ポケットの中のダイヤモンド: あなたはすべてをもっている

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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784198621841

感想・レビュー・書評

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  • 2年ほど前から読んでいるこの本、最近も読んでいましたがやはり秀逸。汲んでも汲みきれないほどの内容の深さを感じる。ただ、翻訳と本のレイアウトは気に入らない。翻訳の日本語はほとんど女子高生の作文のような低レベル。訳者はICUの語学科を出ている方。恐らく英語はできるのだろうが、日本語が低レベル、直訳に近い。これに比べるとクリシュナムルティの本は大体どれも日本語が格調高かった。つくづく翻訳とか英語を職業にする人は日本語能力が高くないと駄目だと感じる。翻訳を手がける方は英語ができるのは当然として、英文科卒より実は国文科卒などで日本語を磨いた方のが向いているのでは、と思う。本のレイアウトは妙に上下の空白が大きく無駄で気になる。

    とはいえ、原本が素晴らしいので本の内容は秀逸。例え翻訳がいまいちでも間違いなく読む価値がある。現在絶版でAmazonで見ると中古で8,900円の高値となっていた。別の方の訳で再販されたら良いだろうと思う。

  • 今のこの時代は、ひとつのサイクルの終わりにも当たるのでしょうね。

    長く一つの大きな料理のなかで煮こまれてきたそれぞれの材料が、最後にどんな味を出しているのかを確認しているようなタイミングなのかもしれませんね。

    そういう目付きで見てみると、精神世界の本は現れの世界に対する多様な観点がもはや総出て妍を競っている段階になっているような気もします。

    精神世界本はちょっと見にはどの本も似たようなことについて語っているようにも見えます。

    でも、ちょっと内容に立ち入ってみると、それらの本は必ずしもすべて同じことについて語っているようではありません。

    それどころか、どの一冊をとってもまったく独自の世界観を展開しているようだ、といった方が事実に近いかもしれません。

    まるで昔の中国の言葉でいう「百家争鳴」とでもいったような。

    では、それらスピリチュアル本の主張をグルーピングできるような観点は何もないのかというと、そうでもなさそうです。
    続きは→http://ameblo.jp/aurasoma-unity/entry-11151151547.html

  • ガンガジは、アメリカ人女性だが、ラマナ・マハルシの弟子パパジによって覚醒を得たという。そのため、ラマナ・マハルシの教えに共通しながら、それでいて彼女独自の新鮮で平易で説得力のある言葉みよって覚醒の真髄を語っている。覚醒についてこのような語り方もあったのかという驚きをを感じた。

    この本の冒頭に、彼女がパパジと出会って覚醒に至るまでが語られている。その部分を読んで印象深いのは、彼女の人生が、「一般的なものさしで測れば素晴らしいもの」だったということ。夫を愛し、経済力はほとんどの人のそれを上回わり、仕事を愛し、その価値を信じていた。にもかかわらず彼女は、それ以上のものを探し続け、自分が持っているものを失うのを恐れ、将来に希望を馳せたり、将来を恐れたり、を繰り返していたという。

    そんな中で、これまで瞑想や修業の様々な取組みをしてきた彼女は、パパジに「何もしないでいなさい」と言われる。それがきっかけとなって、これまで彼女が欲しがっていたすべてが「すでにここに、純粋で永遠なる存在の基盤として存在している」ことに気づく。

    「このことに気づいたとき、私という存在の物語から、物語の奥底にいつもあった存在の終わりのない深みへと、驚くべきフォーカスの転換が起こりました。それは何という平安、何という休息だったでしょう! それまでにも私には宇宙との一体感や崇高な至福感を感じた瞬間がありまあしたが、これはまったくその性質が違っていました。それはいわば冷静な恍惚状態であり、その瞬間、私は「私」という物語に縛られてはいない! ということに気づいたのです。」

    私は、ガンガジのいう「物語」という言葉が好きだ。結局、私が思考によって織り成す一切は、ひとつの「物語」にすぎない。自分が自分の都合にあわせて作り上げた「物語」。でありながらその「物語」こそ、この世でいちばん大切なものと思い込んで、それに執着し、苦しみを生み出している。しかし、所詮それは「物語」に過ぎない。

    「物語」は、いずれは消え去る。一夜で消え去る夢まぼろしと変わらない。しかし「物語」の底には、消え去らない無限の存在の基盤がある。「物語」が飛び散るように消えてしまうことで、かえって開ける無限の地平がある。子供の頃、母が読んでくれた恐ろしい物語が終わってほっとしたように、私が今、夢中で織り上げている「物語」も、そこから解放されてしまえば、まったく別の、思考を超えた限りなく静かな世界が開けるのだろう。「物語」という言葉は、そんなことまで予感させる言葉だ。

    彼女の言葉を読んでいると、瞑想や修行一般によって自分の意識状態を「より高次」の状態に変えようとするような試みが、いかに「自我」の強化につながってしまうかが、強く意識される。彼女は言う、

    「焦点が定まっていようと拡散していようと、どんな特定の意識状態にも到達しようとするのを止め、またどんな状態を避けることも止めてごらんなさい。代わりにいつでもそこにあるものは何かについて気づいてください。」p103
    「今、この一瞬、すべてを止めてごらんなさい――探し求めることも、否定することも、拒否することも、すがりつくことも、それら全部を手放し、今この一瞬だけ、あなたの存在の真の姿の中に身を委ねてごらんなさい。」p109

    確かに、私が日常のサティ(気づき、ヴィパッサナー瞑想のかなめ)に一生懸命になっていた心の中には、自分の意識状態をより高次の特定の意識状態に到達させようという「野心」が存在していた。何かになろうとする「野心」が今を見失わせてしまうのだ。しかし一方でサティは、過去を悔いたり未来を心配したりする「思考」に気づき、今に立ち返らせる働きがある。問題は、何かになろうとする「野心」そのものであり、サティ自体ではない。この本は、私の瞑想への「野心」に打撃を与えたが、一方で、サティの意味を改めて確認できた。強い目的志向によってサティを始めたにしても、サティそのものが、そうした意識のあり方さえも自覚化させていく力を持っている。常に今ここで起っている心の現象に気づいていくのがサティだからだ。

    最後に、この本のタイトルにつながる言葉を読んで欲しい。「もしもあなたにこうした感情の重なりを最後まで徹底的に経験する意思があれば、あなたは最終的には底なしの深淵に見えるところに辿り着きます。この深淵は、無、空虚、無名と理性が認識するものです。これは非常に重要な瞬間です。なぜなら、完全に何ものでもなく、誰でもないことを進んで受け入れるということは、自由になることを積極的に受け入れるということだからです。何層にも重なった様々な感情はすべて、無の経験、すなわちあなたが自分だと思っているものの死に対する防衛手段です。いったんその防衛手段が崩れ、扉が開いてしまうと、恐れていた無と完全に向き合うことができます。この対峙こそ真実の自己探求によってもたらせれる啓示であり、それによってあなたの心の真ん中にずっと隠されていた真実という秘密の宝石が露にされます。見つかったダイヤモンド、それはあなたです。」

  • 本当の自分探しをしている人へ、本当の自分ってすでにここにいるんだよ、ってことを教えてくれる本です。ちょっと難しい表現が多いので、一章づつ噛み砕きながらゆっくり読みました。

  • 一度読んだだけでは、十分に理解できてはいない。
    後で読んだら、もう少しわかるのかも。無とか空とかの境地なんだろうか‥‥。
    現時点では、やや砂を噛むような読後感だった。。。

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