やってくる (シリーズ ケアをひらく)

  • 医学書院
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本棚登録 : 242
感想 : 20
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784260042734

作品紹介・あらすじ

生ハムメロンはなぜ美味しいのか? 対話という行為がなぜ破天荒なのか?――私たちの「現実」は、既にあるものの組み合わせではなく、外部からやってくるものによってギリギリ実現されている。だから日々の生活は、何かを為すためのスタート地点ではない。それこそが奇跡的な達成であり、体を張って実現すべきものなんだ!ケアという「小さき行為」の奥底に眠る過激な思想を、素手で取り出してみせるペギオ氏。その圧倒的な知性。

感想・レビュー・書評

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  • 同著者の『創造性はどこからやってくるか』に続いて読んだが、これもまた示唆に富む本だった。

    ごりごりの理系でもなく、いわゆる哲学というのでもなく、いったい何をやっている人なのかずっと謎だったが、本書を読んでもけっきょくわからず、とにかくなんか分からないけどすごい人ということはよく分かった。

    まさに野生の思考を体現している人だ。

    ひとつには、この郡司ペギオ幸夫という人は、人間がすぐにそちらに向かってしまう論理的な思考、あるいはAI的な指向から、私たちの思考を解き放とうとしている。

    接続しつつ切断する。こう言語で表すと単に矛盾としか見えないが、そうではない、ということを本書では繰り返し言っている。
    だからこそそこに「外部」というものが開く。そして、外部にこそ創造性の契機がある。

    中でもいちばん興奮し、そしてきっとこれから私がモノを考える上で常に参照すると思われるだろうことは、「デジャブ」にまつわるくだり。

    こう書くと当たり前に思えるかもしれないが、過去と未来が出会うところに「いま」がある。
    ここでもまた、時間において異質なものどうしが接続しかつ切断されている。
    私が驚いたのは、ここにこそ「リアリティ」の源泉があるという指摘。時間は決してリニアではないからこそ、もっとごつごつしたものだからこそ、開けた外部がリアリティとなる。

    経験したことではないかもしれないのに懐かしい、あのデジャブの感覚こそリアリティの最たるものだ。

    未来は懐かしく、過去は新しいのだ。
    (稲垣足穂が言っていたのはこのことだったのか、とようやく納得した)

    そしてもう一つは、死について。
    私は間違いをおかしていたかもしれない。
    人の死は外部からしか(肉体の消滅としてしか)経験できない。
    また、死ねば意識が消滅するとするなら(そして意識というそんなマクロなものが肉体なしで維持されるわけもないと思うのだが)、自身の死もまた経験できない。
    したがって死は存在しないのではないか……
    と私は考えていた。

    しかし、その思考法も、本書によればAI的思考にすぎないのかもしれない。死を考えるということは、キリスト教的原罪と、仏教的輪廻のあいだ(本書ではそれを「ワイルドマン」と表現している。まさに野生!)を思考することだという本書の指摘はほんとうに衝撃だった。
    いかに自分が言語にとらわれていたかを実感した。

    ところで、著者はとても変わった人で、本書にはそのふしぎエピソード満載で、何度も笑い出しそうになった。いわゆる天然知能の持ち主だが、

    本書で紹介されている体験(乖離性症状の傾向あり)を読むうちに、自分もまた似たような「天然な」体験をしていることに徐々に気がついてきた。

    奇妙な歌声が聞こえるかわりに幼い頃には幽霊や人魂が見えたし、自分のものと寸分違わぬPCが自分のものではないように見えたというエピソードと似た経験もした。

    私は子供の頃に時間は存在しないという確信を得たが、それは著者の、時間が凍りつくという恐怖体験に似ている。

    こうした、論理では説明しきれないような経験を私は言語で隠蔽しようとしてきたきらいがあるが、むしろこちらにこそ真の豊かさがあるのだと感じることができたという意味で、本書を読んで本当によかった。
    今後、AI的思考に注意深く背を向けていく。

  • 認識と感覚のズレ。誤解とか誤認とはまったく違う形でワタシの中に確かに存在するのに、うまく言葉にできない感覚。例えば最寄駅から電車に乗り、次の駅では進行方向左側の扉が開くのがワタシの感覚なのだけれど、実際に開くのは右側。頻繁に使っている駅であるにも関わらず、このズレは今もって消えない。このズレを解消しようとプラットフォームを凝視してみても、やはりダメ。ワタシの平衡感覚はどこかおかしいのかと軽く悩んでいたのだけれど、本書はこのズレを言葉にしてくれている。
    著者によればこのズレは「天然知能」と呼べるらしい。この知能によって「知覚できないが、存在する何か」を呼び込むことができ、それは数値化と標準化で全てを制御できるとみなす「人工知能」と対極に位置する。平衡感覚がおかしいどころか、ワタシには何か特別な能力が備わっているような気がしてきて、何とも誇らしい。著者の提言にしたがって、これからは天然知能を全面展開してみようと思う。(どうすれば展開できるのかはまるでわからないけれど)

  • 2023/05
    面白い

  • 論理的に説明できない出来事は「存在しない」として考えないのはなく、
    確かに「存在している」ということを説明しようとしている本なのかな、と思います。
    今までなんかしっくりこなくてモヤモヤしていたことを説明してもらえた気がして少しスッキリしました。
    ただ、自分ではまだよく理解できていないので、何度か読みたいと思います。

    ルンバは「ルンバがゴミとして認識するものがゴミ」だけど、
    人間にとってはルンバがゴミだとしたものが大事なものだったり、絶対ゴミにならないものがゴミになるというところは印象に残った。

  • 著者の体験談は興味深く、イラストや図も豊富でわかりやすく書かれていると思うのだが、悲しいかな、私には難しかった。
    ただ、「因果関係の反転」のところは、何度も頷いた。その勢いで「権威」の部分もなんとなくわかったような気になり、この勢いで行けるかと思ったが、まただんだんわからなくなってきた。
    最後まで読んで私に伝わったのは「徹底して空になること。外部に対し徹底して受動的になること。その時向こうから『やってくる』」。
    開いて待つ。すると「知覚できないが存在するもの」がやってくる。外部を呼び込む。受け入れる。それこそが人工知能には真似のできない、負けることのない人間の「天然知能」。
    「やって来て!」と思った。
    わからないと言いつつわかったようなことを書いて大丈夫か・・・

  • 分かりかけてきたと思った次の瞬間にまた遠ざかる。つかみきれない。

  • 問いかける、ずれた答えがくる、それにつっこみが入り、その空隙に外からなにかがやってくる。ムールラーや友だちと勘違いしてた話は、オレの話かこれは!というくらい寄り添って読んでたのだが、デジャブあたりから道が別れて、共感できなくなり、しかし、外部を全部排除した人工知能より、つねに外部を受け入れるようひらいた天然知能、という議論にはスッとはいっていけた。なぜ外部からくるの?というのがちょっと腹におちてない部分。また「こわい」より「わからない」が多かった。デジャブにピークがあるというのは初耳だった、20歳ぐらいまでがデジャブを体験するピークというデータがある、と。個人的には今までのデジャブって、この体験は初めてではなく以前夢で見た気がする、だったので、著者の説明とちょっとずれてるかなあ、じゃあ自分のはいったいなんだろうという自問。◆生ハムとメロンの間の違和感は、両者の間にギャップをもたらし、このギャップをなんとかしようと、想定もしていなかった外部を呼び寄せる必要がある。外部とは、生ハムとメロンを認識し、感じることで動員される脳の活動領域以外のすべてです。そうしてやってきた外部こそ、「生ハムメロン」のリアリティをもたらすのです。p.77◆世界にあるものを知覚するとは、「あるものではない可能性に開かれながらあるものと判別する」ことです。p.255

  • 「やってくる外部を通してこそ、私たちの当たり前が実現されているのではないか」私は「やってくる」を待ち、楽しむ自覚はあるのだけど、この深掘りと繋ぎ方は未知の面白さだった。
    自分が思う以上に日常のことで、生きているというのはそういうことか、そういう捉え方もあるかという納得感もある。召喚するには認識と知覚のずれ、逸脱が要。そうではない可能性を含む。徹底した受動性こそが最強ってことかな。
    デジャブ、いまここ、天然知能、対話、神と死の受容など面白いけれど、著者の真のテーマは「知覚できないものに備えている生命」のようだ。

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著者プロフィール

郡司ペギオ幸夫(ぐんじぺぎおゆきお):1959年生まれ。東北大学理学部卒業。同大学大学院理学研究科博士後期課程修了。理学博士。神戸大学理学部地球惑星科学科教授を経て、現在、早稲田大学基幹理工学部・表現工学専攻教授。著書『生きていることの科学』(講談社現代新書)、『いきものとなまものの哲学』『生命壱号』『生命、微動だにせず』『かつてそのゲームの世界に住んでいたという記憶はどこから来るのか』(以上、青土社)、『群れは意識をもつ』(PHP サイエンス・ワールド新書)、『天然知能』(講談社選書メチエ)、『やってくる』(医学書院)、『TANKURI』(中村恭子との共著、水声社)など多数。

「2023年 『創造性はどこからやってくるか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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