- Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
- / ISBN・EAN: 9784198644741
作品紹介・あらすじ
多くの人が美しいと思っているピアノの和音。実は、この和音は数学的に協和していません。ピアノの和音はウワン、ウワンといったうなりを発生しているのです。であるのに、私たちの多くは、ピアノのド・ミ・ソの和音を美しいと感じています。一体どういうことでしょうか?
本書は音楽の歴史の中に封印された謎を解き明かしながら、音楽の奥深い可能性に迫るものです。
超高周波が入った本邦初の新バージョン音源も初公開!
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/690544 -
平均律と純正律の違い、音楽が宗教や洗脳に利用されてきた歴史など、新たに学ぶところ大であった。けど、どうもこの情報はこの本が出る前から知ってる人は知ってる情報らしくて、まぁ書き方がすごいな。
-
洗脳話は同じような事しか書かなくなった筆者だが本書は違う。音楽の歴史において失われた音域に触れていてかなり興味深い内容になっている。
-
昔から西洋では「音楽の規則性と美しさは神の御業を示すもの」。ピタゴラス音階、純正律に続き、よりシンプルな比率の平均律が発明され教会が採用するとともに、弾きやすさや調律のしやすさから平均律のピアノが普及した。黒鍵のド♯とレ♭は本来は異なる音であること、ヒット曲に多いコード進行があること、海外では純正律の音楽教育も受けていること、倍音成分が多ければ人の心地よさもそれだけ大きくなることなど初めて知ることばかりだった。極めつけは付属の機能音源CD。色々な音が混ざった音楽だったので、不思議な気持ちになった。
p27
…ピタゴラスは美しく響き合う槌の音の秘密を探るため、モノコードと呼ばれる一弦琴を作ります。実験では、これを2つ用意して、弦の長さを変えながら協和する音同士を拾っていったのです。
p32
また、アリストテレスもピタゴラス教団について、その著書でたびたび言及しています。
ピタゴラス教団とは、数学と音楽を使って神を記述しようとした教団でした。
星の動きの規則性、協和するハーモニーの数比のシンプルさ。こういったものすべてが神のなせる技であり、神の証明だったのです。
そして、この思想こそがピタゴラス教団の最も大きな遺産でした。
「音楽の規則性と美しさはまさに神の御業を示すもの」という考え方は、その後の西洋文化に深く根ざしていったのです。
スコラ学とはご存じのとおり、キリスト教の神学者や哲学者による学問で自由七科(セブン・リベラル・アーツ)はもちろん聖書などに記述されている宗教事案を理性的弁証法的に追究しいくものです。
このスコラ学のテキストとなったのがアリストテレスやプラトンの書き記したものでした。特に、初期のスコラ学派で重要視された書物のひとつにプラトンの『ティマイオス』がありました。
『ティマイオス』は、プラトンの対話篇のひとつで、架空の哲学者ティマイオスがピタゴラス学派の数学観、音楽観、天文観について語っているものです。
p34
そもそも集団でお経を唱えたりするだけで、独特のリズムと旋律が生まれ、音楽と同じ効果を生み出すことができます。現代のカルト宗教が信者たちを集めて一心不乱にお経を唱えさせるのは、音楽が持つ、ある効果を狙っているからです。
このある効果こそ、すべての宗教に音楽がセットになっている理由です。
その効果とは、変性意識状態です。わかりやすい言葉で言えばトリップ状態です。
人はある旋律、ある響きをずっと浴びていると次第に意識がハイになっていくのです。
クラブでトリップ音楽を聴くだけで、意識が混濁したり、気持ちよくなってしまう経験です。
宗教では、これを積極的に使って信者をコントロールしているのです。
p36
そもそもヨーロッパの音楽は教会音楽が源流です。
そして教会にとっての音楽とは、神の御業のひとつの象徴であり、ピタゴラスがピタゴラス音階を作ったのも、万物の根源的な秘密つまり神の作り給うた完璧な宇宙の秘密が宿っていると確信したためでした。ですから、当時の音楽とは、現在のように人間が聴いて楽しむものではなく、あくまで神への捧げ物でした。
p37
音楽は神が作ったものであり、人間が歌を歌ったり楽器を弾いたりするのは、自分のためではなく、神のためというのが大前提にあるのです。
p38
一見複雑に見える現象も神の手によるものであり、神の痕跡が必ず残されているはず。学問はその神の痕跡を探すためのもので、神の痕跡がシンプルな数学や数比としてあらわれていると考えられていました。
約2000年にわたったローマ教会なピタゴラス音階を使用し、人々をトリップに導いて神を見せてきました。
しかし、15世紀に入ると、あまり使用されなくなります。それは純正律という新しい音階が発明されたためです。
p40
単旋律はたった1つの真実というキリスト教的なテーゼにかなうものでしたが、当時は数比も神の御印を示すものとして重要視されていました。シンプルな比率に神は宿るという考え方で純正律の振動数比は極めてシンプルで神の素晴らしさを表現していました。
p41
また、大聖堂の完成は、この時期(13世紀から17世紀)、カトリック教会の勢力がヨーロッパ全体に拡大されていったことも意味します。すでにカトリック教会は700年代から西ローマ帝国皇帝カール大帝とともに勢力拡大に励んでいました。
この覇権拡大に大きな力となったのがグレゴリオ聖歌でした。グレゴリオ聖歌を歌うことが、ローマ式典礼に改めた証拠となったのです。
p42
その一方で、教会学校の設立にも積極的に寄与し、その際、自由七科(セブン・リベラル・アーツ)の習得が奴隷ではない自由人にとっての必須の教養であるとします。
p43
…教会旋法と言われる聖歌独特の旋律法は旋法それぞれに終始音が決まっています。ドリア旋法はレ、ルリギア旋法はミ、リディア旋法はファ、ミクソリディア旋法はソです。
p46
2000年にわたって使っていたピタゴラス音階を捨ててまで採用した純正律ですが、この音律が主役の座についていたのはわずか200年ほどでした。
1636年マラン・メルセンヌによって平均律が発明されると、教会はあっさり、主役の座を平均律へとすげ替えてしまいました。
p50
平均律とはその名のとおり12音を平均に並べた音階と思いがちですが、少し違います。1オクターブを12音程に2の12乗根の比率で数学的にひたすら分割したものになります。
そこにあるのは音楽へのこだわりではなく、数比へのこだわりでした。耳で聴いて美しい響きを重視するのではなく、半音と半音の間はすべて100セント(音程の差を測る単位)という数学的法則としての美しさでした。そのため、美しい和音を生み出す純正律とさ12音のすべてで音がズレています。
p52
鍵盤上では、ド♯もレ♭同じ黒鍵を叩きます。ですから、多くの日本人は、ド♯とレ♭は異名同音だと思っています。
しかし、この2音は本来まったく違った音です。
平均律では全音同士の音程の間隔は200セントで、全音と半音の間はすべて100セントと均等に分けられています。
しかし、これがまさに無理矢理に音を均一化したことの証で、ピタゴラス音階では全音同士の間隔が204セントですが、全音と半音の音程間は102セントではありません。90セントと114セントに分けられており、例えば、ドとレ♭の間隔は90セント、ドとド♯の間隔は114セントになっています。
p53
…弾きやすさ、ピアノの製造のしやすさ、調律のしやすさなどが音の響きよりも優先された結果、♯と♭が同じキーとなる現在のピアノになったのです。
p60
この響きのいいコード=和音を順番に奏でていくと、人間の脳は、時に気持ちよさを感じるようにできています。これがコード進行です。
ただし、どんなコード進行でもいいわけではなく、人間には好みがあって、ある特定のコードが連続すると、気持ちよくなるようにできています。
ヒット曲がなぜ、ヒットするのかというと、人間の好みに合ったコードを連続させているからです。
裏を返せば、人間はある特定の和音の組み合わせを聴くと、自然に脳内ホルモンを放出して気持ちよくなってしまうということです。
p61
いま挙げたヒット曲に共通しているのがカノンコード進行です。
和音の進み方は左のとおりです。
/C/G/Am/Em/F/C/F/G/(ハ長調)
p62
さて、カノンコード進行と同様に世界的なヒット曲でよく使われるコード進行に、ポップパンク進行というものもあります。
これは/C/G/Am/F/(ハ長調)の4つのコードを使用するもので(後略)新旧の世界的ヒット曲があります。
p63
世界的に多用されるコードがある一方で、ローカル的に使用されるコードもあります。J-POPで多用されるコード進行/FM7/G7/Em7/Am/がその代表例で(中略)数多くのヒット曲がこのコード進行を採用していますが、世界的に見ると、あまり使われておらず、主に日本人に好まれています。
日本人好みといえば、ユーロビートも日本でのみ爆発的にヒットし、現在でも一定数の需要があるようです。
このユーロビートですが、基本コードは/F/G/Am/Am/(ハ長調)です。ただし、基本コードのほかに、哀愁系と呼ばれる切ない感じがするもうひとつのユーロビートのコード進行もあり、それが/FM7/G7/Em7/Am/です。
p64
例えば、ハ長調の場合のCコード(ド・ミ・ソ)には「安心感、安定感、終了感」が感じられ、Gコード(ソ・シ・レ)は「不安感、不安定感、中途半端感」を持ちます。
また、Fコード(ファ・ラ・ド)はCコードとGコードの中間で「やや不安感、やや不安定感、やや中途半端感」を感じます。
コード進行とはこの機能を理解し、人の気持ちを揺さぶるように並べたものだったのです。
さきほど説明した3つのコードC、F、Gを使って/C/F/G/C/(ハ長調)というコード進行を作ったとしましょう。これを機能的に見ると、安定→やや不安定→不安定→安定となります。
p65
/FM7/G7/Em7/Am/(ハ長調)
↓
やや不安定→不安定→安定→安定
p66
/F/G/Am/Am/(ハ長調)
↓
やや不安定→不安定→安定→安定
この安定感のある音をトニック(T)、やや不安定感のある音をサブドミナント(SD)、不安定な音をドミナント(D)といいます。
p67
/C/G/Am/Em/F/C/F/G/(ハ長調)
↓
T→D→T→T→SD→T→SD→T
/C/G/Am/F/(ハ長調)
↓
T→D→T→SD
安定から始まり、やや不安定、不安定に移行するという基本パターンだけでなく、安定からいきなり不安定に飛んだり、やや不安定→不安定と来て次は安定になるだろうと思わせておいて、やや不安定に戻ったり、期待させたり、裏切ったり、ともかく、人の気持ちを揺さぶるように作られています。
だからこそ、一回ハマると、人はそのコード進行を何度も欲しくなってしまうのです。
p69
さて、人間の脳が好む音はまだあります。
それは低周波です。(中略)
低周波の興味深い点は、人をトランス状態に容易に導くところでしょう。
p70
しかし、なぜ、一定のリズムを伴った低周波に人は影響を受けるのでしょうか?
よく言われるのが胎児の時の記憶だろうということです。お腹の中で聴く、お母さんのドクンドクンという心臓音が一定のリズムを持った低周波で、これを胎内で10ヶ月間ずっと聴いていたことが関係しているのではないかと言われています。
いま見てきたように人間の脳は、ある特定の音によって活性化します。
その特定の音として挙げられるのがこれまでに紹介した3つです。
1つ目は和音の響き
2つ目は音のパターン
3つ目は低周波とリズム
これらに加えて、のちの章で語る「超高周波」の計4つは人の脳に多彩な影響を与えることが可能です。
p75
脳幹から入ってきた「音情報」は、最初に一次聴覚野に入ります。
一次聴覚野では一定の周波数帯を担当する神経細胞があることが確認されています。例えば、2つの複雑音が別々になっている時には反応しないのに、連続して鳴ったり、一定の順序を持って鳴らされる時にだけ反応する細胞などがあることがわかっています。
このあと、腹側経路と背側経路の2つの経路によって音は統合されていきます。
まず、腹側経路ですが、一次聴覚野を出たあと、38野の側頭極に入ります。
このは他人への思いやりなど社会的心的情動や意味記憶などに関係する機能を持つところで、そのあと、未来の予測などに関わる機能を司っている前頭極(10野)へと流れていき、最後は大脳辺縁系に流れて情動を喚起させます。
一方、背側経路は、一次聴覚野から前頭葉の角回(39野、40野)に向かいます。ここは言語の認知を行う部位で、そのあと、一次運動野の4野、6野の補足運動野、8野の前頭眼野、9野の前頭前野背外側部を経由して10野の前頭極に至ります。そのあとの流れは腹側経路と同じです。
腹側経路は、情報を総合的に判断し、意味や評価付けをしていきます。背側経路は自分を中心として何がどこに配置されているか、空間情報を把握します。
人間は音楽を聴くだけでなく、演奏もしますから、位置情報や運動野との連動はとても重要になります。また、言語野には発音との関わりもありますから声を出す、歌を歌うという動作とつながってきますし、言語が持つイメージとも関連しながら、前頭前野、前頭極へ情報を送り出します。
最終的にはこれらを前頭前野で総合的に処理したのち、音楽情報は大脳辺縁系に行って情動を揺り動かすのです。
そして、ここで最も覚えておいてほしいのは、音の情報が抹消神経から脳幹、大脳皮質、大脳辺縁系へと、脳の隅々を巡って、活性化させていることです。
p78
楽器が弾ける人間は、演奏していない時でも、音楽を聴けば、背側経路が発火し、運動野まで含めた大脳全体を刺激しているのです。
私がかねてから、最高の脳トレとして楽器の演奏を挙げているのはこのためです。
p79
面白いのは、風邪の時に使うマスクなどをしながら話すと、自分の声にも脳は自然に集中してしまうことです。マスクによって声の特徴が変わったために、聴覚中枢は自分の声なのに他人の声と誤認するのです。
これを利用してマスクをつけた状態で声を出しながら単語などを覚えると、ブローカ野に加えて、他人の言語を理解するための言語中枢ウェルニッケ野も発火するので、効率が上がることが知られています。
p83
…後天的絶対音感の人は、440Hz以外の周波数のラを聴くと気持ちが悪くなったり、強烈な違和感を覚えるようです。この現象は、ラを440Hzと暗記しているためです。
p89
…海外では平均律と純正律の両方で音楽教育を受けているからです。特にヨーロッパや東欧などの合唱が盛んな国では、子供の頃から合唱団に入るなど、純正律が身近にあるため、ほぼすべての国民がよいハーモニーの何たふかを理解しています。
例えば、バルト三国のひとつエストニアでは5年一度、合唱団員2万人以上が参加する大合唱祭エストニア歌の祭典が開催され、約20万人の観客を動員しています。日本では考えられないほどの大規模な合唱祭は参加した人々全員が高揚し、自然に美しいハーモニーを経験できます。
p90
アメリカ式の特徴は平均律&ピアノ至上主義で、日本、韓国などごく少数の国がこれを採用しています。
なぜアメリカ式になったのかといえば、明治の初め頃、アメリカでルーサー・メーソンという音楽家から音楽教育を学んだ文部官僚、伊沢修二がルーサーを日本に招聘し、彼とともに西洋音楽教育を作り上げたことに起因します。
伊沢はヨナ抜き音階を使って小学唱歌を編纂したり、作曲しています。
ヨナ抜き音階とはド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドから4番目のファと7番目のシを抜いた5音階ド・レ・ミ・ソ・ラで作った音階です。"ヨナ抜き"とは4番目と7番目を抜いたという意味です。
ところで、このヨナ抜き音階ですが、日本の心の歌だなどと言われることがあります。それは日本の童謡や唱歌がほとんどヨナ抜き音階を使っているためです(後略)
p91
そもそもヨナ抜き音階はスコットランド民謡やアメリカ、ロシア民謡のほうが起源が古く、世界的に有名な曲もあるのです。『蛍の光』がその代表例で、この曲はもともとスコットランド民謡です。
p92
そもそも、ヨナ抜き音階は西洋音楽におけるCメジャーのペンタトニック・スケール(通常の音階はドレミファソラシの7音ですが、ペンタつまり5つの音で作るスケール=音階のこと)とまったく同じ、ド・レ・ミ・ソ・ラです。
p94
(前略)日本の合唱指導は平均律で調律したピアノの伴奏に合わせて歌うので、初歩の初歩のところで音程のズレが発生しています。
p97
先生に「ドを鳴らして」と言われたら、(中略)ドの鍵盤を叩くでしょう。また、多くの先生もそれが正解だと思っています。
ところが、これは「固定ド」という考え方で、世界的な音楽常識でいえば、少数派です。いえ、少数派どころか、存在すらしていない概念と言ってもいいでしょう。
世界の音楽常識では、黒鍵も含めてどの鍵盤もドになる可能性がある「移動ド」が通常なのです(ですから「固定ド」と対になる「移動ド」という言葉も本来ありません)。
p122
超高周波とは可聴域を超えた音のことで、いわゆる超音波と呼ばれるものです。
p123
CDにはサンプリングレートというものがあり、PCM方式で標本化周波数44.1kHz、量子化ビット数16ビットでデジタル変換することが国際規格として定められています。
これはサンプリング定理によって、サンプルした周波数の半分が記録可能という意味で、CDには22.05kHz以上の高い周波数の音は入らないのです。
p124
ところが、現実には22.05kHz以上の音があったほうが音は艶やかになるのです。
p126
(前略)欧米、特にヨーロッパでは私たち日本人が思っているほどデジタル化は進んでいません。確かにCDは普及していますが、レコード文化も残っているのです。
日本だけなのです。CD普及率ほぼ100%というのは。
p130
ご存じのとおり、アルファ波は人がリラックスした時に出ている脳波です。ヨガをしている時の脳波やマッサージしれている時にもよく出ています。
アナログ音源から超高周波を抜いてしまうとアルファ波の出る量がガクッと減ってしまうことを大橋氏はつかんだのです。ただし、超高周波だけを被験者に聴かせてみたところ、アルファ波はほとんど出ません。
つまり、可聴域の音と超高周波の両方を同時に聴いた時にだけアルファ波が大量放出されていたのです。
p131
脳幹は、中脳、橋、延髄で構成される中枢神経系で生命維持には欠かせない重要な部分です。もちろん、脳はどこの部分も重要なのですが、延髄を損傷しただけで人はたやすく死ぬわけですから、重要度の一番目と言っても差し支えないのではないでしょうか?
視床は、嗅覚以外のすべての感覚を大脳皮質に中継する神経系で、やはり重要な役割を担っています。
視床下部は交感神経、副交感神経及びホルモン機能を統括する役目を持つだけでなく、食欲、性欲、睡眠欲を司り、大脳辺縁系と連絡して情動にも関与しています。また、免疫系も支配していますから、免疫力の活性にも関与します。
つまり、アナログ音源を聴いた時、これらの部位の血流が上がり、人間の生命維持能力と感覚系、食欲・性欲・睡眠欲といった動物としての本能に加えて免疫力も上がるということです。
さらに広く脳全体を見ると、前頭前野が活性化され、特に高度な芸術性に関与する部分の発火も確認されましたから、芸術的才能も刺激されるでしょう。
p134
ハイレゾ音源はこれまでのデジタル録音で切り捨てていた周波数をきめ細かく拾っていく高解像度のデジタル録音です。可聴域外であった20kHz以上の周波数も収録されており、かなり期待できるものです。
p143
瞑想状態の時の脳波を見ると、最初はベータ波(起きている時の脳波、14Hz以上)から始まり、続いてアルファ波(目を閉じた時の脳波。リラックス状態。8〜14Hz)が長く続いてシータ波(瞑想状態、4〜8Hz)、デルタ波(最も深い睡眠状態、4Hz以下)まで下がってきます。
面白いのは、こういった脳波の動きと同時に脳内ホルモンであるドーパミンが出てくることです。通常ドーパミンが出ている時の脳波というのは主にベータ波の数値が上がるのですが、瞑想中は逆にシータ波やデルタ波という睡眠中の脳波が出ているという特殊な意識状態が作られるのです。
p148
例えば、ドという音を、楽器を使って鳴らした場合、ドの2倍の振動数の音、3倍の振動数の音、4倍の振動数の音と、整数倍の振動数の音が同時に鳴ります。
(中略)
さきほどのドの音でいえば、2倍音は1オクターブ上のドになり、3倍音は1オクターブ上のソになります。
ドがソになる理由は、第2章の純正律のド・ミ・ソの和音の説明で、ド・ミ・ソの振動数比が1:5/4:3/2=4:5:6になっていることによります。つまり、ドとソの振動数比の関係は4:6です。これに照らして考えると、基底音ドを3倍にすると4×3=12、この12はソの振動数比6の2倍つまり1オクターブ上のソと重なります。もともとドの倍音の中にソが入っているのめす。
さらに、ドの音を4倍にすると、2オクターブ上のドに、5倍にすると、だいたい2オクターブ上のミになります。
(中略)
これでわかるように、音とはもともと倍音成分が含まれており、その成分の中のどの周波数が強調されるかによって、音名としてのド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドが決まってくるのです。ドの音とはドの周波数が強調されているからドに聴こえる、ということです。
p150
あなたが「この歌手の歌は好きだ」と思ったということは、その歌手の声帯の中の倍音成分の混じり方をあなたが気に入ったということです。
p153
…音には成分があって、それが周波数も鳴り続ける時間の長さ、その周波数の強さになります。
これを三次元グラフにしたものがスペクトログラムです。
p158
ホワイトノイズの定義は、全周波数をまったく同じエネルギーで出した時の音です。
p160
機能音源は私が作った理想的なホワイトノイズをもとに、不要な音を抜いたものです(時には、ピンクノイズを使うこともあります。ピンクノイズとはパワーが周波数に反比例するノイズで、1/fのゆらぎ成分が豊富に入っています)。
p162
普通に聴いただけでは、ただのノイズにしか聴こえない特殊機能音源がなぜ、無意識に働きかけることができるのでしょうか。
それはそもそもホワイトノイズが倍音成分の塊だからです。
(中略)倍音成分とは言うなれば音そのものです。ということは、音の成分が多ければ多いほど、倍音成分も増加します。
倍音成分が多ければ、人の心地よさもそれだけ大きくなります。
本当のホワイトノイズとは、できるだけ大きくした心地よさだったのです。
このホワイトノイズをもとに機能を削り出していくのが特殊機能音源作りです。
p177
クラリネットのように管楽器の管の一端が閉じていると空気の振動(音の波)は閉じたところでぶつかって奇数倍音になってしまいます。フルートのように両端とも閉じていない場合、空気の振動は、両側に広がっていけるので偶数倍音になるのです。
実は、木管楽器と金管楽器の違いは木製、金属製ではありません。
管の一端が閉じているか、いないかです。閉じていれば金管であり、両端とも開いていれば木管なのです。
金管楽器と木管楽器の違いは、倍音の違いなのです。
-
僕らが学校で習う平均律は宗教的理由で作られた、というお話。
……なんですが、そこから感じ取るべきなのは、著者のこれまでの本の全てに共通している “ スコトーマに気づくのが大事 ” ということ。
スコトーマというのは目の前にあるのに心理的な要因で見えていないもののこと。
本作で取り上げられた平均律も、学校教育でも世間的にも、音大ですら当たり前のように「美しもんだ」と決めつけて語られているものだけど、実際には濁っている。
濁っているという音楽的な側面だけみると「なんでそんなものが普及しているの?」と疑問に思うけれど、博学な著者から歴史的経緯を説明してもらうと、なるほどさもありなんと膝を打つ。
著者が他の人たちと違うのは、そこで浮かび上がってきた問題にたいして自分で解決策を提示して、実際にモノを作ってしまうところ。
本書に付属している音源がそれであり、著者本人が定期的に開催しているライブもそう。
呆れるほどの多彩さが可能にした一冊。 -
参考になった。音源目当てで購入。