無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 55
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  • Amazon.co.jp ・本 (540ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309402758

作品紹介・あらすじ

4人を射殺した少年は獄中で、本を貪り読み、字を学びながら、生れて初めてノートを綴った。-自らを徹底的に問いつめつつ、世界と自己へ目を開いていく、かつてない魂の軌跡として。従来の版に未収録分をすべて収録。

感想・レビュー・書評

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  • 永山則夫(1949~97年)は、北海道網走市で、8人兄弟姉妹の第7子(四男)として生まれ、幼い頃に父親は家からいなくなり、母親や兄弟からも疎まれて育ち、小学校、中学校にはほとんど通わなかった。集団就職で上京した後、仕事を転々としながら、ときに窃盗事件を起こし、また、外国船に乗って密航を企てたりしたが、一時通った明大付属中野高校夜間部では上位の成績だったという。そして、1968年、19歳のときに、在日米軍・横須賀基地内の住宅で盗んだ小型拳銃を使って、4件(東京都・京都市・函館市・名古屋市)の連続殺人事件を起こし、最終的に死刑判決を受け、1997年に死刑が執行された。
    本書は、ほとんど学校に通うことのなかった(高校の一時期を除き)永山が、拘置所の中で、本を貪るように読みながら、1969年7月~1970年10月の一年余りの間に、自分の思いを大学ノート10冊に書き綴った手記で、1971年に出版された。出版直後からベストセラーとなり、1970年代前半は、本書を持ち歩くことが「反権力」を通す若者にとって、ある種のファッションだったともいう。永山は、その後も獄中で小説家として創作活動を続け、小説の『木橋』(1983年新日本文学賞受賞)、『捨て子ごっこ』等を残した。
    私は、随分前に、堀川惠子氏の『死刑の基準』を読んで、永山と連続殺人事件のことを詳しく知り、そのときも本書には興味が湧いたものの、(パラパラめくってみて)読み切る自信がなくて止めたのだが、今般、新古書店で手に入れ、評論家・秋山駿氏の解説を参考にしつつ、飛ばし読みしてみた。
    ページをめくり終えて、まず驚いたのは、思索のボリューム・密度と、わずか一年余りでのその向上ぶり(という言い方が適切かは疑問だが。。。)であった。全体のイメージとしては、ノート4までは、自分の思いついたこと・感じたことを、詩の形式で断片的に描いたものが多く(義務教育もまともに受けておらず、文章を書く力がなかったのだろう)、ノート5あたりから、本を読んで得た言葉・表現や知識(ドストエフスキー、カント、フロイト、マルクス等の著書を次々と読んでいるのだ)を使って、人の生や社会・世界について自分の考えたことを、散文形式で表現するようになっている。
    そして、犯罪者の手記として最も知りたいことは、当然ながら、なぜこのような凶悪犯罪を起こしたかであるが、この事件は典型的な「動機・理由なき殺人」と言われ(幼少期からの不遇が背景との分析は為されたが)、その原因は永山本人にすらわからず、秋山氏によれば、この手記は、「いったいそこに何が在ったかへの、なぜ自分がそこにいたのかへの、果てのない追求の手記」なのである。そういう視点で見た場合、最も気になるのは、ノート5の「この108号事件は私が在っての事件だ。私がなければ事件は無い。事件が在る故に私がある。私はなければならないのである。・・・死刑になるなら自殺した方が最良だと考えた・・・自殺は出来なかった。・・・世論の同情する私であるために出来なかった。」という文章なのだが、これは、その後も後を絶たない無差別殺人の犯人がしばしば口にする、「注目される事件を起こして、死刑になりたかった。相手は誰でもよかった」という考えと大きく違わないようにも聞こえる。
    永山は、もともと知的作業に向いた知力を持ち、それ故に、驚くべき短期間で思索し、それを表現することができるようになったが、これは、間違いなく永山に特有のことであり、本手記に散りばめられた様々な思索は、他の動機・理由なき凶悪犯罪に通じるのだろうか。。。
    本手記をどう読む(べきな)のか。。。現時点ではよくわからない。
    機会があれば、永山の書いた小説を読んでみたいと思う。
    (2024年5月了)

  • 死刑囚として、あまりに有名な永山則夫。
    禁忌を犯した己の業に抗おうと、
    知で武装した1人の死刑囚の獄中での思索の記録として忘れられない。

  • 連続射殺事件の犯人が牢獄の中で綴ったノート。
    授業中、先生が教育の大切さを仰ったときにこの本に言及されたので読んでみました。

    分かったのは、たぶんその先生がむかし、多感で繊細な感性を持っていた若者だったのであろうこと。(今は・・・笑)
    私にはあまり得るものがなかった気がします。

    読んでいて、
    筆者のおふざけが恥ずかしい。
    筆者のプライドの高さばっかり目について、かたはらいたい。

    無知・貧困が悲惨な犯罪を招くのだと、筆者は日本の社会主義化を主張するが、どうなのだろう。

    確かに私は筆者は無知であったし、このノートを書いた当時も無知である、と思う。
    彼のノートを読む限り、自分以外の人間に思考、感情があることを認めていないように感じられるから。
    自分以外の人間に対して理解がないことが、一番の無知、じゃないでしょうか。

    と、偉そうに書きましたが、
    私には掬えなかったエッセンスがこの本にはあったのかもわかりません。
    ただ、感じられたのは
    結局この著者があまりにも中学生的思春期的イタサを暴露していることだったのですよ。

  • 最後まで読めなかった

  • 読後は「ピストル魔の少年」と軽々しく呼ぶ事は憚られる。時代が違いヒップホップに出会っていたら…と夢想せざるを得ない。

  • 読み書きがまともにできなかった著者の学びへの執念の凄さを突きつけられた。自己を見つめ、社会に問いかけ、考えたことがびっしりノートに書き綴られている様は圧巻だった。本当に読み書きできなかったの?と疑ってしまうほど。左に偏る思想は賛同しかねるが、言いたいことはわかる。客観的に見たら罪を犯したことは事実。遺族を思えば当然の判決なのかもしれない。だけど…だけど…と思わされる1冊だった。答えは出ない。

  • 3 「大人になる」とはどういうことか[辻智子先生] 3

    【ブックガイドのコメント】
    「19歳の連続射殺犯(1968年)の獄中ノート。『金の卵たる中卒者諸君に捧ぐ』。」
    (『ともに生きるための教育学へのレッスン40』182ページ)

    【北大ではここにあります(北海道大学蔵書目録へのリンク先)】
    https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2000709870

    【関連資料(北海道大学蔵書目録へのリンク先)】
    ・[初版]1971年発行(合同出版)
    https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2000181183

    ・[初版の文庫本]1973年発行(角川書店)
    https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2000557831

  • 永山則夫死刑囚。ETV特集より。

  • ノンフィクション
    社会
    思索
    犯罪

  • 1968年に4人を殺害した事件で知られる著者が、獄中で哲学や心理学などの本をむさぼるように読みながらつづった手記です。

    見田宗介は『まなざしの地獄―尽きなく生きることの社会学』(河出書房新社)で著者をとりあげ、高度成長期の疎外状況における著者の実存に迫る考察を展開しています。また、批評家の井口時男や、近年では哲学者の細見和之も、著者について鋭い論考を発表しています。

    本書につづられているぎこちないことばを読みながら、いったい著者は、マルクスやカントのことばをどのように読んでいたのだろうかという疑問に、つねにつきまとわれていました。おそらくわれわれがマルクスやカントを理解するように読んでいたのではなく、著者自身の、それまでかたちをとることのなくくすぶりつづけていた暗い情念が抽象的な概念で組み立てられた文章のうちに流れ込み、はじめてそれをみずからの目で見つめるような仕方で読んでいたのではなかったかと想像します。そうした著者のまなざしは、マルクスの思想を「外部」から見るということがどういうことなのかを、実例としてわれわれに示しているように思います。

    わたくし自身は、資本主義が生み出す貧困によって、必然的に著者が犯罪者へと押しやられたとは考えませんが、もし著者が、彼自身のうちにくすぶる混沌を、ことばによって輪郭づけることができていたとしたら、はたして彼は罪を犯しただろうかという問いは、やはり残るだろうと思います。本書でも著者は、学生や看守に対して幼稚とも思えるコンプレックスをあらわにしていますが、それすらも、彼が学ぶ前には明瞭に自覚することさえできず、ただうちにくすぶりつづける混沌として彼を苛んでいた情念だったのではないでしょうか。

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著者プロフィール

1949年、北海道に生まれる。
1965年、青森県の中学校を卒業後上京、職を転々とする。
1968年、4件の連続殺人事件を起こし、69年に逮捕。以後、獄中で思索や創作活動を開始する。83年、小説「木橋」で第19回新日本文学賞受賞。
1990年、死刑判決が確定、97年、東京拘置所で死刑が執行される。

主な獄中記に、『無知の涙』(1971、河出文庫=1990)、『人民をわすれたカナリアたち』(1971)、『愛か―無か』(1973)など、
主な小説に、『木橋』(1984、河出文庫=1990)、『捨て子ごっこ』(1987)、『なぜか、海』(1989)、『異水』(1990)、『華』(1997)などがある。

永山子ども基金 https://nagayama-chicos.com/

「2023年 『捨て子ごっこ 永山則夫小説集成2』 で使われていた紹介文から引用しています。」

永山則夫の作品

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