民主主義ってなんだ?

制作 : 高橋 源一郎  SEALDs 
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309247328

感想・レビュー・書評

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  • [「僕らの」言い分]小説家としても活躍する高橋源一郎と、反安保法案のデモで一躍注目を集めた「SEALDs(注:自由と民主主義のための学生緊急行動)」に所属する学生たちによる対談を記録した作品。「SEALDs」の結成とその歩み、そしてメンバーが考える民主主義について熱い議論を交わしています。


    ニュースでその名称だけはよく目にしていたのですが、実際にその思うところを目にすることで、この運動がどういったものかの一端を確認することができました。いくつかのレビューでは、メッセージに「中身がない」とか「空虚」という批判が散見されるのですが、これほどまでにぼんやりとして、かつ様々なところで矛盾の綻びを抱える運動が継続するには、そもそものはじめからそういった要素が必要不可欠であろうことは心に留めておいても良いかと思います(もちろん「ぼんやりとしたメッセージ」ではなく、「ぼんやりとしたメッセージの上に成り立つ運動」が悪いということで批判されている方もいるとは思いますが......)。


    一つ気になったのは、下記の引用に見られるような「SEALDs」のメンバーが抱えている真っすぐな自己肯定性。「愚かな話をしてはならない」と他人の考えを遮る「自分らを肯定」することが許される根拠や、その姿勢が独善的にならないことをどのように保証するかという点について、もう少しどのように考えているかを聞いてみたいなと感じました。それにしても、普段読まないタイプの本っていろいろと新鮮な見方が得られて面白いものですね(なんだか水野晴郎さんの言葉みたいになっちゃいましたが......)。

    〜(牛田)今は肯定の運動をやってると思ってて。安倍さんを肯定しようとは思わないけど、自分らを肯定してるんですよね。自分らを肯定すると、必然的に安倍さんを否定してしまう。……(奥田)話し合いも大事だけど、ギリシアで言うところの「愚かな話をしてはならない」っていう事も大事だよなって。〜

    運動や思想の軌道をたどれば当然予期される「SEALDs」が陥ってしまうであろう盲点を無視もしくは極端に軽視して、こういった若者を(おそらくは一種の郷愁を胸に抱えて)次世代の旗手としてやいのやいのと持ち上げてしまった「リベラルな大人たち」の「罪」は重いのではないか☆5つ

  • SEALDsのやっていること
    やろうとしていることがよくわかる。
    たしかに力強い!

  • 15/10/23。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784309247328

  • いかに自分が勉強不足か分かった。
    自分で考え行動している人の言葉は重い。そこに、勉強もせず何のリスクもとらない人間が外から好き勝手言うなんておこがましい事だと思った。
    SEALDsの名前は知っていたが、何をしているのか具体的にはわからず、新しいもの、分からないものゆえに、デモ、という表面的な形だけで本能的に胡散臭いと感じていた。また、ネットにすっかり毒されている自分は、何だかヒステリックな団体なのだと勘違いしていた。
    こうして読むと、それどころかすごく勉強し、考え、行動している。何より彼らがとても冷静な事に驚いた。もっとヒロイズムに酔ってると思っていたのだ。
    第2部は難しくて読み取れなかった部分もあるし、ちょっとそれはどうなんだろう…と思うところもあったが、近頃の政治状況について何だか不安、と思っているだけの自分が恥ずかしくなる。
    後から振り返って、彼らがどのように評されるのか。これからも頑張ってほしいと切に願う。

  • SEALDsについては多く語られすぎて、そのためにSEALDsについて語るのはとても難しくなっている。Amazonの評価が、10月のある日の記録で52の評価中星5つが20で星1つが20、と両極端に偏っているのはやはり少し悲しい。

    本書は、高橋源一郎とSELADsのメンバーとの対談をまとめたものだ。高橋源一郎さんの本だからこの本を手に取ったと言える。対談をしている時点では、まだ安保法制は国会を通っておらず国会前の抗議デモを継続しているという比較的ホットな時期での対話になっている。主宰者の一人で、マスコミにもよく登場している奥田さんが明治学院大での高橋さんの「言語表現法」という授業の受講生であったということもあって、本書の対談は実現した。しかしその縁以前に、『ぼくらの民主主義なんだぜ』という本を上梓し、反原発などにもある種のシンパシーを寄せていて、また特に自身が学生時代にデモに参加をして逮捕された経歴を持つ高橋さんは、SEALDsに心情的にも共感する要素はもともと濃くあったのではないだろうか。

    SEALDsは、Students Emergency Action for Liberal Democracy - s、の略。学生の運動で、緊急性を持ち、そしてリベラルな活動だということを示しているんだろう。もともとは2014年の秘密保護法への反対のために集ったSASPL (Students Against Secret Protection Law)のメンバーが元になっている。彼らのサイトを見ると、立憲主義、生活保障、安全保障の分野で、明確なヴィジョンを表明するとしている。 「日本の自由民主主義の伝統を守るため」や「リベラル勢力の結集を求めます」といった一種危うさも含む主張が掲げられている。SEALDsは毎週金曜夜の安保法反対デモを主宰するなど、2015年秋の今、マスコミにも多く取り上げられた。テレ朝の「TVタックル」で、異性との出会いを求めて集まっている人もいるのではないのか、みたいな取り上げ方をして取材をしていたのは論外として(これはいただけなかった)、それなりの扱いでマスコミにも取り上げられていたと思う。「朝まで生テレビ」にも呼ばれたし。一方、ネットでは、どちらかというと否定的に触れられることも多いように思う。個人的には、その意見に賛成しているわけではないが、行動を起こすことは悪いことではないと思っている。最初の対談では、奥田さん、牛田さん、芝田さんが自らの生い立ちや日常を率直に語っているが、マスコミの報道からだけでは得られない、個々の人の立体感のようなものが感じられてよかった。

    本書のタイトルは、彼らのシュプレヒコールにも使われた言葉だ。これに対しては、「これだ」と叫ぶコールになっている。Occupy Wall Streetでの”Tell me what democracy looks like - This is what democracy look like!”という交換にインスパイアされたらしい。しかし、それは自らにも戻ってくる深い言葉になっている。そのことに気が付いているのだろうか。高橋源一郎は 『ぼくらの民主主義なんだぜ』で台湾のデモにも触れて、そのプロセスと成果、特にその終わり方、を非常に高く評価していた。かの作品中では、自分たちが何種類もの「民主主義」に参加していることに思い至ったと語る。「ぼくらの」民主主義があるように、「彼らの」民主主義もある。「民主主義」に関してはそのことについて常に意識的であることが求められるのだと思う。そして、高橋さんが言っているように「コミュニケートするっていうのは、相手と違う意見だからするんだ。同じ意見の人とはコミュニケートする必要はあまりないわけだからさ」

    いずれにせよ、本書の中でもそう書かれている通り、言葉には定義が必要だ。

    そして、少なくとももし何かを語るのであれば、彼らのサイトは覗いてみてからとすべきであろう。
    http://www.sealds.com/

    法律が通過した10月18日の金曜日に渋谷街宣を行うという。彼らはこれからも運動として継続するのだろうか。

    ----
    『ぼくらの民主主義なんだぜ』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4022736143

  • もう序文を読んだだけでゲロゲロって感じで本文読むのやめたいと思ったほど。いつの間に高橋源一郎はこんな気持ちの悪い文章を書くようになってしまったんだろうか。多分子供が生まれてからだと思うのだけれど、過剰なまでに視線を下げているというか、当人は「優しい(易しい)」文章を書いているつもりなのだろうが、はっきり言って却って見下されている感じがして不愉快です。
    本文。ネットだと色々言われたい放題のSEALDsですが、まあやっぱりネットの言説など本当に当てにならないな、という感じ。特にこういった政治の分野だと。
    「我々が真に民主主義的に自由なのは、投票する瞬間だけだ」的なことを言ったのは一体誰だったか忘れましたが、ネットの書き込みの多くが「これが投票による結果なのだから従うのが当然である」という主張がまかり通っている。確かにそれは正しい。しかし「民主主義」に参加する方法は決してそれだけではないはずだ。日本ではどうしても「デモ」というものが認められておらず、忌避されている傾向が強いが、そういったことも立派な民主主義への参加活動であるはずだ。
    どこかの記事で「デモの参加者の多くが共産党に投票した人たちなので『普通』の人たちではない」とか、「結局デモに参加しているのは学生の特殊なごく一部だけで、渋谷にいるような若者たちにはそれは通じていない」というものを見かけたが、党員ならともかくどの党に投票したかでその人が「普通」ではないとレッテル貼りをするのでは、これははっきりと結論ありきの歪んだ主張でしかないし、他の学生が参加していないという主張も一見その通りだと思えるが、今まで黙っていた学生たちの「一部」であっても主張のために立ち上がったということが重要な部分なのである。ゼロとイチの間にある大きな差に気がついていない。
    ネットの書き込みではSEALDsを揶揄するものがあまりに多いため、なんとなくSEALDsを胡散臭い団体だと思ってこの本を読み始めたが、するとかなりしっかりと勉強をして、その上でデモに臨んでいることがわかる。まあ、時々「そのやり方はサムいだろ」と思う部分もないではなかったし、やっぱり自分の中にもある種デモを「忌避」する傾向があるので彼らの主張を鵜呑みにすることはできなかったけれど、少なくとも彼らに対して持っていた偏見は解消された。
    結局安保法案は通ってしまい、安倍政権はどんどん暴走しているのだけれど(まあ、それでも支持率はそれなりに高いのだから、多くの人々にとってこれで良いもしくはどうでも良いと思っているんだろうが)、彼らはこれからどうしていくのか、この先の行動に注目したい。

  • 等身大の学生が、政府のやり方、政府がおかしいと声をあげた。SEALDs結成のきっかけ、初期メンバーの生い立ちなどを高橋源一郎氏が話しを進め、対話記述のため、読みやすく、各人のそのままの言葉、飾らない人柄が垣間見れてとても親近感が湧いた。民主主義って何か?とこれまで真面目に考えたこともなかったが、このことをきっかけに改めて考える機会となった。現在声をあげている人達のように、自らも決して諦めることなく、それは簡単なことではないが、民主主義の声をあげていきたいと強く思った。

  • 自分の勉強不足を痛感した。

  •  (高橋)安保法制を止めようとしていたら、他が止まっちゃった(笑)。実はすごく効果があると思う。すでにね。だって、全部つながってるんだから。僕は、こういう政治運動は何かひとつのテーマをやることでいいと思うんだ。(中略)他のテーマをやりたい人は他のところでやればいい。自分で考えて、自分で始める。ひとつのことを。実はそれがいちばん大きな力になるんだと思うんだよね。(pp.66-7)

     (高橋)重要なのは、何かが決まるまでの過程に全員が参加し続けられるかってことなんだよね。その過程で意見を言ったり聞いたりして、みんなが何を考えているかを知ることができる。みんなが知るってことが大事なんだ。なぜ、それが大事なのか。それは、古代ギリシアやルソーが考えている民主主義は単なる政治システムではなく、哲学や思想を含んでる、共同体の生き方に関係があるからなんじゃないかな。(p.147)

     (奥田)僕の高校の後輩なんですけど、民主主義は他者と生きる共生の能力だとジョン・デューイが言ってる、って話をよくしてる。学校教育とはすごく関わってますよっていう話で。社会では自分と全然違う人たちと生きていかないといけない。そういうときに言葉だったりとか、技術的なことだったりとか、能力を高めていく。つまり、他者と生きていく能力を高めていく。それが教育だ、と。(p.166)

     (高橋)人間の母親は「こうやってミルクを飲むんですよ」とは方法を説明しない。いきなりミルクを飲ませるわけ。具体的に生きることそのものが教育なんだよね。人間と人間との関係から教育は始まっている。最初は母親、そして父親が入り、別の過程が入り、社会が入り、どんどん広がっていって、社会から教育を受けていく。その中で僕たちも変化して違ったものになっていく。この教育システム全体が、ひとつの民主主義のシステムなんだと考えてみる。(p.168)

     (高橋)認知症の人間も障がい者も実際に弱い。でもそこで「平等」「同じ」というフィクションをつくったとき、そこにできる共同体は実はすごく強い。リアリズムでやってるつもりの共同体のほうが実は弱い。「弱い人間はあっちに行って」というふうにやると、強い人間だけが真ん中に残るいびつな社会になる。弱い人間も入れて、全部平等で同じっていうふうにしていく世界のほうが、運用は難しいけれども、結果としてははるかに強いものになる。(中略)民主主義は、決して議会制民主主義だけにとどまらず、あらゆる場所にあるし、また同時に立憲主義で縛らないといけない場合も出てくる。民主主義が完全なかたちのものではないからこそ難しい。難しいから、教育になるってことだと思う。(p.180)

     つまり歴史を堆積物として見る。どこかで歴史ががらっと変わったとするんじゃなくて、堆積物としての歴史があって、その上に僕らが立っている。そういうふうにして理解していく。だから組み合わせで成り立っているということなのかなって。そういう歴史の見方辞退が重要。(p.190)

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著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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