- Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
- / ISBN・EAN: 9784314011778
感想・レビュー・書評
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思っていた以上にかなり読みやすくてしかも面白かった。
そうだよね、そうだよねと頷きながら読み進めました。
60年以上前に書かれた本書の内容が、今読んでも全く古さを感じず、「生まれながらに愛せる人はいない。愛とは技術である」という前提で始まり、愛の技術を如何にして習得するか、と一見難しそうな内容がこんなに面白く読めたのは「もっと読みやすく」を前提に翻訳された鈴木晶さんの力量にも拠るものだと思いました。
現代"The Art of Loving" 『愛の技術』
あとがきによると、熟慮の末、"erotic love" "romantic love"の両方を「性愛」「異性愛」などとせず「恋愛」と訳すことになってしまったとのこと。
・愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。その中に「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込む」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。
・与えることは、他人をも与えるものにする。たがいに相手のなかに芽生えさせたものから得る喜びを分かち合うのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人生におけるバイブルとなる大名著だった。
全ページがアンダーラインに値するような学びに溢れており、愛することを人生で最も大切なことだと判断し、思い切ってそれに全てを賭ける勇気を奮い立たせてくれる一冊だと思う。
この本から得た最も大切な学びは、
・愛こそが、いかに生きるべきか、という問いに対する唯一の健全で満足のいく答えである
・愛とは、もらえるものではなく与えるものであり、その能力は技術により習得できるものである。内的な怠慢を避け、一日中目と耳を駆使し、自分の力をすべての人に対して生産的に用いる必要がある。
・愛の技術の習得は容易ではなく、そこに処方箋など存在しない。その習得のためには、いくつかの前提をクリアしながら、修練を積み続けるしかない
・技術体得のために必要な要素となる前提条件とは、「規律正しくあること」、「集中すること」、「忍耐」、「最大の関心事であること」である。また愛に特有の要素としては、「ナルシズムからの脱却」と、「謙虚な感情を土台にした理性による客観力の会得」が必要である。
・これらの体得は容易ではなく、信念と勇気が必要である。
・何の保証もない行動を起こし、こちらが愛せば、きっと相手の心にも愛が生まれるだろうと希望を胸に、全力で毎日実行せよ!! -
原題"THE ART OF LOVING"『愛の技術』からは、いわゆる恋愛マニュアル本のような内容を期待する向きもあるかもしれない。しかし、本書の"愛"にとって恋愛は一部に過ぎず、むしろ「恋に落ちる」といった形で表現される恋愛は否定的に語られる。著者の言うところの"愛"の対象は無限定の人間全般に及び、キリスト教の「隣人愛」のような概念が、もっともそれに近い。そのため、現代社会の恋愛市場において異性にアピールすべくどのようにあるべきかを求めるような読者の期待に応えるような内容ではない。
著者自身が冒頭において前述のような愛に対する見方を牽制したうえで、そもそも本書が説くのは「どうすれば愛されるか」ではなく、「どうすれば愛せるか」であることを宣言する。著者によると、愛とは運によって得られるようなものではなく、成熟した人間による自発的な意志によって実現されるものである。そして孤立感を克服するために集団に同調する、サド・マゾヒズム的な依存関係は、むしろ愛の対極にあるとする。自己愛については「私自身もまた他人と同じく私の愛の対象になり」とし、自分を愛せないものは他人も愛せないと肯定的に言及され、一般にネガティブに捉えられている自己愛の実態は利己主義であり、利己的な人はむしろ自分自身を憎んでいることを指摘する。
終章の第四章では「愛の習練」と題しながらも、具体的な処方箋を提示するものではないと断りつつ、その前提条件とアプローチ方法について述べる。いくつかを挙げると、「規律」「集中(例として、ひとりで何もせずにじっとしていられること)」「忍耐(性急に結果を求めない)」「対象に最大限の関心を抱く」「くだらない会話や仲間(魂が死んでいるような人を含む)を避ける」などがこれに当たる。さらに、「内なる声に耳を傾けること」、「愛を達成するためにはまずナルシシズムを克服しなければならない」、「ひとりでいられるようになることは、人を愛せるようになるための必須条件のひとつ」といったポイントを示す。
本書は、同著者の『自由からの逃走』において自発的な生を構成する一要素として挙げられた「愛」についての掘り下げでもある。第三章の「愛と現代西洋社会におけるその崩壊」や、資本主義を支えている原理と愛の原理とは両立せず「今や人間はロボットである」、といった現代社会への考察は同書とも共通している。
心理学者が書いたものというより、宗教家の教えのように読める倫理的な内容だった。また、「愛の技術」というよりは、「愛の前提条件(=愛するには成熟した人間でなければならない)」といったほうが実際に書かれていることのイメージに近い。やや本筋とは逸れた箇所についてだが、自分たちの意志にかかわりなく選ばれた相手と結ばれる伝統的な結婚のほうがむしろ、愛は意志の行為であるという理論を裏打ちしているという見方も面白かった。キリスト教式の結婚式の愛の誓いなども、自分で選んだ相手ではないからこそ意味を持つ儀式だったのではないか、などと考えさせられた。 -
愛とは与えることであり、貰うことではない。
最近愛が全般的に欠けているように感じた。
そのため、愛を貰おうと必死だったかもしれない。
社会人となり、周囲の環境や関係が大きく変わり、それについてくのに精一杯で余裕がなくなり、愛を貰おう、貰おうと空回りしていた気がする。
愛とは与えることであり、貰うことではない。
昨日プロレスラーのKENTAも言ってた。
応援とは何かをしてもらいたいからするのではなく、無償で、やりたいからやるものだと。
何か見返りを求めたらそれは愛とかではなく経済になっちゃう。
フロムも現代の資本主義の構造は愛の原理と合っていないと述べていた。ダメだこりゃ。 -
羊の皮を被った狼的なエゲツない自己啓発本
この本の読んだきっかけ
子育てをしている最中に、自分は人を本当に愛せているのかと疑問に思った。読んでみて、人を愛するという点から言えば、0点だった(笑)
気づいたこと
自己の成熟が前提→愛の構成を知る→博愛を知る→愛の実践4項目→実践に必要な自己性質4項目
・自己の成熟について
愛するには自己の成熟が必要で、何にも誰にも依存しない、相手に与える、等の自立した精神が必要
・愛の構成4つ
①相手を気に掛ける
②相手を知る
③責任をもつ→相手の求めていることにしっかりと応じる責任
④尊重する→相手の成長を心から願う
4つともバランスよく。そして、そこには見返りを求めてはいけない。
・博愛とは
全ての人を愛することであるが全ての中には自分もふくまれる。自己愛と利己的(自己中)は違う。利己的な人は自分を愛せていない。満足できないから常に自分勝手に振る舞う。自己愛があれば満足できているため自己中にはならない。
・愛することの実践
①自分にルールを決める→実践は大変なことである。家に帰ったらリラックスしてしまって、ダラダラしてしまうが、この時間は相手を気にかけてみたりしてみよう。
②集中→マルチタスクにならずに一つの事に全集中。
③ゆっくり→そんな簡単に成果は出ない。
④関心→常に関心をもっておく。
性質
①客観視→「俺が良いと思うからお前もいいだろ」みたいな主観的な考えは愛とは言えない。常に客観視すること。
②敏感→自分に余裕がないと主観的になる。疲れや忙しさで余裕の無さに敏感になっておく。
③信念→愛することは信念を持って。
④能動的→常に自発的に。相手に与える意識。
愛することはとても難しいと思った。なぜなら、愛するとは身近にあり、更にみんなが普段できていそうなものだからだ。しかし愛することを見方を変えて人生成功のための自己啓発だとしたらどうだろうか。なぜ、自己啓発として見るのかというと、世界一有名な自己啓発本の一つであるカーネギーの「人を動かす」に書いてある成功の法則は全て「人を愛すること」が根源にあるからである。
愛することができなければあの本に書いてある100以上の成功法則は何も実践できない。この本に書いてある愛することを実践できれば人生は自然と成功するのである。
子育ての愛情から始まった話がまさか人生の成功法までいきつくとは思わなかったが、意外な共通点を発見できた。
今後は、読書や勉強によって自分を成熟させ、博愛の心でまずは自分を愛し、自分の規則に従って集中してゆっくりと愛することを学んでいきたい。そして、主観的にではなく客観視し続けて、それには常に自分に敏感にありたい。
これらには強い信念が必要だ。頑張っていきたい。 -
私はもともと哲学や心理学についての本が好きで読んでいましたが、この本ほど抽象的な概念に対して説得力のある説明のできている本には出逢ったことがありません。
およそ70年も前に愛に対してここまで正確な分析が行われていたということに感動を覚えました。
この本の内容は恐らく誰にも反証のしようのない真理であり、今後何年経とうがこれ以上に正しく愛を述べるような書物は現れないと思います。
フロイトの父性原理や母性原理の概念を引用してる部分は好みが分かれるでしょうが、核心的な部分に関しては実に素晴らしいです。
この本では愛だけでなく、宗教や資本主義についても本質的な知見が得られます。
この本に書かれている本当の愛の部分について理解するためには、この本で述べられている通りある程度の人生経験によって、ナルシシズムを脱却し誠実さを手に入れている必要があると思います。しかし、その段階でなかったとしてもこの本を読む価値は間違いなくあります。私は高校生の時にこの本に出会えていたらと思いました。
愛されたい。なぜ自分は愛されないのか。などと考えたことのある人間は一度この本は読んでほしい。 -
「汝自らの如く、汝の隣人を愛せ」
自分自身を愛するように、人を愛しなさい。
まず、自分自身を愛することから始めようと思う。
これは、人生経験の厚さや立場、環境によって感じ方が変わると思う。
だから、私はこれからもこの教科書にはお世話になると思います。 -
「人を愛せるようになるためには、人間はその最高の位置に立たなければならない。経済という機構に奉仕するのではなく、経済機構が人間に奉仕しなければならない。」
【感想】
「愛すること」の技法について、解説する本。岸見一郎先生の本で紹介されている通り、人間関係のとらえ方がかなり建設的で、アドラー心理学に近い。フロムが原著を出版したのは1956年のことであるが、現代にも通ずる普遍的なメッセージを持つ。むしろ、現代の方が、フロムの提唱する「愛することは訓練が必要な、能動的な技術」というメッセージがより刺さるように思う。本書が出版された時よりも、商業システムはより進化しているからだ。人が人に寄せる普遍的な感情「好き」「可愛い」「触れたい」「見たい」などの感情が、簡単にお金に変えられるようになった。メディア、インターネットの発達によって、多くの人が自身のファンを獲得し、彼らから「愛される」ことで生計を立てている。恋愛についても市場が発達し、マッチングアプリ、結婚相談所を初め、恋愛における個々の価値が嫌がおうにも分からせられるようになった。不細工で金の無い男子にはいいねがつかないし、メッセージも来ない。かたや、「良いビジュアル」「年収」「地位」があれば、いいねをもらえる。女性に好かれ、恋人を作り、「愛される」ことができる。
上記のように、現代社会の人々はいとも容易く市場的に結びついてしまう。一方、この本が提唱する愛する技術とは、上記のような市場的結びつきとは全く逆の考えだ。「誰かと関わる、交友する、愛する」ことができるのは、常に本人次第である、と説く。ここで私は以下のように解釈した
「愛」が環境や外部によって、それが左右されるのであれば、それは「愛」ではないよ。別の何かだよ。
ということだ。本書は、博愛主義を唱えているわけではない。「愛とは主体的なものである」というコンセプトによって、人生をハッピーにするための考え方を授けるもの、だと解釈している。
第一章がもっとも分かりやすく、面白い。つまる所、この本には「これが正解」というような話が書いてあるわけではないので。「愛は技術である」、これがメインメッセージだと思う。あとは、本人の実践が重要になってくると考える。愛の技術について、考えたくなった時に、繰り返し読みたい本。ものすごい面白い、ワクワクする、というタイプの本ではないが、人生における大切な原則を伝えてくれる本なので、☆5。
■著者の示しているコンセプト
<愛と相反するもの>
・集団への同調
・服従の関係、支配の関係
<愛と類似するもの>
・人間どうしの一体化
・他者との融合
・能動的に相手の中に入っていくこと
<愛の要素>
・愛には、配慮、責任、尊重、知が含まれるこの4つは、互いに依存しあっている
・愛は能動である
・こちらが相手を愛せば、きっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に身を委ねること
●配慮
>>愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。
>>愛の本質は、何かのために「働く」こと、「何かを育てる」ことにある。愛と労働は分かちがたいものである。人は、何かのために働いたらその何かを愛し、また、愛するもののために働くのである。
→自分自身が結婚したい、と思うのはこの理由かもしれない。今の労働が、「自分が生きていくため」よりも、「妻のため」「子どものため」という意味が加わったほうが、面白いかもしれない。無論、責任も倍増するのだが..。
●責任
>>「責任がある」ということは、他人の要求に応じられる、応じる用意がある、という意味である。
>>大人どうしの愛の場合は、相手の精神的な求めに応じることである。
●尊重
>>尊重が欠けていると、責任は、容易に支配や所有へと堕落してしまう。尊重は恐怖や畏怖とはちがう。
●知
>>その人のことをを知らずして、尊重はできない。配慮も責任もあてずっぽうで終わってしまう
【本書を読みながら気になった記述・コト】
■はじめに
>>人を愛そうとしても、自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向かうように全力で努力しないかぎり、けっしてうまくいかない
■第一章 愛は技術か
・愛は快感ではなく、技術である
・たいていの人は愛する能力の問題としではなく、愛されるという問題として捉えている
・愛の問題とは対象の問題であって、能力の問題ではない、という思い込みである
・自由恋愛が認められたことによる、選択の自由が、愛の問題を「対象」に転嫁した
■第二章 愛の理論 1 愛、それは人間の実存の問題にたいする答え
>>過去においても現在においても、人間が孤立感を克服する解決方法としてこれまでもっとも頻繁に選んできた合一の形態は、集団、慣習、しきたり、信仰への同調にもとづいた合一である。
>>孤立感を克服するもっとも一般的な方法は、集団に同調することである。
→例えば、Twitterの#~とつながりたい みたいなタグを付けてツイートをする人たちは、孤独なのだろう
>>集団への同調によって得られる一体感は偽りの一体感に過ぎない
>>完全な答えは、人間どうしの一体化、他者との融合、すなわち、愛にある
■第二章 愛の理論 2 親子の愛
>>母親的両親と、父親的良心はたがいに矛盾しているように見えるが、成熟した人間はその両方によって人を愛する。
・母の愛...本質的に無条件。彼女の子どもだから、愛する
・父の愛...条件付き。期待に応え、自分の義務を果たし、自分に似ていること
■第二章 愛の理論 3 愛の対象
>>愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛のひとつの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどうかかわるかを決定する態度であり、性格の方向性のことでもある。もし、ひとりの他人だけしか愛さず、他の人びとには無関心だとしたら、それは愛ではなく、共棲的愛着、あるいは自己中心主義が拡大されたものにすぎない。
a 友愛
b 母性愛
c 恋愛
>>誰かを愛するというのは、たんなる激しい感情ではない。それは決意であり、約束である。もし愛がたんなる感情にすぎないとしたら、「あなたを永遠に愛します」という約束にはなんの根拠もないことになる。
d 自己愛
→自分を愛せるからこそ、他人を愛することができる。他人しか愛せないひとは、愛することができない
e 神への愛
■第三章 愛と現代西洋社会におけるその崩壊
・フロイトの主張「男はすべての女を性的に征服したいという欲望によって衝き動かされており、欲望のままに行動しないのは社会の圧力によって抑えられているからにすぎない。したがって男はたがいに嫉妬しあい、たとえ社会・経済的には嫉妬する原因がなくなったとしても、嫉妬と戦争心はなくならない」
→本当に、性的欲求、満足に人生を捧げてしまえば、幸せになれない
■第四章 愛の習練
☆愛の技術を磨くために
・第一に、規律正しく生きること
・第二に、集中すること
・第三に、関心をいただくこと
・第四に、愛の技術習得そのものに関心を抱くこと
>>ひとりでいられるようになることは、人を愛せるようになるための必須条件のひとつである。もし自分の足で立てないという理由で他人にしがみつくとしたら、その相手は命の恩人にはなりうるかもしれないが、ふたりの関係は愛の関係ではない。逆説的ではあるが、ひとりでいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。
>>人を愛せるようになるためには、人間はその最高の位置に立たなければならない。経済という機構に奉仕するのではなく、経済機構が人間に奉仕しなければならない。たんに利益を分配するだけでなく、経験や仕事も分配できるようにしなければいけない。