ネットワーク・ミュージッキング―「参照の時代」の音楽文化 (双書音楽文化の現在) (双書音楽文化の現在 3)

著者 :
  • 勁草書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326698639

作品紹介・あらすじ

脱「モノ」化する世界の音楽実践、「ネットワーク・ミュージッキング」とは。音楽に対する欲望の変質を、社会と技術の相互作用を焦点に描き出す。音楽文化の現在に見取り図を示すシリーズ第3巻。

感想・レビュー・書評

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  •  音楽の「所在」を巡る話をしている本であると思う。【我々は古くから、本来ならば支配できない霊的・超越的な存在や無体の存在を、その対象を適切に模した似姿に括り付けることで間接的に支配しようとしてきた。】P52 とあるように、音楽が録音されている状態というのは、昔は人間の記憶や身体のなかだけだった。それが、楽譜の登場によって「保存」し所有できるようになり、さらにはレコードが登場し「所有」による、音の魔術を享受する快楽を人々はより個人的に得られることになっていく。
     さらにそれは、音楽が「モノ」から外れて、CDやLPではなく、「情報」へと変化した。そして情報のままコントロールされ、著作権システムによって誰かに支配され、ネットワーク経由で提供されることとなる。「形あるモノの存在を前提とした音楽」という生理的感覚の崩壊である。
     そしてデジタル化によって何が起きたかというと音楽の「希少性の崩壊」だ。そのせいで、コピーコントロールCDなどが色々出たのは懐かしい思い出だ。
     ただ、いまや、テレビに滅多にでてこないアーティストの対談も、YouTube上で簡単に動画が上がっていたりする。テレビで通らないような企画も、マニアックなものも、YouTubeにあがり、むしろいまは、「希少性の崩壊」から「希少性を探し出せ」になっている。
     あまりにコンテンツが過多になり、逆にそれぞれの人々が持つ希少性に「あう」コンテンツを探すために、サーチする。見つけ出すということになっているので、逆に希少性は崩壊しない状態になったのではないだろうか。

     この本で一番の特徴はニコニコ動画を研究論文として考察しているところだ。それはかなり素晴らしいことだと思う。
     ニコニコ動画は、テレビメディアと異なり、突如昔の曲がランクインしたり、見かけないものが評価されたりする。また、歌手の出自や市場への流通の有無によって評価はされない。では何が【特定の楽曲がニコニコ動画でヒットする上で欠かすことのできない、あるいは従来よりも遥かに重要になるようなファクター】かといえば「コミュニケーション誘発性」が大きいと述べている。
     コメントを書き込みたい、別バージョンを作りたいという気持ちを喚起させるものが、強い。これがニコニコ動画の革新性である。
     現実のスペースでは、身体によって、自分がそこにいるということが保証されているが、サイバースペースではそれがない。「聴く私」は、コミュニケーションによって強くその存在を自覚しうる、と考察されているが、果たしてそうかは難しい。
     というのも、音楽の楽しみ方は、ネットからダウンロードして、現実で聴いて、スマホで歩きながらコメントを書き込んでいるので、サイバーと現実を区別するのは難しい。また、ニコニコ動画を何人かで見せ合いながら、楽しむこともできるので、ニコ動の大規模オフとかも、この考えでは説明がつかないのではないか。また、私はニコニコをよく見ていたが、バズっている動画はたいてい、そのコメント芸も含めて楽しんでいた。ニコニコ動画のコメントは自分の存在を確保する場所というよりは、動画とコメントのコラボを楽しむ場所、みんなの反応をみて、面白がるところであった。
     コミュニケーションというのは、観ている者同士でコミュニケーションが交わされているわけではなく、そのやりとりも一瞬で流れて行くし、コミュニケーションはほんとにそんながっつり成り立っているだろうか。
     かといって作者とコミュニケーションをしているわけでもない。コミュニケーションも作品の一部である、というのが正確なところだろう。

     つまり、ニコニコ動画というのは、オフ会もあるように、ネットから現実へのコアなコミュニケーション(テレビじゃ通じない話題)を可能にし、しかもそれは2ちゃんねるよりより高度な形であったということ。
     そして、ニコニコ動画はコミュニケーションを作品の一部としてしまうことによって、文字によるリアクションと映像を同期させて楽しむ、「うおおおお」という文字が多く流れることにより、映像に臨場感を持たせる、むしろライブ会場にいるような感覚をもたらす。つまり、ネットライブ感、がある。オンライン世界は、必ず現実とともにある、むしろ、現実での話題のしやすさ、もしくは「現実っぽさ」(現実そのものを再現というわけではない)が、このコンテンツを多数生みだしたい、自分も作りたいと思わせる現象に繋がっているのではないだろうか。

  •  2009年刊。
     かつてレコードやCDといった固形物を「所有」することで音楽が消費された時代を経て、ネット上のサーバーを家のパソコンやデバイスで「参照」することで音楽を享受する時代になった、という指摘である。
     とはいえ、2009年というのは思ったよりも古い時代らしく、当時はまだスマホは無かったし、国内で流行っていたSNSはmixiという時代だったし、SpotifyやApple Musicのようなストリーミング形式のサービスも登場していなかった。ただ、Naxos Music Libraryは既にこの種のサブスク型サービスを先駆けて始めていたようだ。
     確かに、音楽がそれを記録した物体として「所有」されるのでなく、それを還元した「情報」としてやり取りされるのが時代の推移として展開されてきた、というのは事実のようだ。この「情報としての音楽」というのは、考えてみれば深い問題だ。そう言われてみれば「楽譜」なるものも、音楽をある種の文法に基づいた「情報」の記録であり、そもそも物質界の「実体」と「情報」(パターン)とは密接な関係があって、このパターンの仕掛けがすなわちDNAの塩基配列であると言えるし、そもそも分子が「パターン」によって組み立てられていることも確かだろう。
     ふつうの人間が音楽を音楽として享受するには、最終的に空気など媒体の「振動」に還元する必要がある。その最終的な態様を組み立てうるパターンが決定されるなら、その記述様式は単純な情報工学上の単位として取り扱うことができるのだ。
     こう考えていくと結構おもしろい。本書を読んでいる内に、人間が一定の文化内で「音楽」と定義している事象は、その本質がこれまでとちがった角度から見直されうると気づいた。
     本書に記述された「ネットワーク・ミュージッキング」はさらにその後どんどん進化してきており、この先もどうなっていくのか想像するのは難しい。結局は空気などの経時的振動という形でしか享受し得ない「音楽」は、いつか、振動への変換すらすっ飛ばして、脳内に「音楽的な刺激」を直接与えるようなハイパーなテクノロジーまで登場するのだろうか。

  • 【由来】
    ・確かamazon?

    【期待したもの】

    ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。

    【要約】


    【ノート】


    【目次】

  • 音楽において、所有から参照の時代に変わっているという視点はおもしろいが、疑問点はかなり残る。

    デバイス、使う人による場合分けは必要だろうし、現在の音楽業界を考える際にレンタルのことを無視することはできないだろう。

  • 全体的に理屈っぽく、参照の時代の特徴や具体的な変化についてはぼんやりした内容だったと思う。

    ただ引用文に面白いものが多かったし、ウィニー・ナップスターあたりの解説は詳しくて面白かった。

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著者プロフィール

1978年、広島県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。2007年10月から鹿児島国際大学福祉社会学部専任講師。専門は音楽学・音楽社会学、特に現代の音楽文化について。『ネットワーク・ミュージッキング――「参照の時代」の音楽文化』(勁草書房)で第25回「テレコム社会科学賞」奨励賞を受賞。個人ウェブサイトはhttp://ha2.seikyou.ne.jp/home/Akinori.Ideguchi/

「2012年 『同人音楽とその周辺』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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