明治天皇 上 (人物文庫 す 1-1)

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  • 学陽書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784313750296

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  • 天皇のグラント将軍との謁見や琉球の日清両属政策の歴史的事実が興味深かかった。まだ天皇の姿は充分に浮かび上がって来ていない印象である。

  • 明治天皇が生きた時代,イコール明治時代だが,その時代の出来事を解説している本である(明治天皇が主人公の歴史小説ではない)。大きく別けて明治維新,日清戦争,日露戦争の時代の流れについて,天皇がどのように関わってきたかを含め解説している。
    明治天皇は1852年11月3日生まれで,毎年この日は不思議と日本中が晴れ渡っていたという。明治日本人はこれを天長節晴れと言った。これが大正になると明治節晴れとなり,戦後は文化の日となったのである。
    日清戦争において明治天皇は広島の大本営に駐輦し,天皇の御座所はもと事務所の建屋の片隅に寝台を置き,普段は屏風で囲っておいて夜はそこで休み,日中は片付けて事務机に向かうと言う簡略な毎日だったという。天皇は,前線の将士が泥水を飲み,草に臥して野営の苦労に耐えている時に自分だけが贅沢をするのは忍びないと思われたと言いう。皇后は東京の陸軍病院に入院中の傷病兵を慰問したり自ら包帯を巻いたともいう。
    日露戦争についても,日本は闘わざるを得ないことになってしまう。ロシアは日本軍に比べ5倍もの戦力を有しており,日本・アジアへの侵略の砦として満州を確保しようと軍を進めるなど野心を露骨に見せている。日本は交渉を開始するが,ロシアは応ずる気配はない。絶対絶命まで追い詰められ,やむを得ず立ち上がった絶望的な戦いだった。戦わなければもっと悲惨になるという事実の前に。しわゆる侵略とは全く違ったものであった。日清戦争の時は大臣たちが天皇を無視し,勝手に話を進めるといって戦争が始まり,気に入らなくても結局は勝利をおさめたが,今度は違う。本当に勝利を確信することが出来ないのである。
    伊藤博文などは,自分の意見が議会などに通らなければ辞職するだの,野に下るなどと言うが,天皇は職を放り投げる所すらないのだといわれたという。
    日露戦争を日本の有利なというか,不利にならないように仲裁して貰うため,金子堅太郎はかつてハーバード大学で顔見知りであった米ルーズベルト大統領に懇願に行っている。その際には,日本人を理解して貰うため,新渡戸稲造の『武士道』を読むことを勧めたが,大統領はこれを絶賛し,新しく30部買い求めて,知人にも勧めたという。
    また,戦争というものについて次のような従軍記者の言を紹介している。戦線は各地で優勢と劣勢が入り混じり,敵と見れば出会い頭に撃ち合い,誰が命令するわけでもなく,誰が督戦するわけでもなく,敵か味方か,この2つしかなかった。そこには作戦もなければ,戦略もなかった。(石光真清「望郷の歌」)これが実際の戦争というものだろう。戦闘の記録は後で整理され,辻褄の合った形で述べられるが,その最中は,何が何やらわからぬ殺し合いの連続であろう。
    著書の最後にはやはり乃木希典が出てくる。良くも悪くも,この人なくして日露戦争も明治天皇の崩御も語れないだろうと思う。
    明治時代という一連の流れをざっと理解するには良い本だとおもう。
    全2巻

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