- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784272331109
作品紹介・あらすじ
1992年国際合同結婚式騒動からの空白の30年。統一教会と政治の関係はどのように変貌したのか。組織の実態や保守政治勢力との結びつきに鋭く斬りこんだ労作に、新たな書き下ろしを加えて緊急出版する。統一教会問題の必読入門書!
[目次]
序 章 統一教会と政治の関係はどう築かれてきたか
1 安倍元総理暗殺事件の鍵を握る「空白の30年」と「政治の力」
2 政治に深く食い込む統一教会の狙い
第?章 統一教会に何が起こっていたか
1 翳りの見えはじめた“宗産複合体”
2 国際合同結婚式の裏側
第?章 統一教会の知られざる素顔
1 統一教会と保守政治勢力と結ぶ点と線
2 統一教会が行なう“自己開発セミナー”の実態
第?章 統一教会元信者の手記
1 国際合同結婚式の虚偽
2 原告意見陳述
3 文鮮明様ならびに日本統一協会幹部の皆様へ
4 統一教会での五年の日々をふり返って
第?章 資料篇
あとがき
※本書は『統一教会とは何か――追いこまれた原理運動』(教育史料出版会、1992年)の改訂新版です。改訂にあたり、序章を書き下ろしの「統一教会と政治の関係はどう築かれてきたか」に変更し、第?章では資料4?8を新たに掲載するとともに、必要最小限の加筆・修正を行ないました。
感想・レビュー・書評
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貴重な資料です。空白の30年をしっかりと検証する必要があることをよく理解できました。
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今ホットな統一教会問題につき、改めて事実を知るために購入。本書は安倍元首相が選挙演説中に至近距離から射殺されるという衝撃の事件を受け、緊急出版されたもの。内容は30年前に有田氏が書いたものの改訂版だが、統一教会の実態は30年前とほとんど変わっていないという事実にまた驚かされる。一読してとんでもない組織的犯罪集団と分かるが、悲しいのは悪事を善行と信じさせられて従う末端の参加者である。これ以上犠牲者が増えないよう、早急に解散命令を出してほしいと強く思う。
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政治家・タダで働く選挙員とお金が欲しい。
宗教団体・印象でしか判断しない愚かな市民から信頼を得てお金を巻き上げるために、権威や認知度が欲しい。
政治と宗教は結託する仕組みになっている。
理性的な市民の投票率アップと行動が重要。 -
安倍元首相暗殺事件で一躍話題となった統一教会。統一教会をずっと追ってきたジャーナリスト有田芳生氏の渾身のルポ、改訂新版。
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今話題沸騰の統一教会問題。本書では、統一教会の来歴やその反社会性、霊感商法や信者獲得のための様々な手口の紹介もさることながら、何よりも自分の印象に深く残ったのは、元教会員の手記である。いかにして統一教会に入ってしまったのか。そして、その活動がいかに非人間的で過酷な体験だったかを赤裸々に語っている。
中でもキャラバン隊と称された部隊に配属された教会員たちの体験談が強烈だ。文字通り、ライトバンにずっと寝泊まりし、地方の山間部の集落を回っていく路上生活。朝は夜明け前に起き、一応キリスト教の信者らしく、朝の祈祷をささっと済ませ、満足に食事もとらずに部隊長の指示に従い、ひたすら献金集めに奔走する。目標額に達しなければ、ひどい叱責を受ける。そして夜中までそれが続く。毎晩、へとへとに疲れ切り、一応夜の祈祷をするがほとんどみなこっくりこっくりと居眠りをしている。そのままライトバンの中で就寝。朝、夜明け前に起床。近くに人がいないことを慎重に確認して、各自、一人ずつ駐車場の水道口まで走っていき、洗顔。手早く朝の祈祷を済ませ、そして当日の献金担当地域を回る。献金といっても、世界の恵まれない子供たちのために、ボランティア募金を募ってるんです、の体で小金を集めまくる。要するに、徹頭徹尾嘘をつくことを強いられる。そんなでたらめな路上生活が1年2年と延々と続くのである。耐えられない。
思うに、この教団のやり口はきわめて合理的であざとく、抜け目ないこと脱帽するばかりだ。人は自分の頭で考えさせずに長時間過ごさせることで、徹底して奴隷化を達成させることができる。かくも馬鹿げた行為を長期間にわたり信者に強いることができたのも、その徹底した奴隷化の産物なのだ。最初の信者獲得の手口もそうだが、このキャラバン隊の手法もそうだ。とにかく考えさせない。徹底して体を疲れさせる。ノルマが達成していないと終始追い詰める。決して立ち止まらせない。立ち止まらせたら最後、人は考え始める。すると、この馬鹿げた行為に疑問を持つ。疑問を持てば、強固な奴隷状態、すなわち信仰という名のマインドコントロール下にある自分を客観視するよすがができる。すると、最初の蟻の一穴の如く、強固にからめとられた教団のわなから脱出がみえてくる。すなわち脱会への最初の選択肢が立ち現れる。
本書の終章におさめられたこれらの手記は、かつて統一教会を被告に損害賠償請求を起こし、最高裁まで戦い抜いた元信者たちが原告となって提出した証拠資料の一部である。「青春を返せ!訴訟」と銘打たれたこれら一連の統一教会相手に起こされた裁判は、文字通り青春の大切な時期全般を奴隷のようにこき使われ、非人間的な活動に従事させられた元信者たちの怒りの叫びであり、人生の自己主張の表出である。
入信した経緯はある意味、一方的な被害者の経験でしかなかったかもしれない。しかし、そこからの脱退となると、これまた話が違う。自分のこれまでの非人間的活動、人生の一部分の全否定を受け入れる必要があるからだ。自分は間違った信仰をしてきた。大切な人生の一時間をドブに捨ててしまった。それも社会に多大なる迷惑をかける形で浪費してしまった。その認識、そこからくる罪悪感を受け入れる覚悟がなければ、どうしても否認に走りたくなる。そうして、教団がささやいてくれる甘い逃げ道、つまり、外の声はすべて悪魔の声であり、耳を貸してはダメだ。今やっていることは、自分のみならず家族のため、すべての先祖のために必要な行為なのだから、堂々と胸を張っていい。悪魔の声に耳を貸せば、今までやってきたことすべては無に帰する、そんなバカげたことはないだろ!というささやきに最後まで抵抗するには、相当の勇気と覚悟がいる。それは個人では不可能だ。支えてくれる人、本当に自分の身を案じ、守ってくれ、受け入れてくれる家族、友人、専門家の助力とその受け入れ環境が整ってこその奇跡だといえよう。これらが整っていた幸運なケースのみで、脱会が成功できたとされている。さもありなんだ。いくらつらくて抜け出したい、と個人的に思っていたとしても、こんな自分でも受け入れてくれる家族や友人知人がだれ一人いない外の世界を想像したとき、人は躊躇し、足踏みし、やがて絶望し、踵を返して古巣に舞い戻る。かくも反社会的教団からの脱会が難しいとされるゆえんだ。
脱会のプロセス自体もまた、過酷だ。それは絶え間ない自身との葛藤の時間を潜り抜けなければならない。今まで自分自身がしてきたことへの深い反省、悔悟の念、そして受け入れの覚悟がなければなしえないからだ。その試練を経たもののみが、自分の人生を取り戻すという栄冠を勝ちうることができる。その意味で、私は、これらの手記を残してくれた元信者の方々に最大限の敬意を表し、拍手を送りたいと思う。あなたたちが自分のなしてきたことをつぶさに見つめなおし、それを手記として書き表し、読み手に勇気を与えてくれたことに対して、最大限感謝したい。自分を顧み、裁判まで起こして自分自身の生きざまを主張しているその姿そのものが、私たち読者に生きる勇気、自分自身であることへの勇気を与えてくれるからだ。 -
私一回誘われたことがある。おそらく統一教会。行かないでよかった。会社に珍味売りに来た子いた。あれもおそらく統一教会。日本を悪く言う宗教に何で日本の総理大臣までやった政治家が近づくかねー。
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桜田淳子さんや山崎浩子さんの合同結婚式の際、マスコミを賑わせたことは覚えています。しかし、安倍元首相の銃撃事件が起こるまで、統一教会については、ほとんど思い出すことはありませんでした。本書を読むことにより、このカルト宗教の実態や政治とのつながりなどが分かります。元信者の証言を読むのが辛かった。