まっとうな人生

著者 :
  • 河出書房新社
3.62
  • (18)
  • (53)
  • (56)
  • (6)
  • (0)
本棚登録 : 555
感想 : 71
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309030364

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 富山は駅周辺に少し行ったことがある程度であまりイメージは湧かなかったけど、主人公(しずか?)のし生きづらさとかどんよりした感じは自分も常に持っているものと同じ感じがした。

    まっとうな人生って、なんなんだろうなぁ。

  • コロナ禍、自粛の嵐が吹き荒れる日常。息苦しく不穏な日々、そこで感じる、喜怒哀楽の隙間にある言葉にならない思いを絲山さんが掬いとって描いてくれた。
    「逃亡くそたわけ」の花ちゃんとなごやんが帰ってきた!お互いに所帯を持った2人が思いがけず富山で再会し、家族ぐるみの緩やかな付き合いが始まる。落ち着いては拡大するを繰り返すコロナの波に翻弄される毎日、それきっかけの軋轢…そこに花ちゃん自身の持病、身内の死等もあり、出口のない不安に押し潰されそうになる。一つ一つのエピソードが、まるで自分自身のことのように感じられた。これまで経験したことのない漠然とした怖さも、近しい人と思ってたはずの相手との価値観の違いも、自分の中で矛盾する思いをどうすることもできない鬱憤も…ほどよい距離を保ちながら淡々と、でもさりげなく共感を寄せてくれる文章に、だいぶ救われた。
    私自身未知の世界である富山県の描写がとても新鮮で、自由に行き来できない今だから知らない土地のエピソードを興味深く読んだ。キャンプやドライブの場面は軽くワクワクした。思いがけないある「繋がり」エピソードも!
    「逃亡くそたわけ」の続編ということも本書を手に取ったきっかけではあるが、読んだのが随分昔で…「面白かった」という思いは強く残ってるものの細かいところを忘れてしまっている(そういう方多いと思う…いつか再読したい)。それでも、漂ってる空気感が「逃亡…」に比べて随分落ち着いたなという印象がある。ほどよく繋がりつつも別個の作品だなと思うので、是非とも、「逃亡…読んでないし」と思わず本作からでも手にとって欲しい。ほんの少しでも、体と心から無駄な力が抜ける気がする。

  • あの大好きな『逃亡くそたわけ』から10数年後のお話。
    なごやんと花ちゃん、それぞれに結婚して子どもがいてお互いに名古屋とも福岡とも縁のない富山に住んでいたなんて。しかもばったり会っちゃうなんて!

    なんだろうな、この邂逅。二人の再会からの、家族ぐるみの付き合い。それはどういう意味を持っているんだろう。
    入院先の病院から二人で逃げ出したあの時。病気に追われるように、延々と九州を南下し続けた時間。
    それは結婚したお互いのパートナーとも子どもとも共有できない二人だけの記憶。だからといってそれを大切にしているわけでもなく、それはなんというか、めくったあとのページのようで。
    忘れてしまってもいいけれど、何かの拍子にふと思い出す。そんな過去のある1点で繋がった関係。

    富山の街や流れる川、食べるもの、その一つ一つが温度やにおいを連れてくる。
    健康で、死にたいと思わないでいられる人生は、そんなにおいで満ち溢れているのだろう。
    そしてそんなまっとうな人たちの中にもコロナは不穏な空気を運んでくる。
    自身の病気とコロナという二重の壁に囲まれて、内と外を意識せざるを得なくなる。
    内と外を隔てるのは壁だけじゃなく、川によっても物理的に遮られる。そして意識する家族のこと。
    家族とは。血のつながりとは。
    絲山さんの小説はいつも土地のにおいがする。そこに住む人の、その足の下にある土を感じる。
    今回は土着ではない、外から来た人たちだから、土のにおいはそれほど感じないけれど。
    そこに「家族」という「社会的な形」が足場を固めているようで。
    結婚すると自分が育ってきた家族からそとに出て新しい家族を作っていく。その中で、子どもであった自分が親になって、親の元から離れていく、その時間の流れを強く意識した。
    なごやんと花ちゃんが一生懸命自分の足で歩いていこうとしている、その一歩一歩をすぐそばで見守っている。すぐそばなのに私と彼らの間には多分川が流れている。こちらとあちらを隔てる川が。
    彼らも土着の民ではない。それでもそこで新しい記録を残していく。
    まっとうに生きようとしている彼らの、その毎日を、川の向こうから見ている。自分の歩いてきた道を振り返りながら彼らの明日も見ていたいと思う。
    読み終わった後、身体の中からいろんな思いがあふれてくる。それを言葉にするのは難しい。
    あふれたものを救い取って眺めて感じてそっとまた飲み込む。
    それでいいんじゃないの、という声が聞こえる。内と外を隔てる何かも一緒に飲み込みながら多分明日も歩いていく、きっとそれでいいんだ。

  • 『逃亡くそたわけ』の単純な続編かと思いきや、富山を舞台にコロナ禍の日常を描く冴えた視線のエッセイとも言うべき作品だった。いくつも振り返りたくなる省察が含まれていて、それでいて「たびのひと」と呼ばれるよそ者の視点から富山のローカルな日常のあれこれが民俗的に描かれていて、物語性のなさがちっとも気にならず、夢中にさせる良作だと思う。とてもいい。

  • 好きな作家さんの新刊だわーと思って読み始めたら、家族が移住した富山のお話でなんとなく親近感笑

    そして、私ここまでダイレクトにコロナのことを書いている本初めて読んだなぁと思いました。
    私にとって読書ってどこか現実逃避だから、無意識に避けてたのかもしれない。だから最近歴史小説ばっかり読んでたのかもしれない。って少し思いました。

    でも、この時代を生きる人として書かないわけにはいかないですよね。そりゃ。書きますよ。

    他県ナンバーを見た時の反応とか、フェスや旅行の話とか、すごくわかるなぁと。あと病院。うちもコロナ禍で家族が入院したし。

    これも懐かしいといつか思えるのかな。
    もしくはコロナ以前の暮らしにびっくりするようになるのかな。どうなっていくんでしょうね。
    全く同じにはならないだろうけど、良い方にブラッシュアップされていくといいなと思います。

  • 物語の舞台は富山県。
    「逃亡くそたわけ」の10何年後の続編にあたる「まっとうな人生」。
    富山県の郷土や県民気質を描きながら、新型コロナの感染拡大の時期と重なり、それでも日々の生活が続く様子を描く佳作。
    コロナの感染拡大が、人々の生活や心に、こんなにダメージを与えていたのかを、再確認させられました。

  • 富山の話、というから他何も知らずに読んだ。地名や方言や地方ならではの敵対意識を面白おかしく書かれている。砺波の散居村がみてみたい。

    絲山氏が躁鬱病で入院した時期があることすら知らなかったので、赤裸々な生活日記、結婚されて九州から嫁ぎ富山へ来た作者のコロナ禍日記を拝見しているような気がした。

    富山弁だったり、能登の旅行の話だったり、とても面白い。ただ躁鬱に関する描写はどうしても重い。
    他の人には理解できない、と書かれていたがまさにそれ。

    娘ちゃんの生理の時の気持ちの表現も面白い。また母の死に対して言葉にできない気持ちをとてもよく表現されていた。
    アキオちゃんと、作者のバランスもなんとも言えずいい。「ああもうしゃーしか」と怒って出ていってしまう感じも笑 


    言葉が秀逸で、いくつか刺さった。

    ほどほどでいいという言葉の裏には、あなたの努力に関心はないけれど私の期待するレベルは満たしてくれよ、という要求が隠れている。

    異性の友達って、いちじくの天ぷらみたいなもんよ、

    ご飯ですよ、家族は。


    親というのはユニークではっきりとした存在で…言葉や冷たさ、いい加減さなど許せないことは一つ一つの事象と結びついて具体的だった。
    若さは狭さだ。そして色の濃さだと思う。 p. 70

    いつも使っているスーパーとは、家庭の冷蔵庫の延長線上にあるわけだから、身内の同然で愛着がどんどん増してくる。あまり行かないスーパーはよその家の延長だからよそよそしく見える。 p.82言い得て妙


    お互いを識別しすぎないということは、他人の生活を変えようとしないことでもあった。… 人を人と思わない、というのはいい言葉でないかもしれないけれど、人を人としか思わなければ、それがちょうどいい距離感なのだった。p.190


    人は死ぬと仏になるというけれど、残された者が少しずつ思い出を清めていくのだろうか。好ましいところだけをより分けてのこしていくのだろうか。そんなことは生きている者の都合で、その方が心地いいからなのだろうか。 p.212

  • はなちゃんお母さんになってた〜。
    生活の「こうあるべき」、にイラッとしたり、コロナ禍でモヤモヤしたり揉めたり、っていうの、私の話かと思った。
    まっとう。「正しい」の結論を急ぐのは、狹くて、危険…

  • まっとうってなんでしょうか?まず、題名を見て考えてしまった。まとも、真面目な人生。そんなものがあって、そして果たして、その人生に価値があるのか?
    そもそも、価値のある人生ってなんなんだろうか?と色々、哲学的なこと考えさせてもらいました。また、作中出てくる作者の解釈や揶揄が自分に嵌りました。
    う〜ん、なるほど。面白いっ!って感じに。やはり作者実力者です。くそたわけの続編ってことで読みましたけど、はなちゃん、なんか変わったなぁ〜、なごやん、変わんねー笑 他の作品も色々、読み漁りたいです。失敗や辛かった過去って、忘れられない記憶として残るけど、笑って話せる日が来るのであれば、npaoなのかもしれないなぁ。

  • 花ちゃんもなごやんも立派な大人になってまっとうに暮らしていた。

    病気を抱えながらも
    病気とともに生きるということを周りの人の理解と支えに助けられながら
    ときには壁にぶつかりながらも
    力いっぱい生きている。

    コロナ禍という生きにくい時代での
    ときには哲学的と思わせる絲山さんの文章が深くて
    また一人読み続けたい作家さんがあらわれた。

全71件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

1966年東京都生まれ。「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞を受賞しデビュー。「袋小路の男」で川端賞、『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、「沖で待つ」で芥川賞、『薄情』で谷崎賞を受賞。

「2023年 『ばかもの』 で使われていた紹介文から引用しています。」

絲山秋子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×