- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309021720
感想・レビュー・書評
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東日本大震災を舞台にした本作。予測なく逝ってしまった者の声を想像して、想像し続けて生きていこうという著者なりの震災との向き合い方なのかとも思う。
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耳を澄ませば、彼らの声が聞こえるはず。ヒロシマ、ナガサキ、トウキョウ、コウベ、トウホク…。生者と死者の新たな関係を描いた世界文学の誕生。
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3.11の震災の状況を、悲惨ながらも何か夢か現か分からないような感じで、ラジオに乗せながら話は進む。
震災の悲惨さを軽減し読みやすいとも言えるし、逆に悲しみが際立つような。
普段の何気ない会話で物語は進むが、その事が一層普通の生活をあっという間に襲った震災の無情さを表す。
震災で亡くなった方の霊がこの物語を紡いで行くが、生きている人も、そのラジオを聞ける話を混ぜながら、話は進むので読者も現実に自分には聞こえないけれども、起こっている事なのではないかなぁという気分にさせられる。
何だろう、重くない感じで読者に震災の事を問いかけ、考える時間、自分では消化しきれない色々な思いを与えてくれる一冊。 -
全てを回収するような(そういう態度をとった)小説ではない。どうでもいいことがどうでもいいままで語られる。迷いが迷いとして語られる。多声的な小説とも言えるだろう。震災や、あるいは戦争の、何の準備も覚悟もないままに死んでいった者たちの声を聞くというのはたぶんそういう事なのだと思う。
読者がこの小説を装置として物語る隙はないように感じた。誠実な小説である。 -
軽い気持ちで勧められない。
けれど、この本に救われる人がいるはずで、どこにいるかわからないその人に想像ラジオが届いてほしいと強く思う。
想像の二文字が重い。それは私が生きているからなのか。 -
東日本大震災のあと、大きな杉の木の上の方の枝に引っかかったままになっている死者の魂魄が、あの世にイケナイでまだ漂っている他の人達の魂魄のために1人でラジオのDJをやり続けるお話。
かなり心に応える。 -
いとうせいこうって、ビットワールドのセイコーのファンでよく見ているのだけど、この作品は、そういうことを抜きにして、いいなあ、って思えた。
わたしも一応東北に住んでいるけれど、沿岸部の被害なんか想像もできない。だけども、この本を読んで、亡くなられた方に想いを馳せて、名前も知らないその方々を、そっと悼むのも必要かな、って思った。 -
耳を澄ませば、彼らの声が聞こえるはず。ヒロシマ、ナガサキ、トウキョウ、コウベ、トウホク…。生者と死者の新たな関係を描いた世界文学の誕生。
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第二章の皆の台詞が印象的だった。
どのひとに賛成なのかまだ分からない。 -
主人公が、章によって異なるため、
私には少し読みにくい小説でした。
ただ、こういう構成もありなんだな、と。
震災から3年。
日本に起こった色々な悲しい出来事を忘れてはいけないですよね。 -
いい話なのかも知れないけど、ちょっとネラい過ぎかな?
読む前に期待し過ぎたのがダメだったかも・・・ -
今年11冊目。震災後を描いた作品。死者に想いを巡らせて読んだ。亡くなった私の父のことも。何を思ったんだろう、そして、何を思っているんだろう、と。
語り口が陽気なんだけど、読みやすいような読みにくいような。
章ごとに雰囲気も違ったりして新鮮ではあるけど、何だか苦しくて、あんまり再読はしたくない。誰もが触れたいような触れたくないような部分だからかな。 -
不思議なラジオだなって、何にも知らないで読み始めたら思うと思う。
これは3/11の震災文学なんだけど、悲愴感が漂うでもなく、ヒーローがいるでもなく、誰かが困ってたりもしない震災文学。
一番優しいあの地震の物語なんじゃないかなあ。
それを傲慢と呼ぶ人もいるだろうし、同情と見る人もいるだろうけど、わたしはとても優しい追悼のお話だと感じました。
そうだね、そうだね、仕方のないことだったね、って亡くなった方々の声が聞こえて来るみたい。
何も責めない、誰も悪くない。
あれは原発さえ巻き込まれなければ、ただの災害で済んだのに、と嘆くこともない。
静かな追悼でした。
読んでよかった。 -
いとうせいこうさんが久しぶりに書いた小説と言う事で読んでみました。
なぜ今小説を書きたくなったのか・・・
これを読んで何となくわかるような気がしました。あえて小説と言う形で東日本大震災を書き残す。亡くなってしまった多くの人達の魂を慰めるため。あまりにも大きな災害の中で起こった混乱や問題も提起しながら。
こんな風にラジオのDJの軽いノリなら、悲惨すぎる状況も最後まで読み進めることが出来ます。その想像力に拍手します! -
悲しみを共通項にして、想像上の世界でチューニングできるラジオ。頭の中で響いてくるDJアークの声は、聴く人によって違うだろう。私の頭の中にも、さまざまな音程の「想ー像ーラジオー」というジングルが鳴り響いた。
この世から旅立ってしまった人と、もし、もう一度、何かコミュニケーションができるとしたら、きっと映像ではなくて、こんなふうにちょっとくぐもった電波に乗せた、『声』なのかもしれないと思う。
会ってしまったら、手放せなくなる。だけど、文字だと心が遠い。だから、『声』なのかもしれない。遠くにいるけれど、耳元近くで感じることのできる、その絶妙な距離感。
「本を読む」という文字から音に変換しているその過程が、いつのまにか想像ラジオの音になって、私の心に響いていた。 -
色んなとこで話題になってて、読みたかった本。まずラジオを通しての語り口調が面白い。
死者の気持ちなんてわからない。また死者を悲しむものの気持ちも本人でないとわからない。でも私達には、想像するしかないんだろう。ゆっくりと、立ち止まってでも。いいんだ、想像したって。
少しだけあたたかい気持ちになった。 -
なんとも感想が難しい。著者が言わんとすることはすごく分かるし共感もする。しかし実感が跳ね返ってこなかった。「死者の声を想像せよ」という主題はあまりにも漠然として、どこか知らない遠い世界のファンタジーのように聞こえた。311後の小説としては『想像ラジオ』の3ヶ月後に出版された、辺見庸の『青い花』の挑戦的姿勢の方がガツンと響いてくるものがあった。かといって、この小説が嫌いかというとそうでもなく寧ろ好きな部類なわけで、ただ私には消化する度量と想像力が欠けているのであろう。捉えきれないふわふわした感覚が残る。
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想ー像ーラジオー。
とジングルが聞こえそうなほど軽快な語り口のDJアーク。
AMラジオの深夜放送を聞いたことがあれば、このテンポにも、軽い語りにもついていけると思います。
2011年の東日本大震災をモデルにした小説なのですが、設定が想像を絶しています。
杉の木に逆さまに仰向けで引っかかっていて、手には携帯、ハクセキレイに杉の木のてっぺんから見下ろされているDJアークのラジオなんて、シュールすぎて、実際の災害現場では目を背けてしまうような光景でも読み進めることができます。
でも、表現の軽さは遺族の人にはたまらないかもしれません。でも多くの人に目を背けずに死者の想いを受け止めるにはどうすればよいかを考えてもらうには、この書きっぷりがあっているのかなと思います。もちろん賛否両論あるとは思いますが、私は賛成派です。
最後はジーンとくると思います。