- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784198646332
作品紹介・あらすじ
師・小さんの芸を受け継ぐ本寸法の古典落語が持ち味の柳家さん喬。その一番弟子、爆笑新作落語を得意とする喬太郎。二人は、あまりに芸風の違う師弟として落語ファンの中では有名だ。なぜそのような二人が師弟関係を結んだのか。どのように、芸は受け継がれているのか。落語における親子のあり方とは、どのようなものなのか。さん喬、喬太郎が初めてじっくり語り合う! 「とうとう“この件”が一冊の本になってしまった…」(柳家喬太郎)
感想・レビュー・書評
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『#なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか?』
ほぼ日書評 Day686
「ビジネス書」として、もっともっと注目評価されるべき一冊。
本書の真諦は、ビジネスリーダーが読むべきマネジメント本である。
実際はAmazonでも「文芸書」に分類され、評を見ても落語ファン的なものが多いが、落語家の系譜やネタの解説といった「落語本」とは一線を画する内容。
出版側もより幅広い読者層を意図・期待していることは、全体の15%にも及ぼうかという注釈のボリュームにあらわれている。
といって過度に硬い本でもない。
さん喬・喬太郎の共著という形式を取るが、実際はお二人へのインタビューを再構成した形式を取り、落語ファンでなくても楽しめるエピソードが散りばめられる。
その懐の深さは、さん喬の師匠である、柳家小さん(先代:人間国宝、一定の年代以上なら「うまいねぇ、これで本当にインスタントかい?」などのTV CMでも知らない方はいないだろう)であることも大きく寄与している。
「俺がお前たちにやれるものは水しかない。肥やしはやれない」と弟子全員に言っています。
噺家としての基礎は教える(水をやる)が、そこから大きく育って花を咲かせるのは彼ら自身という考え方。
特に、若い頃から大型新人、20年に1人の逸材と言われた喬太郎については、その才能を潰しちゃいけない、危うい時だけ声をかける、といった「育成方針」が徹底されることなくしては、喬太郎師匠の今日の活躍はなかったと感じさせる。
危うい時の例として語られるのが、客におもねる姿勢。喬太郎であれば、「新作」を演ずることを求められ、さらには筋の悪い「企画」に振り回されるような状況。
芸人であるから、客の期待を裏切ることはできないが、それに答えようとしすぎると、変な色がつく。
本人にも注意をする一方で、客にも「贔屓の引き倒しにならぬよう…」などとギリギリの発言をすることで、師匠としての責任を果たしている。
本当は落とし噺がやりたいのだが、人情噺のさん喬といった評判が強くなりすぎてしまった自身を振り返ってということだが、なかなか実践できることではない。
大いに見習いたい点である。
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・P82:喬太郎を潰さないための我慢
〜中略〜
さん喬:「俺がお前たちにやれるものは水しかない。肥やしはやれない」と弟子全員に言っています。
---その場合の水というのは、基本的な落語の技術のことですか?
さん喬:そうです。噺家として、身に付けなくてはいけない部分ですよね。でも、水をやったところで、花を咲かせるのは彼ら自身です。俺はお前たちに花をつけさせることはできない。やれることは水をやることだけだ。それは惜しまない。だけど、花に色をつけたり、大きな花にしたり、可愛い花にしたりするのはお前たち自身だ。俺がお前たちに小さな可愛い花になれとか、大輪になれとか、そういうことは教えられないし、押し付けるつもりもない。 -
柳家さん喬と柳家喬太郎のインタビュー
芸は人なり -
さん喬師の高座を聴きたくなった。
落語家が自分の矜持を持って弟子を育てること、
自分のなかに脈々と流れる師匠から受け継がれていること(受け継いだことじゃない)がミソ。 -
落語家の生活が垣間見える。
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落語家の子弟関係としてはなかなか変わったカタチですが、なんだかほほえましいですね。
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有り 779.1/ヤ/18 棚:19