ぼくたちがギュンターを殺そうとした日 (児童書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784198650704

作品紹介・あらすじ

いじめと同調圧力、
大人が果たすべき役割……

現代にも通じる少年たちの問題を
戦争の影の下に描き出す
名手による緊迫の群像劇!

「なぜ、殺してはいけない?
戦争の時、大人は人を殺したじゃないか」

人間を深く見つめる著者が
危機的状況におちいった少年たちを
温かく見つめ
ヨーロッパで感動の渦を巻き起こした
ドイツ発の話題作。

終戦直後、混乱期のドイツの農村。
十代前半の少年たちは、ある日、
難民の子ギュンターをいじめてしまう。

ギュンターはそのことを誰にも訴えないが、
大人にばれるのを恐れた仲間のリーダーは、
「あいつを殺そう」と言い出す。

表立って反対することができない
主人公フレディは、
隣家の年上の少女に助けを求めるが…? 

子どもたちの間の同調圧力といじめ、
大人が果たすべき役割など、
現代にも通じる問題を
戦争の影の下に描き出す、
名手による問題作!

感想・レビュー・書評

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  • 子供達の目線でリアリティに物事が進んでいく様子を楽しめます。
    髄膜炎で脳に障害をおった少年ギュンターを、村の子供達がいじめたことが、大人にバレそうになり、口封じの為ギュンターの殺害計画を立てたことが事の始まりです。

    時代背景にナチスドイツの侵攻とソ連軍の熾烈な争いがあり、その戦争の最中で村人たちは生きていくのにやっとの暮らしをしていました。
    子供達の中にも、修道院に預けられたり、施設に入れられたりする恐怖が常にあったのだと思います。

    最後のフレディがレオンハルトの母と話をするシーンでは、海外ならではの子供の嘘偽りない姿が描かれていて感動しました。

    ・カービン銃については、それきり話題にならなかった。ひょっとしたらルドルフおじさんは、あのときすでに銃のことなど、忘れてしまっていたのかもしれない。

    この最後の一文は、物語の締めくくりにキレイにはまってて、とっても素敵だと思いました。

  • 第2次世界大戦直後のドイツ農村が舞台。
    村の少年たちは難民の子ギュンターをいじめ、大人にばれることを恐れ殺害しようとする。
    「大人たちが頭のおかしな人たちやユダヤ人を殺したんなら、ギュンターのことぐらいで騒いだりしないだろう」と思う少年たち。
    戦争中の異常な空気を子どもたちは敏感に感じとり、大人の行いをなぞっているのか。それだけではないだろう。このような事件は平和な世の中でも起きる。

    それは主人公のフレディの葛藤に表れている。
    この計画に加わらなかったら、村でひとりぼっちになってしまうという不安。
    グループの中心レオンハルトも親からの折檻を恐れるあまり実行しようとする。他の子たちも本心を隠しまわりに合わせようとする。
    同調圧力は日常至るところに潜んでいる。子どもの世界だけではない、大人の中にも多々ある。
    その圧力に負けない力をつけるにはどうすればよいのか、考えるきっかけになるだろう。

  • 戦争終わり直後のドイツの村。大人ではなく子どもがこの発想をして実行しようとするのか。という恐怖。いや、でも”その発想”は自己防衛でもあるから、大人も子どもも関係なく遺伝子級に誰もが組み込まれてるものなのかも…。でも、大人たちがしてきた戦争や環境がなかったら、”思いもしないこと”だったかもしれない。

    小さい頃なにを言われてるのかわからなかったことも、大きくなって、経験をして、ああ、こういうことだったのだなあ。と思うこともいっぱいあって。
    1しか見えなかったことが、2見えるようになること。歳を重ねて、「経験」を、良い方向として指し示せるヴィリーが現れてくれてよかったと心底おもう。

  • 出版社が書いてるあらすじが全て。それ以上でもそれ以下でもない。
    本が薄いのですぐ読めるかと思ったが意外に読みにくかった。
    第二次世界大戦直後のドイツの農村のおじの家で暮らすフレディが語り手。
    東部プロイセン(現在のロシア、ポーランド、リトアニア)のソ連侵攻で難民となった人々が馬車で命からがら逃げてきて、農家の納屋や家畜小屋で暮らすようになる。当然貧しく、場所を提供してくれた人への遠慮、惨めさ、家や家族を失った悲しみがいっしょくたになって、子どもたちも無邪気ではいられない。
    戦場や捕虜収容所から兵隊が帰ってくる。
    語り手のフレディも、戦争で足が動かなくなった父親から虐待を受けて、おじの家で暮らすことになった。
    これらの要素が重なって、重苦しい雰囲気が物語をずっと支配する。
    唯一明るい気分になるのは、難民の少年ギュンターとのふれあいで、知的障害があると思われているギュンターは馬の知識が豊富で、扱いにもなれており、フレディの馬を通じて交流する。
    しかし、フレディ達はは歳上の友人レオンハルトに唆されてギュンターをいじめてしまう。
    難しいのは、村に元からいる少年対難民の少年という構図ではなく、レオンハルトも難民の少年であるというところ。
    村にやってきた難民をいじめること自体はわかりやすいのだが、自分も難民なのに、なぜ同じ身の上の少年をいじめるのか。
    その理由は最後の方で明らかになるのだが、とにかく、全編、前述のギュンターとフレディと馬のシーン以外、荒んだ空気が支配しており、読むのが辛い。
    普通の児童書なら一人くらいは理解のある優しい大人が出てくるが、ここでは、大人も生きていくのに精一杯で、子どもに関わる余裕がない。とにかく、自分たちのことは自分たちで解決しろ、出来なきゃ折檻だ、施設送りだ、という態度。少年たちがつるんで悪さするのも仕方ないくらいの雰囲気だ。まあ、現実はこうだろう。つまりリアルすぎるのである。
    復員してきたいとこがSSで、かなりひどいことをしていたと匂わせる場面もあるが、それ以上描かれないのもモヤモヤする。
    敗戦直後のドイツの田舎の雰囲気を知りたい人にはピッタリかもしれない。
    児童書としては、あんまりおすすめしない。
    丹地陽子さんの表紙絵はとても良いと思った。

  •  第二次世界大戦終期から直後にかけて、ドイツ東部から農村へ疎開(というより難民)してきた人々の、ローティーンの子どもたちのお話。難民の子たちは仲間になってつるむようになるけれど、その中に吃音と知恵遅れがあるとされる男の子・ギュンターがいて、彼を疎んじた仲間たちは彼をいじめてしまいます。かなりひどいことをしてしまい、その発覚を恐れた仲間内のリーダー・レオンハルトが、ギュンターを殺す計画を立てます。
     主人公のフレディは葛藤します。もちろんギュンターを殺すなんてとんでもない、良くないことだと分かっています。その上ギュンターは、フレディと一緒にいるときはどもりもなく、元は広い牧場に住んでいたということもあり、馬についての豊富な知識を披露してくれます。けれども、リーダー格のレオンハルトに逆らって計画に参加しなければ、仲間からはじき出され、村や学校での居場所を失います。いえ、計画に参加すれば、虐待する負傷兵の父の元へ送り返されるか、施設送りにされるかのどちらかなのですが……それはギュンターが口を割ってしまった場合も同じです。ギュンターが「ぼくをいじめたのはあいつらだ」とばらしてしまえば、子どもたちは酷い折檻をされる。あるいは問答無用で施設に入れられる。そういう時代です。
     いじめの問題はいつの時代にもありますが、本書の特筆すべき点は、それが戦時下であったこと。つまり、大人たちが戦争を行い、人の命を公然と奪う中で――しかもドイツの話です。障碍者を集めて命を奪うという行為を行っていた状況で、大人たちはそういう情報を子どもたちには隠そうとしていましたが、特に年長の子、レオンハルトなどは知っていました。大人の行動をなぞるようにして、弱者を貶めようとしていたのです。そして、そのような子どもたちの行動に、周りの大人たちは真剣に向き合おうとはせず、臭い物に蓋をするように、「お前がその場にいたなら殴りつけてやる」「施設送りだ」「自分で始末をつけろ」というような言葉で子どもたちを追いつめていくのです。
     この物語は、作者の子ども時代の経験に基づいて書かれた話とのこと。本書は児童書ですが、大人こそ読む価値のあるものです。子どもたちの前で大人がどんな姿であるべきか、考えさせられます。

  • 150ページのコンパクトな本だけど、全編が濃縮された宿題みたいな重さで、正直いうと、ところどころ目をすべらせて読んでしまった。

    少年たちがギュンターをいじめたらしいということは近隣の大人たちも勘づいていて、「おまえもそこにいたなら施設送りにしてやる」とか「おまえを殴り殺してやる」などと息子たちを叱責する。それがまた少年たちを追いつめて、「ギュンターがしゃべらないよう、消すしかない」というゆがんだ発想へかりたてる。

    自分の存在が脅かされると思いこんで、無垢な誰かを抹殺しようとする。その構図はまさしく戦争と同じ。「なぜ大人ならよくて子どもはいけないんだ」と少年たちは問うけど、本当はどちらも罪深いことだ。でも大人たちは、子どもの罪はとがめるのに、自分たちが戦争で何をしたか(させられたか)は、けっして語ろうとしない。

    おかしいとわかっているのにおかしいといえない状況や、その集団から抜けられない状況が支配する世の中にはなってほしくない。
    そういう意味で、子どもよりもむしろ大人が読むべき本なのかも。

  • 「終戦直後、混乱期のドイツの農村。十代前半の少年たちは、ある日、難民の子ギュンターをいじめてしまう。
    ギュンターはそのことを誰にも訴えないが、大人にばれるのを恐れた仲間のリーダーは、「あいつを殺そう」と言い出す。表立って反対することができない主人公フレディは、隣家の年上の少女に助けを求めるが…? 

    子どもたちの間の同調圧力といじめ、大人が果たすべき役割など、現代にも通じる問題を戦争の影の下に描き出す、名手による問題作!」

    ・わかりやすい話ではなかった。

  • 戦後間もないドイツが舞台。あとがきを読んでびっくりしたのだけれど、この物語の中枢である「ギュンター殺し(のことを指しているのだと思うけれど)」は作者の実体験とのこと。作者は仲間の年上のリーダーに表立って意見できない主人公の立ち位置。

  • いじめや人種差別、人権教育に力を入れない日本社会にこそ必要な一冊。
    子どもの犯した罪に対して大人はどう対処するのか?一つの答えがこの一冊におさめられている。

  •  戦争が終わり、難民が小さな村にもやって来て、フレディには歳の近い遊び友だちができた。リーダー的なレオンハルトは、大口をたたいて極端なことをしでかすが、フレディには友だちだ。

     ギュンターという難民の子は皆からは嫌われていたが、ある日フレディたちの遊び場について来た。皆が追い返そうとしたのに帰らないので、レオンハルトを筆頭に、ギュンターを壊れたトロッコに閉じ込めて石を投げつけた。
     翌日からギュンターは学校を休んだ。大人たちは誰かにひどくいじめられたと言っている。
     レオンハルトは、ギュンターさえしゃべらなければバレないと、ある計画を持ちだした。

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著者プロフィール

一九三八年、現在のタンザニアに宣教師の息子として生まれ、ドイツのルール地方で育つ。五十カ国以上を旅し、一九六七年から二〇〇一年までは出版社を率い、アフリカやラテンアメリカ等の文学やノンフィクション、専門書を精力的にドイツに紹介することで知られた。一九九八年に発表した作家としてのデビュー作『川の上で』(徳間書店)はドイツでヘルマン・ケステン賞を、日本で産経児童出版文化賞JR賞を受賞した。ほかの作品に『ふたりきりの戦争』(徳間書店)、『心をそこに置け(未訳)』などがある。

「2020年 『ぼくたちがギュンターを殺そうとした日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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