- Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
- / ISBN・EAN: 9784272360697
作品紹介・あらすじ
無駄な延命を拒否する尊厳死とその制度化の問題点を考え、安楽死・自殺幇助・医師による一方的な治療の停止などの合法化によって、死の自己決定権がはく奪され、「いのちの選別」がすすめられている世界各国の驚くべき事実を告発。
感想・レビュー・書評
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重い障害のある娘を25歳まで育てた著者が、海外ニュースのネット検索で集めた各国の安楽死の2013年時点での報道状況をまとめた本。尊厳死や平穏死の議論に、対象者が終末期から障害者へとすべり坂のようにずるずると広がり、歯止めが利かなくなる兆候がすでにあることへの警鐘を鳴らす。本当の願いは、死にたいのではなく、今の医療をもっと良くして、死に行く人と家族を人として尊重し、ていねいにケアして欲しいということではないか?と主張する。
認知症や重度障害者は 早く死なせてもしょうがない という風潮を危惧する主張は、そのような家族を持たない私には、正直ピンとこない。
社会の役に立たない?人を間引く行為は、妊娠時の遺伝子判定で障碍者を産まない選択を強いる?ことと同様に社会全体で許される行為になっていることは感じられる。それが倫理的には気持ち悪いことであっても、経済合理性から選択されてもしょうがない と感じる私は、人でなし なのだろうか?
苦しみ続けるのか、早く死ぬかの2択ではなく、苦しみを緩和してできる限り長生きする道をつくりたい という作者の主張は、そのためのコストを社会全体で払うコンセンサスが必須である。少子高齢化で、近い将来に巨額の保険費や年金支払いが想定され、子ども子育て支援制度にさえ目くじらたてている日本で、尊厳死法制化はすべり坂の懸念があるとしても待ったなしではないだろうか。
尊厳死の海外での状況の進展を最新刊で読む予定。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
例の出来事があったのち、ツイッターで紹介されて知って、探した本。この本を読んで、さらにいろんな方たちの意見も聞いて思うのは、この問題は素人が簡単に口にできる問題ではないということだ。もちろん発言する自由はあるだろうが、自分の無知と思慮のなさをわきまえた上で発せられなければならない。
まず、やはりこういった問題はすべて「地続き」になっていたということだ。日本はこの議論が遅れているなどと言われるが、では海外ではどのようなことがあってどのような議論を巻き起こしているのか知っているのか。この本には、近年議論になった事件も集めてあるので、そういう国にもさまざまな問題があることを教えてくれる。
何より、この本がただの「テキスト」で終わらないのは、著者自身が重い障害を持った子供を持つ母親であることだ。当事者であるとき、単純に2元論で片付けられないことの方が多い。そしてむしろそういったことの中にこそ、これからの社会に必要な要素が詰まっているように思う。割り切れない思いを抱えた当事者たちが、解決といかなくとも一つ一つ目の前にある事を積み上げていく。そういうことを重ねていった、その軌跡が次のより良い社会を作っていくのではないだろうか。 -
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松本弘美先生 おすすめ
38【専門】 490.15-K
★ブックリストのコメント
死の自己決定権についての世界的な実情と死の自己決定権はどこに向かおうとしているのか。~生きてこの世にあるかぎり誰はばかられることなくただ生きてあれ、そんな「いのち」をおおらかに懐に抱ける人の世であれ~私も同感です。 -
命の選別を問う本。
「尊厳死」や「無益な治療」はいつ誰がどうやって決めるのか。その決定は絶対か。経済や効率で「どうせ○○だから」と重篤者や障害者、社会的弱者は死を選ぶように仕向けられていないか。自己決定は当事者への責任転化で社会の免責に過ぎないのでは。
どう死ぬかという個人の問題より、どう生きていけるかという社会の問題のほうが大事なのでは。
後半は相模原事件へ予め用意された答えのようだった。 -
2015年6月新着
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490
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どんどん怖くなっていく世界の、どんどん軽くなっていく命の話。
「医療」の話だけど、医療現場の人たちが勝手にしている話じゃなくて、「社会」の価値観が医療にそうさせている。
これを読んでいる間と読み終わってからしばらくの間、ずっと頭の中でみゆき姐さんが「おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな」って歌ってた。
「無益な治療」ってのは、この薬は効かないからやめましょうとか、この処置は苦しいだけだからやめましょう、って話のはずだった。
それがなぜか、この人に生きてる意味があんの?死んだほうがいいんじゃないの?ていうか無駄なこの人を生かす意味があるの?という話にシフトしてしまう。
そんなこと口に出しちゃいけないはずだったのに、一度タガがゆるんでしまえば崩れるのはあっという間だ。
著者は、「こんな治療は受けたくない」→「だからさっさと死のう」という論理の飛躍に疑問を呈す。
「だからまともな治療を受けさせろ」になるべきなのに、今の世界は「苦痛の生」と「安楽な死」の二択しかないように見える。
他人の命なら、死んだほうがましだって簡単に言える。
あんなんで生きていても仕方ないだろうとか、無駄だから死ねとか。
そういう風に気軽に言える人たちには、自分や自分の大切な人がその「無駄」になる日のことが想像できていない。
「もし私だったら」を考える人にも、考えるための情報が不足している。
身近に接したことのない障害者を想像して、きっと辛いだろうきっと恐ろしいだろうきっと苦痛だろうと「思う」。
思っただけのイメージをもとに、あんな風になるくらいなら死んだほうがいいと「考える」。
死んでいい命はたいていよく知らない「あいつら」の命で、「おれたち」の命じゃない。
他人からみれば自分が「あいつら」だってことに気づかずに、自分の首を絞めていく現在の流れは恐ろしい。 -
「コントロール幻想」が浸透しつつある医療は、大きな問題に直面している。医療者必読。