新生 (河出文庫)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309464114

感想・レビュー・書評

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  • 『神曲』の天国篇でダンテを導く永遠の女性、ベアトリーチェ。彼女への想いをつづる、若き日の自伝的詩文集。

    単純な詩集ではなく、それぞれの詩の前後にダンテ自身の解説が入った詩物語になっている。訳者が言及するように、日本の『伊勢物語』がこのような挿詩文の形式であるが、そちらが様々な男女にまつわる話を組んでいるのに対し、本作はただ一人ベアトリーチェに対する想いに特化しているのが特徴だ。ダンテがひたすらに思い詰める流れで、ベアトリーチェとの会話もなく、一方的な恋を描いた物語に思える。若き日のダンテが描くベアトリーチェの姿は鮮烈で、後に天国篇で描かれる理屈っぽい彼女に比べるとヒロインらしい美しさが映える。一連の物語のなかで、後に生じる浮気心を反省し、さらに純粋な想いに昇華していく詩人ダンテの姿が印象に残った。

  • ・去り給うた、ベアトリーチェは天高くを目指して。そして天使たちとともにいま天の王国の平安の中にいる、婦人方をこの地上に残して。あの方を奪ったものは他の人の場合のような冷気でもなければ熱気でもない。そうではなくてあの方のあまりに大きな徳性ゆえだ。ベアトリーチェの徳性は非情な力をもってもろもろの天を貫いたから、その謙譲の光に天にまします永遠の主も驚嘆された。主はこのような優しさを天上に召そうと望み給い、ベアトリーチェを下界から御許に呼ばれたのだ。このなやましき世はこのような高貴な魂にはふさわしくないと判断されたからだ。

    ・「この貴く、若き、いとも美しく、賢い婦人は<愛>の神のご意向でわたしの生活に安らぎを与えるために現れたのだ。きっとそうだ」

    ・一方を「心」と呼ぶ。「心」とはすなわち欲望である。他の一方を「魂」と呼ぶ。「魂」とはすなわち理性である。

  • ダンテの想い人へ捧げる詩。気持ちの面でもそうだし創作物としても前置きがあることで独特の面白さがある。解説も丁寧で読みやすかった。

  • 「神曲」のダンテが、13世紀終わり頃、二十代後半にして書いた、実体験に基づく詩文集。例のベアトリーチェが女主人公である。
    今回は、当時のフィレンツェの宮殿における貴族生活の恋愛現象なるものへの興味という観点で読んでみた。
    まず安心して欲しいのは、最新の脳科学によると、単に性欲が発動するときと、恋人を思うときとでは、脳の活性化部位が異なるそうだ。だから「しょせん性欲でしょ?」なんて言うのは、言い過ぎなのである。
    恋愛現象は、恐らく人類の文化が発達して都市文化的な様相を呈した頃に、比較的お上品な方々のあいだで明確に現れると思う。
    それ以降に出現し、脈々と語られ、歌われ続けてきた「恋愛」は、根底的な部分でなかなかに普遍的であり、ある程度その普遍性は「地理や時代を超える」とも言えるのかも知れない。
    しかしながら、人類学の本に出てくるような未開社会、特に交叉イトコ婚なんていうような、婚姻が民族のシステムを支える装置になっている場合は、我々の言うような「恋愛」はまだ出てこないのではないか。
    恋愛が単なる性欲の発動にとどまらない、文化的・社会的現象であるからこそ、その作法は時代や土地によって異なったものになってくる。
    8−9世紀ペルシャ付近の「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」で描かれる、王子や姫などの高貴な身分の恋愛は、似顔絵を見ただけで一目惚れに陥ったり、一目惚れしたかと思えばただちに両思いになっていたりとか、恋人に会っただけで感激の余り気を失ったりとか、なかなかに大げさなものだった。
    それに比べると13世紀末のフィレンツェの宮廷はさすがに洗練されている。貴族達の様子も、どうも、18世紀くらいのヨーロッパの貴族らの文化とそう違いは無いように思えた。
    ここでのダンテは、勝手にベアトリーチェに熱烈に一目惚れする。で、その後うまいことやって接近するのかと思えばそうでなく、すれちがいざまの「会釈」をしてもらえただけで完全に満足しており、
    「ねえ、こんどドライブ行かない?」
    などとは決して言うつもりがないのである。
    そんなにも奥ゆかしい片思いだが、ダンテ坊やの頭の中はすっかりバラ色になってしまい、勝手にベアトリーチェを天上の存在としてあがめ、彼女を中心に一種の形而上学をでっちあげてしまうのである。
    で、せいぜい彼の実行することは「詩を書く」ことのみ。
    日本の平安時代、10−11世紀頃の宮廷女性たちによって書かれた物語を読むと、やっぱり男たちは早速ドライブに誘うわけでも「今度飲みに行こうよ」と誘うでもなく、風流に詩歌をやりとりするだけだ(しかも直接渡すわけでもなく、従者を介して送ったりしている)。
    ダンテもそんな感じで詩をベアトリーチェに送ったのか、と思ったのだが、どうもよくわからない。ベアトリーチェの友人らしき女性達もダンテの詩を読んでいたりするのだ。ベアトリーチェが手紙を周囲に見せて回ったか、そもそも「詩の発表」が公然と行われたかのどちらかだろう。
    結局坊やは憧れのベアトリーチェに接近することはなく、会話らしい会話も結局まったくなかったのではないかという気がする。当時のフィレンツェの宮廷における恋愛作法というのは、そんなものだったのかもしれない。
    であれば、やはり18世紀ラクロ「危険な関係」の時代とは、かなり文化/社会の恋愛制度は異なっていたということになる。
    当時の若者の恋愛は、よほど機縁がない限りはじめから成就し得ないものだったとすれば、ダンテの夢想家ぶり、勝手なベアトリーチェ像の神格化も理解ができる。
    それに比べれば、平安時代の宮廷の男女は、最初だけ風流に詩歌なんぞ書いているけど、やがては夜這いしてコトに及んだりするわけだから、よっぽどエッチな奴らである。
    エッチを徹底的に封印されたダンテ的ヨーロッパ貴族社会が、その後のヨーロッパ近代文化の恋愛観のもとになっているのかと考えると、なかなか楽しいかもしれない。

  • 『神曲』でダンテを天国へと導く永遠の女性・ベアトリ—チェとの出会いから死別までをみずみずしく描いた、文学史上に輝く名著。ダンテ、若き日の心の自伝。『神曲』の名訳者による口語訳決定版。

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著者プロフィール

1265年、フィレンツェ生まれ。西洋文学最大の詩人。政治活動に深くかかわり、1302年、政変に巻き込まれ祖国より永久追放され、以後、放浪の生活を送る。その間に、不滅の大古典『神曲』を完成。1321年没。著書に、『新生』『俗語論』『饗宴』 『帝政論』他。

「2018年 『神曲 地獄篇 第1歌~第17歌』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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