としてのなっちゃんに沸き上がったんだと思います。

    倫太郎は、自分は幸せにならないと光へと誓っていました。その反面、自分がどうしようもなく、ひとりぼっちだということに気づいてくれた莢が気になっていきます。
    莢は倫太郎に生まれ変わったらあなたのお母さんになって、大切に育ててあげると伝えました。
    これって、恋よりももっと深いもの……母性愛じゃないでしょうか。
    莢の気持ちが、無条件であなたを愛したい、そんな母性へと変化したように思うのです。それをきっかけに二人の間は急速に縮まっていきました。

    この物語にはもう1人、彼ら3人の結びついた運命を、環の外から見つめる女性がいます。少年Aを題材に小説を書こうと彼らにつきまとう作家志望の今日子です。彼女は、倫太郎のことを理解出来るのは自分だけだと思っていましたが、彼と莢はお互いに出会うためにこの世に生まれてきた運命だったのだと打ちのめされるのです。

    このまま進めば、倫太郎と莢の恋愛小説になりかねないところを、作者はラストに絶望的な展開を用意していました。この展開には当然納得いかない読者もいるはずです。その中には倫太郎と莢の結末も入っているかもしれません。でも、私は、もし、この二人が心を通わし恋愛が成就したら、もし、悲恋に終わるとしてもそのさきに希望を見出だせるようなものであれば、それこそこの物語は、今、紡がれてはいけないものになるだろうと思うのです。
    元少年Aや、これからも現れるだろう少年Aたち。彼らを美化、神聖化させるわけにはいきません。そして、莢のように彼らに好意を寄せる少女には、彼らと共に悶え苦しみ、犯した罪と被害者への贖罪を背負いながら生きる覚悟があるのか、恋と語ることがどれ程軽々しいことであるのか、気づかせなければいけないと思うのです。
      
    作者はこの物語が世に出ることに批判が起こり得ること、こんなにも被害者の母親を地獄へと突き落とすことになるラストなど、万人に受け入れられないことも重々承知していたと思います。

    私も中身が見たいのだ。人がひた隠しにして、心の奥底に沈めてしまうもの。言葉にはできない思いや感情。皮一枚剥がせば、その下で、どくどくと脈打っている何か。それを見てみたい。
    そういう意味では、私とAは同志なのだ。

    この今日子の思いは、作者の思いと重なるのではないでしょうか。
    今日子は、悟ります。
    地獄を生きたのは、なっちゃんや莢の母親だと。自分が見た地獄など、地獄の入口ですらない。ならば、もっと地獄に行こう。もっと深くて、もっと暗い、地獄に下りていこう。人の、世の中の、中身を見て、自分の生を全うするのだ、と。
    私はこれから、迷って、悩み、苦しみ、悶いて、書いて、書いて、書いて、そして、死ぬのだ、と。
    そこには今日子の作家としてのどうしようもない業が現れているようです。同時に、彼らだけを見殺しにはせず、共に地獄へ堕ちようと自らの命を捧げたようでもあります。
    この思いは、そっくりそのままこの物語を生み出した作者が背負う運命となっていくのでしょう。それならば、わたしは読者として、少年Aの同志である作者の覚悟を、業を、見届けることにいたしましょう。

    さよなら、ニルヴァーナ。

    それは作者である窪さんの呟きでもあると思う
    のです。

  • 自分は作家でこそないのですが仕事柄文章を書くことが多く、この作品に出てくる「作家」の心境とリンクするところがすごく多く、共感できて安心する半面、「ああやっぱりそうなんか、そうするしかないんか」と、絶望というか心が抉られるような気持ちにもなりました。題材や話の展開も相まって余計に。でも現実でも、救われるかわからずとももがきながら生きていくしかないんだろうな、と思います。生きる勇気とも希望とも違いますが、とにかく何か、生きてく上で必要な何かをもらえたような気がします。

  • 忘れることも出来る。
    忘れずにいることも出来る。
    けれど忘れられないことがある。
    本当にあった凶悪事件を忘れかけていたけど
    こうしてノンフィクション×フィクションにして、色んな立場の色んな感情達が絡み合って想像してしまう。それが楽しかった。
    著者らしい描写もありながら著者らしくないなと思う部分もあり複雑な気持ちになったので星3。

  • 『さよなら、ニルヴァーナ』読了。
    中盤までは実に気持ちの悪い内容だった。
    妬み、憎しみ、恨み、辛み、どれを取っても全部悪い方へしかいかない。
    けれども最後の100ページは束の間に訪れる奇妙な形の幸せが彼らの心に張り詰めた糸を緩くしてくれるような展開があって。
    その度に涙がぼたぼたと溢れた。
    何をどう言えばいいのだろう、複雑に絡み合う4人の交わりが地獄へ誘うようだった。
    幸せな気持ちに浸っても現実に引き戻され、さらに険しい道へ道連れに曝されるような。
    最終章に入る前ビール飲まないとやってらんねぇよってくらい酷く、悲しみで、いっぱいになった。
    作品名は願望で結局はさよならができていないような気がする。各々が抱える漣の振れ幅が大きく揺れただけであって。
    死にたくても死ねない、死を許してくれない、そんな現実で生きている4人は地獄を受け入れざるを得なかった。
    極僅かな残酷な世相を反映している様で無関心だったことが恥ずかしい。
    一般的には事件に対しては軽々しく物を言ってはいけないと思う。
    無関心というよりそっとしておこうの方が強いかもしれない。
    けれども、その人の死がどんな意味合いを持つのかを関心を向けるべきなのではないかと思った。

    2019.5.13(1回目)

  • 実際の事件がモチーフになっていて、少年Aと同世代の私は当時の報道で衝撃的だったことと、犯人の彼の思考が全くの理解不能で同世代にこんな人間もいるのかと、それもまた衝撃だったのを思い出しました。

    読んでいくに連れてフィクションなのにフィクションじゃない気がしてなんだか恐ろしくなり息を飲みつつ読了しました。
    子を持つ母になった今読んで良かったのかも。子どもとの向き合い方を考えさせられました。

  • これはちょっと軽すぎないかな。
    あの事件を参考文献として題材に使う以上、こんな安っぽいストーリーは遺族が苦しむだけだと思ってしまう。

    これが
    あの事件の模倣じゃなければエンタメとしては面白く読めたのかもしれないけど。

    少年Aのパートは個人的にはいらなかったかな。
    ストーリーを深めるには相当の覚悟が必要だから。
    あえて彼を描かず登場させないでいた方が良かったんじゃないかなと思った。
    絶歌を読んだばかりだからか…こんな事件を起こした人間のパートとしては軽く感じた。
    軽いというか…普通の人が考えた犯罪者の経歴というか…『こんな環境で育ったから』とか『こんな扱いを受けてきたから』とか、そんなわかりやすいもんじゃないと思うから。








  • さよなら・ニルヴァーナ 窪美澄

    息が、出来ないほど何度もページを閉じ深呼吸をして、箸休めのために別の本を読み、また再開する。
    途中まではB級小説に転落したか窪美澄?と苛立ちを覚えた。
    やっていい題材かどうか、私が批評するものではないけど、二児の母親として、読む度に胸が締め付ける。
    私が被害者の母親だったら?きっと死にたくなるんだろう。
    私が加害者の母親だったら?死んでも死にきれないおわびになれないと思う。
    大変な人生を歩んだ人に読んでほしい。希望を捨てないでほしいと思ったけど、結末はあまりにも残酷だったので、どう話せばいいか。

    結局最後までちゃんと読まずにページを閉じました。

    もっと大人になれたら、もし少年Aに出会ったら、私はどんな言葉をかけるんだろう。

  • これは複雑な心境で読んだ。
    小さい子供が2人いる私としては気持ちの良いものではなかった。

    途中までは、少年Aをアイドルのような扱いをする人たちを気持ち悪く思い、光ちゃんの家族の姿が辛く、それでも読み続けた。
    こういった犯罪を犯す原因が育った環境なども関係してくるとは思うが、終盤はあまりにも美化しすぎだと思った。
    最後なっちゃんが二人を駆け落ちのようなことをさせるわけがないと思った。
    娘がいなくなる悲しみを誰よりも知っているなっちゃんが莢の親の気持ちを考えないわけがない。

    最後の今日子のところは、作者のことを書いているのかなと思った。
    本当に作者は少年Aのファンなのでは。

  • 14歳の少年がおこした幼女殺害事件を題材にした群像劇。加害者の少年A、被害少女の母、少年Aを崇拝する少女、少年Aを題材に小説を書こうとする女性、4人の視点で物語が進行していく。
    3人の女性は様々な形で少年Aであった青年に魅せられていくのだが、誰にも感情移入できなかった。でも、読むことを止められない。なぜなら、小説にしようと考えた女性と同じように、彼がなぜそんなことをしたのか?を知りたくなってしまうからだ。
    その恐怖心をベースにした好奇心は、少年が「人間の中身が知りたい」と少女を殺す気持ちと変わらないのではないか?と作者に疑問を投げつけられたかのようだ。
    そう、私たちはこれからも、悩み、苦しみ、涙し、喜びながら読んで読んで死んでいくのだ。

  • 途中までは、ああ、嫌だなあ…
    神戸のあの事件をベースにした話なんだ…と
    ページを捲る手が進まなかった。
    事件の残忍性、強烈な記憶が甦り、
    やはり心象が悪く、どんどん読み進める〜
    というわけにはいかなかった。

    やはり被害者のお母さんに感情移入した。
    事件のあった土地に住み続ける辛さと
    大切な娘との7年の記憶とともにある土地を
    捨てきれない辛さ、どちらも容易に想像できる。

    莢が訪ねて来て、みんなで食卓を囲むシーンは
    感動的だった。まるで、眼に見えるように、
    母の、父の、弟の心の動き、それぞれが伝わる。
    このあたり、窪美澄さん上手いなあと思う。

    ラストシーンが今ひとつ腑に落ちなかった。
    なっちゃんは心を病んでしまったのか。
    きっと、車の事故で莢は亡くなってしまったのだろう。たぶん、体も悪く(どこか病気で、その前に行った病院でなっちゃんは莢の寿命を知ったのではないかと思う。)、短い未来を持つ運命であることを知り、倫太郎との逃亡を手助けしたように思う。

    追跡していた車はかなり謎…
    政府がこの事件の犯人であった彼を死なせるわけにはいかないんだよね、きっと…

    それぞれの立場で書かれた章だて、
    二回り目からは夢中で読んだ。
    惹きつけられる要因は、やはり作家、窪美澄作品のおかげだね。

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著者プロフィール

1965年東京生まれ。2009年『ミクマリ』で、「女による女のためのR-18文学賞大賞」を受賞。11年、受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』が、「本の雑誌が選ぶ2010年度ベスト10」第1位、「本屋大賞」第2位に選ばれる。12年『晴天の迷いクジラ』で「山田風太郎賞」を受賞。19年『トリニティ』で「織田作之助賞」、22年『夜に星を放つ』で「直木賞」を受賞する。その他著書に、『アニバーサリー』『よるのふくらみ』『水やりはいつも深夜だけど』『やめるときも、すこやかなるときも』『じっと手を見る』『夜空に浮かぶ欠けた月たち』『私は女になりたい』『ははのれんあい』『朔が満ちる』等がある。

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