- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309709512
作品紹介・あらすじ
反アパルトヘイトの嵐が吹き荒れる南ア、ケープタウン。末期ガンを宣告された一人暮らしの初老の女性ミセス・ヘレンは、自分が目の当たりにした黒人への暴力の現実を、遠く離れて暮らす娘に宛て、遺書のかたちで書き残す。そして、彼女の家の庭先に住みつき、次第に心を通わせるようになったホームレスの男に、その遺書を託そうと決意するのだった-英語圏を代表する作家の傑作を初紹介。
感想・レビュー・書評
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読み易い本ではなかったけど、興味深く読めたと思う。珍しく。100冊読んで99冊はつまんないからなあ。。苦笑
訳者や選者池澤夏樹氏の解説はまだ読んでない。
バイアスが入る前の感想を書こうと思った。
帯に池澤氏は「差別が制度化された南アで差別がどう人の心歪めるか」と書いてる。
だけど僕は差別が主題ではないという気がしたな。むしろ「孤独死」。
僕にも、まったく同様の事が起こりうること。この瞬間にも東京でもどこでもきっと起きていること。
その心情、気持ちの移り変わりが1人称でつづられる。
最後、少し救われたのかな。。いや救いというよりあきらめ。達観かな。。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
220923*読了
50歳の男性が、60代のガンに侵された女性の心情を描いた点に力量を感じました。
どこにも違和感がない。
南アフリカも、アパルトヘイトの時代も、自分にとってはあまりにも遠く。それは本や映像で知る回数の多い、第二次世界大戦よりもさらに遠く。
自分が全く知らなかった世界、あまりにも苦しい人生を生きた南アの少年たちに触れ、重苦しい気持ちになりました。
自宅の庭にホームレスが棲みつく、家政婦の息子の友達が居座る、うん、想像もつかない。
ミセス・カレンはガンを宣告され、娘はアメリカにいて、孤独感を感じたのだろう。
そんな時に自分のもとに臨まざるともやってきたファーカイルに縋りたかったのだろう。
だんだんと二人の心が近づいていく様子は、恋愛のようにも思える。それが死が目前に迫る、限られた時間だからこそのものであっても。
娘にこの遺書は届けられたのだろうか。
届けられる側はすごく辛いだろうけれど。私なら、母の遺書を読みたいかな。そこに何が書かれているのか、とても怖いと思う。
もし読んだとして、この内容だとしたら、私はどう感じるだろう。
母の最後に寄り添ってくれた人がいたことには安堵するだろうか。 -
私の知的水準では追い付いていくのが精一杯。
※「恥辱」は、それなりに理解出来たのだが… -
訳者があとがきで、あくまでひとつの見かたとして「恥」を本書を読むキーワードとして上げているが、私自身は「恥」がこの本の中心テーマだと思う。
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手紙という形式にはちょっとなじめなかったけれど、書き留めておきたい言葉が数限りなく散りばめられていた。
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これまで読んだクッツェーの作品の中で、マイケルKと並んで読みやすいと感じだ。どちらもくぼたのぞみ氏の訳によるからなのだろうか。
かといって内容が平易だっということではない。著者の他の作品に比べると直情的で単純な話のようにも感じられるのだが、マイケルK同様、アパルトヘイトの本質に対する理解がないと表面的な読書経験になってしまうのだろう。再読したい。(鉄道とは何の関係もありません。念のため) -
言葉が美しい。翻訳だなんて思えないぐらい。
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アパルトヘイト時代に生きる人々。
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『夷狄~』で興奮し『恥辱』でがっかりし『少年時代』は名作だと思ったクッツェー。
なんだか作品ごとに表情が違うんだな。
アパルトヘイトの実情を、私達は知っているようで知らない。
現地での生々しさが伝わるような、非道さだけでもなく、平穏だけでもなく、よいも悪いもひっくるめての日常が進んで行く。
そこがまたリアルさを出している気がする。
生きてゆくべき子供達の死と、死期の近い老婆の生。
ここにもまた、白か黒か、では割りきれない、テーマが顕されている。
全体に漂う、このパラドックスの雰囲気が、先の予測を読めなくさせているあたりがまた、おもしろかった。 -
妙な嫌悪感はどこからくるのだろう。誰を信頼して読めばいいのかわからない不安感に襲われる中、半ばやけくそにもみえるが、少しずつ縮まっているような距離感だけが、ほんとのことのように見える。