音楽と建築

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309276182

感想・レビュー・書評

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  • ずっと読みたかったヤニス・クセナキスの著書。絶版で古書として高値がついていて、なかなか買えずにきてしまったのだが、今回、おなじ髙橋悠治さんによる「新訳」として再出版。とても喜ばしい。クセナキスは、20世紀をとおして最も好きな作曲家の一人だ。
    噂に聞いていたとおり、よくわからない高等数学ふうの数式やら図形やらがたくさん出てくる。しかし文章をじっくり読めば、だいたい掴むことが出来たと思う。

    本書で音楽上の思想を端的に示しているのは「メタミュージックに向かって」(1967)と「音楽の哲学へ」(1968)。両編は内容的にかなり重複しているが、クセナキスのあまり雄弁ではない文章の意を汲むためには、この重複が理解の助けとなった。
    クセナキスは音楽の構造を3つに分ける。
    「時間外構造」
    「時間内構造」
    「時間構造」
    なぜ「時間」というコトバを使うのか、奇妙なところで、説明もないから了解しきれないが、なんとなく意味深いような感じはする。
    「時間外構造」には任意のピッチの音の集合が含まれ、それが任意の音階上のメロディ、和音として形成され、順序構造を組み立てていくのが「時間内構造」への推移となるということのようだ(誤読があるかもしれない)。
    私の解釈では、この「時間外構造」と「時間内構造」との区域分けは、フロイト-ラカンや言語学的な風味で私自身が翻訳するならば、「無意識/シニフィアン/原初的音イメージ」と「意識/パロール/様式化」のふたつの次元と考えられると思う。
    クセナキスは、西洋音楽がポリフォニー化の波を経て調性音楽へと向かうことによって、「時間外構造」の領域が衰退し、「時間内構造」ばかりが残ることになった、と批判している。20世紀の無調音楽とセリー音楽もその流れにある。
    ここを私の解釈でとらえると、要するに固定化されてしまった音階:調理論によって、音楽を「様式」が支配するかたちとなり、社会内パロールは均質化されてしまったということだろう。
    そこでクセナキスはいったん、「時間外構造」という「原初」へと向かうのだ。
    この原初遡行性は、ちょっとアントナン・アルトーの言説やピエル・パオロ・パゾリーニの映画を思わせなくもない。クセナキスの場合は古代ギリシャの音楽理論へと向かう。
    現代ギリシャの作曲家が、古代ギリシャの音楽知に準拠するのはごく自然なことだろうが、私は無知にしてクセナキスのこの一面にこれまで気づかなかった。
    それに、私はCD「グレゴリオ・パニアグヮ指揮、アトリウム・ムジケー合奏団:古代ギリシャの音楽」くらいでしか、古代ギリシャ音楽の知識をもっておらず、当時の音楽はかなり断片的なパピルスによって、わずかに残っているにすぎないと思っていたのだが、本書を読むと、もっと理論的な文献があるようだ。
    本書によると古代ギリシャには「音階の生成の理論」(どうもテトラコルドが中心にあるようだ)があったらしく思われ、クセナキスはこれを参照して、独自の、自在な音階(というより音集合?)を計算により導き出す。ここで高等数学が使われ、それはコンピュータに委ねられることになるだろう。ここが、数学を活用した「時間外構造」の再生産のプロセスに当たる。
    そして、近代音楽の「線的思考」を批判した彼は音塊、音響、および、密度・順位・変化速度などのパラメータを中心とした「確率音楽」へと向かう。「無意識/シニフィアン」領域を刷新すると共に、当然、パロール領域もがらりと変容するというわけだろう。
    数式やコンピュータに依拠するクセナキスは、批判しつつもメッセージ論やサイバネティクスへと接近しているように、私には見える。
    「芸術も含めてあらゆる知的活動が、現在は数の世界に専念している。・・・われわれはみんな、ピュタゴラス派だ。」(P61)
    しかし、50年代以降旋風を巻き起こし、今でも続いてはいるこの「数理主義」傾向は、クセナキスの場合、別の資質と結びつくことによって、「陳腐な前衛」とは一線を画しているように思える。
    「時間外構造を備えさせれば、時間カテゴリーにはその真の本性、剝きだしの直接的実在、瞬間的生成だけが残るだろう。・・・組織・構成と瞬間的・直接的実在との衝突から生の意識の原質が生まれる。」(P45)
    彼が理論の先にめざしていたこの「生の意識の原質」への希求こそが、クセナキスの音楽聴取にともなうある種の「感動」に結びついているのではないだろうか。音大の学生などの「こうやってみました♪」というだけのつまらない「実験」音楽などとは全く異なるベクトルがここにある。そこには、彼自身がここでは語らない、混乱した現代ギリシャでの社会生活、レジスタンスなどの激越した生といった、死を賭した<経験>が、彼の「無意識」をシャッフルし、あらあらしくラジカルな「時間外構造」を再編成させたのではなかったか。
    そしてまた、重要なのは、彼が音組織を構成する際に大きな図形を描くような仕方で作曲したという点だ。
    私のコトバで言えば、これは「大きなゲシュタルトの構成」に当たる。大きなゲシュタルトがえがかれているからこそ、クセナキスのオーケストラ作品は「とてもわかりやすい」のであり、その表出が「胸に迫る」のである。
    本書の最後の方に、少しだけ建築についての文章が掲載されている。そこでは、光と空間構成と音響とが一体となった総合的な芸術が目指されているようだった。

  • 古代ギリシャをはじめとした音楽の代数構造,建築との関連などが書かれている。電子音楽の過渡期を知る上では重要性の高い著書。

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著者プロフィール

1922~2001年。作曲家。建築と数学を学んだ後、48年からル・コルビュジエの弟子となる。パリ音楽院ではメシアンに師事。大阪万博・鉄鋼館の音楽監督を務めた。

「2017年 『音楽と建築』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ヤニス・クセナキスの作品

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