ジブリの教科書10 もののけ姫 (文春ジブリ文庫 1-10 ジブリの教科書 10)

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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784168120091

作品紹介・あらすじ

スタジオジブリを代表する国民的人気作品、満を持して登場!生物学者の福岡伸一さんをナビゲーターに迎え、宮崎駿監督が構想16年、制作に3年をかけた超大作の魅力を読み解く!

感想・レビュー・書評

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  • (01)
    映画「もののけ姫」にまつわる証言,インタビュー,論考などがまとめられている.特に大塚英志の「『もののけ姫』解題」が特筆(*02)される.製作にたずさわった鈴木敏夫氏の証言が示すように,この作品は(日本の)映画史としても画期にもなっており,また技術面でも,アニメに変革をもたらしたプロジェクトでもあっただろう.
    21世紀の現在から見たとき,「もののけ姫」は,宇野常寛氏がいうように「生きろ。」のウザさをいまだ持ち得ているだろうか.映画内の人物が動き回り,映画内の彼女ら彼らを動かすために映画づくりの仕事として動き回り,アニメーションが持ち得たそうした熱量は,ウザい感覚も誘発しつつ,本書から伝わるところもあるだろう.

    (02)
    この映画と同時代的なオウム真理教や村上春樹に対する距離感は,大塚が指摘するように気に掛かるところでもある.果たして,この作品は,歴史や社会と向き合ったものであっただろうか.ファンタジーやアニメーションにそれを求めるのは酷であろうか.そうした問題も大塚の解題には示されている.

  • 肩透かしを食らうようなものもちらほらあったけれど、小松和彦さん、永田紅さん、網野善彦さんの評がとても興味深かった。

  • 制作陣のインタビューは見る価値あり。考察も中々興味深いです。

  • 一番好きなジブリ作品の裏話が書かれていて面白かった。何回も見てきたけれど、この本を読んだ後にもう一度観るとまた変わった見方ができると思った。

  • 冒頭「『もののけ姫』を観てあらためて思い出したことがある。」
    末尾「宮崎駿は多分、戻ってくる。」

    映画館で上演していて(コロナの余波?)、久しぶりに見たから積読から読んだ。

    23年前に初めて見た時は単なる自然保護、エコロジーの映画なんていう受け止め方しかできなかった。でも全然違う。人間は自然と対立し、自然を犠牲にしながら生きていること。自然は人間に優しいなんてことはなく、人間とは無関係に存在し、時に人間に対して凶暴になること。人間が生きるということは、自然と仲良く手と手を取り合っていくなんていうことはありえないという、人間の業の深さ。
    アシタカの行動に表されるように映画で解決策は示されないけれど、人間の業の深さを認識した上で生きていくということは、それを認識せずに生きていくこととは雲泥の差があるように思える。
    そして、人間が生きていくということは、他者に悪影響を与えてしまったり悩みがあったりするけれども、それでも生きていて良かったと思える瞬間がある、美しいと思える瞬間がある。人生を生きる価値がある。

    宮崎駿のメッセージはこういうところにあるんだろうなと、いくつか関連する本を読んできた今は思う。

    本書については、もちろん全般的に興味深かった。最後の大塚英志による「『もののけ姫』解題」は相当手厳しいけど、それもまた面白い。
    もうちょっと世界観を理解するために、積読になっている『栽培植物と農耕の起源』や『日本の歴史をよみなおす』を読みたい。そうすれば大塚英志氏も少しは満足してくれるかな。

  • ナビゲーター・福岡伸一『もののけ姫』の生態史観★Part1 映画『もののけ姫』誕生
    スタジオジブリ物語 未曾有の大作『もののけ姫』★
    鈴木敏夫 知恵と度胸の大博打! 未曾有の「もののけ」大作戦
    宮崎 駿 荒ぶる神々と人間の戦い ~この映画の狙い~★
    宮崎 駿イメージボードコレクションPart2 『もののけ姫』の制作現場

    [原作・脚本・監督] 宮崎 駿 海外の記者が宮崎駿監督に問う、『もののけ姫』への四十四の質問★

    [作画監督] 安藤雅司  宮崎監督の隣で仕事がやれたというのは僕にとってとても勉強になりました。

    [美術] 山本二三×田中直哉×武重洋二×黒田 聡×男鹿和雄 宮崎さんのイメージを絵にするのが僕らの仕事

    [CG・撮影] 菅野嘉則×百瀬義行×片塰(かたあま)満則×井上雅史×奥井 敦 新技術(デジタル)の導入でセルアニメーションの表現法が広がった。

    [音楽] 久石 譲  オーケストラをベースに、非常に骨太な世界を望んだんです。

    出演者コメント
    松田洋治(アシタカ)/石田ゆり子(サン)/田中裕子(エボシ)
    小林 薫(ジコ坊)/西村雅彦(甲六)/上條恒彦(ゴンザ)
    美輪明宏(モロ)/森 光子(ヒイさま)/森繁久彌(乙事主)
    島本須美(トキ)/佐藤 允(タタリ神)/名古屋 章(牛飼い)
    映画公開当時の掲載記事を再録!

    from overseas
    ニール・ゲイマン フォルムを見て真の比類なき映画だと感じ、ぜひ参加したいと 思ったのです。Part3 作品の背景を読み解く・viewpoint・宇野常寛 「生きろ。」と言われてウザいと感じた人のための『もののけ姫』の読み方★
    荻原規子 二人の女の板ばさみ
    小松和彦 森の神殺しとその呪い 森をめぐる想像力の源泉をさぐる★
    永田 紅 生命力の輪郭からあふれ出たもの★
    小口雅史 北方の民=エミシ・エゾの世界の実像と『もののけ姫』★
    網野善彦 「自然」と「人間」、二つの聖地が衝突する悲劇★
    大塚英志『もののけ姫』解題★
    出典一覧
    映画クレジット
    宮崎 駿プロフィール

    ■福岡伸一。旧石器時代は1万6千500年前周縁。氷河期が溶け温暖化。ブナ、ミズナラ、ケヤキ、クスノキなど広葉樹林。縄文時代。そのあと1万3千5百年続く。焼き畑による初歩的な農耕、定住。縄文遺跡から見える哲学は、未完成を先送りし続けること。紀元前3世紀、弥生人たちが稲作、青銅や鉄の精錬技術、濠、柵。縄文人は北や南の辺境へ。日本は単一民族などではなく人種のるつぼ。アフリカを出た旅団がどういう経路を辿ったか、その旅路を推定するのが照葉樹林文化。ヒマラヤ、ブータン、中国の雲南省、華南、長江流域、台湾。東亜半月弧には共通した風土と植生。それが日本列島西南部にも。弥生的力VS自然界の生き物、それを仲裁する縄文文化の継承者。照葉樹林を象徴するシシ神。縄文の精神性を継承するアシタカでさえも、二度とふるさとへ回帰しない。自然とヒトの決別が決定的となった、終わりの始まりを描く物語。山々の緑のヴェールは一時的な偽物。照葉樹林はダイナミズムの平衡を失う。
    ■時代劇を。絵本=初期設定版は、従来の映画や民話からの借り物でありすぎる、と決算のつもりで出版するが、父にうとまれ卑しい者に嫁にやられる娘という基本設定が亡霊のように離れない。大予算。美術監督5人。本来なら「アシタカせっき」だったが鈴木独断で既成事実。絵コンテと同時にあらすじができていくが、解決不能な問題をあえて映画に。デジタルペイント導入。コピーの難産。カウンターテナーの主題歌。実は子供たちが一番わかってくれるんじゃないか。大ヒット。ディズニーとの提携。近藤喜文死去。
    ■鈴木敏夫インタビュー。連載漫画だと思えばいいんですよと僕が促したから、ラストがわからないまま絵コンテと作画チェックをするスタイルになった。エボシを殺すべきと僕が主張し、宮さんは同意したが、腕にとどまった。ムシャクシャしていたから大宣伝した。映画の宣伝にもフィロソフィー。
    ■駿記者発表資料。この映画の狙い。時代劇の貧しさは映画の芝居によって作られたが、室町期は混乱と流動が日常。憎悪を描くのは、もっと大切なものを描くため。呪縛を描くのは、解放の喜びを描くため。少年の少女の理解、少女が少年に心を開く過程。
    ■外国向け駿インタビュー。ティーンエイジャー向け。七人の侍の呪縛から逃れる。精神的に健康で丈夫な人のためではなく、痛みを持つ人のために。15世紀に日本人の自然観が大きく変わったが、それ以外はフィクション。日本神話よりはギルガメシュ神話に影響。山を漂白しつつ鉄を作る人たちを、農民たちは怪物だと思った。火傷で爛れた姫や一つ目(製鉄で片目を失った)の怪物や手足のない大男伝説が生まれた。シシ神やコダマは日本古来ではなく、森に覆われたケルトやゲルマンにも。鎮まりたまえというのは日本人の自然観の中心。コントロールできない憎悪をどうやったらコントロールできるか。サンとタタラ場の間でアシタカは受難の道を選ぶ、現代的な人。エコロジー問題が解決すれば人間は幸せ、ではない、エコ問題解決と同時に、人間がそもそも不幸な存在なのだと考えるべき。サンは自然代表ではなく、人間への怒りと憎しみ、それは現代人が人間に対して感じる疑問を代表。つまりアシタカもサンも現代人。だから子供たちが生きようと決めてくれた。素晴らしい自然と愚かな人間という関係図を壊す、だからラストの蘇った森は豊かではない。人間否定には答えがない。バイオレンスについては、子供たちの内面にはもう確実に存在しているから、言及しないと説得力を持たない。映画産業について、テレビなら消せばいいが映画はたいてい最後まで見る、その上で面白いとか腹が立つとか、だから評論が存在し得る。
    ■宇野常寛。好きなポップカルチャーを任意的にピックアップして社会や時代やと絡めるだけの小人物、しかもレイプ・ファンタジーという下種い言葉を批判対象にしていた過去を、この小文では隠蔽して、あー駿にも辟易マジウザい、という斜め姿勢で書いている、下の下の評論家なのだが、結構参照すべき箇所がある、いい文章だった。……生きろ。へは端的な空回り。ナウシカ漫画「生きねば」「いや、特に言われなくても」。「コンクリート・ロードでもいいじゃないか」何がどう「でも」なのか。偉大な独り相撲。曇りなき眼で世界を見ることとかいうが、受動的かつ事後的に状況にコミットする倫理観で、強靭で政治的に「妥当な」態度表明。「夢」の不在。アシタカはゲームバランスが崩壊しないように微調整を続けることでしかない。そもそも駿にとっての世界の肯定性は「飛ぶ」イメージと結びついていた。コナンでは、子供むけサブカルの中なら戦争や暴力やマチズモの快楽を安心して描けるという戦後アニメに、軽蔑しつつ連なっていた。カリオストロの城では飛べないルパンが、しかしクラリスの母性的な愛=無条件の承認があれば飛べると言っていた。母親の胎内で飛ぶためのファンタジー=アニメ。矮小な父性と肥大した母性の結託は、戦後日本に生きる男性のゆりかご。ナウシカは飛ぶ、男性中心主義の裏返しとしての少女幻想。赤から緑へ、社会主義からエコ思想へ、というトレンドは脆弱で、その影響の時期は短い。ラピュタは男が独力で飛ぶことを断念。以降、豚のコスプレやキムタクのコスプレをするというパフォーマンスを経由しなければ飛べなくなる。それもジーナやソフィーといった母的な女性の胎内・スカートの中でしか。サツキとメイ、キキが飛べたのは子供かつ少女だから。駿はニヒリズムにとらわれて、思想的に行き詰った。
    ■小松和彦。人類学、民俗学、考古学は、現代や中心ではなく、周辺に追いやられたからこそ深層、をさぐることで現代社会を相対化し批判する可能性。中尾佐助、佐々木高明の照葉樹林文化。照葉樹林文化は雑穀栽培なので、狩猟採集文化と比べると自然に対する人間の優位性があるが、焼畑であるため自然を変形し永遠に人間の管理下に置こうとする水田農耕文化よりは、森林との共存共栄の度合いが強い、植生にもとづく生業文化論。縄文文化→照葉樹林文化→水田耕作文化。ブナの保水力(日本が伐採しつくされても自然が蘇るのは、その樹木の保水力のおかげ)。天と地を結ぶ宇宙樹=世界樹のイメージはナウシカの腐海、ラピュタ、トトロの森、そしてシシ神の森。トトロの鎮守の森においては、いつでも人間の都合で切り拓ける、人工的に許されたものでしかないが、森から人間へは優しい。もののけ姫では、切り拓こうとする人間に対し、排除しようとするエネルギーがある。室町時代は生き死にがはっきりする中で出会いや美が存在し得ると宮崎は言うが、神から貨幣へと信仰の対象の中心が変化。アシタカはエミシ=ナガスネヒコ一族の末裔。エボシは、水田農耕の里の世界から見ると周辺部に、里の人々が欲しがる鉄を生産することでユートピアを作ろうとする、そのために森を支配下に置き、動物神は退治、シシ神は殺さねばならない。エボシ以前にも動物神VS人間の歴史が存在していた(……トトロ族??)。もののけとは、自然の神々の怨念・憎悪が染み出し、それを一身に背負ったのがサン。しかしサンはナゴの守のように無差別に人間を呪うタタリ神になりたくない。人間の正気の回復を期待し続ける。その象徴が、土偶風の面。人間が森=自然の恵みによって生きていた時代の人々をかたどったもの。ところで天皇側から見ると化け物退治の物語のモチーフばかり。天皇中心史観=水田耕作史観を反転させた、照葉樹林文化史観=森林中心史観からすると、幾千幾万も奪われてきてシシ神=森の首を返すこと。トトロさえも殺してしまった人間。
    ■永田紅。歌人と知ってはいたが、細胞生物学研究者でもあり、さらになんと永田和宏と河野裕子「たとへば君」の娘なのだとか! ……粘性高い、どろどろ系。化学者オパーリンによるコアセルベート説。太古の海のなか界面によって外界から隔絶された液滴(コアセルベート)が命の始まりだとする説。これをシシ神の首が撃ち飛ばされたとき思い出した。言葉による答えではなく質感に本質が現れる。
    ■小口雅史。エミシ・エゾ・アイヌ・北方文化を縄文文化の直接の末裔だとする当時の学界状況……現在は主流ではない。日本地図の登場によって東北地方という言葉が生まれる以前、列島は東西と信じられていた。だから東北を東と呼び、北陸を北と呼んでいた。アシタカが「東と北の間から来た」というのは正しい。「蝦夷」と書いて、「エゾ」と呼ぶのは、中世アイヌに直接つながる異民族、「エミシ」と呼ぶのは、ヤマト政権がでっちあげた被差別民=辺境民。中世北日本を舞台に蝦夷管領ないし日の本将軍と名乗っていた津軽安藤氏。天皇家に逆らった朝敵の子孫だと名乗り、始祖は鬼王安日(アビ)。(ナガスネヒコは系図によってはアビナガスネと一人の人物とみなされる場合もある。)夷島(北海道)を支配するためには自ら鬼の子孫で蝦夷の血につながると主張するのが都合がよかったから。……その他、アシタカの村に描かれるモノや道具やを分析する。
    ■網野善彦。自然を殺し切り捨てたか考えなければならなくなった、が、自然はヤワではない、殺しても生き返る強靭な生命力を持っている、人間自身もそれは同じだ、というのがこの映画の結論。サンについて。山の神は女性。シシ神の森を自然そのもののアジール(世俗の世界から縁の切れた聖域、自由、平和な領域)として。エボシについて。金屋子神は女性。タタラ場は人為的なアジール。人間の業を、山の神が率いる自然のアジールと、金屋子神が率いる人為的なアジールを正面から戦わせることで描いた。これはヤマト=日本国では解決できない。だからヤマト外部のエミシが調停役に入り、将来に希望を見い出そうとする。
    ■大塚英志。もののけ姫はファンタジーなのか。当時歴史修正主義が歴史教科書への批判として台頭し、異文化や少数派への不寛容が世相になった。そういう状況に対してもののけ姫は何らかの歯止めになったか。ジブリは常に若者へのメッセージを発し、自らの作品の社会性に雄弁だった、だから責任は問われるべき。しかし興行として成功したのに、巨大化した市場の中でメッセージが空転し始めた。オウム真理教に対して宮崎駿はあまり言及しない。村上春樹いわく、麻原彰晃は、歴史的文脈から切断された欠片=ジャンクをかきあつめて、サーガを作った。それは村上自身の文学と合わせ鏡。ではアニメーションにおいて。エヴァは迷走し不器用ながらオウムに言及した。ではジブリは。ポストモダン、大きな物語=歴史や、私=近代的個人の終りが声高に語られた80年代、しかしサブカルチャーにおいては大きな物語と自己実現の物語がセットで提供された。ナウシカもガンダムも初期ラノベもさらに村上や中上健次も、貴種流離譚やジョセフ・キャンベルいうところの単一神話といういたって単純な枠組み。麻原のサーガに幹部がからめとられたのは、歴史の終焉に耐えかね私であることを断念できなかったから。という意味でポストモダニストではなかった。オウム事件はファンタジー=仮構の歴史をサブカルチャー内の消費材とするのではなく、それによって歴史の不在を一挙に埋めようとしたテロ、歴史の書き換えを巡るテロであった。ところで宮崎駿は「紅の豚」はあえて歴史全体を俯瞰せず「降りた」と言っていた、そこに批評性があった。ではそのモラトリアムを経て、もののけ姫では。網野史観が都合よく使われているのではないか。網野を借用しつつ歴史の対局を語ってしまっている。階級史観の代替として網野史観が未消化のまま借用されている。網野が中心的課題にした天皇や権力の問題が、すっぽり抜けている。網野は若い世代への歴史の「届かなさ」と格闘してきたが、宮崎は「届かない」ことへの危惧がない。また宮崎駿はこのころ手塚や劇画や漫画や電脳サブカルチャーを仮想的にし始め、アニメではなく映画だと主張し始めた。むろんもののけ姫は教材としてよくできているが、それが可能性である限界。ファンタジーは空しい。サブカルチャーは空しい。届きながら、何も届かない。

  • 『もののけ姫』を見た大衆が受け取ったメッセージと象徴として物語に潜む主人公たちの影に秘められた歴史修正主義としての思想の可能性あるいはバブル崩壊後の日本の指標という漠然としたテーマへの挑戦という意味でのメッセージは大きな軋轢を生んでいるように思われる。私たちがこの物語を見るならば大体は現代社会が持つ利潤追求による環境破壊への警鐘と捉えるだろう。だが、それだけではなくモデルとしての蝦夷、非人など時代の表舞台には現れなかった人々の現実の現出など、実際に他にも色んな解釈のしようがある。この物語の複雑さは社会の複雑さをある程度投影しているからである。なるほど、子どもの時は何度見ても訳が分からなかったわけだと思った。

  • 物を作る集団の業を感じる。

  • ちょうど8/5にテレビでやっていたのを久しぶりに見て、ちょっと背景的な部分を知りたくて積読から出して読んでみた。

    正直なところ、「教科書」と言うには随分と難解な文章が多い。
    「ジブリの教科書」シリーズとして他の作品もそれぞれ刊行されているのだが、裏話を期待して読むと拍子抜けしてしまうのでは?と思う。
    マニアックと言えばマニアックなんだけれど、なんだか高校の現代文に出てくる論説文のような感覚が半分くらいを占めている。

    もし裏話を期待して読むのであれば、背景を手がけた美術担当さんや監督へのインタビューと、網野氏による文章がオススメ。

  • 福岡伸一の書評、読みたくて。
    前半は制作現場の人間の声、後半は様々な業界人の書評。みんな何か言いたがってる。敢えてなんやろうけど、批判も載せてるところが憎たらしい。
    普段、カバーなんかつけないのだけど、この本には流石にカバーを、つけた。
    ジブリが好きって言うのはダサい。
    駿は、最後に「風立ちぬ」を作れて、ほんまに良かったな。

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