踊るマハーバーラタ 愚かで愛しい物語 (光文社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334033408

感想・レビュー・書評

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    多分この本が無かったらマハーバーラタ読もうってならなかったからよかった。今のインド映画って多分マハーバーラタの焼き直しだろうなと思う。これ読むとインド世界追体験出来て楽しい。

    『マハーバーラタ』は、サンスクリット原典で全18巻、10万詩節、1200章、20万行を超える世界最大の叙事詩である。これはギリシャの2大神話『イーリアス』『オデュッセイア』を合わせたものの約8倍、聖書の約3倍半の長さに相当する。



    山際素男 (翻訳)
    1929年生まれ。古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』の翻訳で第34回日本翻訳出版文化賞を受賞

    『マハーバーラタ』
    『ラーマーヤナ』と並ぶ古代インドの二大叙事詩の一つ。18巻約10万詩節よりなる。祖形は前5世紀頃にあり,現在の形は5世紀頃にまとめられた。バラタ族のいとこの間の王位継承をめぐる戦争のいきさつを描く。多くの神話,伝説などが散在し,ヒンドゥー教に関する百科全書を思わせる。第6巻にある『バガヴァッド・ギーター』は有名。近世のインド諸語にも訳され,南アジア,東南アジアの宗教・文化に大きな影響を与えた。

    「叙事詩」歴史上の事件や人物をうたった詩。
    「叙情詩」作者の気持ちや心の変化をうたった詩。
    「叙景詩」自然の風景などを主観的・客観的にありのままにうたった詩。叙情詩と違い、作者がどう感じたかよりも風景や風物に重きが置かれている。


    心眼を発揮してルチーの下腹部を凝視すると、いた。羽虫ほどの男が、彼女の膣の襞の谷間に仁王立ちになり、一心不乱に真言を唱えているではないか。彼女の肉襞から何処からともなく泉の如く湧き出る愛液に全身滝に打たれたようにびしょ濡れになり、今にも足を取られそうになりながらも、必死の形相で踏ん張っている。

    「人間の体の中には〝性の化身〟という性的欲求が棲んでいる。地球四十億年の歴史の中から生じた根元的欲求とでもいうものでしょうか。性は本性的に美しいものです。年齢による表面的変化はあっても、季節毎に芽を吹く草木の種子のように、何百万年と人間の胎内に根付いている。性というものを知性や精神性と対立するもの、下等な衝動として隠そうとするのは間違いですよ」

    『いいえそうは参りません。風神、火神、水神その他天界人も、女にとってカーマほどに好ましいものではありません。女は性交が大好きなのです。一人の夫に献身する女なんか、何千人、いいえ何十万人に一人もいませんのよ。欲望に駆られた女は、家族も両親も夫もほったらかしてしまいます。幸せというものを求め、溢れた川が岸辺にあるものすべてを押し流すように家庭も壊してしまうのです。  創造主自らこういっています。女の不実に気をつけよ、と』

    古今東西、人間の愚かさは少しも変らぬ、と賢人はおっしゃる。愛しい子の遺体を前に嘆き悲しむ家族が、僧侶に化けた禿鷹とジャッカルにまんまと騙され胃の腑に納められる、というお話。〝こころ談義〟を餌に人の不幸と悲しみを利用し、人間を食う宗教屋は大昔からずうっとそれを 方便 にしているのである。

    そんな冷たくなった 亡骸 などにこだわるのはお止めなさい。その子の魂は新しい肉体を求めて飛び去ったのですよ。その肉体はただ 腐 果てゆく肉塊にすぎないではありませんか。  いかに残酷に聞えようとそれが真実であり、現実というものです。腐ちてゆくだけの物体に生前の想いを重ね合わせ、思い出にこだわるのは愚か者のやることです。放棄というもっと高尚な宗教的達観を養う努力に、その嘆き悲しむエネルギーを向けたらどうですか?』

    乳牛にまつわる物語が面白い。ヒンズー教徒がなぜ牛をあれほど敬う――大事に扱っているかどうかは別として――のかがよく分かる。 ダクシャという生類創造神のゲップからスラビ( 豊饒 の牛)という牝牛が現われ世界の繁栄を導いた、なんて話は楽しい。今も農村では牛糞を大切な燃料、家の壁に塗りこむなどして用いているし、アーユルヴェーダ(古代インド医学)では牛の尿を腎臓病の薬として使っている。 インド三大神の一人ヴィシュヌの妃ラクシュミーが牛の糞に宿っているという逸話に、なるほど、と感心したりもする。牛糞が渦を巻いているのは、ヴィシュヌ神の武器、円盤を 象っているからなのだ、といわれると、ああそれで、と納得してしまう。 それが何千年も前から伝わっているといわれればなおさらだ。

    苦しみから解いてやった牝牛、貧しいが故に十分養ってやれなかった牝牛の贈物は特に価値がある。寄贈者は仔牛を産みそうな健康な牝牛、持主の家から逃げ出したりしない牝牛に乳搾り用の白銅の壺をつけて贈るなら、牛の毛の数だけ長生きするだろう。良く慣らされ、荷を沢山運び、丈夫で頑丈な 牡牛 をバラモンに寄進すれば、乳牛の寄贈者のために用意された地へ赴き、共にたっぷり楽しめるであろう。  また牝牛を贈る相手は、牛に優しく、牛を自分の拠りどころとし、感謝の心を持ち、十分な生活手段を持たぬ者が適者である〟

    生類が誕生すると彼らは直ちに食物を求めて大声で叫んだ。ダクシャは彼らの要求を認め、自らも生類のために甘露をたっぷりと飲んだ。そのため盛大なゲップをし、素晴らしい芳香が辺り一面に漂った。そしてそのゲップから一頭の牝牛が生れ、ダクシャはそれをスラビ(豊饒の牛)と名付けた。スラビは沢山の娘を産み、彼女たちは世界の母となった。それらはみな黄金の色をしたカピラ牛であった。この乳牛たちは大量の乳を出しはじめ、その泡は大海の泡のようにあらゆる所へ広がっていった。

    インドは文字通り、頭はバラモン、手と胴はクシャトリヤ・バイシャ、足はシュードラ・不可触民階層という神話通りのカースト階層別社会である。 『マハーバーラタ』は戦闘場面、宗教談義、フォークロア(民間伝承)的世界に分かれている。戦闘場面はありとある幻術者集団、怪物たちも含めて千変万化の秘術を闘わせての大活劇シーンの連続である。宗教談義には有名なヒンズー教徒が聖典中(『マハーバーラタ』そのものが聖典扱いなのだが)の聖典の一つとする『バガヴァド・ギータ』(神の讃歌)も含まれ、ヒンズー教徒の宗教、倫理、社会、政治、経済といった世界観が全面的に展開され、壮観である。

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