鎌倉幕府抗争史 (光文社新書 1211)

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  • Amazon.co.jp ・本 (337ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334046194

感想・レビュー・書評

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  • 『鎌倉殿の13人』はどれくらい史実から離れているのか知りたくて。そして『仁義なき戦い』愛好者の観点から「抗争史」というタームに惹かれて。すごいペースで御家人たちが粛清されていくから、かえって源頼朝のすごさが浮き上がって見えた。そのうち頼朝の本も読もう。

    ドラマと史実の違いについてはけっこうそのまんまの人もいたけれど、北条義時を闇落ちした孤独な独裁者と性格づけるために、かなり良い人に描かれた人もいたのがわかった。なるほどその要素を含めないと義時が悪く見えるんだ、みたいなことがみえて面白かった。

    あと、これは先月読んだ『16テーマで知る 鎌倉武士の生活』にも書いてあったとおりで、鎌倉武士は殺す/殺されることへの抵抗感がびっくりするほど低い。納得いかなくても上が命じたら/必要と判断すれば親戚でも殺しちゃう。あんまり現世が楽しくなかったんだろうか。それとも来世があるって信じていたから死は世界の壁を抜けるためのステップだったんだろうか。まあ現代人だって自分と身内が楽しくできれば遠くの誰かが苦しもうが死のうが構わないのがデフォルトではあるんだけど。

    • 淳水堂さん
      なつめさんこんにちは

      『鎌倉武士は殺す/殺されることへの抵抗感がびっくりするほど低い。』
      これ、色々なところで出ますよね。歴史物って...
      なつめさんこんにちは

      『鎌倉武士は殺す/殺されることへの抵抗感がびっくりするほど低い。』
      これ、色々なところで出ますよね。歴史物って現代の感覚で理解してはいけないなって思いました。
      菊池寛『三浦右衛門の最後』で、武士にとって生命以上に大切なものはたくさんあり、武士の見栄とは、いかに安価に生命を捨てるか、いかに勇ましく死ぬかだった、「その時代は縛り上げる力さえあれば理由はいらなかったのである」とありました。
      災害、怪我や病、飢饉、戦、暴力、身分や性別の差…理不尽が多いこの世で生きるには、自分の力だけでは限界がある。それなら命以上の物がある。そして自分の力だけではどうにもならないものは諦めることも必要だったのかなあと。
      2023/02/06
    • なつめさん
      淳水堂さんこんばんは。コメントありがとうございます。
      鎌倉時代と違っていろいろ諦めなくてよくなった現代ですが、諦められないことから生まれる...
      淳水堂さんこんばんは。コメントありがとうございます。
      鎌倉時代と違っていろいろ諦めなくてよくなった現代ですが、諦められないことから生まれる不幸せは増えたのかもしれませんね。
      2023/02/06
  • 頼朝の死から承久の乱までの時期を対象に、鎌倉幕府における御家人間抗争の経緯を辿る。叙述内容は吾妻鏡が中心。個々の事件について余波まで含めて整理されているので、通史的に理解しやすい構成になっている。

  • なぜ鎌倉武士たちは仲間うちで殺し合いを繰り返したのか、鎌倉時代初期の政治史と、武士の現実が書かれています。

  • 2022年12月24日 夫からのプレゼント。
    2023年5月26日読了。

  • 源頼朝の死去から北条政子の死去までの鎌倉幕府の混迷期が描かれていて興味深かった。
    巻末には古代中世日本の基礎知識が書かれていて親切。

  • 読了 20221001

  • 鎌倉武士団を私的武力集団構成員に例えているのは秀逸だった。

  • 鎌倉時代の初期は抗争の歴史(教科書にでない)
    現代政治史では時々の失策やきっかけで勢力図が
    塗り替えられることがありわかりやすいが、他の
    時代に比べて鎌倉時代は政治バランスがそのまま
    抗争史なので推理しやすいのでお勧めです

    頼朝の死後、武力を集めて作られた楽園=鎌倉は
    大揺れとなり、頼朝から遠ざけられていた気配の
    時政勢力は政子の引き立てもあり上昇するが、頼
    家を掌中にする比企との衝突を避けられなかった

    比企族滅後はこの世の春だったが、息子の政範の
    急死でバランスが崩れる・・・義時に北条嫡流の
    眼が生まれ様子を窺う時に時政と牧の方はミスる
    畠山重忠を咎無く誅殺
    義時は慎重に地盤を作り数年後に執権就任、同時
    期に強い勢力である和田義盛の上総介申請を危機
    と感じ和田合戦=族滅を引き起こした

    義時は時政が思い上がりやり過ぎた事と政範死去
    が無ければ「江間姓」で北条本家に使われたダケ
    だったと思う(´・ω・`)

  • 源頼朝の死後から北条政子の死まで、ここまでの血で血を洗う争いがあったとは知りませんでした。いかに頼朝のカリスマ的指導力による鎌倉幕府だったのかがうかがい知れます。また将軍2代目・3代目までもなんと不安定なことか。北条氏による安定的な執権政治になるまで、御家人たちは疑心暗鬼に陥っていたことでしょう。

  • 東2法経図・6F開架:B1/10/1211/K

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著者プロフィール

1962年東京都生まれ。立正大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程満期退学。博士(文学)。現在、中世内乱研究会総裁。著書に、『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館)、『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館)、『執権 北条氏と鎌倉幕府』(講談社学術文庫)、『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』(朝日新書)など。

「2022年 『論考 日本中世史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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