社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (616ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314011174

感想・レビュー・書評

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  • 「まず直観、そのあと合理的説明」といった道徳心理学の話で有名なジョナサン・ハイト。
    そんな道徳心理学者が6つの道徳基盤に関する一連の研究を踏まえた上で、保守主義とリベラルの特徴解明に迫る。
    道徳性の視点から、政治や宗教の在り方を考えるのは斬新で面白く、私のこころの扉を少し開けてくれたように思う。

  • 人の直感<象>と、したがう思考の<乗り手>。
    人の考えを変えたいなら<乗り手>ではなく<象>を懐柔する事だ。名著『人を動かす』カーネギーのように「友好的な態度で、微笑み、良き聞き手になろう。あなたは間違っているなどと決して言わないように」。
    乗り手をやり込めても象は納得してない。

    社会における正義、政治を何で決めるのかというとこれも直感である。
    直感を6つの道徳感↓
    自由…圧政や暴君に支配されない
    ケア…弱者の保護、思いやり
    公正…比例配分もしくは結果平等、信頼
    忠誠…チーム、自己犠牲
    権威…階層、敬意
    神聖…汚染、節制
    のスコアでわけると、(アメリカの)
    リベラルは上3つを重視し(特にケア。逆に公正は低め)
    保守は6つ全てに反応する(特に公正。逆にケアは低め)

    人もハチもデバハタガネズミも「住居と蓄えをまもる必要があり」集団社会を形成したと思われる。

    道徳共同体の維持に、帰属や儀式が有用。

  • おもしろい。六つの道徳基盤から見るとさまざまな対立を理解しやすくなる。

  •  名門ヴァージニア大学(UVA)の元社会心理学部教授の手によるベストセラー。「道徳」の基盤は理性でなく情動にあるとする「直観主義」の立場から、進化生物学の知見等を引きつつ、リベラルと保守の間の断絶の分析と調和の道を探る。道徳心理の話題は抽象的な概念が多く実感を伴い難いことも多いが、本作は著者の実地の研究成果が多く引用されており具体性に富み、また適切なアナロジーにより非常に読みやすい。高校生の息子が読んでいたのには流石に驚かされたが。

     道徳哲学については本書でも何度か言及されるジョシュア・グリーン「モラル・トライブス」を数年前に読んだが、そちらではダニエル・カーネマンの「二重システム理論」を引き合いに、「マニュアル・モード」すなわち理性への信頼と理論的な説得により対立を克服すべきとされており、直観的アプローチをとる本書とは立場が明確に異なる。特に、グリーンが近代理性の拠り所の一つとするベンサムが、ここでは道徳を「危害回避」と「公正の追求」のみに矮小化したとして非難の対象とされているのが象徴的だ。

     著者ハイトによれば、道徳心理学には三つの原理原則が存在するという。第一原理は「まず直観、それから戦略的な思考」。自らの実地研究から「理性は情動の奴隷である」というヒュームのテーゼが最も真実に近いと確信したハイトは、本能的な感情こそが道徳の基盤であり、誰かの判断に影響を及ぼしたければ<乗り手>たる理性でなく、より主導的かつ自動的なプロセスである<象>に語りかけるべきだとする。グラウコン(プラトン「国家」に登場するプラトンの兄)の言うように、我々は無意識下で「現実よりも見かけや評判に大きな注意を払う」集団中心主義を奉じる一方、「確証バイアス」の影響下にあるため、道徳秩序の形成には単に理性に働きかけるのではなく、評判などの外部からの抑制力が必要だと説く。

     道徳心理学第二原則は「道徳は危害と公正だけではない」。ハイトがシカゴ大学時代に師事したリチャード・シュウィーダーの道徳理論は、道徳という概念が、それまで西洋道徳研究におけるスタンダードだったJ・S・ミルやベンサムの功利主義に基づく個人主義的な「自立の倫理」にとどまらないことを示した。これに影響を受けたハイトは記述的な「道徳多元主義」の立場から、共感的に世界をフレーミングする視点、即ち「道徳マトリックス」の導入により保守やリベラルの立場を記述するツールを提供する。それが本書のアイデアの中核ともいえる「道徳基盤理論」であり、認知人類学のパラダイムの一つであるの脳内の「認知モジュール」のスイッチを入れるトリガーが文化によって異なることに着目した、各トリガーと美徳モデルの結び付きを表したものである。脳内のこの結びつきは生得的な「固定配線 (hard-wired) 」ではなく、柔軟で可塑性のある「予備配線 (pre-wired)」だとされている。
     この理論に基づくインターネット調査により、保守主義者が5つ(後に6つに修正)の道徳基盤を万遍なく重視するのに対し、リベラルは「ケア」と「公正」基盤の2つのみに重きを置いていることが判明する。そしてハイトは、エミール・デュルケームが人間に内在すると指摘する、利己性を抑制するため自制・義務・忠誠を志向する集団的社会観が、保守主義の理想と整合的であることを示す。つまり、保守主義はより広範な道徳的受容器を持っており、デュルケーム型の戦略的利他的社会と親和性が高い。逆にリベラルは個を重視しするあまり軽視する道徳基盤が多くなり(「忠誠」「権威」「神聖」)、一般からの反感を買いやすいというのだ。

     それではなぜ人間は集団性を志向するのか?フリーライダー理論と相容れないとして近年では異端視されてきたが、ハイトは、個体とは別に集団でも自然選択が機能するというダーウィンのマルチレベル選択に基づく「集団選択」を肯定する。人類は、個体を超越する集団(「超個体」の出現や、規範の共有、遺伝子と文化の「共進化」、そして異例なスピードの遺伝子変化により集団性を獲得した。加えて、再登場のデュルケームのいう「ホモ・デュプレックス」、即ち個人と社会の2つのレベルで存在する人間像を導入して、「90%はチンパンジー、10%はミツバチ」というハイブリッドな人間の本性を提示する。人間の心は、集団内のみならず、集団間の競争に勝つため、自集団内の他の個体と団結するよう設計されているというのだ(訳者あとがきにあるように、ここの部分が科学的根拠を欠くとして還元論者からの批判がある)。
     そしてドーキンスやデネットが宗教を自然選択の対象(ミーム)として寄生虫の如く扱うのとは対照的に、ハイトは宗教を道徳的集団統合の最も有効なツールとみなす。集団性の獲得という機能面からすれば、宗教的信念云々は問題ではなく重要なのは宗教的グループへの帰属だというのだ。自然現象の背後に行為者の存在を推測する「行為者探知モジュール」により生じた宗教的信念は、そのもとに統合する集団に競争力を与えた。しかしその一方で、他集団への理解を困難にしてしまう。これが道徳心理学の最終第三原則「道徳は人々を結びつけると同時に盲目とする」だという。
     終章はいわば各論。これまで記述的であったハイトは規範的態度へとシフトする。リベラルと保守主義の関係を陰陽に擬え、リベラルにカウンターを当てる形でこれまでの議論を当てはめていく。リベラルの、企業という超個体の暴走への歯止めとしての政府や規制への期待。リバタリアンの(外部不経済の解決を前提とすれば)市場至上主義。社会保守主義のコロニー重視姿勢。これらを道徳基盤理論の立場から記述しなおすことにより、いずれの立場からも相互に認めやすいものであることをわかりやすく示している。

     誤解を恐れずにいえば、「道徳基盤理論」とは道徳の「因数分解」であると思う。人間の持つ価値観の数は有限であるという哲学者アイザイア・バーリーンの直感からすれば、各集団の奉じる道徳は整数の集合として表される。ここで敢えてアナロジーを用いれば、その価値観の数は素数ではない、つまり必ず1と自身以外に約数を持っている。世界のどこかに約数を同じくするイデオロギーが必ずあるのだ。この数論は理性や理論よりも根源的なレベルで機能する。したがって異なる立場のイデオロギーと相対するにあたっては、理屈以前に相手の直観や感性に直接訴えかける、つまり共約数を見出し共通理解の基盤を確立することから始めるべきだ、というのが著者の言わんとするところだと諒解した。

  • 正直難易度が高すぎた。道徳心や正義というものは確実な正解があるわけではなく文脈で決まるということを意識するべきだという本と理解した。

  • 「自集団に資する正義を志向するよう設計されているから」が結論。結局、人間は差別する生き物ということ。
    道徳マトリックスには「ケア/危害」「自由/抑圧」「公正/欺瞞」「忠誠/背信」「権威/転覆」「神聖/堕落」があり、それぞれの立場で組み合わせて選択している。リベラルの保守に対する理解は、保守のリベラルに対する理解よりも浅い。

  • なぜトランプを指示する人がこんなにもいるのか、純粋に疑問で理解したいのが端緒でした。
    (この本は2014年発行(日本)ですが)
    言われてみれば納得なのですが、そこはこのボリュームで、様々な研究を紹介し(もちろん末尾には参照付き)エンターテイメント性に溢れた筆致で、納得も納得も納得させられました。
    価値観とは別物で、なんとなく人間的な道徳は決まっているように思っていたけど、道徳は人により様々。そこを間違えると独善に陥りやすい。
    たくさんの人間が仲良く生きてくのはそりゃ無理ってもんだ、と思いました。

    仕方ないことだけれど、宗教が絡んだ理論になると、仏教はあまり考察されない。人間文明がここまで発展したには宗教の貢献があることを論じている箇所にも大いに納得したが、そこでいう「宗教」には仏教はあまり当てはまらない気がした。
    欧米の優秀な社会学の学者さん、仏教についても考察の対象としてください。宗教ではないならないとして。

  • 哲学
    社会

  • 集団行動の中でも、集団同士に分断が起きるのはなぜか興味があって手に取った。
    が、興味が変わったのでパラパラとめくって終わり。

    心には象(直感)と象使い(理性)があり、直感に反する論駁は反発を受けると言うのは感覚的にもわかるなと思った。

    個人の中のイデオロギーが形成されていく過程はもうちょっと勉強したい。

  • 読了できず

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著者プロフィール

ジョナサン・ハイト(Jonathan Haidt)
ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネス教授(倫理的リーダーシップ論)。1992年にペンシルバニア大学で社会心理学の博士号を取得後、バージニア大学で16年間教鞭をとる。著書に『社会はなぜ左と右にわかれるのか:対立を超えるための道徳心理学』(紀伊國屋書店)、『しあわせ仮説:古代の知恵と現代科学の知恵』(新曜社)がある。

「2022年 『傷つきやすいアメリカの大学生たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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