人民をわすれたカナリアたち: 続・無知の涙 (河出文庫 な 19-3 BUNGEI Collection)

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (373ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309405261

感想・レビュー・書評

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  • 『無知の涙』(河出文庫)の続編です。

    『無知の涙』のレビューでも書いたのですが、著者はマルクスの「外部」から懸命にマルクスへのアプローチを試みているという印象を強く受けます。

    本書では、著者は性急なまでに、マルクス主義の言説に基づいてみずからの境遇を語ろうとしています。「解説」で批評家の井口時男は、著者が歌や詩を捨てて散文へと移ったことで、彼の犯行の理由と動機の微妙なニュアンスを切り捨ててしまったのではないかと指摘しており、わたくしもこうした見方におおむね賛同しています。しかし、著者がみずからの境遇をマルクス主義の定式に「騙り取らせる」ことをみずから望んでいたことの意味を、もう少し慎重に見ていくべきではないかと考えます。

    たとえば著者は、「マルクスよ、/同志マルクスよ、/君は、君は、なぜに僕と語ろうとしないのか。//僕は、君を識りたく、/世界=内=存在を知るため必要とするのに、/君は、僕を近づけようとしない」と述べて、マルクスからのへだたりを告白しています。ここには、みずからの犯した罪をマルクスの理論的な言説に預けてしまおうとして、それを果たせない著者の立場、つまりマルクスの「外部」に彼が置かれていたことを示しているように思えます。

    また、本書の最後にルンペンプロレタリアートの解放を宣言する『共産党宣言』のパロディがあります。しかしこれもまた、マルクスの理論をマルクスそのひとに向けるような、いわば内在的な立場からのマルクス批判ではなく、著者がどうにかしてマルクスの「外部」からマルクスという「知」の内部へ身を滑り込ませようとする所作ではなかったでしょうか。著者はマルクスを学ぶなかで、「非‐知」とは異なる「無知」の立場にみずからが置かれていることを、いやおうなく知ることになった、その証左がここに現われているように思います。

  • 実家の本棚に角川文庫版があった。獄中日記の続き。
    読もうと思いながら一向に読み進めなかったのは、私にこの本がこれっぽっちも必要ではないからだ。

  • 三島由紀夫が天皇バンザイと自決した同じ日、彼は東京地裁で天皇一家をテロルしろと叫び、それが同じような時刻だったと運命的なものを感じたようだが、土台、そんなものは感傷的な偶然に過ぎず、そもそも天皇を資本家の主謀と考えて何か反感を持つのは大間違いだ。

    弁証法だ措定的実存だと、方法論の種類の中でも、何だか分かりにくいものを持ち出して、その方法を知ったかぶりして自己問答するのは良いが、その方法を用いて何か事象を整理したり、人間真理の確たるものにでも言及すれば良いが、彼は、言葉そのものの衒学的魅力に囚われ、それがツールに過ぎない事を忘れてしまっている。私はこうしたカッコつけを、近現代期の厨二病だと思っている。

    しかし、階級への懐疑は深まり、獄中、ブラックパンサー党のクリーヴァーに興味が向く。資本家への疑念と同時に、有色人種を思考の対象としたわけだ。クリーヴァーも共産主義の役者の一人だが、民族主義的哀愁を併せ持ち、随所に思考を散りばめる。

    勉強しながら、獄にいるわけだ。思索を深めているわけだ。しかし、彼の立場は殺人犯だ。何故、勉強した後に殺人をせず、稚拙な思考段階で犯した罪を正当化するのか。人民の在り方について、絶対的なイデオロギーは存在しないし、罪は押し付けである。私有財産や金持ちをどう定義したのか。生殺与奪を握り武力で支配しようとする自らは、金で支配するブルジョアジーに対し、何が違うというのか。

  • 死刑囚042の最終巻を読み終えたら、思い出した永山則夫。実家にあるのは『無知の涙』なんですが、ビジュアルがないのは寂しいのでこちらを紹介。
    もし彼が犯罪を犯す前に『思想』に触れていたのなら、もしかしたら『死刑囚永山則夫』はいななかったかもしれない。うちにあふれる衝動が文学を作るとしたら、それは同時に『文学者永山則夫』も、なかったかもしれないけれど…

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著者プロフィール

1949年、北海道に生まれる。
1965年、青森県の中学校を卒業後上京、職を転々とする。
1968年、4件の連続殺人事件を起こし、69年に逮捕。以後、獄中で思索や創作活動を開始する。83年、小説「木橋」で第19回新日本文学賞受賞。
1990年、死刑判決が確定、97年、東京拘置所で死刑が執行される。

主な獄中記に、『無知の涙』(1971、河出文庫=1990)、『人民をわすれたカナリアたち』(1971)、『愛か―無か』(1973)など、
主な小説に、『木橋』(1984、河出文庫=1990)、『捨て子ごっこ』(1987)、『なぜか、海』(1989)、『異水』(1990)、『華』(1997)などがある。

永山子ども基金 https://nagayama-chicos.com/

「2023年 『捨て子ごっこ 永山則夫小説集成2』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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