イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)
- 光文社 (2006年10月12日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (364ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751098
感想・レビュー・書評
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人は普段無意識に死を遠ざけ、自分だけは死ぬはずがないと考えている。
イワン・イリッチもそう考え自らの価値観を保つためだけに生きてきたが、死の間際になり自らの死ぬことを悟り、その生き方が虚構に満ちていたことを悟るに至った。
『人生の短さについて』にもあるように、本当に生きるためには死ぬことを認め、それを真正面から考えなければならない。問題は、それに気づくのが死の間際になってからだということだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私の読んだ文庫は『イワン・イリイチの死』と『クロイツェル・ソナタ』の二篇が入っているが、どちらともトルストイ後期の重要な中篇小説。
『イワン・イリノチの死』は、実在の裁判官メーチニコフの死を知って着想を得たもの。
トルストイは、イワン・イリイチが、はっきりした死に向かうために生きている数ヶ月を驚くほどリアルに描写している。
トルストイはリアリティをもって人間の心の奥の穏然たる汚濁を表出させて小説を書く。
弱って立つことさえもできなくなって威厳もなにもなくなったときでも、妻には頼らず、ゲラーシムという下男だけには素直になり、感謝していた。イワン・イリイチは最悪の孤独をこの健康な下男によって最低限癒されることになる。
この小説の各所に配された隠喩に気付き、奥の奥を読み解くことを、訳者の望月さんがされて解説に書かれている。
『クロイツェル・ソナタ』とは、ヴァイオリニストのルドルフ・クロイツェルに捧げられたベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番を指すものであり、トルストイはこの楽曲に感銘を受け、本作品を執筆した。
また、トルストイの『クロイツェル・ソナタ』に大いなる刺激を受け、チェコの作曲家、レオシュ・ヤナーチェクが、弦楽四重奏曲を同名で発表している。 -
ここに至るまでの葛藤の軌跡をもっと知りたい。
「イワン・イリイチの死」は本当にすごい小説だと思った。
死に至るまっすぐな道のりと感情、死の瞬間、開放。
「クロイツェル・ソナタ」は愛についてと罰について。
およそ小説家が書くべきことがこの2編に収まっているという感じを受けました。 -
ロシアの文豪による愛と性、嫉妬、そして憎しみ。
回想の形式を取って物語が進む。 -
一人の高級官僚が些細な怪我をきっかけに死ぬことになっていくまでの心の描写です。トルストイのスゴイと感じるとこるは、死んでいくまでの間の心の描写を、自分が経験したかのように描いたこと。この作品から感じたが、この世のチープな出世、僅かな金銭、そんなもののために、命を削り家族との触れ合いを犠牲にして生きて行く愚かしさを気付くきっかけになった。世間で成功と持ち上げられているものは、死の前では無力だ。自分が死ぬ時にあの世に持って行けるものは家族との思い出だけだな。
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イワン・イリッチの死/クロイツェル・ソナタの二編収録
<<イワン・イリッチの死>>
ロシアの実在した裁判官イワン・イリッチ。
はたしてこれが全くのフィクションなのか、なにか交流があって書かれたものなのか、近しいものから伝聞して検証したものか、正確なところを私は知りません。
しかしそんなことは関係なく、あたかもトルストイがイリッチであるかのように、毒々しいまでのリアリズムを持って徹底的に彼の死に様が突き詰められています。
イリッチが最後に見た光はなんだったのか、読んでも私にはわかりませんでした。
生きた意味、死とは何か、をトルストイもずいぶんと思い悩んだことでしょう。
トルストイが最後の終着駅で見たものも、はたして同じ光景だったのだろうか。
<<クロイツェル・ソナタ>>
たまたま列車に乗り合わせた男が語る妻殺しの告白。
こちらは愛とは何か、結婚とは何か、が語られています。
現在社会でも合致するであろう点も多く、愛の営み(というより欺瞞と虚構)はこのところ不変であることを思い知りました。
その男が何故いまも生きるのか、そこを描いてくれればもっと良かった。
10年前にこの作品に出会っていたら私の人生も変わっていたかもしれなかった。
結婚を悩む人たち、躊躇する人たちには自身の幸せのためにも是非読んで欲しい物語。
どちらも話の根底に悪意を感じます。
人は生涯を通して悪しき生きもので、だからこそ他人への猜疑心から、悩み、救いを求めずにはいられないのかもしれませんね。 -
一見すると「死」をテーマにしているようだが、本当のテーマは「心の目覚め」だ。
主人公は病床で肉体的苦痛に苛まれながら、苦痛、死、人生の意味など答えのない自問が次々に湧き起こり、精神的にも苛まれていく。
死の直前になって、ようやく地位、名誉、世間体、経済的な富裕、他者との比較評価など、自分が当たり前のように信じていた人生の価値尺度が全て「間違い」だと気づく。
凡人を主人公にしたのは、この主人公こそわれわれ読者であり、他人事ではないという著者のメッセージだ。
死の間際に、まだ「すべきこと」ができると気づいた主人公は、息子が手にしてくれたキスで心が目覚める。
最後に自分のことを忘れて家族のことを思って、いまその瞬間にできることをして、息を引き取る。
心の目覚めた主人公にとって、「もはや死はない」のだ。
このメッセージは、裏を返せば「心の目覚めない人生は死んでいるのと同じ」ということかもしれない。
数々のベストセラーで知られる心理学者ウェイン・W・ダイアー博士も影響を受けたという示唆に満ちた短編小説だ。 -
善良な人生は幸福な死へとつながっていく。
「死は終わった」との表現に、時間軸としての生と死の概念を超えて、悟りの境地に至ったと思われる。
イワンは自らの死に臨み、何を見たか。
良書!! -
死への想像力――
経験することのできないものこそ、力強い想像を掻き立てる。 -
なぜロシアの文豪はこうも人間の見たくない部分を抉るのか。