アメリカのアジア戦略史 上: 建国期から21世紀まで

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  • Amazon.co.jp ・本 (624ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326351909

感想・レビュー・書評

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  •  原書は2017年刊で、上巻は18世紀末から1960年まで。大部なのでやや自分には消化不良だが、著者がセオドア・ルーズベルト(とマハン)の地政学的大戦略によるアジアへの関与、パワーゲームへの参加を肯定的に評価しているのが分かる。日本の中国進出ひいては対米戦の要因の一つも、その後3人の大統領期のかかる大戦略の放棄、具体的には海軍力、西太平洋前線基地や米英海軍協力を維持強化しなかったことだと示唆しているぐらいだ。
     加えて、日米戦により米が西太平洋の島々を「踏み石」として確保し、冷戦の開始により日韓に長期駐留し、防衛線を前方に設定したと指摘。

  • 単語
    ・Richard K. Betts
    ・1784年:Empress of China
    ・1783年パリ条約:イギリスから独立・アメリカの人口は約400万人
    ・William Henry Seward:1801年5月16日 - 1872年10月10日
    ・Alfred Thayer Mahan:1840年9月27日 - 1914年12月1日
    ・1898年パリ条約:スペインによるフィリピンのアメリカへの割譲
    ・John Milton Hay:1838年10月8日 - 1905年7月1日

    以下、個人用のメモ
    ⅸ:日本語版への序文
    日本やオーストラリアの同盟国は、はたしてアメリカが引き続き、自由で開かれたインド太平洋を推進するための意欲と能力を持ち続けるのか、水面下では疑念を抱きつつあるようだ。おそらくそのような疑念は、1970年代のベトナム戦争以後の時代や、1990年代の冷戦後の軍事関与の後退の時代のほうが、今日より大きかったのだろう。しかしながら、アメリカの有効諸国はこれから数年にわたって、次のような4つの疑問を示しつづけるのであろう。
    第1の疑問は、将来において中国とより建設的な関係を構築する方向へと動けるよう、アメリカが戦略を持つことができるかどうか、ということである。-中略-私は必ずしも、中国が将来にリベラルな国際秩序へと不可逆的に統合されていくという前提に基づいて、アメリカが戦略を形成すべきだと論じているわけではない。いかなるかたちであれ、中国と協力するということが、単純に、軍事紛争よりも好ましいと考えているにすぎないのだ。よい戦略とは、つねに複数の選択肢を用意しておくことを意味する。
    第2の、アメリカの新しい対中競争戦略に関するいまだ解決されていない問いとは、アメリカ経済をデカップリング(分離)させることが望ましいのか、そしてそもそもそれが可能かどうか、ということである。-中略-日本、韓国、台湾、そしてそれ以外の技術的に先進的な民主主義諸国との緊密な協議なしには、デカップリングを進めるべき領域について正しい境界線をひくことはアメリカにとって不可能である。これからの数年間、アメリカの同盟諸国にとってこれは最も重要なアジェンダの一つとなるであろう。
    第3は、国際組織の将来についての問題である。それはすなわち、現状変更国に対してリベラルな国際秩序のルールを維持し、また強制することを目的として、アメリカが70年前に形成したブレトンウッズ体制を十分に活用せずに、はたして実効的な対中戦略を形成することが可能なのか、というものである。-中略-本書において繰り返し浮かび上がってくる主題の一つは、戦略的な理由からアメリカが開放的な市場を求める性質と、その対極として自国産業保護へ向けた衝動とを、整合する事の困難である。
    アメリカの最も緊密な同盟諸国が念頭に置くべき最期の問いは、はたしてアメリカの民主主義それ自体が、世界の舞台でアメリカがリーダーシップを発揮していく上で、もはや手に負えないような段階にまで至ってしまっているのか否かである。-中略-たとえ相対的に衰退しているとしても、アメリカのパワーは日本にとって避けがたい現実である。日本が問われているのは、どのようにアメリカのパワーから逃避するかではなく、むしろどのようにそれを利用するかである。

    P3:序論
    それゆえ、リチャード・ベッツは次のように指摘している。「戦略とは、その選考がどれくら明瞭であるかということや、その計画がどれくらい明確であるかということ、さらにはその選択がどれくらい整合的かということによって、その論理的な強靭さが大きく左右される。民主主義体制のなかでの競争原理や、幅広い見解の一致を作り出すということは、まさにそられすべてを妨げるものなのである。」

    P8
    アメリカの戦略的文化においてその中核に位置するような重要な原則があるとすれば、それは極東において繰り返し示されてきたように、アジアあるいは太平洋において他国が排他的で覇権的な支配を確立するようなことをアメリカは決して許容しない、ということであった。

    P9
    この地域における地理的に困難な課題や、アメリカ独自の政治的イデオロギーは、アメリカのアジアに対する戦略的アプローチに歴史的にも今後繰り返し登場する、次の5つの対立軸を形成した。
    1:ヨーロッパか、アジアか
    2:大陸か、あるいは海洋かー中国と日本
    3:前方防衛線を確立する
    4:自決権か、あるいは普遍的価値か
    5:保護主義か、あるいは自由貿易か

    P20
    本書は最初に、建国期のアメリカにおけるアジア戦略の展開を追うことにしたい。それは、商人、探検家、宣教師らが、アジア太平洋地域の現実の姿を見出し、またいつの日か将来に、アメリカが海洋と商業において優越的地位を確立することを思い描いていた時代である。そして、アメリカが次のような4つの構造的な変動と対峙して、どのようにアジア地域とアメリカを結びつけて、かつてまかれた「戦略の種子」から芽が出て、環太平洋秩序の維持へと発達したのかを説明していく。
    ・アメリカの台頭
    ・日本の台頭
    ・ソ連の台頭
    ・中国の台頭

    P50:第Ⅰ部アメリカの台頭・第1章:戦略の萌芽1784年~1860年
    最初のアメリカ人宣教師たちは1830年に広東に到達し、そこで中国語を学び、また中国語でアメリカの歴史を執筆した。

    P60
    マーシャルは信任状を捧呈した直後に、マーシー国務長官に充てて次のように伝えている。
    「わたしの見解では、アメリカ合衆国にとっての最も重要な利益は、中国を維持することである。すなわちそこでの秩序を維持し、中国が無秩序となってヨーロッパの野心の餌食となるのを回避し、さらには中国政府が存続可能となり活力を得るような統治のために必要な諸原則を少しずつ中国に定着させていくことである。」

    P80
    ペリーの海洋戦略は、強大なアメリカ海軍、島嶼部におけるアメリカ海軍基地、強靭な通商活動、そして文明的で民主的な日本やイギリスとの連携に基づいていた。実際にこのような海洋戦略のビジョンは、アルフレッド・セイヤー・マハン大佐や、その後の世代のケナンからジョージ・シュルツのような20世紀から21世紀の太平洋で活躍する海洋戦略家たちによって、より大きな枠組みのなかで継承されていった。

    P130:第3章:セオドア・ローズヴェルト時代の大戦略
    アメリカは極東において、通商上の影響力のみならず、道徳的な影響力もまた持たなければならないと、マハンは論じた。「アメリカは、人類全体に対して貢献をするための、最も重要な責務を負っている。というのも、アメリカは人類全体にとっての最も巨大な希望の一つであり、またわれわれ国民の自らの考えにおいては、最後の希望だからである。」

    P144
    この時点でアメリカの戦略家たちがまだ完全には答えていなかった問題は、アメリカの軍事的プレゼンスは何処まで拡大すべきか、というものであった。

    P146
    1906年までに総合海軍評議会は、中国大陸沿岸部におけるアメリカ海軍基地創設への要求を最終的に取り下げた。急速に台頭する大日本帝国海軍から、フィリピンとグアム、そしてハワイを防衛するだけでも十分に難題だからである。

    P152
    1904年、満州や華北、朝鮮をめぐる対立を原因に日本がロシアとの戦争に突入すると、マハンはアメリカがこの戦争を利用することができると考えた。それはローズヴェルトも得意げであった。「日本は、われわれのために戦争を行ってくれている」というのは、彼が書き残した有名な言葉である。

    P168
    しかし全体として、ローズヴェルトはアジアにおいてより安全で、より大きな影響力を有する立場にアメリカを置くことができた。彼のアジアへの戦略的アプローチにおける一貫性と、その軍事的、外交的実践の巧みさ、今日まで続く重要な教訓を与え、その後の大統領で彼に匹敵する者はほとんどいなかったのである。

  • 東2法経図・6F開架:319.5A/G82a/1/K

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著者プロフィール

米国コネチカット州生まれ。Utah State Universityで学位を収めた後、アメリカ軍事大学院で諜報を学び、修士課程をトップの成績で卒業。アメリカ陸軍航空電子工学スペシャリストを経て、現在アメリカ空軍インテリジェンス・オフィサー。諜報員として活躍する傍ら、言語病理学者としての研究を同時に積んでおり、語学の専門家としても活動中。空軍での階級は中尉。

「2015年 『ペンタゴン式 諜報員の英会話習得術 短期間で語学の達人になれる理由』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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