- Amazon.co.jp ・本 (537ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309464176
感想・レビュー・書評
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期せずして最近の読書傾向をなぞった形に。老いと性の話。老いに抗わず、否、抵抗した結果の選択?人間の究極の目的は、、
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「前例のない水準の繁栄と健康を確保した人類は、過去の記録や現在の価値観を考えると、次に不死と幸福と神性を標的にする可能性が高い。飢餓と疾病と暴力による死を減らすことができたので、今度は老化と死そのものさえ克服することに狙いを定めるだろう。人々を絶望的な苦境から救い出せたので、今度ははっきりと幸せにすることを目標とするだろう、そして、人類を残忍な生存競争の次元より上までアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウスに変えることを目指すだろう」ー 『ホモ・デウス』ユヴァル・ノア・ハラリ
不死をテーマにしたミシェル・ウエルベックの小説。遺伝子のコピーを世代を超えて記憶とともに引き継ぐことによって「不死」を実現した二千年後の世界。
主人公のダニエル1は、名の知れた成功したコメディアンで映画監督。バツイチだが、監督を務める映画のキャストに応募してきた年の離れたエステルとグダグダな愛人関係。いつも通り、この人の性愛描写は、生々しく露悪的だが、唐突にその衝動が冷めたりする。要するに現実的なのだ。老化によって性愛欲やその能力以前にそこからはみ出してしまうことに対して、ダニエル1は抵抗する。一方、24世代/25世代後のネオ・ヒューマンであるダニエル24/ダニエル25からは性欲のようなものは消えている。少なくとも切実さは失われている。
ダニエル25は最後次のようにつぶやく。
「幸せが実現することはありそうにない。世界は期待したようなものではなかった」
小説のはじめの方に、離婚した最初の妻が連れていった息子の自殺に触れる。
「息子が自殺した日、僕はトマトのオムレツをつくった。『福音書』にも「犬でも生きていれば、死んだ獅子よりましだ」と書いてある。僕はその子のことを一度もかわいいと思ったことがなかった」
未来の人間が「不死」を求めるとき、性愛はどのように扱われるべきなのだろうか。『ホモ・デウス』が避けた議論であるが、ウエルベックはそこから「不死」を考える。『ホモ・デウス』もセックスする。いや、もしかしたら、そうではないのかもしれない。
近未来SF小説として見ると、準備した装置をうまく動かすことができずに、回収すべく置かれたものを放置して終わってしまったように感じる。小説なので、これはこれでよしとして、個人的なこれではない感がぬぐえない。うまく言えないが。 -
傑作。
ファインアートから先端科学、社会情勢、宗教、地勢学、そして人類の命題?であるところの愛について、余すところなく考えが巡る素晴らしい読書体験だった。未来からの注釈を過去を生きる自分たちが読むことになるスタイルも洒落てたし、何よりフォーカスされてる主人公が喜劇を生業にしていた点、読後に振り返ったときに拍手を贈りたくなった。 -
老いるのが怖くなる小説だった。
人が不死の技術を手に入れて、肉体が老いてもまた新たな肉体を手に入れることができるようになり、そうした未来の可能性において人類はほとんど解脱に近い静穏な状態なのだけど、そうした描写になぜか息が詰まる。宗教SF。
その未来のダニエルの視点で現代のダニエルの手記を見通すなかでそこに何かしらの郷愁の念があって、手記を読むという行為そのものにやはり「感情」に対する執着が描きこまれているように思う。
そうした構造も面白いし、さらに現代ダニエルは皮肉屋のコメディアンかつ映画監督として栄華をものにし、快楽主義をつらぬいてセックス三昧。またこの性描写がたまらないのだけど、やはりそれは肉体の老いという陳腐な問題のなかで静かにすべてを失ってゆくという深い絶望感が最高の切れ味で描かれていていい(ダニエルは基本的に嫌なヤツなのでな、共感はするが)。
前半とラストが好き。 -
やっと読み終わったー。がんばった。
最初はSFと思っていたのです。ネオヒューマンがいかな人生を送っているのかという興味から購入したのです。でも実際は、ネオヒューマンに至る新興宗教に肉薄した皮肉を扱うコメディアンの人生記に対して、ネオヒューマンたるが為にその人生記につけた未来人の注釈を読む物語だった。
ゆえにネオヒューマンの生態というより、コメディアンの皮肉、人生や戦争、なにより老いと性生活への皮肉と批評がメイン。この辺は読み手の読み間違いもあるのでなんとも言えない。
ただ主人公は本文中で指摘されてるとおり、感性が特別豊かなわけではない。ただただ正直なんだ。この世の欺瞞に対して。そうしてその欺瞞へ率直に切り込む語り口はなかなか得難い。パッと見セックスだのフェラチオだの言ってるだけでなんだこいつってなるけども。
その実人間の根元にある愛への飢え、その飢えがなくなったネオヒューマンの一人の末路など、読みごたえはある一冊ではあった。 -
センセーション、キッチュ、醜悪、美を自在に配合して縦横無尽に文学するウェルベック。主人公ダニエルはそのコメディアン版という感じ。彼もまた人心の歯車を知り尽くし、観客の笑いをタイミングから加減に至るまで完璧に掌握している。
しかし、そんなダニエルにさえ人生はままならない。中盤のみっともなさがすごすぎて笑ってしまうくらいだがーーそれもコメディアンゆえなのかーー後の人生記の読者となる未来のダニエルを笑わせにいってるような、自虐的な記述におかしみと共に切実さも感じさせる。生への執着と虚無との間をグダグダしているように見えるのは、実は誰よりも真剣に人生に取り組んでいるからに他ならない。その姿もまた、ウェルベックの鏡像のように思えてくる。
才能も知識も意味を持たない地獄のなかで、それでもニヒリスティックになり切れない主人公の苦しみが、遠く離れた未来の自分自身に変容をもたらし、根拠のない可能性へと向かわせるーーそんな一筋縄ではいかない“希望”の小説として読んだ。
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半分で挫折。映像が浮かびやすい文体ではあるけれど、
読み進めるには、私には根気がいったなー。オリジナルの人生で気分が上下して、クローンでフラットになる繰り返し。
また挑戦します。 -
悲しい話だった。こういう結果になると分かっていても、自らのめり込んでしまうのが愛なのかと柄にもなく思ってしまった。まあSFとしては面白く読めた。決定論者と言う意味では僕はネオヒューマン型だろう。現代編がだるい。