- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309027654
感想・レビュー・書評
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これまでに発表されているエッセイから食に関するものを選んで編まれているエッセイ集、プラス寺内貫太郎一家から著者が小説化した短編も入っているもの。章立てされていて
・思い出の食卓
・ウチの手料理
・お気に入り
・性分
・日々の味
・旅の愉しみ
+寺内貫太郎一家短編
となっている。何も考えずにひと通り読む。食べ物の話をしていながらその頃の暮らし、情景が目の前に浮かんでくる。取り分け人物のエピソードからどういう人物であったのかまでが感じ取れる。もちろんそれだけではなくてこの本の主題である食べ物もそのもの自体を知らなくともおいしいそうで食べてみたいとそそられる。
寺内貫太郎一家の短編は、私は昭和のホームドラマの代名詞でよく懐かしの番組で(出演者の紹介などで)取り上げられる一部分しか知らなかったので小林亜星と西城秀樹が派手にやりあったり樹木希林がおばあちゃん役をやったりするイメージしかなかったのだけれど、こういった細やかな筋の上に成り立っていたのかと新鮮だった。
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サブタイトルに食いしん坊エッセー傑作選とありますように、食べ物にまつわる話が集められています。
子供のころのおやつ、朝ごはんの様子、遠足のお弁当、大人になってからの食べ歩き、などなど。
確かにどこかで以前読んだ記憶のあるのやら、まったく初めて読むのやら(後ろの所収、初出一覧を見たら、すべて読んだものばかりなので、そんなことはないのですが)
やっぱり向田さんは食いしん坊だなぁ、
何度もどこかで目にしているけれど、覚書のため。
☆若布の油いため。
☆豚鍋(豚肉とほうれん草だけの鍋)
☆トマトの青じそサラダ(ごま油と醤油と酢のドレッシング)
お取り寄せ
「吉野拾遺(よしのしゅうい)」
奈良、松屋本店尾上
「鶯宿梅(おうしゅくばい)」
北九州小倉で店名は記載なし。
お店編
「小川軒」オードブルと薄焼きステーキ
「天茂」天丼 赤坂
「弥助」和食 渋谷
「藪そば」神田
「ラ・アリタリア」イタリアン? 代官山通・九段上に支店「ラ・コロンバ」
「キッチン飛騨」高山
「幸泉」欧風あられ・世田谷
外国まではなかなか行けませんが、いつか行ってみたいものです。 -
向田邦子が亡くなったのは1981年。僕は16歳だった。台湾での飛行機墜落事故がニュースで報じられたことをよく覚えている。
彼女が描くのはまさに昭和の時代。旅行も好きで海外の記述も多いが、やはり昭和の東京の話が目立つ。
それと心に残るのはやはり戦中のことだ。ご本人も胸を痛めた思い出のことを何度も書いている。
人形町壽堂という老舗の「黄金芋」という和菓子をよく買いに行くが、これは向田邦子が好んだそうだ。人形町という街そのものの佇まいが、いまだに向田邦子的な風情があり、東京でも最も好きな街である。
バンコクのトンブリという街のことが書かれていて、「丼」の語源ではとのこと。本当かな。 -
久しぶりにエッセイ、しかもごはん系のものを読んでみました。よく東海林さだおさんや椎名誠さんのガツガツとしたある意味野生みのあるエッセイを読んでいましたが、そういうのと少し雰囲気は違いますが、やはりごはん系のエッセイは面白いものです。
1冊にエピソードがぎゅっと詰め込まれているので、タイムスリップ感がすごいというか、向田さんの子供時代の、戦中・戦後の食べ物がなかった時代から、現代のちょっと小洒落た食事や海外旅行で出会った食べ物まで、時代はこんなにもあっという間に変わったのだなぁというしみじみ感を感じながら読みました。変わらないのは向田さんの食いしん坊ぶりだけ。
子供の頃の食べ物の思い出を語っている時に、当時の食べ物の素材としての美味しさが語られていて(たまごの盛り上がりや魚、海苔などの美味しさ)、添加物が入っている加工食品や遺伝子組み換えの野菜などが溢れる現代ではもう味わえないというようなことを言っていました。
今、飽食の時代で飢える危機は少なくとも私のまわりには無いですが、その代わり食べ物の本当の美味しさや味わった時の幸福みたいなものは手放してしまったのだろうと感じました。そして、未来においてもテクノロジーによってもっと均等に食べ物が行き渡って、生きることに関しては恵まれると思いますが「昔は牛の肉を食べていたんだよ」なんて思い出すような時代になるのでしょうね。
子供時代の食卓の思い出をその周辺のエピソードを交えて生き生きと描写しています。私が子供の頃に食べていたものを、ここまで鮮明に思い出せません。戦争を体験したせいなのか、食べ物に関して人一倍関心(執着)があったからでしょうか。
最後に向田さんの有名な「寺内貫太郎一家」の脚本を小説化したものが掲載されていました。ドラマはちゃんとみたことがなかったのですが、この小説版の話のように、「食卓から家族のドラマが生まれる」といった話だったのかなと想像しました。 -
向田邦子さんの食べ物エッセイ。
「食」への愛。向田さんの品の良さ。この二つが文体から滲み出ていました。
『思いもうけて…』、『う』、『たっぷり派』が特に好きだな〜。
私も食でもなんでもいいから、何か一つこだわりのあるものが欲しいな。 -
日経新聞で「食のエッセイ」のNo.1として
紹介されていたので読んでみました。
なるほど、時代は昭和中頃が中心であり、
かなり古いですが、それゆえ多くの人の思い
出につながっているのでしょう。
巻末に寺内貫太郎一家の話が載っていまし
た。
小林亜星氏も樹木希林さんも亡くなり、そ
して西城秀樹さんも、すでにいないのだな
あ。
遥か遠くなってしまった昭和の生活を思い
ふける一冊です。 -
食べるモノ、コトへの執着が面白い。
ただ、『食』べるコトに焦点を当ててるのではなく、戦後といった時代、人の交わり、沖縄戦の歴史、地域のこれまでの歩みも共に描かれていて、その食を担ってきた人々も包み込むように描いていて、読んでて気持ちよく、また筆者の貪欲さが面白い。
所々、その時代背景とセットで泣けてくる。
すぐ側で、熱い思いを聞いているような爽快感もある。 -
いまだに生きていて語りかけてくるかのごとく、生き生きとした文章だった。
沖縄胃袋旅行で、「うしろめたさ、申しわけなさがのどに刺さった小骨のようにチクチクする。」と書いてあった。この文章が書かれたのは本土復帰からまだそんなにたってない頃で、戦争を体験した人は当時そのような気持ちだったのだなと思った。その頃珍しかっただろう沖縄料理も今はポピュラーになっており、ほんの少し前のことなのにずいぶん変化してるんだなと感じた。 -
今は亡き向田さんの食べ物に関するエッセイをまとめたもの。
昭和の時代が感じられる内容ですが、向田さんの言葉遣いも、昭和の香りがして素敵です。もうこんなに洒落た文章のエッセイを読むことはなかなかできないでしょうね。
「ままや」はいろいろな人たちが集まって、それぞれの好みの料理を味わっていました。料理とは、ありふれた素材をいかに組み合わせるかという妙であることが、向田さんの発見であり、喜びでもあるようです。そのことが、向田さんの嗜好にも関わっいて、「海苔と卵」という素材も、エッセイの中では特段の位置を与えられています。 -
2019/05/09