• 河出書房新社
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309207636

感想・レビュー・書評

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  • トーマス・ベルンハルトの最初の小説。
    「読み終わった」とはいえ、じつは半分だけだ。しかし私はそこで読み終えることにした。

    研修医である語り手の「ぼく」は、下級医師しかし「ぼく」にとっては上司である医師から、長らく連絡をとっていない陰鬱な谷間ヴェングに暮らす画家である弟シュトラウホをつぶさに観察するように言い渡される。
    「ぼく」は法学生に身をやつして言われるがままに出かけていく。その谷間での記録が本書である。

    ほんとうに本書を読み通せる人がいるのだろうかと不思議に思うほどに、私はこの本を読むのが辛くて仕方がなかった。退屈という意味ではない。

    『アウステルリッツ』のゼーバルトの小説にもちょっとテイストが似ているが、本書はもっとメランコリーが身体に生々しく浸透してくる感じ。ただごとではない。

    谷間の人々全体が絶望と諦めに感染している。かたや巨大なダム建設が行われ、風景が壊れ始めている。これが雇用を生んでいる。もしもダムが完成した暁には、この谷間の人々はどうなるのか。

    なかでもくだんの画家は絶望が深い。ブラックホールのように希望や光を吸い込む。彼と接することでまだ若い「ぼく」の老いは進行の度を増していくかのよう。本書の重力はすごい。

    読むうちに指先足先が冷えてきて、やがて凍りつき、凍傷になりそうな不安をおぼえる。嘘みたいだけど、本書を読んでいて、本書のメランコリーが転移してきてほとんど眠れない一夜があった。だから読むのをやめた。
    晩年の作である『消失』を読む前に、まずはデビュー作を読んでおこうと思ったのが甘かった。

    いつか続きを読むかもしれないが、いまの私にはとうてい耐えられない。したがってこれは存在価値のある傑作だと思う。

  • 『左も右も漆黒だった』―『第二日』

    警句じみた紋切り型の文章が並でいる。何かであること否定し、否定したことを更に否定する(それは決して単純な二重否定のようなものではない)ことで漸く何かであることが語られる。当然、何が語られているのか、つかみ取るのは困難だ。

    とある研修医が上司に依頼(命令?)され、山間の吹き溜まりのような宿に長期に渡って滞在する。上司である下級医の弟の様子を観察し逐一報告するのだ。もちろん目的を悟られてはならない。何のために、という当然の疑問を置き去りにして、その依頼に応えるため始発の列車に乗り込む研修医の両側に迫る岩壁。その暗さに飲み込まれてゆく様が心理的な重しとなって迫り来る。

    奇妙な依頼に対する疑心暗鬼に加え、目的を持って人生を歩んでいるとはおそよ言い難い研修医の不安定な様子に、読むものはこれから始まるのは人間の持ち得る限りの究極の狂気なのだな察知せざるを得ない。

    『これらの問いについての探求は永遠に続けようと思えば続けられるのだが、しかしこれらの問い自体は恐ろしいほど非人間的で無作法な領域へ、きみには知っておいてもらわなければならないが、宗教的領域へと、しかし宗教そのものとは正反対の領域へと展開していく』―『第二六日』

    ふと、ボール・オースターの「ガラスの街」との類似性に思い至る。バベルの塔が破壊される以前に人類が有していたという共通語を再出現させるために父親によって生後すぐに外部との接触を一切立たれた、と自らの過去を打ち明ける男からの依頼に応じている内にその狂気の世界にからめ捕られてゆく私立探偵の物語。ここに登場する研修医は決してハードボイルドではないが、半ば世捨て人のような心情で、さしたる理由もなく無意味とも思える依頼に応えるくだりなどが共通するように思える。そして私立探偵が名無しであったようにこの研修医もまた名前では呼ばれない。そこからの帰結として、対峙していた筈の狂気に自身が飲み込まれる展開が予期されることになる。

    研修医は徐々に無気力になり、観察していると思っていた老画家の言葉に揺さぶられ始め、そこに真理めいた光さえ見てしまう。止むことのない老画家による無意味な言葉の連続。過激にして、かつ、詩的な言葉の放つ余韻が奇妙な変容を遂げ、物事の本質を語っている(かのように思える)ことに恐れ慄く。真理と見えたことさえ研修医の脳が作り出した幻想に過ぎないのだが、どっぷりと狂気の世界に取り込まれた者にはその構図もまた不可視となる。恐怖によって身動きの取れない老画家と研修医を山間に降り積もる雪が覆い隠そうとする。逆説的だがそうなるまいと二人はいつまでも、峠道を、落葉松林を、教会、郵便局、駅への道を歩み続ける。

    真夜中の電話で奇妙なことを訴えてきた依頼人が目の前から居なくなったように、研修医の観察対象もまた姿が見えなくなる。後に残された研修医が正気を取り戻したのか否かは、永遠に知ることが出来ない。

  • トーマスベルンハルト「凍」読んだ http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207636/ 題名どおり全編に漂う冷気がすごい。いま読んでよかった、冬に読んだら凍死しそう。心の冷酷さ、季節も真冬だし、希望のなさとか極貧とか、料理も冷え切ってるしとにかくあらゆるものが厳寒で無慈悲で闇。これ書いた精神状態って。。(おわり

  • やっと読み終えた。この本のために一体何冊を経たのだろう。時間に余裕があって、一切を集中しないと読めない本。本を一旦閉じるたびにゴッと襲ってくる疲労。対話か、侵食か、融合か。暴力的に入り込んでくる冬の冷気は肌を枯らし肺を凍らせ指先から砕けていく。ただ圧倒的な冬に積もって沈む。
    この一文、覚えておきたい!と思うフレーズがあまりに多くて、それもまた吹雪にかき消されてしまうような感覚。詩のような文章だなと思っていたらベルンハルト自身詩人からスタートした人とのことでやはり。画家の言うことをちゃんと理解できたとは思えないが、久しぶりの、ゴリゴリの読書だった。

  • 記録

  • 3.8/144
    内容(「BOOK」データベースより)
    『雪と氷に閉ざされた僻村に隠遁する老画家の調査をひそかに依頼された若き研修医の戦慄と絶望の27日間―すべてが底なき深みへ崩れおちて凍りつく。世界文学の極北をきわめたトーマス・ベルンハルトの比類なき傑作。』


    『凍』(いて)
    原書名:『Frost』
    著者:トーマス・ベルンハルト (Thomas Bernhard)
    訳者:池田信雄
    出版社 ‏: ‎河出書房新社
    単行本 ‏: ‎360ページ

  • 凍てついた村にひっそり暮らす老人を観察する研修医の物語。孤独の老人は、一見理知的と思われるが、ようは訳の分からない話を繰り返す。彼の言葉は何か意味があるのだろうか。私には全然分からない話ばかりだった。分からない中にも、孤独や寂寥感、疎外感は感じられはしないだろうか。

  • 主人公の研修医と画家の対話と言いたいが、主人公は対話ではないと言う。画家が饒舌に語る言葉は平易のようでいて難解なもので、主人公は理解できないと口にする。
    読んでいる時はタルコフスキー の映画をイメージしていたが、タルコフスキーほど詩的ではなく、現実に着地しているところが、途中で放り出すことなく最後まで読み続けられた点でもあった。
    話の内容云々というよりも全体のイメージとして記憶に残り、それが持続している得難い読書感だ。75

  • きみには知っておいてもらわなければならないが、ベルンハルトのこころ。

  • 私が今まで読んできた中でこの作品に一番近いのは、パスカルの「バンセ」ではないだろうか。(書名の記述はないが画家の愛読書がパスカルと書かれているからというわけではなく、どうしても思い浮かべてしまう。)

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著者プロフィール

Thomas Bernhard, 1931-1989
20世紀オーストリアを代表する作家のひとり。
少年時代に、無名の作家であった祖父から決定的感化を受ける。音楽と演劇学を修めつつ創作をはじめ、1963年に発表した『凍』によってオーストリア国家賞を受賞。一躍文名を高める一方で、オーストリアへの挑発的言辞ゆえに衆目を集めた。
以後、『石灰工場』『古典絵画の巨匠たち』『消去』『座長ブルスコン』などの小説・劇作を数多く発表。1988年に初演された劇作『英雄広場(ヘルデンプラッツ)』でオーストリアのナチス性を弾劾するなど、その攻撃的姿勢は晩年までゆるがなかった。
1975年に発表された『原因』のあと、『地下』、本書『息』、『寒さ』、『ある子供』が続けて刊行され、自伝的五部作をなした。1989年、58歳で病死。

「2023年 『息 一つの決断』 で使われていた紹介文から引用しています。」

トーマス・ベルンハルトの作品

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