ユリシーズ1-12

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (572ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309207223

感想・レビュー・書評

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  • 日本で出ている「ユリシーズ」の翻訳は、 高松 雄一 、 丸谷 才一、 永川 玲二の共訳のものと、柳瀬尚紀のものがある。柳瀬さん版は御本人のご逝去により全18章の内12章までで終わっている。柳瀬さんは他にもユリシーズエッセイのようなものを書いている。

    私は10挿話まで集英社の高松 雄一 、 丸谷 才一、 永川 玲二の共訳で読んだんだが、せっかくなので11章と12章は柳瀬版で読んでみた。
    共訳と、柳瀬訳では、翻訳としてのノリが違うと思った。
    柳瀬版は言葉遊びを行使しまくっているのと、市民のお喋りな感じの文体になっている。
    人物名も集英社共訳版とはちょっと違う訳し方。こちらでは「スティーブン・デッダラス(集英社共訳ではディーダラス)」「リアポウルド・ブルーム(集英社共訳ではレオポルド)」となっている。
    また、各挿話の解説、訳注、あらすじ紹介は、集英社共訳のほうが詳しい。
    柳瀬版には付録として、ダブリンの地図や、登場人物紹介があるのでこれは助かる。

    「ユリシーズ」の舞台である1904年は、「アイルランド島は、1801年1月1日から1922年12月6日までグレートブリテン及びアイルランド連合王国の植民地だった」という時代で、「ユリシーズが発表された時にはジェイムス・ジョイスの国籍はイギリス人だった。
    「ユリシーズ」では、政治、経済、社会情勢、宗教、文学芸術などについて論じられるのだが、イギリスからの独立の機運が高まっていたり、アイルランド人としてのアイデンティティを見つめ直す必要があったうえで書かれたものなんだろうか。

    ユリシーズ関連の本はこちら。
    「若い芸術家の肖像」
    スティーブンの幼少期からユリシーズの数年前までの心の動き
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4087610330

    柳瀬さんによるユリシーズの写真集「ユリシーズのダブリン」
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4309202578

    柳瀬さんによるユリシーズエッセイ「ユリシーズ航海記」
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4309025854

    集英社共訳「ユリシーズ」1挿話から10挿話
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4087610047


    以下、11挿話と12挿話のみ。
    なお、評価の★が少ないのは本書が悪いのではなく、私が理解できていないからです…_| ̄|○

    『第11挿話 セイレン』午後4時
    ❏この挿話は音楽が流れているような描写。
    ❏オーモンド・ホテルの二人の女給、ブロンズ(青銅)のドゥース嬢とゴールド(金)のケネディ嬢がお喋りする。
    ❏そのホテルに、サイモン・デッダラス、リアポウルド・ブルーム氏、興行師ボイラン、カウリー神父、スポーツ記者レネハン、が来たり帰ったりしている。彼らはホテルのラウンジ(?)のピアノを弾いたり歌ったりする。
    …洋画を見ていると、お客さんがホテルに出入りして知り合い同士で音楽やダンス楽しむ描写を見かけるけれどもなんかいいよなあ。
    ❏興行師ボイランは、ブルームの妻でソプラノ歌手のモリーに会いにブルーム家に行く。
    ❏ブルームが、ボイランとモリーは不倫するんだろうなあとかあれこれ考える。(ブルーム氏はそれを分かってて家を開けている)


    『第12挿話 キュクロプス』午後5時
    ❏冒頭で”俺”という人物登場。煙突掃除のおじいさんのブラシが目に入りそうになったんだよ!と怒っている。”俺”は取り立て屋をやっているらしい。
    …柳瀬さんの「ユリシーズ航海記」では”俺”は犬だ!と言っている。だから人々から軽んじられ、会話は一方通行で、酒場の会話にも参加していないんだそうな。詳しくは「ユリシーズ航海記」でご確認ください。
    ❏”俺”の話し相手は、ジョウ・ハインズ。新聞記者で、6挿話で葬式が行われたディグナムの死亡記事を書いたのも彼。”俺”と一緒に酒場に行く。
    ❏酒場には”市民”と呼ばれる熱烈なナショナリスト(反英国政府主義でユダヤ人嫌い)がいる。ダブリンの名物男のようだ。
    ❏酒場ではディグナムの話になるんだが(6挿話で葬式が行われた)、この酒場にいる人たちはお互い知り合いなので「え?ディグナム死んだって??つい5分前に見たぜ?」みたいな混乱が生じる。まあ知り合いが突然死したらそんな感じだよね。
    ❏ディグナムの息子らしき独白があった。しかし彼は酒場にはいないよね?独白だけ差し込んだってことかな。
    ❏5挿話で、ブルームが競馬が趣味の友人バンダム・ライアンズに「この新聞もういらないからあげるよ(スローアウェイ)」と言ったのをライアンズは「スローアウェイという競走馬が来るぜ」という情報をもらったと勘違いするんだが、そのスローアウェイが大当たりしたらしい。
    …なお、柳瀬版では馬の名前は「モイラナイン」にしている。ブルームが「この新聞はもういらないんだ」と言う言葉を「モイラナイン」と聴き間違えた、ということ。
    ❏酒場にブルームがくる。”市民”は、ブルームが大当たりしたと勘違いしている。ユダヤ人嫌いなので、ブルームに絡む。
    ❏この挿話の書き方は、”俺”とジョー・ハインズの会話や、この章の舞台となる酒場の人々の会話の途中途中に、裁判所文章やアイルランド古典のパロディらしき文体が挿入される。
    …よみづらいーーー(´・ω・`)。

  • コロナの影響で家の中にいる時間が長くなっているので、ふだんはなかなか手をつける気になれない本を手に取ってみた。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』には、定本ともいえる丸谷才一ほか訳の集英社版『ユリシーズ』がある。『【「新青年」版】黒死館殺人事件』が同じ体裁をとっているが、本文の下に詳細な脚注がついていて、役には立つが参考書のような臭いがするのも事実。気の弱い読者ならそれだけで手に取るのを躊躇するだろう。

    今回手にしたのは同じジョイスの翻訳不可能とも言われた『フィネガンズ・ウェイク』の日本語訳を成し遂げた柳瀬尚紀氏による新訳である。訳者の死により、第一章から十二章までで終わっているのが残念だが、語呂合わせやら独特の造語を配した個性的な訳は他に類を見ない。何より、文章の活きがよく、リズミカルな文体は、読んでいて愉しい。もっとも、独特の造語は一読しただけでは分かりづらく、一筋縄ではいかないことも覚悟する必要あり。

    小説のあらましは丸谷訳の『ユリシーズ』について書いたものを読んでもらうとして、ここでは、旧訳と新訳の違いについて触れてみたい。第一章「テレマコス」の冒頭、バック・マリガンが司祭を気取ってミサの文句を口にするくだりだ。まず、丸谷訳から。

    ――なんとなれば、ああ、皆様方、これこそはまことのクリスティーン様、肉体と魂と血と槍傷ですぞ。ゆるやかな音楽を、どうぞ。諸君、目をつむって下さい。ちょいとお待ちを。この白血球どもが少々手間をかけておりましてな。みんな、静かに。

    次に原文。

    —For this, O dearly beloved, is the genuine Christine: body and soul and blood and ouns. Slow music, please. Shut your eyes, gents. One moment. A little trouble about those white corpuscles. Silence, all.

    そして、柳瀬訳

    ――なんとなれば、よろしいかな、皆様方、これぞ真(まこと)のキリメト、肉体にして霊魂にして鮮血にして槍満創痍(やりまんそうい)。ゆるやかな音楽をお願いしますぞ。目をつむって、旦那方。ちょいとお待ちを。この白血球どもが少々ざわついておりましてな。静粛に、皆さん。

    冒頭ということもあって、意識の流れの文体ではなく、説教師の口調をまねてはいるが、ごくごく普通の文章である。それでも、柳瀬訳の特徴は見て取ることができる。まずは< Christine>。丸谷訳は素直に「クリスティーヌ」としている。本来なら<Christ>であるはずのところを接尾辞<ine>をつけ加えて女性の名前に変えている。キリスト教、そしてイエズス会の教育を受け、棄教したスティーヴンに対する揶揄である。

    柳瀬訳をよく見てほしい。「キリメト」となっている。「ス」を「メ」に換えることで「女」を暗示しているのだろう。片仮名の一画を切り取って移動させたようでもある。何気なく読んでいると気づかない細かな仕掛けが柳瀬訳にはふんだんに用意されている。言葉遊びの椀飯振舞である。

    極めつけは「槍満創痍」。もちろんキリスト磔刑時の槍傷にかけ「満身創痍」という四字熟語をひねったものだが、神聖なるキリストを指す<body and soul and blood and ouns>の訳語のなかに「ヤリマン」などというみだりがわしい俗語を挿入するという、おふざけも過ぎる槍態(やりたい)放題。一事が万事この調子である。

    もちろん、ジョイス自身が卑猥かつ好色な場面を故意に挿入していることを受けての訳業であり、恣意的なものでないことは言っておかねばなるまい。ひとつには、丸谷訳は、時代もあるのだろうが、その辺を過激にならないようにお上品にぼかしているようなところもあり、それに対する批判でもある。たとえば、オックスフォードのモードリン学寮でのいじめを扱った場面の最後。

    I don’t want to be debagged! Don’t you play the giddy ox with me!

    丸谷訳は「ズボンをぬがされるのはいやだってば!ばかなまねはよせよう!」。
    柳瀬訳は「脱ぐなんて嫌だってんだろッ!牛津若道(ぎゅうしんにゃくどう)なんて嫌だってば!」。

    <play the giddy ox>は直訳すれば「めまい牛を演じる」だが、古くから使われているイディオムで<giddy>は「動揺、所持または乱暴な行動」を意味するらしい。そこから想像できるのは丸谷訳の脚注にある「学生が行う私刑の一種、いやな奴のズボンをぬがせて嘲笑する」では済ませられないものがある。「牛津」は(ox)の渡れる「浅瀬」(ford)、つまりオックスフォード。「若道」は「衆道」の別名で本邦の同性愛「男色」を指す言葉である。英国の男子学寮で蔓延していた男性同士の同性愛をほのめかしているわけだ。

    第一章「テレマコス」から、柳瀬氏の新解釈による「犬」の視点で訳される第十二章「キュクロープス」まで、創意工夫溢れる新訳『ユリシーズ』。一息に読み通すことは難しかろうが、こんなご時世である。家に籠り、一人でいることが推奨されているわけで、時間だけはたっぷりある。丸谷訳の脚注や北村富治氏による<『ユリシーズ』註解>、それに、ネットから手軽にダウンロードできる「Project Gutenberg」などを頼りに、じっくり取り組んでみるには絶好の機会だ。

    • 淳水堂さん
      abraxasさんこんにちは!

      abraxasさんも最近読まれたのですね。
      たしかに柳瀬尚紀訳は言葉遊びし放題で、ユリシーズの解説に...
      abraxasさんこんにちは!

      abraxasさんも最近読まれたのですね。
      たしかに柳瀬尚紀訳は言葉遊びし放題で、ユリシーズの解説に柳瀬さん翻訳の解説の両方がないと理解できなません(´・ω・`)
      柳瀬さんの、「12章の"俺"は犬だ!」説も、納得行ったとも言い難いですが^^;、柳瀬さんの言う「語尾にうーわんわんわん!」をつけて読みましょう、という案内が面白く、この章はなかなか楽しかったです。
      2022/04/06
    • abraxasさん
      淳水堂さん、こんにちは。
      柳瀬訳については、その通りです。
      第12章だけは単行本で出たときに読んでたんですが。
      犬の視点という説が気に...
      淳水堂さん、こんにちは。
      柳瀬訳については、その通りです。
      第12章だけは単行本で出たときに読んでたんですが。
      犬の視点という説が気になって、読まずにいられませんでした。
      たしかに、読んですぐ合点、とはいかないものの、読み捨てるには惜しい説ですね。
      『ダブリナーズ』も、柳瀬訳で読み直しました。こちらは言葉遊びが目立つわけでもなく、穏当な訳しぶりですが、いろいろな訳で読めるのは有難いことですね。
      2022/04/06
  • I’ve read the original and traditional Chinese translation (by Ti Chin) but not Japanese yet thus this review last year was based on the translation, and now pinned here as a mark reminding me of my further studies of this chaotic fiction:

    (I wrote this review on my Instagram [now inactive] in December 2023)

    ULYSSES, eventually finished!
    From 11/01 to 12/22 when the mysterious as well as the warmest midwinter paid me a visit. The longest nighty night now also suits M.B.’s murmurs flowing through the last chapter.
    Tonikaku, I'II continue the miscellaneous notes till the end of 2023 with Abe's monograph, Ellmann's biography of J.J., Friedman's essays on SOC and the most significant one -- A simplified Chinese translation by Ch'ien Hsiao and Chieh-jo Wen, since this traditional Chinese ver by Ti Chin is a little pale both for its style and notes.
    Wish a blooming Christmas and new year coming, for you and me.
    Maybe I'II rakugaki some comments on this novel esp for chpt 15 (as long as my schedule be set free...) (But until now no time to review… — noted 24/03)

    * The traditional Ch trans ver is printed in Taipei, by Chiuko Press, 4th ed of 2023; Much thanks!!!

    ** Chinamini, now(24/03/08) my further studies (mainly the additional notes) have reached chpt.14, which is pitifully not included in this translation by Mr Yanase’s; but I’ve heard that his monograph of this book named ‘Voyage of Ulysses’(ユリーシズ航海記) finishes the translation of remaining chapters. Consequently I’ll read them as complements as soon as possible!!!

  • 三話目?まで読んだ。難しい、読み辛い…。けど、人の意識の流れ、スティーブンの考えること、置かれている状況が見えてくるのが少し面白いかも。
    アイルランドのジョイス博物館?に以前行ったので、風景を思い出しながら、読んでみる…。
    もう少し読み続ける。

  • 無いっ!注が無い!
    丸谷・永川・高松訳で、あれほど苦しめられた注の氾濫が、どこにも無い!
    こんなことが出来るのか?
    これはひとつの革命だ!

    心なしか、夾雑物がなくなって、人物の姿や出来事の流れがくっきりと見えてきた様な気がする。
    注だけでできてる本だって何冊もあるというのに。
    過剰な気配り、目配りを封印してみせた柳瀬氏の潔さに惚れた。
    これは凄い!豪腕と言うしかない。/


    【スティーブンは、ぎざぎざした花崗岩に片肘をつき、掌を額に当て、てかてかの黒の上着袖のほつれかけた縁を見つめた。苦痛が、いまだに愛の苦痛ではないそれが、心を苛む。音もなく、夢の中で近づいてくる息を引き取った母、やつれきった体がゆるゆるの茶色の経帷子にくるまれてただよってくる蠟と紫檀の匂い、吐く息が、屈み込んできて、物言わず、恨めしげに、仄かに匂う湿った灰の匂い。】


    【母親が逝くと家庭は壊れるものだ。十五人も産ませたってんだから。ほとんど毎年お産じゃないか。なにせそういう神学、さもないと可哀そうに司祭様の告解を、ご赦免いただけないってわけ。殖えよ、地に満ちよ。どっかで聞いたような。家も家庭も食いつぶせか。宣うご本人たちは養う家族がないときてる。】


    【旦那は毎年、女房畑に一年草の種付け。いつか三酔人亭の前を帽子もかぶらず浮れ歩いてたな、長男が下の子を一人入れた買出し籠をかかえて。ぎゃあぎゃあ泣きわめくのばかり。女房が哀れだよ。あれじゃ来る年来る年、夜中じゅう乳をやらねばならない。自分勝手なんだ、ああいう禁酒主義者ってのは。】


    あのジョイスが、こうまで何度も言及しているのは、この問題におけるカトリックの教義に、よほど腹に据えかねるものがあったからに違いない。/


    2022年7月27日付け朝日新聞における鴻巣友季子さんの文芸時評「妊娠出産の選択 ウーマンフッドという鉄路」では、セクシュアル・リプロダクティブ・ライツ――性と妊娠出産に関わる意思決定権は当人にあるという現代の国際合意が、近年世界中でゆらいで来ており、特に、先月、米国最高裁がくだした判断は諸外国にも波紋を呼んでいると指摘している。
    時評で鴻巣さんが言及している一宗派が支配する国で女性が子を産む機械と化すディストピアを描いたアトウッドの『侍女の物語』の世界は、まさにこの時代のアイルランドでもあったのだ。
    『ユリシーズ』から100年経っても、相変わらずカトリックの教義がこの問題の解決の前に立ちふさがっている格好だ。/


    国内でも、安倍元総理の銃撃事件を機に、宗教団体と政治家との醜関係(臭関係)がマスコミを賑わしているが、ジョイスが批判の矛先を向けた宗教はいまだに健在で、相変わらず濁々併せ呑んでいるらしい。/


    【ーーしかしきみは国民の何たるかを知っておるのかね?ジョン・ワイズが云う。
    ーーええ、ブルームが云う。
    ーー何かね、それは?ジョン・ワイズが云う。
    ーー国民ですか?ブルームが云う。国民とは同じ場所に住んでいる人々のことです。
    (略)
    ーーあるいはまた異なる場所に住んでる。
    (略)
    ーーあんたの国家はどこだよ、云ってみな?市民が云う。
    ーーアイルランドです、ブルームは云う。僕はここで生まれましたからね。アイルランドです。】


    ジョイスの矜持を見た。/


    総じて柳瀬訳は、丸谷・永川・高松訳に比べて、少々お下品である。
    当初、アメリカで発禁となったのも十分肯ける。/


    【柴田元幸をして「名訳者と言える人は何人もいるが、化け物と呼べるのは柳瀬尚紀だけだ。」と言わしめる柳瀬尚紀ワールド。】
    (天才翻訳家が遺した、『ユリシーズ航海記』(柳瀬尚紀)刊行記念 第3回 柴田元幸によるエッセイ公開。2017.06.15、web kawade)


    柳瀬さんが道半ばで亡くなられたのは残念だが、幸いにして柳瀬さんは僕たちに数々の作品を残してくれた。
    ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』、『ダブリナーズ』、ダグラス・ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ-あるいは不思議の環』などの翻訳と、
    『ユリシーズ航海記 「ユリシーズ」を読むための本』、『フィネガン辛航紀 『フィネガンズ・ウェイク』を読むための本』、『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』などの著書である。
    これからも、これらの書物を読むことで、いつでも柳瀬さんに会いに行くことができるのではないだろうか?




    ◯(文芸時評)「妊娠出産の選択 ウーマンフッドという鉄路」鴻巣友季子

    (2022年7月27日 朝日新聞デジタル 有料会員記事)

    https://digital.asahi.com/articles/DA3S15369377.html



    ◯天才翻訳家が遺した、『ユリシーズ航海記』(柳瀬尚紀)刊行記念 第3回 柴田元幸によるエッセイ公開(2017.06.15、web kawade)

    https://web.kawade.co.jp/bungei/1380/

  • さすがに理解不能。

  • この本(と原書)があれば生きていける。

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著者プロフィール

James Joyce(James Augustine Aloysius Joyce )【1882年 – 1941年】。本原書名 James Joyce 『Exiles A Play in Three Acts With the Author's Own Notes and an Introduction by Padraic Colum, Jonathan Cape, Thirty Bedford Square, London, 1952』。

「1991年 『さまよえる人たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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