文明の内なる衝突---9.11、そして3.11へ (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309410975

作品紹介・あらすじ

9・11テロは我々の内なる欲望を映し出す鏡だった-あの破局をもたらした根源的要因をさぐり、資本主義社会の閉塞を突破して奇跡的に到来する「共存」への道筋を示してみせた画期的論考。逆説に満ちた、スリリングな展開は大澤社会学の真骨頂。10年をへだてた2つの「11」から新たな思想的教訓を引き出す3・11論を増補。

感想・レビュー・書評

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  • p.2011/8/5

  • こういうがっちりした社会学系の本もたまに読むと面白い。ポストモダン後のセキュリティ社会に対する考察。9.11をはじめとするテロ行為は、西欧とイスラムという異なる文明の衝突ではなく、資本主義社会における内的な闘争ではないか、という点を考察する(ビン・ラディンも金持ちのボンボンであり、異なる文明の代表者というよりも、自分達が属する資本主義社会が生み出した別の側面である、という論旨)。よって異国からの脅威を防ぐだけではなく、自国内に潜む「テロリスト」を殲滅しない限り戦争は終わらない。必然、この戦争で主導権を握るのは、軍隊ではなく警察となり、社会全体が、セキュリティ体勢の強化による警察国家の方向へ舵を切りつつある。危険なテロリストの偏在が、セキュリティへの要請を生み出しているのではなく、完全なセキュリティへの執着が、テロリストの内部における偏在という妄想的な像を生み出しているのではないか、という指摘は鋭いように思える。

  • 大澤真幸さんの本は初めて読んだが、非常に面白かった。
    社会学内の「社会哲学」という分野のようだが、じゅうぶんに哲学としての深みがあり、意想外の視点からどんどん事象の解読を進めていく有様はほんとうにスリリングだ。
    中身の主張については必ずしも同意できないとしても、この知的刺激のスパイシー度は並みのものではない。「私は花火師である」と語ったフーコーに近いと言えるほどに、知的興奮の導火線に急接近する炎の塊のような論述だ。
    本書は2001.9.11の米国で起きたテロ事件をめぐるものだ。それに「2011.3.11/Japan」の事件(震災と原発事故)についての補章が最後にくっつけられている。
    テロに関してはつい最近のパリの同時多発テロ事件につながる話題だが、もちろん執筆当時まだ「イスラム国」はなく、アルカイダ/ビンラディンが最大のキーワードであった。
    著者は狙われた米国のワールド・トレード・センターを「ヴァーチャルな資本主義の象徴」と捉える。そしてこの主本主義というのは、欧米がキリスト教の精神に端を発して数世紀にわたって成長させてきた資本主義経済である。著者はこれに対立するものとして、「イスラム教世界」を論述する。
    とはいえ、アルカイダもイスラム国も、イスラム教を代表する思想の行動者では決して無い。本書では「イスラム原理主義」という言葉で最初のうちは記述されているが、罪深い者を裁こうとする「キリスト教原理主義」集団のことを考えると、原理主義者というのは元々の教義の一部(隣人愛、博愛、殺人の禁止)を切り捨てて好戦的なところだけ極端にデフォルメしてしまった人々であり、そこにもとの宗教の姿は、もはやない。
    「イスラム原理主義」テロリストが欧米資本主義に攻撃を加えるとき、テロという手段には賛同しないけれども心密かにすっきりしたものを感じているイスラム一般市民が少なからずいる、という大澤氏の指摘には「確かにそうかもしれない」とは思うけれども、その境界線を曖昧にして良いとは、私には思えない。
    まあそこはさておき、本書の論考でここが面白いところなのだが、「ビンラディンの偏在」という説が出てくるのである。ビンラディンは本当はどこにいるのか?(当時はまだ「殺害」されていない。)実はアメリカのどこかの州に潜んでいる、という噂も9.11直後にささやかれていたそうだ。それに、彼の「手下」たちは実際、どこにいるかわかったものではない。現在、ISILの成員・賛同者が世界中あらゆるところにひそんでいる可能性があるのと同様に。
    そうすると、「テロとの戦争」というのは、どうも敵がよくわからない。むしろマフィアにも似た組織の彼らは、国家という明確な輪郭がなく、現在のテクノロジーに支えられて世界中至る所に移動しているわけだから、むしろこれは「どこかとの戦争」というよりも、「世界」というおおきな組織体の内部における「内紛」に近い物になってくる。
    9.11が欧米社会にもたらした衝撃は、確固として世界に君臨したかに見えた「西洋型文化」の「外部」が突然身近に出現したという点にある。
    もちろんこれは、西洋型文化=資本主義が絶対的に唯一の「普遍」であるという常識が間違っているのである。
    「普遍」は不可能である、というのが大澤氏の結論である。異質性の衝突にあっては、どちらかの「普遍」を勝利させるのではなく、他者性との出逢いによってお互いのアイデンティティが変容していくこと。これしか解決の見込みはないという。
    一方、3.11とくに原発事故に関して、付け加えられた終章で語られていることも興味深い。けれども、結論部分はちょっと納得がいかなかった。やってくるかもしれないカタストロフィーXは、実際にやってきてみなければはっきりしたことはわからず(偶有性の問題)、それに備えて最大の予防策をはりめぐらすという行為は、最終的にXが来なければ膨大な「無意味な行動」でしかなくなってしまう。この点に関して、大澤氏は「カタストロフィーXを、<必ず来るもの>として予言する、予言者の立場を取るべきだ、という結論を最後に置いているのだが、それだと単に「ノストラダムスの大予言」みたいな妄想的宗教のようになってしまわないか。
    最後は非常に納得がいかない感じが残ってしまったが、それでも本書は、知的な刺激を十二分にそなえた、優れた著作だと思う。

  • 伝統的な善の判断、人々間での合意を前提とした定式化した善、普遍的な善など不可能という3つの立場、これらはそれぞれが絡み合い普遍的な解にたどり着く事は出来ない。
    そこで著者は9.11のテロを引き合いにし、人間の言葉を原始テキストとしたキリスト教、神の言葉を原始テキストとしたそれぞれの宗教と、現代社会の構造を読み解く。
    その中で資本主義との関係性を経て、恒久的な善を語る。
    それは贈与の考え方で、原罪を基幹とするキリスト教の彼岸にある考え方。

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著者プロフィール

大澤真幸(おおさわ・まさち):1958年、長野県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。思想誌『THINKING 「O」』(左右社)主宰。2007年『ナショナリズムの由来』( 講談社)で毎日出版文化賞、2015年『自由という牢獄』(岩波現代文庫)で河合隼雄学芸賞をそれぞれ受賞。他の著書に『不可能性の時代』『夢よりも深い覚醒へ』(以上、岩波新書)、『〈自由〉の条件』(講談社文芸文庫)、『新世紀のコミュニズムへ』(NHK出版新書)、『日本史のなぞ』(朝日新書)、『社会学史』(講談社現代新書)、『〈世界史〉の哲学』シリーズ(講談社)、『増補 虚構の時代の果て』(ちくま学芸文庫)など多数。共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』(以上、講談社現代新書)、『資本主義という謎』(NHK出版新書)などがある。

「2023年 『資本主義の〈その先〉へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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